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教えてないのに身に付く!?私立中高一貫校で、生徒に自然と染み込むもの

私立中高一貫校の生徒達

学校は勉強を教わるだけの場ではありません。勉強だけなら、塾でも、パソコンを用いた映像授業などでも可能です。学校に通うからこそ得られる、かけがえのないものがそこにはあります。目には見えなくても、子供の人生を左右する重要なものです。それがどんなものであるのか、探っていきたいと思います。

 

学校が持つDNAとは?

中高一貫校は、様々な地域から様々な生徒が集まる場所です。しかし、卒業する頃には、皆が同じようなその学校独自の雰囲気を身にまとうようになるから不思議です。

 

例えば桜蔭中学校に通えば桜蔭中学校らしい、女子学院に通えば女子学院らしい、その学校ごとの個性が、生徒から感じられるようになります。

 

まるで老舗の洋食屋さんの、デミグラスソースのようです。そのお店でしか作り出せないソースの味は、変わらないからこそ愛され続けます。ただ、何度も注ぎ足しながら受け継がれるデミグラスソースは、10年前と現在では味は同じでも、ソース自体は別の物体です。

 

長い年月の間に、野菜の種類や品種も変わっているかもしれません。しかし、客からすれば、それはずっと同じデミグラスソースであり続けています。

 

中高一貫校も同様に、創設以来幾度となく、卒業・入学による生徒の入れ替わりを続けています。しかし、今年の卒業生も10年前の卒業生も、身に付ける雰囲気は変わらず、学校も学校として存在し続けています。

 

滝を思い浮かべてみても良いでしょう。例えば華厳の滝は、いつ見ても華厳の滝である事に変わりありませんが、水の分子レベルで考えれば、今現在流れ落ちている水と、昨日流れていた水、さらに1年後に流れるであろう水では、全くの別物です。

 

このように、ある物体がその物体であり続ける為に、常に変化している事を「動的平衡」と呼びます。つまり学校も、学校の本質を変えない為に生徒を入れ替え続けるという変化により、一種の動的平衡状態を保っているものと言えるでしょう。

 

生物学者の福岡伸一氏は、「生命は、動的平衡の流れである」と表現しています。例えば人間も、見た目は変わらなくとも、体を構成する細胞は、常に新陳代謝を繰り返しながら入れ替わっています。

 

人間の場合、その為には毎日の食事が欠かせない訳ですが、そこで牛肉を食べたからと言って牛のようになったり、魚を食べたからと言って水中で生活出来るようになったりはしません。もしもそうなっては、それはもはや人間ではありません。動的平衡状態を維持出来ていない事になります。

 

人間が動的平衡状態を維持するために存在するのが、DNAです。DNAが、人間の体内で消化・吸収される牛や魚の分子に、人間の細胞になる為の情報を与える事で、人間は人間らしくあり続ける事が出来ます。

 

こうして牛肉も魚も鶏肉も果物も野菜も、DNAによって人間の一部となります。

 

人間に限らず、生命は皆DNAを持っています。DNAが、生命の動的平衡をもたらしているとも言えるでしょう。そして学校にも、DNAのような役割を果たすものがあります。それは独自の「教育理念」です。

 

学校がその学校らしくあり続けられるのは、生徒や教員に学校の個性を伝える教育理念のおかげです。教育理念によって、生徒や教員は学校の一部になります。

 

教育理念というDNAが、学校独自の文化を作り出す

生命には、環境の変化を敏感に察知して、それに適応していく能力もあります。その為に、時には自らを変化させる事もあります。

 

例えば植物は、光の少ない環境にあれば、葉を増やしたり広げたりして光合成しやすく変化したり、水分が足りなければ、根を伸ばして土の中の水分をより多く吸収しようとします。

 

綺麗な花を咲かせたり、甘い実を実らせるという植物自身の本質を変えない為に、状況に応じた微調整を行っています。逆に言えば、本質がしっかりしているから、多少姿かたちを変えたとしても、ぶれずに存在し続ける事が出来る訳です。

 

学校も同じです。グローバル化が進む中で国際教育を取り入れたり、IT化により情報処理の授業を取り入れたりと、時代の変化に適応する為に様々な調整を行う必要が出てきます。

 

