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ネット依存が奪うもの

ネット依存

風邪はひき始めが肝心と言いますが、ネット依存にも同じことが言えます。まだ入り口にいるうちに、適切に対処していれば大事に至らずに済むものです。

 

しかし、残念ながらネット依存の場合、そうかも知れないと思っても、そのせいで何を失うかが、その時の本人や家族が分かっておらず、結果として対応するタイミングを逃してしまうことが多いのが実情です。

 

そうならないためにも、ネット依存に落ち入った際に失うものについて、予め知っておきましょう。

 

ネット依存が奪う「時間」

ネット依存になると、大量の時間をSNSやオンラインゲームに費やします。したがって他のことにあてる時間は削られて行き、様々な弊害が出始めます。

 

子供たち自身、学年が上がっていくにつれ、自分の時間がネットに侵食されていることには気付くようになるものです。けれども、気付いたからといって、そこですぐにネットから離れられるわけではありません。

 

子供たちにしてみれば、勉強よりも大切なことはたくさんあり、SNSやオンラインゲームを介した友達付き合いもまた、その1つです。もちろん、自分が楽しくてやっている時もあるでしょう。けれど、必ずしも自ら好き好んでやっているわけではない、ストレスを感じながらもやめられないというケースは結構あるのです。

 

例えば、「LINEでオール(徹夜)しよう!」などということを誰かが言い出して、我慢大会のように徹夜し、寝不足とストレスで疲れ切ってしまう子供もいます。また、試験前にLINEで勉強を教え合うのは良いものの、一方的に質問ばかりされて自分の勉強が手につかない子や、どうしてもLINEのメッセージが気になって、スマホばかり見てしまう子もいます。

 

学習時間が削られれば、当然ながら成績にも影響が出ますし、寝不足ならば健康にも影響が出ます。

 

学校でもようやく、スマホやネット利用について意識するようになってきており、生徒たちが自ら考える時間を設けたり、話し合わせたりする試みもなされています。一部の進学校では、全てを自己責任としていることもあり、これはこれで厳しい態度と言えます。

 

ネット依存で削られるのは、勉強や睡眠時間だけではありません。何もしないでいる時間も、今の子供たちには殆どなくなってしまいました。いつもフル稼働している状態が、成長期の脳に与える影響も気になりますが、ニュートラルな状態でいる時間がないまま10代を過ごすことは、その後の人生の長さを考えるとあまり良いことには思えません。

 

ネット依存が奪う「お金」

ソーシャルゲームを含め、オンラインゲームのほとんどは、普通にプレイするだけならば無料です。ただし、ゲームを楽に進められるようにするアイテムは有料になっていたり、早く先に進めたい時にはお金がかかるようになっているものが多く、スマホのゲームアプリでも「アプリ内課金あり」と記載されています。

 

アプリ内課金と言っても、特殊アイテムを買うためにプレイヤーが直接使うのは、ゲーム内のポイントやG(ゴールド)です。したがって、アイテムそのものに「〇〇円」と表示されるわけではありません。プレイヤーが直接買うのはGやポイントです。10Gが100円とか200ポイントが250円くらいの安価なものが殆どです。

 

2012年に問題になった「コンプガチャ」では、このアプリ内課金の上に更にギャンブル性の高いくじ引きシステムを採用したことで、子供たちが多額の課金をしてしまい、親のクレジットカードに高額請求がきたために事態が発覚しました。「コンプガチャ」については、くじ引きシステムも問題となり、消費者庁から指導が入りました。

 

後に「コンプガチャ」は廃止となりましたが、相応のシステムを採用しているゲームは今もあります。ゲームによっては年齢で課金の上限を定めて、子供が多額課金してしまうのを防ごうとしている姿勢も見られます。

 

子供たちが安易に課金してしまうのは、アイテムを直接現実のお金で買うわけではないこと、また、1つ1つの単価が低額であることも無関係ではないでしょう。100円、200円ならばお小遣いの範囲内ですが、夢中になっているうちに何回課金したかが分からなくなってしまい、結果としてひと月に多額のお金を使ってしまっているのです。

 

ただでさえ、支払いそのものもケータイ払いやクレジットカード払い、ウェブマネーが使われ、現金のやり取りがないためお金を使っているという実感がわきにくく、クレジットについては大人でも限度額まで使ってしまうことがあるほどです。せめて、アプリ内に自分がいくら使ったかが「円単位」で表示されていれば、多額の課金は防げるのではないでしょうか。

 

ネット依存が奪う「人間関係」

ネットの友達>リアルの友達(?)

