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教養に必要なのは、基礎知識と感動できる心

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本を読んで教養を身につける

教養は自分の内面を豊かにするために進んで身につけるものであり、試験突破のために詰め込んだ受験勉強の知識とは根本的に違うものです。

 

様々な分野の教養は、日本で手に入る世界中の本の中であなたを待っていますが、より効果的に教養を身につけるにはちょっとしたコツがあります。道しるべとなる人や本からのアドバイスと、新しい知識に「すごい!」と素直に驚ける感性、この2つを携えて、教養の森へ足を踏み出してみませんか?

 

教養は自分のため、受験勉強は点数を取るためのもの

大学受験を経験した人は、幅広い教科の莫大な量の知識をたった数年間で頭に入れたことを鮮明に覚えているのではないでしょうか。中にはそのことが知的好奇心をくすぐり、教養の世界へ誘われた人もいるかもしれませんが、やはり受験勉強は点数を取るためのものです。興味に従って、自分を豊かにするために読む本は別だと考えた方がよいでしょう。

 

例えば、入試科目としての日本史や世界史のバイブルと言えば、山川出版社の教科書、用語集、そして一問一答です。歴史全体を網羅した内容ではありますが、興味をそそられる部分に特化した読書には向いていません。受験で勉強する内容は、自分で選ぶことはできないということでしょう。

 

教養としての歴史に興味があったら、歴史学者である網野善彦氏の『日本の歴史を読み直す』や山本博文氏の『歴史をつかむ技法』などは、まず手に取る本としてお薦めです。年号や用語にフォーカスしていた受験日本史で凝り固まった頭を解きほぐし、歴史の面白さに目覚めるきっかけとなるかもしれません。

 

自分の教養のための読書の時間は、受験勉強中にはなかなか取れないものです。教養の海に溺れるような、豊かな読書は受験が終わった後のお楽しみのはずですが、昔の学生ほど寝食を忘れて本に没頭できていますか?教養を身につけるためには、多少貧しくても無理をして、読みたい本に投資してみたいものです。

 

スマホを置いて、本を手に取る時間を持とう

島国である日本は、様々な資源を国外からの輸入に頼っています。2016年度の食料自給率はカロリーベースで38%、エネルギーの自給率に至ってはわずか6%という低さです。この逆境を跳ね返すべく努力を続け、現在の日本では世界各国の料理や食材が集まる「るつぼ」と評されるほどになりました。

 

これは日本人の知的好奇心、探究心の旺盛さによるものとも言えますが、食材と同様の傾向が書籍の世界にも見られます。日本における書籍の充実ぶりは世界に名だたるものであり、世界中の古典文学は日本語に翻訳され、手軽に入手することができます。世界のことを調べるなら日本の図書館に行くのが近道であると言われるほどです。

 

この背景には、19世紀中頃の開国前後から欧米列強の軍事的圧力を受ける中、欧米諸国と早く肩を並べるために、文化の吸収が喫緊の課題だったことがあります。翻訳が国家事業として進められた結果、現在のように、世界中の文献が和訳で読める国になったのです。

 

読書というのは、長い人類の歴史上の知の偉人と相対しているのと同じことです。本来であれば言葉も通じない外国の哲学者や思想家、作家の話を直接聞く機会は恐らく一生訪れませんが、日本にいる私達には翻訳本を読むことができます。この恵まれた環境を利用しない手はありません。

 

毎日1時間程度でも構いません。スマホを置いて、日本の豊かな書籍の森を満喫してみることをおすすめします。

 

日本人は昔から読書好きな民族だった

日本人は昔から本に親しんできた民族です。日本は江戸時代から世界でトップの識字率を誇っており、身分や性別に関わりなく本を読むことを楽しんできました。勤勉の象徴とされる二宮尊徳の銅像は、かつてあらゆる小学校で見られましたが、尊徳も、薪を背負って働きながら本を読んでいます。

 

日本人は子供の頃から読書が習慣となっていました。一般家庭にも、子供向けの世界文学全集が普及していたほどです。ここでもやはり、世界の名作を翻訳で読む子供の姿がありました。バーネット夫人の『小公子』『秘密の花園』や、マーク・トゥエインの『トム・ソーヤーの冒険』、モンゴメリの『赤毛のアン』などは誰もが読んだのではないでしょうか。

