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弁証法を活用して、思考をワザ化しよう!

考える子供

お互いの意見が2つに分かれてしまったら、どんなときでもどちらかに決めなくてはいけないと思ってはいませんか?今回は、そうではなく、2つの意見をさらに違う次元から見て統合する思考法について見ていきたいと思います。

 

弁証法を活用して、別視点から物事を考えられる力を身につける

会議などで意見が対立してしまい、どちらが正しいか判断できない状況になることがあります。また、自分で考えてある程度まで進んできたのに、そこから先の決定的な「何か」が得られず停滞してしまい、行き詰まることがあります。このような状態から脱するには、弁証法という方法が有効です。

 

弁証法とは、古代ギリシャ時代に生まれた哲学です。ドイツの哲学者であるヘーゲルが初めに用いて、その後、同じくドイツの哲学者であるマルクスが継承して法則化し、今日まで発展してきました。

 

スポーツや勉強においても、上り調子だった事が、突然停滞してしまう事もあります。これが限界かとあきらめようとした時に、突然爆発的に出来なかったことが出来るようになったり、問題が解けるようになる現象があります。この現象も弁証法で分かりやすく理解できます。

 

ヘーゲルが初め用いた弁証法では起こった問題に対して、「正・反・合」の3つで表していきます。「正」とは、起こった問題そのものを表します。「反」とはその問題に対して反対の問題、または矛盾する問題を表します。「合」とは正と反の問題をもう1つ上のレベルでまとめ上げた物を表します。

 

「正」と「反」は、昔から伝わる「水と油」ということわざの意味のように、決して混ざり合わない関係性のようなことではありません。科学的な事で言えば、決して混ざり合わないと言われてきた水と油も、この2つをなじませる働きのある乳化剤を利用すれば、混ざり合う事が現在では広く知られて、化粧品製造などに応用されています。

 

これが、「合」です。妥協案や、足して2で割るような単純な事ではない複雑な問題を、別な視点から見てまとめ上げる事が弁証法の醍醐味です。また、「正・反・合」のヘーゲルの弁証法を継承し、マルクスと、その同志であるエンゲルスが発展させた弁証法は、次の3点にまとめられます。

①量から質への転化、またはその逆の質から量への転化

②対立物の相互浸透

③否定の否定

 

ヘーゲルの弁証法と、マルクスやエンゲルスが提唱した弁証法のどちらも、私達の生活でワザ化できるようになると、停滞中の悩みや物事を客観的に見る力がつき、柔軟な思考を持って行動することが出来ます。

 

ニュートン、ホヒヘンス、アインシュタインから、弁証法的思考の基礎を学ぶ

17世紀に活躍した哲学者アイザック・ニュートンは、長年多くの科学者を悩ませてきた「光とは何か?」という問題を、光をとても小さなほぼ重さの無い粒子が集まって動くものであるという粒子説として提唱しました。

 

ところが、それに対しオランダの物理学者であるホイヘンスが、光とは何らかの媒体を伝わって波のような動きをするという波動説を提唱しました。この2つの異なった考え方が、17世紀から18世紀にかけて、どちらも正しいとされていました。しかし、最後には研究が進み、新たな問題が19世紀頃から生まれます。

 

光は直進する性質を持ちます。その為、ニュートンは重さもないほどの粒子が光源となる所から放出された時に反射する物と考えました。しかし、それでは、障害物に当たった光が、その物を被うような光り方をしたり、光と光が重なり合って新たな光の波ができあがるような現象を説明することができません。

 

しかし、だからと言って、ホイヘンスの波動説でも説明できない現象もありました。例えば、光が金属に当たった時、そこから電子という粒子が飛び出してくる現象です。2人の考え方は、互いに矛盾を抱えて対立していたという事になります。

 

現在は、「光は粒子でもあり、波でもある」という2つの性質を持ち合わせているので、いろいろな現象は、光同士が互いに2つの性質を補いながら起こっているとされており、ニュートンの考え方も、ホイヘンスの考え方も矛盾していないという理論が成り立っています。

 