SNSでは親しく話していた友達と、翌朝学校で会っても挨拶をするだけどころか、目を合わせることもない、そんな状況は今や珍しくもないようです。

 

学校生活(リアル)における友達関係は、必ずしもネットでの友達関係とは重ならず、その方がやりやすいのだというのですから、「友達」というものの定義は変わってしまったのかと思いたくなります。

 

親世代にとっては、ネットの友達とリアルの友達ならば、リアルの友達の方がより重要であり、安心できる相手でしょう。

 

どこの誰かが分かっており、顔を見て話したことのある相手こそ、信頼に足るものと考えるからです。けれども、子供たちの間では、この価値観は逆転しつつあるようです。

 

「私、友達100人超えた!」という子の友達が、実はSNSで友達申請してきた相手の数であったという話もあります。ネットの友達しかおらず、リアルで友達と話すにはどうしたら良いかわからない子もいます。

 

ネットの人間関係に比重や価値が大きくなると、リアルの人間関係構築には興味が薄れ、リアルの友達は要らないと言い出す子すら出てきます。

 

ただし、ここで忘れてはならないのは、彼らは決して「友達が要らない」と言っているわけではないということです。友達が欲しい、友達は大事だという価値観は揺らいでいないことは、安心できる部分でもあり、また危うさのもとでもあります。

 

「感じ取る」ことが苦手な子供たち

アメリカのスタンフォード大学のクリスフォード・ナス、ロイ・ペア教授による2012年の調査で、「電子機器の使用頻度が高い子供ほど、(相手の)感情を読むのが苦手な傾向が強い」ということが判明しました。8~12歳までの3461人の女児を対象とし、電子機器の使用習慣と社会的・情緒的状態を調査した結果です。

 

人間は生身で人と話している際、表情や仕草、声色などから相手の感情を無意識のうちに推し量り、判断しながら会話します。

 

この能力は生きていく上で大切なものですが、現実で相手と向き合ってコミュニケーションをとることで磨かれるもので、短文や画像、スタンプでのやりとりによるコミュニケーションでは全く身に付きません。

 

先のアメリカの調査結果では、電子機器の長時間利用と社会的・情緒的状態の悪化について因果関係の証明まではなされませんでしたが、この2つの間に相関関係があるという事実は、子供たちのコミュニケーション能力、「感じ取る」力をきちんと育ててやることの重要性を改めて認識させてくれると思います。

 

ネットから向けられる悪意

リアルで傷つき、ネットに逃げ込む子供がいる一方で、ネットで傷つく子供たちも後を絶ちません。

 

特に、匿名掲示板やSNS、一時期問題になった学校裏サイトなど、大人の目の届かない場所では何が起こっても把握することすら困難です。匿名の投稿や「なりすまし」メールで、正体の分からない悪意に、子供たちは追い詰められていきます。

 

ネットでの悪口というのは、リアルでの喧嘩よりも悪質です。お互いに声も姿も見えないために、普段はとても言えないような言葉を軽い気持ちで書き込めてしまうからです。

 

書き込んでいる子供たちは、自分が思うより酷く相手を傷つけているとは思っていません。更に驚くべきことに、普段は全く問題のない普通の子供であることがほとんどです。

 

もちろん、ネットで何を言われても、リアルで直接、相手に本当の気持ちを聞いてみれば済むことです。しかし、たとえそうできたとしても、子供たちは相手の言葉をなかなか信じられません。

 

ネットに書かれた悪口の方が本当の気持ちなのではないかと疑ってしまうからです。何を聞いても、それが本心なのかと常に疑い、苦しむことになります。

 

掲示板やSNSの悪口に苦しむ子供たちの多くは、見れば傷つくだけと分かっていても、酷い書き込みを見ずにはいられません。

 

彼らにとっての世界は、大人たちが思うよりも狭く、友達の存在は大人にとってのそれよりもずっと大きく、心はまだ柔らかく傷つきやすいのです。ただ単にネットから引き離しただけでは、癒すことは難しいでしょう。

 

ネット依存で脅かされる「安全」

SNSは掲示板よりも更に開かれた出会いの場となります。何しろプロフィールには最低限の情報が書かれているわけですし、書き込みを公開にしていれば、誰でもその人の日常を垣間見ることができます。

 

これが良い出会いに結びつくケースは多々ありますが、中には不幸な結末を見るものも少なくありません。

 

2013年に起きた三鷹ストーカー殺人事件、2016年の小金井ストーカー殺人未遂事件は、被害者と犯人の関係性は違えど、どちらも出会いや接触はSNSを介したものでした。

 

2017年発表の警察庁の資料によれば、SNS(コミュニティサイト)を発端とした犯罪で被害者となった児童の数は2016年には1736人にのぼり、今なお急増中です。

 