 

子供の頃からの読書経験の積み重ねは教養の素地を作っていきます。そして、「本好き」という、日本人に連綿と伝わる文化があるからこそ、かつての旧制高校生たちは、難解な本を浴びるように読破し、教養を身に付けて行くことができたのです。

 

せっかく日本という国に生まれたのですから、青年期にはぜひ世界の最高峰と言われる文学作品を読んでみましょう。シェイクスピアやトルストイ、ドストエフスキーの作品は確かにハードルの高さを感じさせますが、読み終えることができればそれは、名峰に登頂したのと同じです。この先は、どんな本でも難なく読みこなすことができるようになるでしょう。

 

教養を身につけるために必要なこと

良書との出会いに導いてくれる人を見つけよう

いざ「教養を身につけよう」と思い立っても、どこから始めて良いか、その糸口がつかめない人も多いでしょう。いきなり専門書を開くのはちょっと・・・という方におすすめの入門の方法があります。それは、その分野について評論家が書いた文をあらかじめ読んでおくというやり方です。読み解くポイントを理解でき、より深く味わうきっかけとなるなど道しるべになってくれます。

 

大学に通っているなら、教養課程の先生が道しるべとなって、教養への扉を開くことができるでしょう。教養課程の授業では、講義内容も非常に多岐に渡っています。教養課程の科目は人文科学、社会科学、自然科学、語学に分かれてはいますが、高校までの授業とは違い、講師の裁量で学際的な内容に発展することもあり、そこが醍醐味でもあります。

 

その授業を通して先生から勧められた本があれば、手に取ってみるといいでしょう。先生は、教養という深い森を進む案内人でもあります。戸惑い、迷うことなく森の中を進んで行くことができるはずです。

 

かつての旧制高校の学生は、寮生活の中で、皆で同じ書物を読み、それについて意見をたたかわせ、切磋琢磨しながら教養を身に付けていきました。こうやって彼らは、哲学の大家であるプラトンやニーチェの本、あるいはドストエフスキーやトルストイの文学作品など、難解な書物を読破したのです。この場合は寮の先輩が案内役となっています。

 

読書が身に付いてくると、作家本人から学ぶことも増えてきます。悩み多き青年期には、自己の内面の不安に怯える姿を小説にあらわした太宰治の作品を読んでみるといいかもしれません。「本当の自分」と社会との接点を模索する、作者自身の姿が人生の道しるべとなってくれるでしょう。

 

将来そのまま哲学の道に進んだり、学者になる人はほんの一握りで、ほとんどの学生は卒業後実業界へと進んで行きましたが、学生時代に身に付けた教養と読書習慣は手放しませんでした。そんな教養ある経営者が舵取りをしていた、かつての財界の存在感は、今とは比べ物にならないほど大きいものでした。

 

基礎知識を学んでから、音楽鑑賞や美術鑑賞に出かけよう

基礎知識が全くない状態で、もしクラシックコンサートに出かけたら、どれだけの人が演奏される曲目を心から味わい、感動することができるでしょうか?美術展も同様で、展示されている作品の背景や作者のことを何も知らないまま鑑賞しても、気づきを得られるどころか退屈してしまうかもしれません。

 

音楽も美術も、感性さえあれば良さが分かるというような、単純なものではありません。少しかじってみるだけならそれでもいいでしょう。しかし、音楽鑑賞・美術鑑賞の面白さを理解したいなら、基本的な知識を前もって頭に入れておいた方が何十倍も楽しめます。

 

例えばクラシック音楽であれば、作曲家について、楽器について、あるいは指揮者についてなど、切り口は多様にあります。ベートーヴェンと言えば誰もが知る有名な作曲家ですが、彼の生涯について知り、その曲が何歳頃作られたかを踏まえて聴くことで、より深く理解することができるでしょう。

 

美術鑑賞の場合も同様で、何の予備知識もなくいきなりカンディンスキーの抽象画を見ても、訳が分からないだけでしょう。しかし、カンディンスキーの絵が、長い試行錯誤の末に、「絵は、純粋な色や形態だけで成立する」という抽象主義に辿り着いたことを知った上で鑑賞すると、味わい深く感じられます。

 