これでは一見、ヘーゲルの弁証法で言う「合」には至らず、互いの意見が平行線のままのように感じるかもしれません。しかし、現在まで研究されてもなお、光は粒子か波のどちらかであると決める事が出来ません。したがって、両方の性質を持っているという事も矛盾しないという結論に至っています。

 

このように、優れたアイデアは論争を重ねて生み出されます。「数々の業績を残しているニュートンが提唱したのだから、間違いない」と言って、粒子説だけの考え方だけに留まらずに、ホイヘンスのように波動説を提唱する人間が現れたことで、「光とは何か?」という問題に対する「正」と「反」の命題が誕生しました。

 

波動説が有力と言われている中、さらに時を経て、20世紀の偉大な物理学者であるアインシュタインが、粒子説と波動説に対して新しい考え方を提唱しました。これはまさに、「合」としたヘーゲルの弁証法的な解決を試みた事になり、現在までの研究へとつながって行きます。

 

矛盾に気付き、視点を変えて物事を観る経験を積んで、弁証法的思考をワザ化する

これは矛盾していると気づいた時、不安になり何とかしなくてはと思うのが人間の本能です。このもやもやした気持ちをすっきりさせたいと考えてしまいます。意外に思うかもしれませんが、私達は、対立状況を何とかしたいと思ったときに、弁証法的思考がすでに働いています。

 

例えば、自分はAと思う時、他の人がBと言ったとします。そうすると、「Bと言われればそんな風にも感じるな」と思う事があります。この時点で、Aと言った自分は少し目線が変わり、弁証法的なCという新たな考えへ向かっていることになります。

 

弁証法は、ギリシャ語で「対話の技術」という意味を持つ、ディアレクティーケ・テクネーという言葉が由来です。弁証法と言うよりは「対話法」と言った方が、もっと身近な存在として活用されていたかもしれません。

 

「対話の技術」(対話法)は、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスが、教育家や弁論家と呼ばれる、お金を受け取って得する情報を教えるやり方をするソフィスト達に、さまざまな質問をして、「自分は何も知らないのだ」と自覚していくやり方(無知の知)を導き出しました。

 

私達は、対話している時は無意識に対話法的な思考を行っていますが、これを意識して、ワザ化してこうとすると、無意識な時に行う思考とは全く別物になります。それは、公園で楽しくバドミントンをする事と、本格的にシャトルを打ち続けて猛練習したバドミントンくらい異なります。

 

この場合で言うと、猛練習してワザとして身につけ、本格的に試合に出場できるほどまで完成されたバドミントンが弁証法です。公園で楽しむバドミントンも試合に出るために練習したバドミントンも、基本的には同じ事です。しかし、さらなる上を目指すという観点から言えば、根本的に異なっています。

 

意識して、ワザ化しようするかしないかで、思考力は大きく差が出ます。「自分は、ワザ化するまでにこれだけのトレーニングを積んできたのだ」という自信が持てるほど成長すれば、それは精神的な支えとなります。どんな思考法でも、鍛錬に磨き上げてワザ化すれば、私達にとって、とても大きな知的財産になります。

 

日本的な弁証法を活用したトレーニングで思考をワザ化していく

弁証法という言葉の語源は、ギリシャ語で「対話の技術」という意味を持ちます。すなわち、対話法です。弁証法は、マルクスとエンゲルスが提唱した思想を基に広がった「マルクス主義」が流行したことにより、階級のない社会にしようとする為、それを説明するための手段として使われたという経緯があります。

 

対話の技術は、時を超えた今でも必要です。弁証法を活用して思考のワザ化をすれば、コミュニケーション力にも影響を与えます。それには、2人以上でトレーニングをするととても効果的です。

 

弁証法とは、対立する2つの問題のどちらかに決めてしまわず、さらに上のレベルでみて統合しようという考え方です。ここで重要な事は、矛盾を含んだ意見を出し合い、一つ上の次元で概念を作る意識を保つことです。単なる対話では訓練になりません。

 

例えば、2人で訓練する時は、片方が言った意見に対して、自分は同意見だと思っていても、同意せずにNOの立場で対話をします。お互いが訓練だと思っていれば、相手の意見に対していきなりNOという意見を述べても問題ないのですが、実際に活用する時には注意が必要です。

 