今はネットの危険性について、学校でも教えるようになっています。顔の見えない出会いには様々な危険が潜んでいることを、子供たちは知らないわけではありません。

 

にもかかわらず、SNSにおける友達申請にはさほどの警戒感を抱かずに許可を出してしまいます。そして、悩みを打ち明けている相手が年齢も性別も偽っていることに、気付きもしないのです。

 

ストーカーにとっても、SNSは情報の宝庫です。特に複数のSNSを利用している相手ならば、たとえ本人がアクティブに利用していなくとも、その友達の書き込みや写真から、目指す人物の情報を得ることができてしまいます。自分で気を付けていても、こればかりはどうしようもありません。

 

困ったことに、子供たちが一方的な被害者では済まないこともあります。スマホからアダルトサイトへのアクセスも簡単にできるようになり、性に関する知識を得た子供たちが、それを売り物にする術としてSNSを利用することすらあります。

 

先の警察庁のデータでも、被害者の4割強が「金品」や「性的関係」を目的として、被疑者と会っていました。

 

ネット依存が奪う「未来」

動画投稿サイトは、子供たちが自由に自己表現できる新たな場となりました。ネットの世界は既存のメディアよりも敷居が低く、面白ければすぐに反応が返ってきます。見知らぬ相手からの称賛は、子供たちを夢中にさせるのに十分すぎる刺激ですし、歌やダンスの動画投稿から本当にデビューしてしまう子も少数ながらいます。

 

また、動画投稿のプロ、セミプロはユーチューバーと呼ばれ、中には高額の年収を稼ぎ出している若者もいて、彼らに憧れる子供もいます。それでなくともフォロワーからの反応を求めて、次はもっと面白いものを、みんなが喜ぶ、とにかくウケる動画をアップしようと思うのです。けれども、その情熱は時に彼らの大切な未来を脅かす結果を招いてしまいます。

 

ウケたい気持ちが全てに優る

知恵を絞り、真っ当なやり方で良い動画を作るならば、それも才能の一種と言えるでしょう。けれども、残念ながらそういった才能に恵まれていない場合、ウケ狙いは間違った方向にエスカレートしてしまうことが多いのです。アップされる先は動画投稿サイト以外にも、TwitterなどのSNSが使われています。

 

いわゆる「バカッター」と称されるこの手の人々は、10代に限らず20代後半や、30代にまで存在します。彼らは、フォロワーからのコメントや「イイね」のためなら自分たちの危険すら顧みません。海外では危険な場所での写真撮影の結果、転落事故なども起きていますが、それを我が身と重ねることはありません。

 

軽い気持ちで自分の写真をアップした女の子に、「かわいいね」「もっと見たい」などとコメントがつき、それがエスカレートして自分の裸の画像をアップしてしまった例もあります。一度流出した画像を完全に消すことは不可能です。身体的な危険とは違いますが、彼女はちょっとした承認欲求を満たすために、自らの一生を危険にさらしてしまったと言えます。

 

自分たちの犯罪まがいの行為をネットに流したり、裸の画像をアップしてしまったりする子供たちにとって、ネットの向こうにいるのは「フォロワー」という名の仲間です。彼らはリアルの友達や家族よりもずっと自分に近く、自分を認めてくれる相手と思って信じてしまうのです。リアルよりもネットに比重を置いている子は、その傾向がより強くなります。

 

知らない間に犯罪に!

アニメやドラマなどを、動画ファイルとしてアップしてしまう子もいます。もちろん、著作権侵害に当たりますが、YouTubeなどでは毎日大量の動画がアップされるため、取り締まりが徹底されていません。日常的にそういった動画を目にしている子供たちは、それが著作権侵害と知らないことも多く、知っていても「大丈夫だろう」と思ってしまうのです。

 

著作権侵害以外にも、自らの違法行為やそれに近い迷惑行為を撮影して投稿すれば、それはそのまま、犯罪の証拠にもなり得ます。ウケるどころか批判が殺到して炎上し、逮捕、補導されて当然なのですが、コンビニの冷凍庫に入った友達を撮影したり、モノレールの線路に入って遊ぶ友人の姿を撮影している時の子供たちは、そんなことは全く考えません。

 

更に酷いのは、自分の画像を勝手にSNSや掲示板で使われ、援助交際を求めているかのような書き込みをされたというケースです。ネットいじめの一種と言えますが、事実無根の書き込みは拡散し、否定しても周囲の人にすら信じてもらえず被害者は大変苦しみました。人の一生すら左右しかねない悪質な行いですが、やった本人にはその自覚はありません。

 

