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男子校のメリット、デメリット

男子校の入学式

共学校が主流となっている今日、男子校を選ぶメリットとは何なのでしょうか、そしてデメリットもやはりあるのでしょうか。実際に、男子校の生徒はどのような生活をしているのか、ベールに隠された男子校の内情を見ていきましょう。

 

のびのびしたければ男子校に行こう

毎年、中学受験を考える小学生男子を対象に開催される「東京私立男子中学校フェスタ」では、イベントの一つとして、各男子校在学生数人でパネルディスカッションが催されることがあります。

 

その中での「なぜ男子校を選んだのか?」という問いに、2014年には「女子が怖かったから」等の女子への苦手意識を口にする学生が多くいました。又、2015年には「男子校は実際どんなところか?」という問いに、「のびのびと過ごせる」「異性の目を気にしなくて良い」という答えが多く出ていました。

 

女子は男子に比べて、精神的成長が早く、思春期も男子よりも早くおとずれる傾向にあります。小学生男子にとっては、女子は同学年であっても、少し年上のお姉さんを相手にしている気分になるでしょう。

 

そして、家に帰れば母親がいる。中学受験をする上で、受験勉強を母親とタッグを組んで取り組む学生がほとんどです。それはありがたいことでもあると同時に、家でも学校でも、年上の女性に囲まれているように感じても仕方ありません。

 

そんな状況に苦しんだ男子が、男子校に合格し、いざ男子だらけの教室に集まった時に「女子がいないって楽」というのが正直な感想のようです。

 

そう考えるのも初めの数日だけで、日が経てば女子がいた方がいいなと思うのではとも思いますが、実際に男子中学校1年生に聞けば「そんなことはない、のびのびとして楽しい」という答えがほとんどで、男子だけの生活を満喫しています。

 

共学の中学では、女子がリーダーシップをとることが多い傾向にあります。それは前述したように、男子よりも成長が早く、特に中学生時期は女子の方が1年~2年は精神的にも性的にも先を行っているためです。

 

男子が女子に追いつくのは18歳くらいと言われます。ですから、男女の成長差が激しい中・高時代は、男女別に教育すべきではないかという専門家の意見もあります。戦前までは、男女別学が一般的だったというのも、その観点から考えればうなずけます。

 

自身が共学校出身のある男子校教師は、「最初に教壇に立った時は、男子だけと言う空間に不安を覚えたが、今は、思春期の数年間を男子だけでのびのびと生活し、自己を見つめ直すことも必要ではないかと考えるようになった」と言います。

 

自己分析をすることが進学力につながる

女子の視線が無いというのはどういう影響を及ぼすのでしょうか。

 

10代の頃は、「中身がどんな人間か」という事よりも、容姿がいい、勉強ができる、スポーツができるなどのような外見的な部分で異性を判断することが多くあります。その為、異性が近くにいると、中身よりも外見を繕う事に一生懸命になりがちです。

 

一方、男子校では、外見に囚われることはありません。それぞれが、自分を取り繕うことなく、お互いをさらけ出し、認め合うことができるのです。お互いの悩みや、思春期ならではの憂鬱や性的欲求なども共有できます。又、教師も男性が多いので、男子生徒の悩みを先輩男子として理解し受け止めてくれます。

 

男子校の教師の中には、男子校は自己分析するのに適した環境だと言う人もいます。自分と同じような他人と触れ合うことが、より深く「自分」を理解することにつながるのです。

 

就職活動を行う大学生には、就職を考えるにあたり、初めて自分は何者なのか、何がしたいのかということを考える人が多いといいます。しかしながら、それは自分が歩む道を左右する大学受験の時までに、せめて一回は考えてみるべきことです。

 

外見に囚われてばかりいては、本当の自分探しはできません。そう考えれば、十分に自己分析をする時間を得る事ができるということは、男子校に通う大きなメリットと言えます。

 

自分は何をしたいのかということを考えた上で、大学を選び受験をすれば、やる気も高まり、結果的にそれが男子校の進学実績につながっていると考えられます。

 