日本で討論する時は、YESを前提に進める風潮があります。日本は、自分の意見に対して「そうですね」と同意されるものだという固定概念がある事が多い為、誰かがNOと言うと、その理由よりも先に気分を損ねた事だけが先行していまい、場の雰囲気が悪くなってしまいます。

 

そもそも、弁証法での正しい意見と反対の意見というのは、どちらかの意見に決定するという事ではありません。反対の意見というのは、相手の意見と真逆の考えがある、またはこんな方法もありますよという、別の提案をするという意味ですが、日本ではそれが伝わりにくいのです。

 

相手の意見を肯定してしまうとそれ以上の発展は見込まれません。新しいアイデアは、肯定されるよりも否定から入って試行錯誤した方が生まれやすいという思考は、どちらかというと欧米的な感覚と言えます。

 

新しいアイデアを生み出すためにも日本でも否定的な考えを受け入れなければ、発展はありません。相手が提案したことに対して、「いや、それはあり得ないでしょう?」と言ってしまえば、日本ではそこで会話は終わってしまいがちです。

 

それよりも、まずは「いいですね」と共感の言葉を示してから、「でも、こういう考えもありますよね?」というような言い方でNOという意見を出した方が良いと思います。少しずつ、YESからNOに思考をずらしていくという手法が日本的といえます。

 

このように、共感を基礎とした上で、意見や考えをずらしていきながら発言していきます。明らかに矛盾しているとなれば、それははっきりNOと発言しましょう。この場合は、「思考力をアップさせる為に、あえてアンチテーゼ(直接的な反対意見)を出してくれたのだな」という了解が、相手にもあることが前提です。

 

否定をプラスにして、上の次元で新たなアイデアを生み出すには、討論している同士の信頼関係がとても重要です。

 

否定されたくない気持ちを自分自身が否定し、欧米的思考を得る

野球選手として著名なイチロー選手が、かつてアメリカ大リーグのシアトル・マリナーズに所属していた時、大リーグでのキャリアが1年半ほどであったのにも関わらず、その当時の首位打者とMVPを獲得したことがありました。

 

そんなイチローを、大リーグでのキャリアが長く、数々の賞を受賞した、最近では日本でも活躍していたことのあるマニー・ラミレス選手が訪ねてきたことがあったそうです。そして、イチロー選手にたくさんの質問をしてきました。そんな様子を見ていた他の選手も少しずつ加わって、その輪は大きくなっていきました。

 

キャリアのある一流選手が、キャリアの浅い自分に質問をしてくるという経験は初めてだとイチロー選手は驚いたそうです。「自分よりキャリアの浅い選手に質問するなんて、プライドが許さない」と思うのであれば、それは日本的な思考であり、大リーグ向きではないのかもしれません。

 

少しでも向上したいという気持ちにこそプライドがあり、そのためにはキャリア年数など関係なく聞き出す姿こそ、欧米的なプロの姿なのです。

 

人に聞くということは、初めから自分を否定しているということになります。ストレートな否定や反対を受け入れにくい日本人には、少し尻込みしてしまうかもしれません。しかし、この方法は、いままでの凝り固まった自身の思考をリセットするのに有効的な方法です。

 

質問した相手には、「私のやり方や考え方を一度否定してください。こうしたほうが、これから更なる上を目指すのに効率がいいと思っています。ですから、気にしないで思うまま言ってください」というアピールをしていることになります。

 

今まで積み重ねた経験を、出来るだけ否定されたくないのは当然のことですが、これを糧に上を目指すことも必要なのです。

 

このように、誰でも気持ちを切り替えて進んでいければいいのですが、会社や集団で改革の必要性に迫れた時には、長いキャリアほど勝るものはないと、反論する人が出てくることも良くあるケースです。経営的には、何十年とやってきたやり方を時代に合わせて変えていかなければ、業績にも関わるのに、足止めを食らってしまいます。

 

なぜこのように、なぜキャリアが長い人ほど変化に対して反論するのでしょうか?それは、自分のやってきた事に固執しすぎたり、過去の成功体験が強かったりすると、改革のような変化を受け入れてしまえば、自分のプライドや誇りが否定されてしまうのではないかと誤解してしまうからです。

