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子供に「良い子」を演じさせていませんか?

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良い子

親であれば誰でも、子供を良い子に育てたいと思うでしょう。でもちょっと待ってください。良い子だと思っているお子さんが、本当は「良い子」を演じているのかもしれません。もしそうならば、それが思いもよらない事態を引き起こす可能性もあります。

 

「良い子」を演じすぎると自尊心が低下する

自尊心とは、そのままの自分を認め、そんな自分が好きである気持ちのことです。自尊心が高い子供は、他の人からも認められているという安堵感をもち、精神的な満足度が高いものです。もしも自分が不快な状況下にあったとしても、自分の気持ちを落ち着けるために、他者を攻撃したり感情を突然爆発させたりすることはありません。

 

「自分は周囲の人から受け入れられている」という安心感を持っていれば、ぶつかり合ってばかりいる友達のことも「きっと分かり合える」と信じられます。そして共通点はないか探ったり、暴力ではなく言葉で自分の気持ちを伝えたりして、何とか分かり合おうとするでしょう。

 

不条理なことを言われたり、トラブルに巻き込まれたりしたとしても、必要以上に慌てたり相手を攻撃したりせず、落ち着いた気持ちでその状況を見つめ、対処することができます。また、自分の気持ちを主張するのにも、感情的になったり力ずくでいうことをきかせようとしたりせず、冷静に考えを述べることができるのです。

 

そんな大事な自尊心ですが、最近の日本の子供たちは自尊心がとても低い傾向にあります。そのままの自分を丸ごと受け止めて、愛することができない子供たちが多いのです。なぜこうなってしまったのでしょう。

 

その背景に、親の前で「良い子」を一生懸命演じようとする最近の子供たちの姿があります。特に小学校の低学年くらいの子供たちには顕著にこの様子が表れています。

 

親たちの頭には、「こういう子供が良い子」というイメージがはっきりと刻まれています。それは例えば、笑顔で元気に挨拶できるとか、お手伝いを率先してしているとか、何でもよく食べるなどというものであり、生活の様々な場面での「良い子」のイメージがしっかりと出来上がっています。そして、我が子にそのイメージ通りにさせようとしています。

 

そうなると子供はその気持ちに応えようと、親のイメージの「良い子」を一生懸命演じなければならなくなります。「家では元気いっぱいなのに、一歩外に出ると引っ込み思案になってしまう」という子供は、今は少ないのかもしれません。逆に、家では「良い子」を演じるのに必死で、心が休まらないという子供がいるのです。ありのままの自分でいては親に認めてもらえないと思っている子です。

 

子供がこのことに大きなストレスを感じていることに気付けない親は少なくありません。そのような子供が、学校で突然感情を爆発させて、いわゆる「キレた」状態になったり、攻撃的になったりする可能性は大いにあります。

 

では、家庭が主な原因なのかと言えば、そうとも言えません。学校が子供にストレスを与えている場合もあります。学校でもやはり「あいさつをしっかりしよう」「机の中をきれいに整頓しよう」「廊下は走りません」「給食は残さず食べよう」などと「良い子」の姿を子供に求めます。

 

先生から言われるこれらのことをしっかりと守っている子供は、ストレスをためがちで、いつ感情が爆発して暴走してしまうかわからない状況にあるということを、大人は忘れてはなりません。

 

思春期の葛藤が許されない今の時代

思春期は、精神的な葛藤が繰り返される時期です。今までの人生で作られてきた自分というものを一旦崩し、葛藤の中でもう一度作り直していくことで、大人へと近づいていく大切な時期だと言えます。

 

今までなら何の疑問も持たなかったことに対して疑い始め、自分に対してもこれでよいのか、自分とはいったい何なのだと考えるようになります。そんな思春期真っ只中の子供たちは苛立ち、不安でいっぱいになり、その気持ちを周囲の大人にぶつけるようになります。

 

葛藤し、つまずき、遠回りすることもあります。そうしながら新たな、そして本当の自分というものが出来上がっていきます。思春期の子供であればだれでも、そういった過程を経て大人になっていくものです。親や教師はそんな子供たちと真正面からぶつかり、子供が壁を越える姿を見るのを喜びとしていました。

 