男子校では、マニアにもバカにもなれる

男子は女子に比べて、一つのことにとことん没頭する傾向が強いです。その熱中するものが、音楽やスポーツであれば、女子の理解も得やすく、それに外見のカッコよさが伴えば間違いなく女子にモテるでしょう。

 

でもその熱中するものが、鉄道やゲーム、アイドルなどといったものだと、同世代の女子からは「オタク」「キモい」と冷たい目で見られるかもしれません。

 

そんな心配を男子校ならする必要ありません。女子の目など気にしなくて良いのですから、みんながそれぞれに、自分の好きなもの、得意なものを持ち、それを認め合い、尊重しあえるのです。だからそれぞれが自分の極めたい道を見つけやすいと言えます。

 

共学校に通っていたら、教室の隅っこで小さくなっていたかもしれないアマチュア無線マニアも、男子校では、サッカー部のエースと肩を並べて、お互いを称えあうことができます。

 

又、男子校の学生は共学校の男子生徒に比べて「バカ」ができるといえます。女子がいれば、「何でそんな事をするの」と非難されそうな事も、男子だけの空間なら何も気にせずできてしまいます。

 

雨の中、外で遊んでみたり、わざと危険なことをしてみたり、いつまでも小学生のような一面が抜けないのが男子です。「バカをするなんてそんな無意味なこと」と思うかもしれませんが、そんなバカをする事にも意味があるのです。

 

自分の好奇心に忠実に、実際に自分はどこまでできるのか、こんな時何ができるのかということを体感しながら、自分の世界を広げていくことができます。

 

教師も、同じ男性でバカをすることの必要性を理解しているので、やみくもに生徒を止めたりしないで、あたたかい目で見守ってくれます。

 

共学校の男子も、男子校の男子と本質は同じですので、バカをする生徒はたくさんいるでしょう。その際に、女子の目を気にしなくていい、非難の声を聞くことなく、のびのびと好きなようにバカができるというのは、男子校に通う男子の特権といえます。

 

男子校は、ガリ勉がヒーローではない

東大合格者ランキングの上位に多くランクインしている男子校だと、皆、勉強ばかりしているガリ勉だと思われがちですが、実際はそんなことはありません。受験ギリギリまで部活や趣味に打ち込んでいる生徒もいます。

 

そしてギリギリまで好きな事に熱中していながらも、最後の追い込みでちゃんと受験勉強に集中し、希望大学に現役合格するヒーローが毎年生まれます。瞬発力に長ける男子だからできることでしょう。そんな先輩をロールモデルとして、後輩も安心して受験ギリギリまで自分のやりたいことができるのです。

 

中高一貫校であれば、そのヒーローを中学1年生も目にすることになります。男子は早い段階でロールモデルを決めるとぶれにくくなるので、それは中高一貫の男子校に通う大きなメリットと言えるでしょう。

 

名門男子校の多くは中高一貫校

高校受験がないので、中学2年や3年の時点で、高校の学習範囲を取り入れることができ、ゆとりをもって大学受験に臨むことができるのが、中高一貫校に通う大きな利点ではありますが、それだけではありません。

 

初等教育(小学校)、中等教育(中学・高校)、高等教育(大学・大学院)と三段階に分類される教育において、中等教育を、中学・高校と分けることは意味がないと指摘する教師もいます。思春期をトータルで管理してこそ、中等教育の役割を果たせるのです。

 

中学1年生が、中学3年生の反抗期真っ只中の先輩を見て、将来に希望が持てるでしょうか。反抗期を過ぎて、大人の振る舞いができる高校3年生を身近に感じることができることで、自分も6年後はあのように大人に近づけるんだと思うことで、安心して今の自分がすべきことに集中できます。それが、中高一貫の大きな教育力です。

 

男子校の教師の多くは、教師が指導するよりも、先輩が後輩に指導をする方が効果的だと言います。自由な男子校においても、風紀が一定に保たれているのは、先輩後輩関係がしっかりしているからでしょう。

 

男子校にスパルタ教師はいない

男子校というと「スパルタで厳しいのでは?」という声をよく聞きます。生徒はガリ勉ばかりではないと前述しましたが、同様に教師もスパルタではありません。

 