しかし、どのような調整を施したとしても、教育理念というしっかりとした本質があるから、その学校自体の教育が、ぶれる事はありません。

 

また、それぞれの学校独自の教育理念に則って調整や変化を行うので、教育カリキュラムにもその学校らしい個性が現れます。

 

グローバル化対策のやり方も学校ごとに異なりますし、体育祭や文化祭、遠足等の行事においても、それぞれの学校ごとにその目的や得ようとしているものは異なるので、独自の雰囲気を持つようになります。

 

つまり、教育理念というDNAは、生徒や教員だけでなく、教育カリキュラムや行事にも伝わりその学校だけの独自の文化を作り出しているのです。

 

私立では、教育理念による文化と時代に適応出来る生命力が、生徒にも伝わる!

このような独自性の強い学校は、どちらかと言えば私立の学校に多いと言えます。

 

公立の学校の場合は、どうしても国や自治体の方針に縛られたり、度々行われる教育改革に振り回されたりする事がありますが、私立の学校は一つの独立した存在という立ち位置である分、自由度が高いからです。

 

「学校」という名称ゆえに分かりにくいですが、私立の学校は、一つの企業です。ですから、どのような独自性があるのか、時代に合わせてどのように適応しているのかという事は、むしろセールスポイントであり、そこが上手くいかなければ、学校自体の経営が危ぶまれる重要な部分でもあります。

 

その為、私立の学校には自然と時代の移り変わりを素早く察知して、常にそれに順応していく経営力が備わるようになります。学校の生命力と言っても良いでしょう。

 

このような力は、そこで学ぶ生徒達にも伝染します。子供は教えたようになるのではなく、教えた者のようになるものです。

 

この生命力により、長年生き残ってきた私立の学校は、現在も高い人気を誇る名門校である場合が多いです。中高一貫校に限らず、世界大学ランキングで、上位10位にランクインする大学はほぼ私大です。すべて、私立の経営努力の成果であると言えるでしょう。

 

また、日本の教育改革が今一つ浸透していかない理由も、この辺りにあると言えそうです。

 

そもそも私立の学校は、創設者の「こんな学校を作りたい」という思いから建てられる訳で、教育理念ありきなのです。私立の学校の生命力の根幹には、教育理念というしっかりした土台があります。

 

その点、公立の学校は、「子供がいるから」行政によって建てられています。そこに教育理念はあるかと問われれば、無いに等しいと思います。

 

ですから、ゆとり教育などの改革が打ち出されても、それを受け止める土台がないので、学校の中で何をどう変えていけば良いのかがあやふやになり、結果、上手くいかなかったという事になってしまいます。

 

公立学校の方が数多くを占める日本ですから、そこにいかに教育理念を確立していくかが、今後の課題となるでしょう。

 

近年、公立の中高一貫校がその数を増やし、実質無料で通える事も相まって人気を高めています。それぞれ独自の教育を実践しており、大学進学実績も高く、評判が良いのは当然と言えます。しかし、私立中高一貫校の代替として考えるには、注意が必要です。

 

中高一貫校とはいえ公立ですから、創設者の強い思いを基にした土台がありません。校長や教員の移動のサイクルも短いです。ですから独自性はあったとしても、それをその学校の文化として、今後積み重ねていけるのかという疑問が、少なからず生じます。

 

また経営破綻の恐れも無い為、学校自体の生命力や個性が生徒に伝わるという私立中高一貫校の魅力も薄れてしまう可能性があります。

 

このような魅力も捨てがたいが学費も無料が良いという場合は、国立の中高一貫校がお勧めです。あまり数はありませんが、歴史の長い学校が多く、国立大学法人という法人の管理下にある為、独自性もあります。

 

実は公立の方がお金持ち!?公立学校の資金が有効活用出来ない理由

このような公立のデメリットを語ると、「公立は私立と違ってお金が無いから仕方がない」「もっとお金があれば様々なてこ入れが出来るだろうに」と思われるかも知れません。しかし、これは実は誤解であり、むしろ逆なのです。

 

確かに私立の学校の場合、保護者が支払う授業料は高額です。公立の場合は免除されます。だからと言って、公立学校の子供の教育にお金がかけられていないのかと言うと、そうではありません。

 

公立の子供の場合も同じように教育費にはかかります。しかし、そのお金は税金から補填されているという違いがあります。

 

