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親は教師にどう対応したらよいか?

授業をする教師

学校側に何か問題があった場合、あなたならどうしますか?訴えるという人もいれば、波風立てずに我慢するという人もいるでしょう。ここでは、親が教師にどう対応すれば、子供にとっても良い結果になるのかを考えていきたいと思います。

 

学校に問題が多いのは誰のせい?

今の日本の学校は、たくさんの問題を抱えています。いじめ、不登校、学級崩壊、学力低下…、様々な問題が山積みになっているのは、一体誰のせいなのでしょうか?

 

家庭教育に問題があるのだと主張する教師もいます。逆に、教師の指導力不足を指摘する親もいます。どちらも間違いではありませんが、親のせいだけとも教師のせいだけとも言えません。

 

むしろ、大きな原因は社会にあるととらえるべきです。今の学校教育の構造を作り出した、日本の教育の歴史や現代社会構造をしっかりと身直さなければ、なぜ学校に問題が多く発生するのかを解明することはできません。

 

学校現場で起こる様々な問題は、親に原因があるのか教師に原因があるのかをはっきりさせるよりも、実際問題として我が子に問題が降りかかってきたときに、私たち親が教師にどう対応したらよいのか、どのような対応の仕方をすれば、心豊かな子供に育てられるのかを考えるべきでしょう。

 

教師の気持ちを理解し許す心が親には必要

子供に何か問題が起きた時、明らかにその原因が教師に合った場合、あなたはどう対応しますか?動かぬ証拠を手に入れて謝罪させるという人もいれば、告訴するという人もいるでしょう。しかし、教師を訴えて仮に勝利したとしても、それが子供に良い影響を与えるかというと疑問を感じます。

 

教師側に落ち度があって発生した問題に関して裁判が行われれば、訴えられた教師側は、勝訴するために嘘をついたりごまかしたりするかもしれません。そうした教師の姿を子供に見せることになります。子供はどれだけショックを受けることでしょう。

 

問題が発生した時点ですでに大きな傷を負っているのに、何度もそのことについて話を聞かれたり、聞かされたりするのですから、傷はさらに深まるばかりです。子供の不信感は教師に対するものにとどまらず、大人全体に対して不信感を持つようになるかもしれません。もしも子供の側の勝訴で終わったとしても、子供の心には深い傷が残り、決して勝利の喜びで終わるものではないでしょう。そこを忘れてはいけません。

 

親が教師に対応する時に大切なのは「教師の気持ちを理解しようとすること」、そして、「過ちを認めたなら寛大に許す気持ちをもつこと」、この2つです。教師が何かミスをしたなら、できるだけ速やかに謝ってもらうのが一番です。そうすれば、問題解決はできなくとも、子供の心に深い傷を負わすことは避けられます。

 

過ちを犯さない人間はいません。教師は、自分に落ち度があった時には誠意をもって子供と親に謝るべきです。謝っても問題が解決するわけではありませんが、許しを得ることはできるでしょう。そして親と一緒になって問題解決に立ち向かうことも可能になります。

 

子供はそんな大人たちの姿を見て、「人間は過ちを犯しても、それを自ら認めて謝罪することができるのだ。それどころか、間違いを犯した側と被害を受けた側とが力を合わせて、解決に当たることもできる。人間ってすごいなあ」と感じるでしょう。子供がそのような気持ちになることが一番大切なことです。

 

このような状態になれば、どんなに辛い出来事だったにせよ、教師との間に心の交流が再び行われ、人を信じられる心を育てられます。社会での問題とは違い学校で起こる問題は、どちらが悪かったかを正当に決めることだけが全てではないのです。

 

必ず起こるいじめは、それを乗り越えることが重要

我が子がいじめに遭わないように…親はそう願うものです。いじめに遭えば子供は苦しみますし、ひどくなれば自殺を考えるかもしれません。実際、子供がいじめを苦にして自殺をするニュースは、後を絶ちません。親は子供が苦しむ姿には耐えられませんし、ましてや自殺など考えたくもないことです。いじめの被害者にならないように願うのも当然です。

 

しかし、残念ながらいじめはなくなりません。いじめられない子供などいないと言っても過言ではない時代です。快活な子も自己主張できる子も、スポーツや勉強に長けた子も、全てその特徴を理由にいじめられる可能性があります。子供が集まるところにいじめは100%起こると言っても過言ではありません。いじめられない子供に育てることなど、不可能なのです。

 

日本の学校では特にいじめが発生しやすいと考えられます。なぜなら、教師が子供たちを均一に良い子に育てようとする風潮があるからです。そのような教師からの圧力があれば、いじめが起こるのはほぼ確定です。