男子は瞬発力に長けているので、やる気になれば、短期間でも驚く結果を導き出します。男子校教師はそれが良くわかっているので、一方的に「勉強しろ」と押し付ける事はしません。

 

又、スパルタにならなくてもいい環境でもあります。

 

公立中学校では、1つの学校内における生徒の学力差が大きいため、授業についていけない生徒や、逆に学力が高く、授業が簡単すぎるといった生徒もいて、それぞれに対策を求められます。

 

私学では、受験により学力がある程度限定されているので、公立のような問題は起こりにくく、効率良く指導を行う事が出来ます。有名進学校の男子校であるほど、強制的な補修授業等はあまり行っていません。

 

男子校生徒は、自由でありながらも自律ができている

男子校に通う生徒の多くが、男子校は自由で楽しいと言います。男子校の校長先生方が言うには、「自由というのは、好き勝手にやっていいということではなく、自由でいるためにどう行動すべきかということを自分たちで考える、それが教育」ということです。

 

真の自由の意味を分かっているからこそ、男子校の生徒は「僕たちは自由」と言えるのではないでしょうか。

 

伝統ある男子校の多くが、明治、大正という日本が大きく揺れ動いた時代に設立されました。学校自体が、国や社会的権力に囚われずに自由でいることを目指していたため、自由や自立をモットーとする学校が多いのでしょう。

 

自由なのは生徒だけでなく、教師も同じで、オリジナルの教材を作って指導する教師も珍しくありません。ある男子校教師は「自由な教育をすることができる。それが生徒にも良い影響になっているのではないか」と言います。

 

「自由な中で、風紀を保つために必要な指導は、待つことである」と多くの男子校教師は言います。

 

例えば、過ちをおかした生徒に、一方的に叱るのではなく、自ら過ちに気付くように導き、自発的に謝るのを待つのです。教師に促されて謝罪するのと、自らの意志で謝罪するのでは大きく差が付きます。

 

この「待つ指導」は男子だからできることです。男子校、共学校の両方で指導経験のある教師は、「男子は少し道を誤っても、自分で正せる子が多いが、女子の場合は行くところまで行ってしまう傾向があるので、早めに教師が介入する必要がある」と言います。

 

待つ指導により、生徒は自ら気づくという経験を得て、それが自律につながります。自律した先輩がカッコ良く見え、後輩たちはだらしないことや反抗することがしょうもないことだと気付きます。そうして自由でありながらも風紀の整った文化ができているのです。

 

男子校は、教師も生徒も真っすぐぶつかり合う

男子だけだと、教師もコミュニケーションの取り方がストレートでいいのでやりやすいと言います。男性同士だから使える言葉や話題もあります。女子がいれば、どうしても女子にも配慮しなければなりません。

 

又、生徒を叱る時、男子には悪いものは悪いというストレートなコミュニケーションで伝わりますが、女子にはそれが通じません。何で、どうして、こうだからなどと回りくどく話すことが必要になります。

 

厳しく叱っても、男子はその時だけの感情で終わることが多いですが、女子の場合は長くひきずりがちです。「1年生の女子に厳しく注意したら、卒業するまで根に持たれた」という例もあるようです。

 

「共学校では、最初に女子の心をつかまないと、上手くクラスが成り立たない」というのが原則です。その為に、男子は女子向けのコミュニケーションを受けざるを得なくなります。

 

男子校では、男性同士だから生徒が裸でぶつかってきてくれ、それに答える教師も裸で答えることができます。生徒も教師もお互いに自分をさらけ出し、お互いの素晴らしさを感じ合うことができるのです。

 

指導方法も男女差が必要

桐光学園は共学校ですが、クラス編成は男女別の特殊な学校です。ここでは男子クラスと女子クラスでの指導方法を変えたところ、生徒が理解しやすくなったそうです。

 

とりわけ理数系教科では、細かく段階をわけながら進めていくことが女子には効果的であるものの、同じように男子クラスで指導すると退屈してしまう。男子には「この問題わかるか?」という風に、いきなり問いかける方が生徒の食いつきが良いと言います。

 

