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ネット依存への道!なぜ異常なほどにハマるのか?

ソーシャルネットワークの繋がりによるネット依存

スマホの普及によって、私達の生活は大きく変化し、かつては考えられなかったほど便利になりました。しかし、光が強ければ強いほど、影もまた深くなるもので、スマホ依存、ネット依存の患者は国の内外を問わず増える一方です。このままでは良くないと分かっていても、何故ネットやスマホを手放せないのでしょうか。

 

疲れてもやめられない、ネット依存とSNS

ガラケー(フィーチャーフォン)時代はそうでもなかったのに、スマホに変えた途端、スマホを手にする時間が長くなった人は少なくありません。大人ですらその傾向があるくらいですから、子供達の中ではなおさらです。中高生ともなると、スマホを持っていない子の方が少ないくらいで、子供達の間では最優先ともいうべき情報伝達手段になります。

 

情報伝達手段としてのスマホの魅力は、SNSの魅力と言ってもよいでしょう。メールとは比較にならないくらいスピーディに、かつ多人数にメッセージを伝えられる上、やり取りもできるのです。家に居ながら、親や家族に聞かれることなく友達といつまでも話せるのですから、子供達が夢中になるのも仕方ないでしょう。

 

ところが、夢中になっていた子ほど、その後ストレスを感じるようになり、いわゆる「SNS疲れ」になってしまうことが多いのも事実です。ガラケーが登場した頃にはメールでも似たような現象が起こりましたが、スマホの比ではありません。原因は大抵「既読スルー」問題です。

 

大抵のSNSには、相手がアプリを開いてメッセージを見ると、「既読」マークが付きます。本来は「相手に確実に伝わった」ということをすぐに知るための機能で、伝え漏れがないことが分かる便利なものなのですが、子供達の場合、既読マークが付いたのに返信がないと「既読スルー」だと非難されてしまうのです。

 

子供達の間において既読から返信までの時間は大変短く、3分以内の「即レス」が必須となっています。既読スルーと非難されるからと、アプリを開かずにいると、今度は「未読スルー」と言われ、これも非難されます。この「即レス」必須の暗黙ルールは子供達に重くのしかかるようになり、ストレスのあまりガラケーに戻す子もいるくらいです。

 

既読・未読スルーを非難する子にも言い分はあります。メッセージを送った側は、リアルで言えば相手を見かけて声をかけたような気持ちだから、無視されると「声をかけたのに知らんふりをされた」気分になり、腹が立つというのです。そう言うつもりであったならば、スルーされて怒る気持ちも分からないではありません。

 

辛いならばオフラインにしておけば、言い訳が立つのではと思いがちですが、子供達の場合はそうも行きません。グループで利用している場合は特に、会話の内容をチェックしていないと学校での話題が分からなくなったり、オフにしているうちにグループを外されたりするかも知れないと思うと、辛くても常にオンラインでいることになってしまうのです。

 

つながって安心したい気持ちからネット依存へ

一度SNSというつながりを持ってしまうと、これが切れるのを子供達は極端に恐れます。また、嫌でも顔を合わせる学校などリアルでの人間関係と違い、SNSなどオンラインでの人間関係は、ワンタップで一方的に切られてしまうのですから、片時も安心などできません。

 

SNSのブロック機能は、特定のアカウント(相手)からのアクセスを拒否するもので、本来はストーカーなど嫌がらせ行為から利用者を守る機能でしたが、友達同士でもある日突然、ブロックされたり、SNSのグループから外されたりすることが、実際珍しくないのです。かつてはリアルで行われていたようないじめがオンラインでも行われています。

 

もしも自分が外されたら、もしもブロックされたらと思うと、子供達は気が気ではありません。いつの間にかグループが自分1人になっていて、他の人はよそに行っていたなどというケースもあります。辛いと思ってもいじめられるよりはマシだからと、必死で周りに合わせている子は多く、中にはその甲斐なくいじめられ、諦めてしまう子もいます。

 

リアルでは出会えない人と友達になれるのがネットの楽しさの1つではありますが、その「新しい友達」が新たな敵になることもあります。ブログを始めて、最初は楽しかったのに、酷いコメントが付き始めた途端に荒れ始めてしまうことも珍しくありません。Twitterの炎上と同じで、最初はまっとうな批判であっても、最後は単なる中傷が繰り返されます。

 

ブログなら閉じてしまえばよいし、もしくは見なければよいことと分かっていても、批判、中傷された本人は、自分がどう思われているかを極端に気にするようになってしまい、ますますやめられなくなってしまう傾向があります。こうなるともう、自分の意志など関係なく、抜けられなくなってしまいます。つながっているからこその不幸の連鎖です。

 

見知らぬ人とのつながりにハマるネット依存

たとえ酷い目にあわずとも、SNSから抜け出せなくなることはあります。オンラインでできた「顔を知らない友達」との付き合いにハマるケースです。身近に話の合う友達がいない、リアルだとうまく友達と話せないという子供にとって、オンラインの友達はより魅力的です。