公立学校は、保護者が直接教育費を支払う訳ではない分、お金がかかるイメージの私立の方がお金持ちと思いがちです。でも実は、公立学校の方が私立の学校以上に潤沢な資金を持っています。

 

また、平成28年度の生徒一人当たりの学校教育費は、私立高校の場合は1,020,153円であるのに対し、公立全日制高校の場合は1,192,314円と、公立の方がお金がかかっているという事実もあります。

 

それにも関わらず、公立のデメリットが目立ったり、「私立の方が良い教育が出来る」と良く言われたりするのは、その資金を有効に活用出来ていないと言わざるを得ません。

 

では、なぜ公立学校は資金の有効活用が出来ないのでしょうか。その理由にもやはり、行政の管理下に学校がある事が関わってくるでしょう。

 

京都に市立堀川高校という公立高校がありますが、1999年に大改革を行い成功を収めています。この改革を実行したのは、教育委員会ではなく校長をはじめとする現場の教師達です。

 

つまり、現場の状況を一番よく知る校長を経営者と捉え、大きな裁量を与えた事が成功の鍵だったのです。

 

特に関東地方では、教育委員会が学校現場に対して過干渉気味になっている場合が多いと言われます。これでは校長も教師も、教育委員会の目を気にして、伸び伸び子供の指導をする事が出来ない事もあるでしょう。

 

そしてそのような教師の下では、子供達も伸び伸び成長していく事ができません。繰り返しますが、子供は教えたようになるのではなく、教えた者のようになるものなのです。

 

校長は学校と言う店舗を任されている雇われ店長ではありません。学校ごとの独自性を先頭切って生み出していく、経営者であるべきです。公立の学校にも、私立中高一貫校のような生命力や個性が生まれれば、日本の中等教育はより良くなっていくことでしょう。

 

中高一貫校で芽生える様々な意識とは?

地元の中学校と中高一貫校では、そこに通う生徒の意識に差が生じます。まずは帰属意識です。中高一貫校に入学した子供達は、まずは入りたい学校を選択し、努力を重ね、味わったことの無い緊張感と共に入試に挑みます。

 

役所が決めた地元の中学校に普通に入学した子供に比べて、ひと手間も二手間もかけて中学入学に辿り着きます。

 

こうしてやっと入れた学校には自然と愛着が沸くものです。自分はこの学校の生徒なのだという事を、強く意識するようになり、毎日を大事に過ごそうという気持ちになります。

 

また、これから自分が学ぶ場所が誰かに与えられた場所なのか、自分で勝ち取った場所なのかという事は、勉強のモチベーションにも大きな影響を与える要素になります。

 

もう一つは、仲間意識です。中学受験をするという選択は、非常に勇気の要るものです。小学校時代の友達と離れ離れになる寂しさも味わったでしょう。共に中高一貫校に入学する事になった新たな友達は、皆自分と同じ経験をしてきた子供達です。

 

同じ志を持って、同じように頑張ってきた友達との間に生まれる仲間意識は、特別なものになります。

 

同時に、自分と同じように周りのみんなも頑張ったんだな、という友達に対する尊敬の気持ちも芽生えます。すると、自分とは違う相手の個性を認める事が出来るようになります。

 

あの子は英語をすらすら喋れるとか、この子は優しいとか、自分に無い相手の良さを、素直にすごいと思えます。

 

そして、自分一人では出来なくても、みんながそれぞれの得意分野を活かして力を合わせれば、出来るようになるという事に気付きます。一人一人が良い所を出し合い認め合う事で、最高のクラスになるのです。そこから、共同体意識が芽生えます。

 

共同体意識とは、良い物は分かち合い、お互い助け合う事で自分の自己実現と同時に集団全体の最適化も叶えようとする意識です。

 

例えば体育祭では、足の速い生徒がリレーのアンカーを務めたり、腕っぷしの良い生徒が綱引きで活躍したり、声が良く通る生徒が応援団長を担当したりします。

 

それぞれが自分に出来る事を精一杯やって、自分一人の活躍よりもクラス全体としての優勝を目指す事は、強い共同体を作ろうという共同体意識を高めます。

 