理数系科目は男子の方が得意と言われることがありますが、一概にそういうわけではなく、指導の仕方が女子向けではないのです。ですので、難関男子校の数学教師が同じように女子に指導したら、全く結果を出せない可能性もあるということです。

 

指導方法を変えるのは理数系教科だけでなく、国語でも効果的です。論理的文章を読み解く際に、男子は最初に大まかなテーマをつかんでから、一つ一つの段落の役割を解いていきますが、一方女子は最初から順を追って内容をつかんで解いていきます。

 

読解力の違いは文学的文章ではさらに明確で、例えば、登場人物の心情を問う問題は、女子はいわゆる行間を読むということができるので解きやすい問題ですが、男子は書いてあること以上のものはつかめないので、「どこに書いてあるんだ」という生徒もいるようです。

 

桐光学園では、各教科で使う教材やテーマを決める際に、生徒の発達段階を考慮しています。国語では、学年毎に目標を決めて生徒の成長を促しています。男女が混ざると、発達段階が違うので、的確なテーマを設定するのは難しいでしょう。

 

又、課題の出し方も男子と女子では違うそうです。女子はコツコツと時間をかけて力をつけますが、男子は短時間に爆発的な量を課すことの方が身につく為です。

 

男子校では、男子ならではの行事ができる

多くの男子校が、季節毎の様々な行事を重要視しています。日々の勉強は言うまでもなく必要ですが、生徒自身が試行錯誤しながら行事を行うことが人間教育につながる為です。

 

長距離歩行や、キャンプ、遠泳などの行事を行う男子校は多く、教師達は、男子だけであるので、負荷設定がしやすく、行事の運営もしやすい。男子教育の要素をふんだんに盛り込むことができると口を揃えます。 

 

遠足や修学旅行の計画運営を生徒自身に委ねる学校も少なくありません。男子のみだと多少危なっかしい計画でも、失敗する事も視野に入れた上でギリギリまで見守ることができるといいます。

 

母親の子離れも男子校におまかせ

男子校に進学した生徒にとって、1番近い女性は母親になります。特に中学受験を終えたばかりの時は、ほぼ母子は密着状態といえます。

しかしその状態はいつまでも続くわけではなく、反抗期を迎えた男子は、母親の手から離れようとします。その時に大事なことは母親もパッと手を離すことです。それができないと、子供は余計に逃れようとして反抗してしまうからです。

 

そんな母親たちの息子との関わりに対する戸惑いに対して、男子校の教師たちは万全のサポートで対応します。

 

中学・高校の多感な6年間、生徒にとっては母親より友だちが大事な存在になることもあります。母親は手を離して見守ってほしいと伝えると共に、結局は男子は母親がとても大切なので、いずれ戻ってくるでしょうとも伝えて安心させます。

 

又、中には無理に離れなくても、時期が来れば自然とちょうどいい距離になる、というスタンスの学校もあります。

 

母親を支えるのは教師だけでなく、同じ母親でもあります。同じ悩みを抱えていることを確認してホッとする。とりわけ中高一貫校であれば、先輩母親の「みんなが通る道で、いずれ落ち着く」という話を聞き、先を楽しみに待つことができるのです。

 

女性とのコミュニケーション不足は問題か?

親が男子校に子供を入学させようか迷う理由の一つに、男子だけの日々を過ごすことが、人間としてどうなのか、女子との関係を築けるのかということがあります。実際、女性との交流経験が乏しくなるというのは、男子校を選ぶことの大きなデメリットになるでしょう。

 

多くの男子校で、入学した頃は女子がいなくてせいせいすると言っていた生徒が、中3にもなると、彼女がほしくなり、うちも共学になったらなぁと言い出す現象がみられるといいます。

 

しかしながら、共学になったからといってアイドルみたいな女子ばかりがいるわけでもなければ、男子全員に彼女がいるわけでもないと少し考えれば分かります。そして先輩たちが女子とデートしたり、ナンパしたりする姿を見て、いずれ自分もと心に誓うのでしょう。

 