 

ですから、いじめが起こるのではないかと個人レベルで心配するのは無駄なことです。大事なのは、いじめを教師と親と子供が一緒になって解決し、クラス全員でいじめを乗り越えることです。そうすることで、いじめた子もいじめられた子も成長することです。

 

いじめを周囲で見ているしかできなかった子供や、いじめをとめようとした子供も、教師と親が力を合わせ、いじめた子供といじめられた子供の両方が成長する姿を見て、人間とはなんと素晴らしい生き物なのだと実感できます。その感覚が、いじめの周囲にいた子供たちを成長させます。今後自分がいじめたりいじめられたりする立場になったとしても、そんな状況から脱して乗り越えていく姿を想像し、実際に克服することができるでしょう。

 

学校は、子供たちがいっしょに生活する中でお互いの姿を見つめ合い、一人ではできない学びをすることができる場所なのです。

 

いじめを乗り越えられないとどうなるか

いじめが起きても大人がそれに気づくことができなかったり、隠ぺいしようとしたりするのは最もやってはいけないことです。素直に認め、解決に全力を注がなければなりません。もしも、いじめをクラス全体で乗り越えることができなければ、大きな問題へと発展します。

 

いじめを受けた子供は心に傷を負ったままになり、人を信じられなくなったり自信を持てなくなったりし、人とのコミュニケーションに支障が出てしまうかもしれません。

 

いじめた子供は、いじめという行為に楽しさを感じてしまう間違った感性を持っています。いじめを乗り越えられなければ、いじめた子供のゆがんだ心を正してやれません。いじめは、いじめられた方こそ被害者だという考えが大多数ですが、実はいじめた子供こそ救いが必要だとも言えます。

 

感性のゆがみや愛情に飢えた心をもった子供は苦しんでいます。人をいじめることでその苦しさを紛らわせようとします。いじめをする子供自身に大きな問題が起こっているのですから、その問題を放っておくわけにはいきません。そんなゆがんだ精神世界から助け出してやる必要があるのです。

 

いじめを受けた側には責任はありません。だから、いじめられた人を何とかしようとしても、何の解決にもなりません。にもかかわらず、今の日本では被害を受けた人に積極的にアプローチするばかりです。

 

いじめをする子供がその行為をすぐにやめてくれさえすれば、問題はすべて解決するはずです。教師はいじめられた子供のフォローだけに心を砕くのではなく、いじめた子供の心のケアに努め、すぐにでもいじめをやめさせる必要があります。

 

いじめをしっかりと解決しないと、いじめの周囲にいる子供たちを成長させることができません。恐怖心から「次に自分がいじめられたらどうしよう」という不安感を募らせます。いじめの加害者と被害者である子供たちが、いじめを乗り越えて成長するさまを目の当たりにすることで、いじめの周囲にいる子供たちは「いじめは解決できるものだ。それを乗り越えてより強くなれるのだ」ということを学び、強い心が育ちます。

 

いじめの問題は、いじめが発生することだけにあるのではありません。発生したいじめを解決し乗り越えることができないというところに、大きな問題があるのです。

 

親はいじめに対してどう考えるべきか

親はいじめ問題に対してどういう心づもりをすべきなのでしょうか。まず親としては、我が子がいじめる側にならないよう、最大限の配慮をすべきです。子供がいじめに走るのは、心にゆがみが生じているからです。つまり、心が育っていないということです。本当ならば、いじめをした子供の親の方が真っ先に青ざめて、対処に努めなければならないのです。

 

親たちが皆それぞれ、自分の子供をいじめる子にならないよう育てていくよう心がけ、教師と協力する態勢が整えば、いじめが起きてもきちんと解決し乗り越えることができます。

 

次に、いじめを理由に教師を責めないようにしましょう。理想はいじめがちゃんと発覚して良かった、親たちと教師とが一致団結して、いじめ解決に向かおうと考えるべきです。

 

そもそもいじめは、子供集団には当然起こり得るものです。そういう認識をもち、いじめられた子供の笑顔が早く回復するようフォローする一方で、いじめた子供の心の問題の解決に努めましょう。心の状態が良くなれば、いじめをする必要などなくなります。さらに、いじめの周囲にいる子供たちには、いじめはどんな時でも許されないのだという認識をもたせるようにしましょう。

 

どの子にも、いじめる側になる可能性はあります。それはまるで、計算ミスをするかのように、ちょっとした心のミスで起こり得ます。しかしこのミスは子供たちを大きく成長させてくれるきっかけにもなります。親と教師はがっちりとスクラムを組んで、子供たちがいじめをきちんと乗り越えられるようにサポートしていく必要があります。

