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一貫して行われるべき中等教育と、それを担う中高一貫校がたどってきた歴史的経緯

中高一貫校

新しいイメージの強い中高一貫校ですが、実は戦前にも、旧制中学という名称で存在していた事をご存知でしょうか?一貫した中等教育を行うという意味では、どちらも同じ役割を果たします。

 

旧制中学から現在の中高一貫校へと姿を変えるまで、どのような経緯があったのでしょうか。今回はその歴史について、一貫した中等教育の重要性と併せて見ていきたいと思います。

 

戦前は主流だった中高一貫校

現在の日本の教育制度は、小学校6年、中学校3年、高校3年の6・3・3制です。これは戦後からの制度で、戦前は6・5制が一般的でした。「5」の部分は旧制中学あるいは旧制5年制中学と呼ばれる中学校の5年間です。つまり、戦前主流だった中学校5年間が、戦後3・3へと移行していったのです。

 

中高一貫校と聞くと、中学校と高校がくっついた特殊な学校というイメージを持つ人も少なくないかも知れませんが、開成や麻布、灘といった戦前からある中高一貫校は、もともとは中学校です。本来一つの学校だった旧制5年制中学校を、新制中学の3年間と新制高校の3年間に分けたものが、現在一般的な中高一貫校です。

 

ですから、中学校と高校を一緒にして中高一貫校が出来たのではなく、本来は逆で、中高一貫校が中学と高校に分かれてしまった学校が現在は一般的になったと考える方が、経緯的には正しいと言えます。

 

中等教育は一貫して行うべき理由がある!

教育学では、教育課程を初等教育、中等教育、高等教育の3段階に分けています。初等教育とは、小学校での教育のこと、高等教育は大学以上の教育のことです。初等教育と高等教育をつなぐパイプ的存在が、中等教育です。

 

発達心理学者のピアジェが、7~11歳頃を具体的操作期、11歳からを形式的操作期と呼んだように、心理学においては古くから、人間は11歳頃を境に物事への認知が変化するという事が分かっています。最近では脳科学においても、11歳頃に脳の使い方が変わる事が明らかにされてきています。

 

具体的操作期は、実際に目で見た具体的な物についての論理的思考や系統立てた考えが出来るようになる時期です。小学校で、おはじきを使って算数の計算をしたり、朝顔を育てて成長の様子を観察したりした記憶がありませんか?まずは自分の目で見て、考え方の訓練をしていきます。

 

形式的操作期に入ると、目で見る事の出来ない抽象的概念についても、論理的、系統的に考えられるようになります。まずは仮説を立ててみるというような、大人の考え方が身に付く訳です。

 

数学で言えば中学校で扱う関数や方程式、高校でのベクトルや微分積分などでは、抽象的な考え方が必要です。化学の原子、分子の考え方も目には見えない抽象的分野です。

 

具体的操作期における教育が初等教育、形式的操作における教育が中等教育にあたります。それぞれの発達段階に応じた考え方の訓練を学校でしっかり行う事が、認知力の発達には重要なのです。

 

また、その訓練の期間として、具体的操作期の場合は6年、形式的操作期に移ってからも6年程必要であると、教育学的には考えられています。そして、この6年間の訓練は、一貫して行われるべきものです。現在当たり前のように中学校3年、高校3年と中等教育が分かれていますが、子供の発達を考えると理にかなっていません。

 

もし小学校が1~3年生の前期小学校と、4~6年生の後期小学校に分かれていたらと考えてみて下さい。もちろん、高校受験のように、後期小学校に進むには試験があります。

 

例えば小学校の算数では、四則計算などの初等教育の基礎は、3年生頃までに固めていくものとされています。しかしこの時点で、全員が四則計算を速く正確にこなす事が出来るかというと、そうではありません。出来る子もいるでしょうが、そうでない子供もいます。

 

これは当然のことですし、そもそも四則計算を速く正確にこなす事が初等教育の目的ではありません。3年生までに早く正確に計算出来なくても、4年生以降に出てくる割合や面積の問題を解く時にその基礎を活用出来る事が大切なのです。子供によっては、そんな活用問題を解く中で力をつけるスロースターターである場合もあり得ます。

 

こうして6年をかけて、初等教育の全過程をマスターしていく事が小学校の目的です。子供一人一人にそれぞれの力の付け方やペースがある中で、後期小学校の受験を受けさせても、子供に本当に合う進学先を選べないのは目に見えています。

 

思春期をずっと見守る教師がいる事の重要性

中等教育は、思春期の教育と言う事が出来ます。思春期とは、肉体的にも精神的にも、子供から大人へと変化する時期で、その後の人生に多大な影響を与えます。三つ子の魂百までとはよく言いますが、人生を左右する影響力は、幼児期以上かもしれません。

 