男子校の文化祭には多くの女子校生が訪れるので、女子と交流する大きなチャンスです。中には女子校の文化祭に乗り込む強者もいます。このチャンスを活かして彼女ができる学生はたくさんいます。

 

女子との交流に慣れていない生徒の為に、電話番号を聞き出す方法を伝授する教師もいるそうです。又、ある教師は「文化祭の最中にナンパする学生をふしだらだと思ったこともあったが、今は温かい目で応援している」とも言います。

 

文化祭の他には、塾も女子と関わるいい機会です。特に高2の後半になると通いだす生徒が多く、同じ目標を目指す女子と交流することが、受験勉強のやる気を高めることもあります。

 

女性に興味がある学生は前述のような機会を利用して、積極的に交流を持とうとしますが、興味がない学生たちは卒業まで女性と関わることなく過ごしていきます。どちらも自分で選択できるのです。そしてとことん女好きになる生徒もいれば、卒業してからも女性には近づくこともできないという生徒もわずかながらいるのです。

 

大学1~2年までは、男子校出身者の彼女がいる率は極めて低いというデータがあります。実際、男子校出身者が、大学の新歓コンパ等でなじめないというのは、よくある話だそうですが、女子との接点がほとんどない生活をしてきたわけだから無理はありません。

 

しかしながら、「ほとんどの学生が大学3年生にもなれば、彼女もできて今時の男性に成長していくので心配はいらない」と多くの男子校教師はいいます。

 

女子との関わりに遅れが出るということを、重大なデメリットとしてとらえるのか、大した問題ではないととらえるかの違いが、男子校に進学させるかどうかを決める材料の一つになるでしょう。

 

内閣府が平成22年に行った「結婚・家族形成に関する調査」では、婚姻率及び恋人がいる率において、男子校出身者と共学出身者の間に差はありませんでした。即ち、女子との関わり方に遅れはとるものの、いずれその差は埋まると考えられます。

 

とはいえ、家庭を持てれば、女性とのコミュニケーション問題が解決というわけではありません。社会人として、特に自分の職場等で、スムーズなコミュニケーションが取れなければなりません。

 

一昔前の男社会であれば「死ぬ気でやれ」というような根性論や、「俺たちならできる」というようなロマンだけで仕事を進ませることができたかもしれません。しかし男女共同参画社会を謳う今、それでは社会で活躍できないでしょう。

 

これからを生きる男子学生には、従来の男性像のように強い指導力を持つように刷り込んでも、苦労するだけでしょう。自分を取り巻く人々と円滑なコミュニケーションをする中で信頼関係を築き、仕事を進めることができる力をつけることが必要なのです。

 

これは今日の男子校に課せられた大きな問題です。女子校と連携して異性とのコミュニケーション対策を行うのも一つの方法と考えられています。

 

異性を知るためには、まず同性から

前述した桐光学園では、授業を行う校舎は男女別で、学食や図書館は共同、生徒会も男女一緒に運営しています。全く接点がないわけでもなければ、共学のように近くもない。その微妙な距離がお互いの違いを尊重する意識を生んでいると教師は言います。

 

別の男子校教師は、「男女は、生物的・社会的役割において異なる部分も多い。男性の役割を説明する時、そこに女性がいると甘えが生じる恐れがある。もちろんその逆も同じ。その観点からいくと男女別学の果たす役目は大きい」と話します。

 

男子だけであれば、女子に配慮する必要がないので、会話も本音が飛び交う。男女の性は…、性的欲求は…etc。場合によっては男子教師も加わり、共に議論を展開することもあります。

 

思春期ならではの偏った見解を述べる生徒もいます。それを他者から否定されて初めて、自分の考えが社会では受け入れられないことに気付くことができます。又、議論する中で、新しい発見をして視野が広がる事もあります。

 

男子しかいないからこそ、女性に対しての既成概念や妄想などを気が済むまで議論することができ、それによって男女の差を理解し、女性への尊敬の念すらも生まれるのではないでしょうか。

 

男女共に、異性や自分たちの性について、同性だけでとことん話し合う時間は人生にとって大切です。それが必ずしも男子校、女子校でなければならないわけではないですが、別学であればその時間はより持ちやすいでしょう。

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