また、美術史の流れがある程度理解できていれば、その時代になぜ抽象画が登場したのかも分かります。そして作品を通して、それぞれの作家の世界観を鑑賞する手助けになるはずです。せっかくアートに触れる機会を持つのであれば、予備知識を仕入れる一手間を惜しむべきではありません。それにより、芸術があなたの教養となるのです。

 

基礎知識を学んでから、名作映画を鑑賞しよう

映画文化の衰退が叫ばれて久しいですが、最近はどんな映画が人気なのでしょうか?2017年上半期の邦画ランキングを見てみると、ほとんどがテレビのアニメやドラマの劇場版、もしくは漫画やライトノベル原作の作品で占められています。

 

テレビドラマも最近は、伏線を丁寧に回収するストーリーよりも、説明的なセリフが多い、わかりやすい話が好まれるようです。その流れが映画にも来ているとなれば、それは由々しき事態です。本来文化であったはずの「映画」が消滅の危機に瀕していると言っても過言ではありません。

 

映画は「視覚芸術」とも呼ばれ、テレビドラマとは成り立ちを異にするものです。邦画の場合、映画らしい映画は、文学の様に「行間を読む」ことが求められ、「余白のある」表現が特徴的です。例えば小津安二郎や黒澤明、木下恵介の作品などは、非常に映画らしいものであると言えます。

 

しかしながら、映画産業の衰退に危機感を持ち、観客におもねる作品づくりを行った結果、それが最近では難解だ、と敬遠されるようになってしまったのです。

 

アメリカの映画監督、ウディ・アレンの映画には、万人受けする作風ではないものの、教養人であれば楽しめる、知的な作品が数多くあります。彼が多用する特徴的な技法としては、「メタフィクション」が知られています。メタフィクションとは、登場人物が観客を意識しているような視点を持たせることです。

 

ウディの映画『アニー・ホール』では、ウディがスクリーンの中から観客に向かって「あなたはどう思います?」と問いかけるシーンがあります。つまり、メタフィクションについての知識を持った上で鑑賞すれば、何倍も作品を楽しむことができるのです。

 

1925年の映画「戦艦ポチョムキン」ではモンタージュと呼ばれる手法が使われました。モンタージュとは、異なる視点で撮影されたカットを複数組み合わせて表現するという意味の映画用語です。映画という教養の入門にうってつけの作品と言われていますが、モンタージュを知らないまま見てしまったら混乱するばかりでしょう。

 

モンタージュ技法を理解し、さらに「戦艦ポチョムキン」を観た経験があれば、1987年のアメリカ映画『アンタッチャブル』を観た時に、乳母車が階段を落ちて行く有名なシーンがオマージュされていることにも気づくことができます。これこそ、教養を身に付けた人だけの密かな愉しみだと言えます。

 

映画に限ったことではありませんが、何事もまずは基礎を身につけることが大切です。目に入るもの全てが興味深く楽しく感じられるようになり、ただの街歩きを楽しめるようになるでしょう。教養と言えば、ある分野に対する深い知識や見識だと捉えられがちですが、様々な分野を幅広く知る、ということも教養には必要です。

 

プロによる評論文を参考にしてみよう

ある分野に興味を持ち、一歩踏み出す時に頼りになるのが評論です。例えば音楽に触れるにあたってもまずは、音楽評論を入口にしてみましょう。すると、面白さの手掛かりや聴き方のヒントが見つかります。どんなに真剣に音楽と向き合ってみても、教えてもらわないと気付けないことはあるからです。

 

吉田秀和氏でも、アレックス・ロスでも、優れた音楽評論家と呼ばれる人の著作を読んでみてもいいでしょう。また、ウォルフガング・シャウフラーがまとめた『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタビュー』を読むと、それぞれの指揮者がマーラーをどのように表現したのか実際に聴いてみたいと、興味がわいてくるはずです。

 

また、同じ曲でも違うピアニストの演奏の違いを味わうためには、その曲のすごさは何か、そのポイントをあらかじめ頭に入れておくと、より深く理解できます。

 

例えばベートーヴェンのピアノソナタは、その完成度の高さから「ピアノ音楽の新約聖書」と称されるなど、ピアニストにとっては征服すべき山のような存在です。皆が知っている有名な曲ですが、改めて曲について、時代背景、また比較するピアニストについて理解してから聴き比べてみると、目からうろこが落ちるような経験ができるでしょう。

