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思い込みの枠を取り外し、発想を広げる思考力

発想力豊かな子供

人間は、物事を分節化して決めつけて見る傾向があります。しかし、これは悪い事ではなく、日常生活ではそれを術として無意識で行っています。今回は、この決めつけという枠を外す意識をすれば見えてくる、思考力アップの方法について考えていきたいと思います。

 

区切りすぎて思考の幅を狭めている

私達は、言葉による分節化を行い、生活を守ってきている部分があります。幕末に使われた「尊王攘夷」という言葉はまさにそうで、天皇は敬い、外国から来るものは敵と決めつけ、日本を守ろうとしたのです。いつの時代になっても、世界各国このようなくくり方はあります。だから、世界から戦争がなくならないというのもあるでしょう。

 

しかし、ひとくくりにすることが本来出来ないことも、今の社会では区切ってしまっているケースもあります。

 

例えば、「外人」という言葉を使いひとくくりにしてしまうと、そこから何の発展もありません。言語も違えば信仰する宗教や文化も違います。また、外人という言葉を聞いた外国人が、差別用語だとして怒ってしまうこともあり、区切ることは安易にできても、そのことによる問題や議論に対する解決策が見いだせなくなります。

 

「外人」という枠を外して、1人1人と向き合う姿勢が大切です。日本の文化が大好きな外国人ほど、日本人よりも文化を重んじた行動ができたりします。言葉の違いがあっても、向き合って理解し合えば、お互いの思考に刺激を与えて、新しいアイディアが生まれることもあります。

 

新しいアイディアを生み出すためには、過度な分節化は不要です。すでに製品としてひとくくりにされてしまった物も、また枠を外して、見直していくことで、新たな製品開発につながります。1つでも多く分節化された思考イメージの枠を取り払うことで、違う世界が見えてくるのです。

 

オズボーンのチェックリストを使って思考の幅を広げる

ブレインストーミングの提唱者として知られる、アレックス・F・オズボーンが作成した「オズボーンのチェックリスト」というものがあります。これは、あらかじめ用意された項目に応えていくことで、思考を柔軟にして、発想を豊かにできるという物です。1つの問題や、テーマに沿って次の9つのチェックリストに対して回答していきます。

 

1.転用:新しい使い道はないのか?他分野への適用は出来ないか?

2.応用:似たものはないか?何かの真似は出来ないか?

3.変更:意味、色、働き、音、匂い、形を変えることは出来ないか?

4.拡大:重さ、高さ、長さ、厚さを大きな値にすることは出来ないか?時間や、頻度を増やすことは出来ないか?

5.縮小:軽く、低く、短く、薄くすることは出来ないか?時間短縮や、省くことは出来ないか?

6.代用:人、物、材料、製法、動力、場所を代用することは出来ないか?

7.再利用:要素、形、配置、順序、ペースを変えることは出来ないか?

8.逆転:前後、左右、上下、順番、役割を転換することは出来ないか?

9.結合:合体したらどうなるか?ブレンドしてみたらどうなるか?目的や発想同士を組み合わせたらどうなるか?

 

1つのチェック項目に対しての回答は1つだけではなく、正解や間違いもありません。突拍子もない事を思いついた方が、むしろ良いのです。1人で何か考えるときにも、会社の問題にも当てはめて使う事ができます。

 

このリストが常に頭に入っていると、思考の幅を狭めてしまっていた、決めつけやくくりつけという枠を外しやすくなります。新しい考え方が身につくように常に意識していれば、やがて日常生活でも無意識に使いこなせるようになっていきます。分節化された物事はすぐにその枠を外して考える事が出来るので、仕事の質も上がっていきます。

 

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。それは、強い思い込みと予測を履き違えない事です。例えば、物事を分析することになったら、まず予測をします。予測は、物事を結論付けるためには必要な過程です。これが、「こうなるに違いない」という強い思い込みになってしまうと、それはただの先入観でしかありません。

 

現実は予測通りに行かないという前提で、予測立てを楽しむ余裕が必要です。「まさか」と思うような出方をすることを思いつくような思考力、そのまさかに瞬時に対応できる思考力の両方が身につくようになれば、思考力のレベルはかなり高いところにあると言えます。

 

思考停止と判断停止は違う

思考力が高まっても、どんな人でも雑念や先入観は沸いてきます。そのようなときに、ふとリセットできるような、あなたにとってキーワードになるような言葉を見つけて、声に出して呪文のように呟いてみると良いと思います。

 

どうしても、呪文のようなキーワードが見つからない場合には、「エポケー」をおすすめします。エポケーとは判断停止する、または判断を保留するという意味です。例えば、「これは子供用だ」と一度思い込むと、そこから抜け出せなくなることがあります。これは発想を広げる思考が停止していて、決めつけと言う枠にはまっている状態です。