また、ネットやPCを扱う技術のみに長けた子供が、年齢にそぐわないような違法アクセスで摘発されることもあります。本人は「ちょっと得をしたかっただけ」「自分の能力を示したかった」程度の認識で、罪の重さは全く認識していません。罪であることも知らないほどです。

 

ネット依存が奪う「リアル」

ネット依存が進むと、現実とネットの比重が逆転してしまうことがあります。身の回りの人々や物事よりもネット上での出来事や仲間が、現実の自分よりもネットの中の自分が大切になり、そちらの方が「本当の姿」と思い込み、そう振る舞うようになってしまうのです。こうなると、現実に引き戻すのはかなりのエネルギーが必要になります。

 

ネットの自分>リアルの自分(?)

オンラインゲームやSNSでは、ネット上の自分の分身としてアバターというものを使うことがあります。顔かたちもパーツごとに細かい選択肢の中から自由に組み合わせて、それなりに個性あるものが作れます。特にオンラインゲームでは画像も美麗なものが多く、自分のアバターにかなり思い入れのある人もいます。

 

ただ単に好みのキャラクターを作る場合もありますが、アバターに「なりたかった自分」を投影する人も多いです。リアルでは孤独で消極的な子も、姿かたちを変えたネット上では仲間と快活に振る舞え、先頭に立って戦うこともできます。「なりたかった自分」を手に入れ、やってみたくてもできなかったように振る舞える解放感は麻薬のようなものです。

 

現実がうまく行かなければ行かないほど効果は強まり、「なりたかった自分」こそ、「本当の自分」と思うようになります。

 

「ネット上での自分=アバター」を、「ネットの外にいる自分=リアル」が動かしているはずが、その2つが完全に同一化し、順位が逆転してしまうと「アバター依存」となります。本当の自分はアバターの方で、ゲームの世界に生きているのです。

 

失われるリアルの感覚

何かに夢中になっている時、周囲や他の事に無頓着になるのは珍しいことではありません。それだけに、ネット依存かどうかを区別するのは難しいことですが、大きな違いは「現実感を喪失していないかどうか」です。

 

ネットゲーム中毒を克服した人は、ネットゲームに入り浸っていた時期のことをほとんど覚えていません。無頓着どころか、記憶にないのです。

 

また、生命やその危機に近い出来事にも鈍感になります。リアルとネットの立ち位置が逆転しているのですから、当たり前と言えば当たり前です。死にそうな目にあっても妙に冷静だったり、恐ろしいことに命を奪おうとする側に回ってしまっても、淡々としていたりするのです。当然ながら後者の方が重症で、リアルに戻すのはかなり大変です。

 

自分や身近な人たちの中にはそんな人はいない、そう思うかも知れません。けれども、電車の中や店の中を見回してみて下さい。ほとんどの人はスマホに目を落としたまま、中には多少の音や声では顔を上げようともしない始末です。事件や事故が目の前で起こっても、助けたり逃げたりする人は稀で、スマホのカメラを向けて撮影する人さえ増えました。

 

珍しい出来事を友達に伝えたい、Twitterにアップしたいという気持ちが、本来あるべき自己防衛本能や助け合いの気持ちをあっさりと超えてしまうのは、やはりそれを「目の前の現実」として認識し、行動できていないからと考えられます。今は大人ですらそういった人が増えています。

 

かつては当たり前に持っていた感覚や反応、そして記憶…、ネットから得る大量の情報と引き換えに、私たちの失っているものについて、今一度、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

ネット依存は「生きる力」も奪う

ネット依存が最後に奪うのは「生きる力」です。睡眠不足からくる肉体的なものもその1つですが、それだけではありません。生きていたいという気持ちや、生きることに対する希望すら、失わせてしまいます。これは本当に恐ろしいことです。

 

ネット依存になる子供たちは、常日頃から大量の情報にさらされ、自ら考える時間を持ちません。思考することに元々慣れていない上に、蓄積された睡眠不足が更に思考力そのものを奪ってしまいます。この「考えられない状態」というのは精神的に不健康で、しまいには生きることの意味や目的すら見えなくしてしまうのです。

 

睡眠不足だけでうつ病になるということはありませんが、思考力の低下はうつ病の入り口になります。その上、ネット依存になりやすい状況と、うつ病になりやすい状況はとても近いのです。ネット依存の子供が、その果てに抑うつ状態となることは、珍しくはありません。

 

抑うつ状態まで至ってしまうと、ネット依存から助け出そうとする周囲の声は届きにくくなります。そこに至る前に彼らの危機に気付き、また本人にも気付かせ救いだしてやることが、大人にできる最善の道でしょう。

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