 

顔を知らない友達との付き合いは、ある意味とても気楽です。顔はもちろん、住んでいる場所、学校での様子、家族についても教えたことしか知らない相手ですから、好きなように振る舞うことができます。自分が話したことが全てで、「知ってほしい」自分のことを誰よりもストレートに分かってくれる相手は、とても都合の良い話し相手なのです。

 

ネット依存の子供達は、総じて親や友達と話をする時間が少ない傾向にあります。けれども、コミュニケーションに対する欲求が乏しい訳ではありません。ただ、本人の能力や周囲の状況でかなえられないだけなのです。そのため、リアルで満たしたくても満たすことができない欲求を、ネットで満たそうとすることになります。

 

どれだけの友達がいれば、子供達の欲求が満たされるのかどうかは分かりません。けれども、ネットは手軽にたくさんの「友達」を与えてくれる最高の手段です。

 

楽しいことや面白いことを共有する相手も、悲しい気持ちや怒りに同調して言葉をかけてくれる相手も、ネットならば簡単に見つかり、時に本人が思ってもいなかったほどに広がったりするのです。

 

ツイートに誰かが応えてくれた時、自分のブログに見知らぬ人が励ましのコメントをつけてくれた時、自分の上げた画像がどんどん広まっていった時…SNSには、自分は1人きりでないと思わせてくれる瞬間が、確かにあります。ネットの良い面とも言えますが、寂しさを紛らわす先をネットに求めるようになると、抜け出すことが難しくなります。

 

オンラインゲームとネット依存

ネットゲーム依存の形は、スマホの登場やゲーム機器のモバイル化などにより、以前とは違うものになってきています。PCやゲーム機器の前にずっと座っていなくても、いつでもどこでもゲームの世界に戻ることができるようになったからです。

 

仲間がいるから抜けられない

オンラインゲームにハマる理由も、最近はSNSと似たようなものになってきました。特にMMORPGなど、「仲間」と共にプレイするものは、その傾向が顕著です。「仲間」はリアルでの友達ではなく、ゲーム上で募ってもよいのです。「仲間」にはそれぞれ明確な役割があり、協力して与えられた1つの目標を達成するのです。

 

目標は謎解きからダンジョンクリア、敵を倒すなど様々ですが、全て明確で分かりやすく、それぞれに担った役割があるので、戦闘中はもちろん、「仲間」がオンラインの間は自分だけ抜けることはできません。たとえ自分が食事中であったり、友達と話していたりしても、ゲームの仲間から呼ばれればそちらを優先してしまいます。ある種の責任感とも言えます。

 

オンラインゲームでは、様々なクエストやミッションと呼ばれる課題が常に用意されており、1つをクリアしてもすぐに次が現れます。プレイヤーはそれらについて話し合い、自らの特性や職業を基に役割や作戦を決め、助け合いながらクリアします。結果として生まれる連帯感は、チームプレイの高揚感は、リアルではなかなか感じにくいものです。

 

現実では、問題というのはそれほど分かりやすくは存在しませんし、各々の役割もそう明確にはなりません。ゲームの中で感じた連帯感や高揚感がリアルでは感じられないと思うと、子供達は現実に対する期待が持てなくなり、ゲームの中により一層のめり込んでいく理由にもなるのでしょう。

 

ゲームの中では満たされる

SNSでもそうですが、リアルではなかなか満たされず、オンラインゲームの中で満たされやすい欲求の1つに、承認欲求というものがあります。戦闘で活躍すれば仲間たちには賞賛されもするでしょうし、レベルが上がれば尊敬もされます。リアルではできないことが自在にできる、ゲーム内での爽快感は、一度味わうと忘れられなくなります。

 

もちろん、このような爽快感や賞賛は、ゲーム内ほどではなくとも現実でも味わうことはできます。けれども、そういった経験をあまりしないまま育ってしまった子供も中にはいます。

 

親から「頑張ったね」ではなく、「ダメね」と言われることの方が多く、結果として自分の能力に自信が持てません。誰も認めてくれない、自分を見てくれない、そう思っています。

 

リアルで満たされない欲求が強ければ強いほど、彼らはネットの世界から離れられなくなります。承認欲求を満たしてくれるのは、何もオンラインゲームだけではありません。SNSの投稿につく「イイね」や、ブログやサイトの閲覧数、Twitterならリツイートの数などで、「注目された」「認められた」と感じることができます。

 

いまだに後を絶たない「バカッター」も、この承認欲求が高じたものと考えられます。

 

話題になりたい、注目されたいがために、場合によっては訴訟されかねない行為をしている自分たちを撮影し、公表するこのはた迷惑な人々は、今や世界にいます。本人が訴追されるだけならまだしも、撮影の場となった店舗が休業や廃業に追い込まれることすらあります。

 