 

本来なら、「子供用品店に置いてあるからと言って、大人が使ってはいけないわけではない」とか、「160センチと洋服に書いてあるから、背の小さい私も着られるのではないか」などと、発想を膨らます必要があります。

 

だから、一度「これは子供用である」という事を決めつけずに、「かっこ」に入れて保留にするのです。これがエポケーです。「子供用」という言葉をかっこに入れてしまえば、「これは( )である」となります。ですから、子供用品店に行っても、「これは私が着られる洋服だ」「この靴下は足の小さい男性も履ける」という発想に切り替わるのです。

 

エポケーの活用例(発想例)

今では、会議室代わりに利用する方々もいるようなカラオケルームですが、かつては、カラオケとは酒場にあるものとされてきました。

 

でも、カラオケで歌う方も名前も知らないような偶然居合わせた人に聞かせたくないと思うし、歌わない側も、うるさいけれど仕方がないと思っていました。そのくらい「カラオケは酒場にあるもの」という概念が強固でした。

 

でも、その決めつけをやめて、「酒場」をかっこに入れてしまい、「カラオケは( )にあるもの」としてしまえば、どんな場所を当てはめる事もできるのです。こうなると、知らない人と関わらずに好きな歌を歌い、楽しく過ごしたい思いがあれば、「カラオケは(個室)にあってもいい」という発想がしやすくなります。

 

カラオケボックスは、まさにエポケーから生まれた産物です。常識とか当たり前というような概念が強固なほど、新しい発想が思い浮かべるのは難しいかもしれません。でも、それを分かっている上で、まっさらで素直な発想が出来る技としてエポケーをすれば、さまざまなシーンで応用が出来て、思考力もアップしていくと思います。

 

新たな可能性は無茶ぶりから生まれる

なんでも、当たり前、常識とか普通などと思わず、クリアな気持ちで物事にとりくめればよいのですが、どうしても人間は思考パターンが文系の人と理系の人に分けれれてしまいがちです。

 

理系の人は、技術やデータ、結果に固執しがちで、これらに基づいて出た結論や意見は、裏付けが取れているから、周囲の人間に伝わらなかったとしても構わないという考えの方が多いです。理系から見た文系の人は、その場の雰囲気や流行、他人の動向に流されやすいので、裏付けられる確かなものが無いのに行動しているように見えています。

 

1つのテーマについて理系と文系の人が話し合った時は、文系の人は理系の人が何を言っているかわからない、理系の人は文系の人が言っていることが馬鹿げていると思う事が想定されます。

 

でも、ここでお互いのイメージや意見に偏見を持たず、クリアな気持ちでコミュニケーションを図ると、考えても見なかったことを言われて、初めは「なんという無茶ぶり」と思っても、「もしかしたら、その意見は使えるかも」とひらめきに変わるかもしれません。

 

自動車メーカーなど専門技術者が多く在籍している会社では、あえて開発会議に知識がほとんど無い事務担当者を交えて意見を求める事をしています。知識がないからこそ分からないことは「なぜですか?」と素直に聞いているのに、技術者から見たら、「こんなことが分からないのか」と思う事も多いでしょう。

 

しかし、素人の「なぜ」は、お客様へ自動車を販売するための戦略のヒントになることもありあります。また、知識がない人間が「これは無駄だ」と感じたことは、本当に無駄であるケースも多いため、コスト削減のきっかけにもなります。

 

また、何か新しいことをする時、「前例がないから」と言う理由に負けて、却下されてしまった経験はないでしょうか?前例がないという意見が多数あるような会議での意見をよく聞いてみると、新しいことが出来ない理由を述べている人々が多いことに気づきます。

 

本来ならば、思い込みや決めつける判断を停止し、「前例」という言葉をかっこに入れて保留するエポケーを使えば、まっさらな所から議論が出来るのですが、このような思考に至らない方々の前で、1人新しいことを提案してもなかなか思うようには事が運びません。

 

出来ない理由を述べる人間よりも、「どうすればできるか」を考えられる人や異質の人を呼んで提案してみると、同じ提案も全く違う風向きになるかもしれません。普段コミュニケーションを取る際も、相手がどういう思考の人間かを考えながら付き合っていくと、後で思わぬ時にアドバイザーとして助けてくれるかもしれません。

 

また、文理系とは別に、職人や特別な職業の人達の思考も思い込みや決めつけに縛られている傾向があります。「業界(会社)の常識、世間の非常識」という言葉がまさにそうです。その業界の内側に深く入り込んでいる人ほど、その業界の枠の中での思考に偏りがちです。

 