 

年齢やキャリア年数に関わらず、思考力の強化とともに、否定されても屈しない精神力も鍛える必要があります。

 

否定を受け入れるタフな心と思考が、改善策を生み出す

人は、どうしても否定されると、その内容に対して冷静に考える前に、言われたという怒りの感情や、否定した内容について2重にも3重にも輪を大きくして言い訳をして、否定された事をなかった事にしようとしてしまいます。これは、自分の人格も否定されてしまったと思い込むからです。

 

さらに、自分の偏った思考の中に、否定される考えが無かったから、反射的に怒りや言い訳という形にして、脳が新しい思考の受け入れを拒もうとしているからです。長年の経験年数と、数々の成功体験をベースに思考が出来上がっている為、変化を受け入れる事は、なかなかスムーズにはいかないのです。

 

かつての日本は、「このくらい出来るようにしないと、社会で通用しないぞ」など罵倒する言葉を用いた社会での上下関係が当たり前のような光景でした。世界的な大企業へと成長した、パナソニックの生みの親である、松下幸之助さんが生き抜いた時代は、人格をも否定されるほどの厳しさある社会でした。

 

やがて、松下さんは「経営の神様」呼ばれるようになります。ある日、松下さんはある会社を見学に行きました。出迎えたこの会社の社長が、松下さんに自社の素晴らしい所を一生懸命に説明するのですが、松下さんへの質問は一切ありませんでした。この事について、松下さんは周囲にこう語ったそうです。

 

「あの会社は、これから先、経営が悪化するかもしれないな。一方的に会社説明ばかりをして、私の言うことを一言も聞こうとしなかった。私の方が経験があるのに、そういう人にこそ話を聞こうとしない態度が無い事自体が問題だ」

 

しかし、今は、人格を否定するような言葉を口に出してしまった人間が叩かれてしまう時代になったので、この思いはぐっと心に留めて、優しく教えるようになりました。これが、若者の教わる側の積極性を失わせ、自ら伸びようとする意欲が出せない原因を作っていると感じます。

 

すべてではありませんが、罵倒して否定したのも愛情に基づくものです。否定されて、どうすれば改善されるかを疑問に思い、質問を繰り返して、質問力をつけて伸びて行くことを指導者も分かっていて、あえて否定していたのです。

 

今は、優しく教えてしまう事で、荒々しい変化を嫌い、事なかれ主義者が増えていき、否定されたことに対して耐えられるタフさが無くなってきています。しかし、否定され、「こんな見方もあるのか」と自分に見えなかった事が発見できたという切り替えが出来なければ、アイデアは生まれません。否定を避けて進化や変化を求める事はできないのです。

 

否定を受け入れられる思考を持ち、前進する

否定の仕方もさまざまです。同じ内容の否定を言ってきても、その人の言い回しや、態度、顔の症状と併せて見ると、受け取る側の印象も変わります。どんな否定のされ方をしても、「こういう言い方をする人もいるのだな」と、全体を見て一つの情報として受け入れ、乗り越えていきましょう。

 

日本初のコンビニエンスストアであるセブンイレブンを立ち上げた鈴木敏文さんが、イトーヨーカドーの取締役だった時代に、アメリカのコンビニエンス業態を日本にも取り入れたいと提案しました。イトーヨーカドーの社員は、その話を聞いてほぼ全員が反対しました。

 

しかし、イトーヨーカドーの創業者の伊藤雅俊さんだけは、反対しませんでした。その代わりに、「みんなのアドバイスをよく聞く事」と指導したそうです。これは、反対意見を聞いてしっかりと受け入れ、それでもやりたいと言うのであれば、それだけのアイデアと、どんなことがあってもやり遂げる覚悟を持ちなさいという意味です。

 

あえて、強い反対意見の中に身を置き、それでもどうすれば前進することが出来るかを必死に考えて生み出されたのが、セブンイレブンです。これは、どんな否定でも乗り越える事で生まれたアイデアは、確実に磨き上げられるという実例です。

 

また、セコムの創業者である飯田亮さんにも、否定について面白いエピソードがあります。

 