思春期のちょうど真ん中あたり、14、15歳くらいには、反抗期が訪れます。今まで親や先生に決められていた枠から飛び出したくて、大人に対して反抗的、批判的な態度をとるようになります。子供の心の中では様々な葛藤が生まれ、勉強どころではなくなる事も多いです。

 

親も教師も子供自身も辛い時期と言える反抗期ですが、落ち着ける場所や共にもがき苦しむ仲間の存在が、次第に収束へと向かわせてくれます。自分なりの価値観や、自己および他者に対する新しい評価が身に付き、精神が自立していきます。

 

中等教育では、このように多感で、大人からすれば少し扱いにくい時期の子供を相手にします。ですから教師の質や人間性が、非常に重要です。思春期特有の子供達の感情を良く理解し、適切な距離感で信頼関係を築ける教師である必要があるでしょう。

 

中でも最も重要なのは、反抗期を中心とする子供の思春期全てに、同じ教師が寄り添っていく事です。思春期に入り、反抗期を経験し、やがて乗り越え心身共に大人になるという、子供達の一連の成長を傍でずっと見守る事が、中等教育の役割であるからです。まさに、中高一貫校が、その役割を担います。

 

中高分離校では、思春期のど真ん中、反抗期真っ最中に教師が入れ替わります。例えてみれば、スポーツ選手と共に今まで一生懸命練習をしてきたコーチが、試合中に交代してしまうようなものです。

 

今までどんな練習をしてきたのか、その選手が何を得意とし、何を苦手としているのか、新しいコーチは知りません。そんなコーチが試合後のケアや、結果を踏まえての練習に付き合う事になります。また今までのコーチは、試合の結果を知る事が出来ない上、選手が試合を通してその後どのような成長を遂げていくのか分かりません。

 

中学校で色々な葛藤と戦った子供達は、高校生になって心も体も大きく成長します。その成長を全て見届ける事は、中等教育に携わる教師の醍醐味とも言えるでしょう。成長の途中で子供達から離れてしまったり、途中から引き受けたりする事になる中高分離校では、醍醐味を味わう事は出来ないのです。

 

欧米は中高一貫、アジアは中高分離が一般的、その背景とは?

ここで、海外の教育制度についても触れてみたいと思います。

 

フランスでは、子供達は6歳から通う小学校を卒業後、11歳からはコレージュ、15歳から大学進学までリセと呼ばれる学校に通います。コレージュとリセは名称こそ異なりますが、教育課程としては一貫した中等教育を行う一つの学校です。

 

オランダでも、4歳からの初等教育を終えると、12歳から大学予科コースへ進学し、6年間の中等教育を受けます。

 

アメリカは、州によって制度の違いはありますが、いずれにしても日本の高校受験に相当するものはありません。ハイスクールをジュニアハイスクールとハイスクールに分けている州も、中等教育は一貫して行っています。

 

このように欧米先進国においては、通う年数や名称の違いはあっても、一貫した中等教育が行われるのが一般的となっています。

 

一方、アジアの国々の学校制度を見てみると、例えばシンガポールでは、6歳からの初等教育を卒業後は、12歳から中等学校、16歳からジュニアカレッジに通い、18歳で大学進学となっています。中国や韓国なども似たような制度であり、アジアの国々では、日本のように中高分離校が多い事が分かります。

 

なぜ、欧米先進国とアジア諸国で、このような違いが生じているのでしょうか?

 

それぞれの歴史からひも解いてみると、欧米は早くから民主主義社会であった事、アジア諸国では王朝が長く続いていた事が、教育にも影響を与えているのではないかという考えがあります。

 

王朝のアジア諸国が教育の目的とするのは、優れた官僚を育てる事です。指示された仕事をいかに早く正確に出来るかによって評価します。個人の主体性や創造性は関係ありません。

 

これは子供達に対しても同様で、主体性や創造性よりも、言われた課題を完璧にこなす事が求められます。そのスキルを計るのに有効なのが、ペーパーテストです。テストの回数を増やし子供達に負荷をかけ続けるという方法で、スキルアップを目指しました。

 

これに対して民主主義社会では、次の時代を担う引率者を育てる事が教育の一番の目標です。国民一人一人の権利が尊重されると共に、誰もが引率者になれる可能性があります。その為子供達が身に付けるべきは、主体性や創造性、積極的に社会と関わろうとする姿勢です。画一的な評価になってしまうペーパーテストは、あまり意味を持ちません。長期的な視野を持って行う柔軟な教育においては、むしろ無い方が良いのです。

 

以上は極端な見方ではありますが、欧米先進国とアジア諸国の学校制度の違いは、社会の仕組みによるものだという事が言えるでしょう。つまり欧米においては古くから、一貫した中等教育が行われていたのです。

 

中高分離の日本で、中等教育一貫を続けたこだわりが、現在の中高一貫校人気に至る!