時にはその強い決めつけや思い込みが、相手を傷つけ、社会問題へと発展することもあります。過去に起きた冤罪事件がその代表的な例と言えます。警察側の捜査や推理の段階で「このような手口から、身内の犯行に違いない」として、ある程度の範囲を絞って捜査を進めていく方法としては、効率的なのかもしれません。

 

しかし、冤罪を生む原因の一つは、強い思い込みにより、大切な何かを見落とすところから始まると思います。また、見落としたことに気づかず、事実ではない方向へ事実であるかのように導いてしまうのもまた、引きづっている先入観や思い込みが原因です。

 

思考力は、社会への影響も多分に与えるのです。思い込みや決めつけに偏った思考は、冤罪のように、1人の人間の人生をも狂わせてしまう恐ろしいものなのです。内側の世界で見ている目線とは違う感覚で、外の世界を見ることが出来る思考力が、社会全体としても重要であることが言えます。

 

「観る」「描く」を合わせて、さらなる思考力アップを目指す

先入観を取り除くには、前提や前例などの枠を外して考える事から始まりますが、これに合わせて丁寧に描いてみることも非常に効果的です。

 

ホンダの創業者である本田宗一郎さんが残した数々の名言には、思考力アップにつながるヒントが隠されています。その中の1つに「牛の角は耳の前にあるか、後ろにあるか。すぐ答えられれば専門家だ。その気になって牛を見てみればすぐに分かる。このくらいの優しいことを真面目にやるのが技術者だ」と言葉があります。

 

まさに、これは思考力アップにつながる事を伝えています。牛の耳を毎日見ることができる人は、牛を飼っている人くらいでしょう。しかし、飼っているだけでは答えられません。牛の耳や角をよく観察している人こそ答えられるのです。「見る」ではなく、観察という言葉にもあるように「観る」事を意識することがまず1つの方法です。

 

もう1つは「描く」ことです。字を「書く」ことの他に、観たものをそのまま絵に「描く」、そして、そのまま脳内にインプットすることを意識します。私達は、ただ見ているだけのものを、観たように頭の中が整理されて、それが先入観や概念としてすごしてしまう事が多くあるからこそ、描写をして観ることで、見直しではなく「観直す」のです。

 

「見る」ではなく「観る」を意識することは、禅問答にもあります。「自分は何者なのか」を問い、答えを出す修行なのですが、これも私達の思考力アップにつながる方法です。

 

何者かと聞かれて自分の名前を答えただけでは、それはあくまで名前でしかありません。身長や体重、今までの経歴などを答え詰めたところで、それが自分自身ではなく、あくまで身長は身長、経歴は経歴です。この問答をとことん突き詰めて行くと、もう答えられなくなる事がほとんどです。

 

私達はどれだけ自分自身の事もよく分からないまま生きているかを、この禅問答で気づかされます。名前や経歴などの概念を少しずつはがしていき、本質を「観る」目や探っていく心が培っていきます。

 

俳句から再発見して思考を鋭くする

子供の頃は、実験や初めて見る物や体験には必ずと言っていいほど驚きが付き物でした。では、大人になってから、子供の頃と同じくらい「へぇー!」「わぁすごい!」という驚きを体験していますかと質問されたらどうでしょう。とても驚きの数は減っていると認識されている方がほとんどではないでしょうか。

 

逆に、驚くことに恥ずかしさを覚えるような気持ちになる事が多いと思います。それは、大人になるにつれて、当たり前だと思う事が増えてしまっていることを意味します。当たり前だと思う前の思考に戻す意識をする事も思考力を高め、また再発見をする事で新たな驚きが、思考の枝を増やしていきます。

 

当たり前という思い込みを捨て、新鮮な目や心を持つとはどういうことか、松尾芭蕉の俳句を例に挙げます。「閑さや 岩に染み入る 蝉の声」という句があります。かつては、この俳句に出てくる蝉の種類について議論を呼ぶほど、芭蕉の感性が優れていることが分かる一句です。

 

現代の日本社会に生きるどのくらいの人がこの句を見て、どんな情景で一句を詠んだか想像が出来るでしょうか。蝉の声が岩に染み入るように聞こえるという情景を感じられるのは、他の音が聞こえないほど蝉の声がうるさかったという子供の頃の記憶があるからです。

 

このような小さな驚きや気づきを俳句は短い言葉に詰め込めこむことができる素晴らしい文芸です。芭蕉の一句と子供の頃の記憶がマッチングした瞬間や、俳句を作る時に五感を研ぎ澄まして情景を描写するような意識が、人生を楽しく豊かに過ごすことができるきっかけになり、思い込みを取り外してくれます。

 

さらに、自分がいかに観る事に意識していなかったかを知り、さらなる思考の枝が広がっていきます。

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