困難と予想されるプロジェクトを、部下に命じたところ、案の定困難すぎて立ち往生してしまいました。そこで飯田さんは、そのプロジェクトに関係のある企業や、官公庁を部下を連れて訪ね、なぜプロジェクトが困難と考えるのかと理由についてヒアリングして回りました。

 

訪ね歩くうちに、反対意見が多すぎて、部下もやっぱりプロジェクトを達成するのは無理だと考えていましたが、飯田さんは、「これで乗り越える課題が見えただろう?」と言い、部下は目からうろこが落ちたと言います。

 

否定されたから、やっぱり駄目だと立ちすくむのではなく、否定する理由が材料として揃ったのであれば、あとはそれをクリアすれば良いだけだと飯田さんは考えたのです。

 

否定はゴールへの道しるべと捉えて、前向きな気持ちで進んでいくことが、弁証的思考法を身につける大切な事です。否定を物ともせず乗り越えるのは、かなり精神的にも勇気のいる事です。また、時間がかかる事もあるし、簡単に乗り越えられるような壁ではない事もたくさんあります。

 

しかし、思考がワザ化出来るようになった時には、メンタルの強さも併せ持ち、アイデアがより良いものに、磨き上げられていきます。

 

自身の人格と、自身のアイデアを切り離して否定を受け入れる心を鍛える

否定を前向きにとらえるには、切り替えが必要です。では、具体的にはどのようなことでしょうか。それは、自身の人格と、自身が考え出した内容との間に仕切りを入れる事です。人間が否定されることに抵抗があるのは、否定されたことで、自分自身の人格がセットで否定されていると思い込むからです。

 

自分自身とアイデアや企画を合わせて、相手に提案するとどうなるでしょうか?相手がNOと言っただけで、自分の存在自体を否定された気分になり、内容を素直に聞くとこが出来なくなります。

 

人格とアイデアや企画に仕切りをつけて、別物であるかのように思考を切り替える事で、否定されても人格や存在を否定されたとは思わなくなりますから、否定内容だけを聞けるようになります。

 

よくあるケースが、就職活動です。何社面接しても不合格というのは、それだけ否定され続けていますから、自分自身を否定されてしまったような勘違いをして、先に進めなくなる人がいます。現実は確かに厳しいですが、不合格なのは、その企業と、自分が発言したやりたいことやこれまでやってきたことがマッチングしないだけの事です。

 

ホンダの新車開発担当者が、自分が提案したコンセプトが役員会でたくさんの駄目出しをされてしまいました。「こんな新車開発チームは見たことない」とまで言われてしまったそうですが、担当者は落ち込むことなく、「じゃあ、次は表現を変えてもう一回意見を通してみよう」と行動して出来上がったのが、大ヒットしたホンダ フィットでした。

 

これは、コンセプトに対しては否定されたが、人格は否定されていないと捉え、これはよりよい新しい車を世に出すための否定と考えた事で生まれた商品です。否定とは矛盾であり、それを受け入れる所から始まったので、この担当者は弁証法的思考で行動したことで結果を出しました。

 

否定を体全体で受け止めて硬くなってしまわずに、否定されるということは、何かを生み出すためには必要な事であるのだと、快く受け入れるタフな精神力こそが、弁証法の基本です。

 

弁証法の「否定の否定」を活用して、思考軸を強固な物にする

皆が1つの意見にYESと答えて同調してしまうと、その考え以上の物に磨きあがる事はありません。否定が無ければ矛盾もありませんので、上のレベルで物事を見る必要もありません。

 

人間は、矛盾を感じた時に初めて、何とかしなければと思います。否定は思考力をアップさせる燃料と言ってもいいでしょう。否定と言う燃料は、私達の思考を活性化させて、壁を乗り越えようと必死に考えさせるきっかけを作ります。これが弁証法です。

 

弁証法には、「否定の否定」という法則があります。Aという意見と、Bという意見が対立した時、どちらかに決定するのではなく、さらに上の所から見た時にお互いの矛盾を出し合い、統合してCという物を作り合うこともあります。

 

しかし、必ずしもAとBからCが生まれるというわけではなく、新Aや新Bが生まれる事もあります。Aを全否定せずにBの要素も取り入れた新Aができるのには、互いが否定からの意見を受け入れて、より良いものを作り上げようとするからです。これが否定の否定です。