 

お気に入りの評論家を見つけるのも楽しいでしょう。評論家の思い入れたっぷりな文章がきっかけで、これまで自分のアンテナにはかからなかった、新しい作曲家や画家との出会いがあるかもしれません。

 

また、知の巨人とされるソクラテスの言葉は、弟子であるプラトンによって本にまとめられました。これは、プラトンによるソクラテスの評論と考えることもできます。「ソクラテスって凄いんだ」というプラトンの熱い思いや、師匠であるソクラテスの言葉を後世に遺したいという使命感が溢れ、読み手にもソクラテスの魂が伝わってきます。

 

解説されることで複雑な味わいや食感に気付けることがあるのは、味覚も同じです。レストランでソムリエに選んでもらったワインを飲むときは、ソムリエの言葉を咀嚼しながら、脳も働かせつつ味わうので、自分の感覚頼りで選んだワインよりも美味しく感じるものです。水先案内人としてのプロ(評論家や専門家)の意見に耳を傾けてみましょう。

 

感性を豊かにして、新しい知識を驚きをもって受け入れよう

教養にはいくつかのレベルがあります。人は段階を踏んで、真の教養人になっていくのです。その第一段階は「知っている」ということです。これは、教養のあり、なしで言えば「あり」ですが、知識として知っているだけのレベルです。受験勉強で語句の意味を丸覚えした状態は、この第一段階にあたります。

 

次は、その事実に「驚かされる」ということです。それは、ある知識を当たり前のこととして捉えているのではなく、あらためて「すごいことだな」と感じることができるレベルです。

 

例えば、徳川家康が江戸に幕府を開いたことは誰もが知っていることです。ですが、かつては政治的な要所でもなく、辺鄙な湿地帯であった江戸を、治水工事や埋め立てなど大規模な都市計画を行うことで、現在の首都東京の礎にまで発展させたことを知ると、家康の凄さを実感します。

 

つまり、「それ、知ってる」で止まってしまっては本物の教養にはならないということです。「それってすごい」と感動できて初めて、自分の教養になるのです。教養を身につけるためにはまず、「知る」という作業から始めることになります。学生時代に覚えたことも、全く初めて触れる分野もあるでしょう。

 

大人の教養ですから、もうテストはありません。それならば、「これはすごい」という感動から入ってみてもいいのではないでしょうか。知識欲は本来ワクワクするものであり、重要なのはワクワク、ドキドキできる感性です。現代は物を知っているだけではダメで、感性の豊かさも同時に求められています。

 

エジソンやニュートンなど、大発見をした過去の偉人も、ワクワク感からスタートしたはずです。「これはすごい」という感動が、様々な現象を連鎖反応のように繋ぎ、後世に残る発見に行き着いたのでしょう。このワクワク感はこれからの世の中においても大切な感覚です。

 

ビジネスの世界でもこれからは、新しいアイデアや発想の転換が求められます。そこで抜きん出るためには、ただ知識を詰め込んでいるだけではだめで、新しい知識に出会った時に感動できる心が必要なのです。そのためにも、普段から読書を通じて得た知識に「すごい!」と思えるように、感性を磨いておくべきでしょう。

 

教養人や名作から直接学んで教養を深めよう

人生に悔いはないと思えるほどの教養と出会いたい

ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、「きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなければならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!」と書いています。平成27年3月に行われた、東京大学の卒業式での総長式辞においても、この言葉が引用されていました。

 

「このまま死んでも構わない」とさえ思える至高の一瞬を迎えることができて初めて、その人は人生の高みに達したと言えます。魂の求めに応じ、後先を考えずに自分を燃やしつくすことで、自分を一歩成長させることができる、ということです。

 

もちろん、自分が生み出す側でなくても構いません。この世界にある様々な「すごい」ものに触れ、感動を味わうことにより教養を深めることができます。生きていてよかったと言えるような、魂が震えるような教養と出会えれば、それが至高の一瞬でしょう。「知」という深い森に、恐れることなく足を踏み入れ、教養という宝物を見つけたいものです。

 