 

教師のやり方に疑問をもったら

親が教師の指導のやり方に対して、疑問を持つことがあります。以下、よく話題にあがるものを挙げてみましょう。

 

指導法がなっていない

授業中きちんと説明ができないとか、教え方が分かりづらい、他のクラスに比べて授業の進度が遅れている、などがあります。

 

コミュニケーションがうまくない

人とのかかわり方に疑問をもつケースです。例えば、子供を平気で侮辱したり、親にも歯に衣を着せないものの言い方をしたりすることがあります。体罰と違って分かりにくいのですが、教師への不信感は増すばかりでしょう。

 

体罰を与える

体罰は、法律に反した行為で許されるものではありません。子供の人権を侵害するような罰を与えたり、言葉による暴力をふるったりするのも、教師として決してやってはならないことです。繰り返されれば、子供はいつもビクビクとおびえて過ごさなければならなくなります。

 

えこひいきする

親側にはよくある不満です。えこひいきだけでなく、担任が異性の子供にセクハラ行為をしていないかどうかについても、親は注意深くなる必要があります。学校は教室という密室状態がありますから、セクハラ行為が発生するのも不思議ではありません。たいていは教師の側に自覚がなく起こるのですが、それこそが大きな問題であると言えるでしょう。

 

子供の健康を害すような環境がある

学校では何よりも子供の安全が保障されなければなりません。学校というのは、プールや防火シャッターなど危険がいっぱいの場所です。学校なら安心と考えず、起こりうる全ての事故を想定し、注意を怠らないようにしなければなりません。

 

健康への配慮がなされない

どんなに教室が暑くてもなかなか空調を整えてくれなかったり、寒い季節の体育でも温かい格好になるのを許されなかったりと、健康を保つうえでの配慮が足りない場面が多く見られます。子供を指導するためという目的が最優先される、学校の風潮があるからです。親がしっかりとした常識をもって注意を払うことで、子供たちの健康を守らなければなりません。

 

このように、親が教師に対して疑問をもつことはたくさんあります。ではいったい、どう対応したらよいのでしょう。まずは、子供たちの人権を守り、発達を優先させるという立場に立って教師と向かい合う心がけが大切です。そして、教師や学校を敵視しないということも大事なポイントです。

 

本質的な部分は何かというと、子供が心豊かに育ち、毎日笑顔で生活できることであるはずです。そう考えれば、親は教師と敵対するのではなく、力を合わせて良い方向へ向かわせるのが大切だということは、おのずとわかってくるでしょう。子供の健全な発達を望んでいるということをきちんと教師に伝えれば、手を取り合って子供たちを育てていくことができるはずです。

 

具体的にどんな方法をとっていけばよいのでしょうか。

 

自分の目でしっかりと見る

教師についての悪い噂を鵜呑みにせず、自分の目でどういう状況なのかをしっかりと観察しましょう。まずは事実の確認が必要です。

 

親同士が団結する

現状の観察も、一人でやるよりは複数の親でやることをおすすめします。一人の目で見るよりは複数の目で見た方が客観的に判断できますし、一人の訴えよりは複数人の訴えの方が教師の心を動かすでしょう。三人寄れば文殊の知恵、と言いますが、問題解決のためのアイデアも、たくさんの人数がいた方が出やすいものです。しかし、あまりに大勢で教師を追い詰めることのないように注意しましょう。

 

教師と直接話し合う

現状を把握し、親同士が団結したら、問題となっていることについて教師と話し合います。その時、対象となる教師だけでなく、学年主任や教務主任など、他の教師も交えて話し合いをもつことをおすすめします。ここでもやはり、教師と敵対しないよう気をつけて、子供の成長を真に願う気持ちを強く打ち出しましょう。

 

親ができることを考える

学校や教師に責任があったことだったとしても、親として何かできないか考えるようにします。一人でやるよりは、他の親と一緒になったりPTA活動の一環として考えたりするとよいでしょう。教師に任せきりにするよりも早い解決が見込まれます。

 

どうしても改善しないなら次の手段を考える

ここまでやっても状況が変わらないようであれば、見切りをつけるのも必要です。PTAや教育委員会に相談することも考えましょう。学校とは違った立場の機関に頼んで解決法を考えるのも必要になります。

 

子供を育てる最大の責任は、親がもっています。教師は親から子供を任されているだけです。そういう気持ちをもって、納得できない時には毅然とした態度をとることも必要だと言えるでしょう。

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