 

例えば、「この商品を年配者が使いこなすには難しい事ではないか?」と反対意見が出た時に、それに対して「では、もっとここを持ちやすく改良したらどうでしょうか?」「もっとシンプルなデザインにしてみるのもどうでしょう?」などの意見が出るのも、弁証法的思考が活かされた話し合いです。

 

もし、自分にとって都合の悪い意見が出たとしても、思考をワザ化する為の良い教材だと思って、前向きにとらえて過ごすことが大切です。

 

思考をワザ化して、社会でも通用するタフさを身につける

弁証法的思考がワザ化されるようになれば、レベルの高いアイデアが生まれるだけでなく、人間関係も柔軟な対応が出来るようになります。

 

最近は、若者の離職率がとても高いです。その最大の原因は、人間関係にあります。会社で、自分のしたことを否定されたことが、実は生まれて初めてで、それをきっかけに辞めてしまう若者も少なくありません。家庭や学校で、厳しい指導を受けずに育ち、否定されることに慣れない事が原因です。

 

教師という職業も、教育実習中に「授業内容がこれでは駄目だ」と言われ、自分自身が否定されたように感じて、教師になる事を断念するケースが、特に男性に増えています。企業にとっては、打たれ強いタフな人間を求めたほうが、楽です。厳しくしても、なんどやり直しさせられても、へこたれない精神力を持った若者が昔の方が多くいました。

 

今は、上司が「全然出来ていない」と感じる事も、否定や強い物の言い方をすれば、すぐ辞めてしまうと感じ、「けっこうよく出来ているね。あとは、ここら辺をこうしてみると、もっといいものが出来ると思うよ」とコーチング的な指導をせざるを得なくなってしまい、上司も疲れてしまいます。

 

上司はもっと本音で話して仕事を進めたいし、それに対して、めげずに取り組むタフな上司が欲しいはずです。ところが、今は思い切り否定されると、人格否定されたと思い立ち直る事が出来ない人が増えています。仕事と人格を分けて考えるような思考を持つ環境ですごしていないからです。

 

それは、遡ると家庭や学校で、厳しい指導を受けてこなかったから、否定されることに慣れていないという事になります。否定されることを予測して、親がわが子を守るように前に出てきてしまう事もよく見る光景です。

 

人間は、もまれて叩かれて成長していきます。今、このような機会が減ってきてしまっているので、否定されるとすぐへこたれてしまいます。弁証法的思考をアップさせるには、自らを追い込み叩いていくことです。

 

NOに強くなり、質の良いプライドが持てる思考力を身につける

最近は、否定に打たれ弱い人がたくさんいます。注意されたりすると、「プライドを傷つけられた」とまず思ってしまうようでは、思考力はアップしませんし、人間的成長もありません。これが恨みになってしまうのはもってのほかです。プライドは、今の自分に対してではなく、伸びていく自分に対して持つものとして捉えましょう。

 

現状の自分を守ろうとするのではなく、弁証法的思考力を発展させる過程においての自分にこそプライドを持つべきです。

 

ところが、最近は「今のあなたのままでいいんだよ」という風潮が強まり、自己否定する事が良くないような流れに変わってきています。その結果、自分自身を否定する事で成長していくタフさが無くなってしまいました。

 

「自分は駄目人間だ」という口癖の人がいますが、これは自己否定ではありません。逆に「そんなことないよ」と自分を認めてほしい為に発しています。このような人に、「そうだね、本当にあなたは駄目人間だよね」と返してみたらどうでしょうか。恐らく相手は激怒します。

 

本来ならば、自分が衝撃を受けるほどすごい人に会ったり、厳しい現実に立ち向かわなくてはならない時にこそ、向上心が生まれて、「このままではいけない」「なんとかしなくては」と思う物です。もし、このような経験が自分には足りないと思ったら、なおさら弁証法的思考をワザ化する為にも思考を否定にならす必要があります。

 

否定を糧にして、思考力をアップさせて、あらゆる場面で対応できるようにワザ化出来るようになる過程にプライドを持ってほしいと思います。

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