また、ただ物知りなだけでなく、自分の研究分野であってもいつも新鮮な気持ちで驚くことができる人こそが、本物の教養人であると言えます。その気持ちを持って人に語りかけると、その話を聞いた人にも新鮮な感動を呼び起こします。その感動は、その人の興味の幅を広げることになり、教養を深めることに繋がってきます。

 

例えば、さかなクンは、大学で教鞭を取るなど魚に関する知識が豊富なだけでなく、魚のことがとにかく好きな人としても知られていますが、これこそが真の教養人の姿ではないでしょうか。魚の知識を楽しそうに紹介する姿は、私達にとっては教養の世界への案内人であると言えるでしょう。

 

知能を持っている人間だからこそ、教養を持つことができるのです。こんなに恵まれた環境ですが、今、それを最大限に生かしていると断言できる人はどれくらいいるでしょうか?満ち足りた人生だと言い切れるような、「すごい」と感動できるものと出会う努力をしたいですね。

 

その世界を極めることの難しさ、奥深さに気付く喜びを知ろう

ある分野を極めた時に「この世界は奥が深くて、一生かかっても辿り着けない」と気付くことがあります。その世界での達人、レジェンドと呼ばれている人ほどその種の発言をしています。

 

メジャーリーガーのイチローは、「自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに、『お、自分はまだまだいける』と思います」と語っています。その世界の奥深さに気付くことができたことを喜び、幸せだと感じているのです。つまり、奥深くて辿り着けないのは不幸せなことではないということです。

 

そんな達人や名人と呼ばれる人達からインスパイアされ、新しい教養の世界への扉が開かれることもあります。教養は段階を踏んで身に付けて行くものだと言われます。ならば、達人たちは何段ものステップを経て、現在のレジェンドの域に達しているはずです。世界を極めた人の言葉には、私達の内面を成長させる力が備わっているのです。

 

レジェンドだけではなく、私達でも一段ずつ、段階を踏んで進んで行けるのも、教養の良い点です。教養のステップは奥深くまでずっと続いています。興味が湧いてきたら、どんどんと進んで行ってみましょう。

 

ドキュメンタリー番組で裏側まで知り、より深く理解しよう

メイキングドキュメンタリーと呼ばれるジャンルの番組があります。映画などの作品が完成するまでの過程や制作秘話がまとめられているものですが、こういったドキュメンタリーを観ることで、なにげなく楽しんできた映画やアニメの舞台裏を知ることができます。

 

スタジオジブリのヒット作である『崖の上のポニョ』のメイキングドキュメンタリー「ポニョはこうして生まれた 宮崎駿の思考過程」は、DVD5枚組で総撮影時間は何と12時間30分に達するもので、本編4本分に相当します。

 

体の微妙な動きで緊張感を表現したいからと、何度も絵を描き直させるなど、物語の何気ないシーンにいかにこだわっていたかがよく分かります。作品を生み出す苦労を知ることによって、観る側はさらに味わい深く、楽しめるようになるのです。

 

レジェンドの言葉に直接触れる機会を持とう

雑誌などのインタビュー記事や、密着型ドキュメンタリー番組など、ある世界の第一人者本人の言葉に触れることも、教養を身につけるためにはとても役立ちます。その世界を極めている人は、知識や教養を自らの血肉としている人ばかりです。そんな人が語る言葉は聴き手に届きやすく、説得力があります。

 

世界の偉人や有名人が書いた自伝を読んでみるのも面白いでしょう。チャップリン、ガンジーの自伝は非常に有名ですし、日本では福沢諭吉の『福翁自伝』が広く読まれています。共通するのはその生き生きした描写です。優れた人の人生や考えに触れることは、読み手の教養となり、内面を豊かにしてくれるでしょう。

 

ブッダやイエス・キリスト、そして名だたる哲学者の言葉は、現在に至るまで読み継がれています。語られた言葉を綴ったものは、その人をより鮮明にあらわしているからでしょう。

 

ですが、今の時代は様々なメディアを通じて達人の肉声を聴くことができます。先にあげた密着型ドキュメンタリーもそうですし、トークライブや講演会が開催されることもあります。ライブに参加できなくても、今はインターネット中継でリアルタイムに楽しむこともできます。私達は、非常に恵まれた時代に生きているのだと実感します。

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