そして、次第にその意識はクラスだけでなく、学年全体、学校全体にまで広がり、自分が学校を作り上げているメンバーの一人であり、学校の一部である事に喜びを感じるようになります。だから同窓会の誘いや寄付金の依頼にも、快く応じる事が出来るのです。

 

共同体意識が芽生えるのは、中高一貫校においてだけではありません。高校受験で希望の高校に入った場合でも、面接を受けて就職した会社でも、勿論芽生えるものです。ただ、その組織の一部になりたいと強く望んだ場合ほど、共同体意識は芽生えやすくなります。

 

公立の普通の中学校の様に通う学校を指定された場合や、周りが高校受験するから自分も何となく受験して入った高校に通う場合では、勉強や行事に対するモチベーションも低く、共同体意識はあまり芽生えないと考えられています。

 

一方、中高一貫校に通う生徒には、「この学校に通いたい」という強い意志により、中学受験の為の努力をして入学を勝ち取ったという経緯があります。それにより共同体意識の発芽がより促されるのです。

 

共同体意識を学ぶ事は、現代社会における最重要課題である

また、多感な思春期に共同体意識を身に付ける事は、子供の今後の人生において非常に意味を持ちます。

 

共同体意識によって自己実現と全体の最適化を常に考えられる人になる事で、社会に出てどんな組織に属しても、自分のすべき事をきちんと理解し、居場所を見つけられる人間になります。

 

また、共同体意識は、リーダーに必要不可欠な要素と言われています。ヨーロッパの貴族社会に古くからある価値観に、「ノブレス・オブリージュ」というものがあります。

 

これは、多大な力を持つ者は、その力を独り占めするのではなく、周りの為、特に弱い者の為に使うべきとする価値観であり、まさにリーダーが持つべき心得です。同時に、共同体意識が身に付いていなければ、持てない価値観でもあります。

 

日本でも近年、リーダーシップ教育は注目されています。その為には、コミュニケーション能力や課題発見能力を向上がまず必要とされがちですが、リーダーへの第一歩は、その人の共同体意識の芽生えに他なりません。

 

しかし現代社会では、共同体意識を身に付ける機会が非常に少なくなってきています。そもそも、社会とは共同体意識によって成り立っているものです。人は一人では無力です。しかし集団になって力を合わせ、お互い助け合えば、生き延びていく事が出来ます。

 

昔は誰もがこの事を意識していたので、若者にも積極的に共同体意識を学ばせようという地域の取り組みがありました。男子なら若衆宿、女子なら娘宿という、大人としての作法と同時に共同体意識を身に付ける為のコミュニティに、皆が参加していました。

 

人は、社会という共同体に守られて生きていると意識する事は、社会を形成する中で非常に重要です。

 

しかし、現代社会においてそれを意識出来ている人は、ほとんど存在しないでしょう。なぜなら、昨今の社会は大きくなりすぎて、共同体に守られている事を意識しなくても生きていけるようになったからです。

 

このままでは、助け合いの精神や道徳心が乱れ、自分の事だけを優先する利己的な価値観ばかりが蔓延し、いずれ社会は崩壊しかねません。

 

そうならない為にも今一度、現代社会は共同体意識を取り戻す必要があります。そして、中高一貫校は、そんな現代において共同体意識を学べる環境を有する貴重な場でもあるのです。

 

子供の人生に影響を与えるのは、目に見えないカリキュラム

「ヒドゥン・カリキュラム」という教育用語があります。これは、目に見えないカリキュラムという意味で、学校側としては特に与えようとしていなくても、その長い歴史の中で、学校の文化などが自然と生徒達に伝わる作用の事を言います。

 

学校独自の個性も、共同体意識も、このヒドゥン・カリキュラムによって生徒に身に付くものです。

 

生徒に伝わった学校独自の個性は、そのままその子の個性となり簡単には抜けません。さらに、共同体意識が芽生えて社会に目を向けられるようになると、その個性をもってして自分は社会の為に何をすべきかを考えます。それが、夢や目標になります。

 

大学進学は、その夢を実現する為の過程です。社会に対しての高い目標があればある程、大学入試へのモチベーションも高まるでしょう。中高一貫校が良い大学進学実績を残している理由も、ここにあると言えます。

 

つまり、どの大学に進学するかよりも、ヒドゥン・カリキュラムによって身に付くものの方が、子供の人生に与える影響が大きいのです。

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