「やめさせない」ゲームの仕組み

ソーシャルゲームの収入は、課金だけではありません。ゲーム内に出る広告から得る広告料も重要な収入源となります。したがって、ゲーム会社は何をおいても、ユーザーの数を増やさねばならないのです。そのためにも、プレイするだけならば大抵は無料です。間口は広くしておかなければ、ユーザー数を増やしにくくなるからです。

 

さらに、友達を「招待する」と特典が貰え、最近ではユーザーが登録しているSNSに連動させると、自動的にSNSでの「友達」を招待させるようになっているものも多いです。もちろん、ゲーム内で「友達」を作ってもよいのです。

 

「友達」がいると、アイテムのやり取りなどができてゲームが有利に進みますが、そこでの関係上、ゲームから抜けにくくなります。

 

また、ゲーム内で期間限定のキャンペーンやイベントも開催され、そこでしか貰えないアイテムが公開されると、そのアイテム欲しさにまた離れられなくなる人もいます。毎日のログインプレゼントも同じ効果があります。ゲームによっては、ネットカフェとコラボして、限定アイテムプレゼントキャンペーンを打ったりすることもあります。

 

オンラインゲームは、市場動向やユーザーの傾向をみながら、その欲求を拾い上げて次々と変化していくことができます。更新されるたびに新たな機能や世界、ミッションが追加され、それでも飽きられる頃には、満を持して次のゲームが公開されるのです。

 

美しく迫力のある画像の中に簡単に溶け込める

今のゲームの画像は、草創期とは比べ物にならないほどにきれいです。無料のパズルゲームですら大変美しいのですから、MMORPGなどに至っては画像だけでも十分に魅力的です。

 

アイテムやモンスター、カードなどを集めるタイプのゲームならば、より美しい方が収集意欲を増しますし、滅多に見られないレアアイテムを手に入れたいという気持ちも高まります。

 

家庭用ゲーム機の時代も、それなりに美しい画像を売りにするものはありましたが、今のそれはきれいなだけではなく、動きも滑らかで、戦闘シーンの迫力も格段に増しました。どれだけ集めても、どれだけ敵を倒して美しいエンディングを見られても、ゲームはそこで終わりにはなりません。そしてプレイヤーもまた、抜け出せなくなっていくのです。

 

家庭用TVゲームの登場からオンラインゲームの時代に至って、技術的発展を遂げたのはグラフィックだけではありません。操作の仕方にもかなりの進歩が見られました。かつては専用のゲーム機を必要とし、その操作方法にも独特なコツを必要としました。けれどもオンラインゲームでは、PCやスマホで簡単に操作ができるようになりました。

 

持っている機器で簡単にでき、操作方法も楽となれば、これまでゲームとは縁がなかった人も試しにやってみることもあるでしょう。やってみると難しくはないし、楽しい上に手軽にできると分かると、ちょっとした空き時間などについ手を伸ばしてしまうようになり、いつの間にか抜け出せない依存状態に陥ってしまうのです。年齢も性別も関係ありません。

 

遊んでいる時はあまり考えないことですが、オンライン状態のゲームからは、ユーザーの動向など様々な情報がゲーム会社に送られています。それらは「ビッグデータ」として蓄積され、企業の市場調査や次のゲーム開発に利用されていきます。

 

形を変えたオンラインゲーム依存

オンラインゲーム依存のイメージと言えば、自分の部屋でただひたすらゲーム画面を見つめ、家族や友達とも話すことのない孤独な引きこもりという強かったオンラインゲーム依存ですが、スマホやモバイルゲーム機器を使うことで、そのイメージはかなり変わりました。

 

彼らは他の人とのコミュニケーションを意識的に拒絶してはおらず、かつてのような「リアルでの孤独」を認識してはいません。ゲーム機器やスマホを手に出かけ、街中でゲームをしていても、そもそもスマホの画面に見入っているのは自分だけではありませんから、自分が他の人と違う、おかしいなどとは感じません。

 

家でPCを使ってゲームをしている場合でも、ゲーム内の友人関係の広がりから、ネットゲーム初期の頃のような孤独は感じないようです。しかし、だからと言ってオンラインゲーム依存が抱える問題が無くなったというわけではありません。

 

ゲームをしている場所が変わる、リアルともつながっているような「気がする」だけで、以前と本質は変わらないのです。

 

外でゲームをしていても、思考がゲームから抜け出せていなければ、かえってリアルでのトラブルに繋がります。また、自分では気づかなくても、電車や店の中でひたすらゲームをしている姿は、やはり異様であることにも変わりはありません。

 

たとえ自分でそれに気づいけたとしても、その頃にはやめようとしてもやめられない、重度の依存症になっているのです。

 

かつてはまともな思考力、判断力を持ち合わせていた人が、ゲームに振り回されて生活を壊し、やめようとしてもやめられないまま仕事まで失ってしまうケースは、まだ珍しくありません。オンラインゲーム依存は形や場所を変えただけで、今なお厄介な性質をもって存在しているのです。

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