日本の中等教育が分断された理由とは

冒頭で述べたように、日本も戦前までは、5年制の旧制中学が存在していました。欧米先進国のような一貫した中等教育を行っていたのです。

 

中等教育終了後は、旧制高校と呼ばれる高等学校へ進学し、高等教育を受けていました。旧制高校とは、今で言う高校とは全くの別物で、現在の大学レベルの教育を行う学校です。ここで、大学で必要となる基礎教養を身に付け、そのまま大学へ進学します。つまり、旧制高校の入試を突破すれば、あとは試験なしで大学に入る事が出来ました。

 

しかし、このような戦前の制度も、戦後は現在の6・3・3制へ移行しています。その移行の背景にあったのは、日本の財政難でした。戦後政府としては、これまで小学校6年間だけだった無償義務教育期間を、中等教育終了まで伸ばす考えでした。ですが当時の苦しい財政状況が、それを許さなかったのです。

 

最終的に、無償義務教育期間となったのは前期中等教育、つまり中学校までで、新制中学・新制高校の2つが新たに誕生する形となりました。これが、日本の中等教育の分離の始まりです。

 

なぜ私立だけが、中高一貫校となったのか

その後、公立の旧制中学は新制高校に移行され、新しく新制中学が全国に設置されていきました。もちろん、私立の学校にも、新制中学を設立して欲しいという政府からの依頼がありました。

 

しかし、私立学校側からしてみれば、新制中学を作ったところで生徒が集まらないのは目に見えていました。皆が無料の公立中学へ入ってしまうのは、容易に想像出来たからです。

 

その為多くの私立学校は、新制中学と新制高校の2つを併設させ、公立との差別化を図る事で経営を成り立たせようと考えたのです。また、この併設には、教員達の「中等教育を分断させたくない」という思いも込められていた事でしょう。中高一貫校とする事で、戦前のような中等教育の存続が可能となりました。

 

このような変遷によって、大学進学の方法も変わりました。中学受験を受けて、私立中高一貫校から大学へ進学するか、公立中学へ通い、高校受験を受けて、高校から大学へ進学するかという、2つの選択肢が登場した事になります。

 

学校選択への子供達の強い思いから火が付いた、私立中高一貫校人気

私立中高一貫校は、当初から現在のような人気があった訳ではありません。東京の場合で言えば、1960年頃まで、子供達が希望する進学先は、大半が都立高校でした。しかし、1970年に、東京都が学校群制度という入試制度を導入した事をきっかけに、その人気に変化が表れ始めます。

 

学校群制度とは、いくつかの高校で一つの学校群を作り、中学生にその群を受験させるという入試制度で、合格者はその群に属する高校にランダムに振り分けられます。

 

東京都としてはこの制度によって、一部の有名都立高校への生徒の集中や学校間の格差が生じるのを防ごうとしたのですが、子供にとっては、進学する学校の選択権が無く、行きたい学校へ行けないという理由から、大変な非難を受けました。

 

そんな不満を抱える子供達が選ぶようになったのが、学校群制度の対象外であった私立高校でした。

 

中でも教育に力を注ぐ親を持つ優秀な子供達の中では、中学受験をして、中学から私立に入ろうという思考が広がり、私立中高一貫校への志願者が増加しました。そんな子供達が大学進学実績をぐんと上げていき、1990年頃には、私立中高一貫校の東大合格者数が公立高校を上回りました。

 

公立中高一貫校の登場で明らかになった、受験生の本音

このような流れで勢いに乗った私立中高一貫校ですが、この頃はまだ、学校制度上での中高一貫カリキュラムとして国に認められている訳ではありませんでした。

 

そんな中、1994年に登場したのが、公立の中高一貫校です。私立中高一貫校とも、一般的な公立中学とも違う、新しい選択肢として、宮崎県に初めて設立されました。この頃には既に公立高校の授業も無償化されているので、無料で通える中高一貫校が登場した事になります。

 

この学校が成功を収めた事により、公立中高一貫校は全国に広まり、1998年の学校教育法改正において、中高一貫校が正式に国に認められました。

 

細かく言えば、中等教育学校、併設型、連携型の3種類が、中高一貫校として定められた事になります。中等教育学校は、完全な中高一貫校で、高校からの入学枠はありません。高校からの入学枠があるのは、併設型となります。連携型は、個別の公立中学と公立高校が連携はしているものの、カリキュラムの入れ替え等は出来ない事になっています。

 

私立中高一貫校からしてみれば、この公立中高一貫校の登場は脅威ですが、子供達の学校選択の幅が広がった事は確かです。私立中高一貫校の高い授業料が壁となって中学受験を躊躇していた家庭にとっては、ハードルが下がったと言えます。

 

2008年のリーマンショック以降はさらに人気が加速し、現在あるいずれの公立中高一貫校においても、倍率の高い状態が続いています。

 

つまり、「授業料の心配が無くなれば、本当は中高一貫校で教育を受けたい」と考える子供や親は、潜在的に多く存在していたということなのです。公立中高一貫校の登場は、今まで隠されていた中高一貫校の高いニーズを明らかにしました。

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