しかし今の学校では、子供のそのような姿を見ることが難しくなってきています。学校は、子供が自分自身の中で葛藤し、周囲に牙をむくような姿を良しとせず、一般的な「良い子」の姿を求めるようになったからです。これでは子供として当然あるべき発達を阻害しているようなものです。

 

今の受験制度は、偏差値だけでなく、内申書を重視されるようになっています。昔は知識と理解が学力の柱だとされていました。それが1992年の学習指導要領の改訂で「関心・意欲・態度」を重視するようになりました。それに伴って入試でも、ボランティア活動経験の有無や、委員長や部長経験の有無、授業態度はどうだったかなどを重要視されるようになりました。

 

それに伴い、やる気があってもなくても、委員長などに立候補する子供が増えました。なぜなら、子供たちは自分の親に、そうすることで内申書の点数がよくなって受験に合格しやすくなると言われるからです。一概に親が悪いとは言えません。そんな親を生み出したのも、このような受験制度を生み出した今の社会だからです。

 

内申書を重要視される受験システムがある限り、子供は先生の前でも「良い子」を演じきらなければなりません。どんなに学力が高くても、「良い子」になることができなければ、合格に近づくことができないからです。

 

消極的で、授業中元気に発言できないようでは、どんなにペーパーテストでいい点数をとっても成績は上がりません。例え先生に対して良い感情を抱いていなかったとしても、やる気があるように見せなければならないというわけです。自分の本当の気持ちを抑えて、成績を上げるために「良い子」の仮面をかぶり続ける、そんな子供たちが増えています。

 

でも、大人から見て「良い子」に見える子供が、心に闇を抱えているということは多いものです。とても良い子に思われていた子供が、凄惨な事件を起こすニュースが、後を絶ちません。

 

2000年、愛知県で起こった、豊川市主婦殺人事件を覚えているでしょうか。近所でも良い子だと思われていた当時高校生の少年が、「殺人をしてみたかった」という驚くべき理由で、面識のない主婦を40カ所以上も刺して殺害した事件です。

 

明るく活発で成績も優秀だった彼は、もちろん周囲からの評判がよく、だからこそ「良い子」を演じるのにますます必死になったのでしょう。父、祖父共に教師であるという家庭環境から、彼はもちろん、家の中でも「良い子」で居続けたはずです。礼儀正しく、他人に優しく、成績も良いという自分をキープすることがどんなに大変だったか、想像に難くありません。

 

学歴だけがものを言う時代であれば、彼のその頑張りが社会で評価され、必ず成功する保証がありました。しかし、行く先の見えない今の時代、そんな保証はありません。ですから、「良い子」を演じ続けることで生まれるストレスから、突然感情が爆発して「キレる」という状態になったと考えられます。

 

未来に希望が持てず、不安でいっぱいの今の子供たちは、自分と向き合います。学歴さえあればうまくいく社会が崩壊した後、自分はどうやって生きていったらよいのか、自分という人間は一体どんな人間なのか、必死に考えます。その答えが見つかるまでは社会に出ていけず、引きこもり状態になってしまいます。これも今の若者たちの抱える問題の一つです。

 

豊川市主婦殺人事件の犯人となった少年も、自分自身と向き合ったはずです。その時彼には自分という人間は見えず、見えたのは自分を厳しくしつける家族だったようです。彼は自分という人間を見つけ出すために、「良い子」を演じる自分を壊そうとしたのだとも言えます。「良い子」の仮面をかぶり続けた彼が、自分の意志に従って動いた結果の事件だったのでしょう。

 

周りの期待によって作り上げられた「良い子」は「本当の自分」というものが見えません。そのような子供は時に感情を爆発させ、思いもよらない行動に出ることがあるということを、あの凄惨な事件は物語っています。

 

「自分とは何か」が分からない若者が増えている

周囲から「良い子」だと思われている子供が、驚くべき残酷な事件を起こすことがあるのは、日本だけではありません。アメリカやフランスでもそういう事件が後を絶ちません。

 

そこからわかることは、急激に経済発展している国においては、子供たちに健全な成長を保証するようなゆとりが失われているのではないかということです。いろんな経験をし、失敗や苦労もすることで、次第に人間性が養われていくはずなのに、そんなことをしている余裕がないというわけです。

 

このようなプロセスを経て豊かな人間性を育てることができないと、「人間」として成長することができないということです。人間とは思えない事件が繰り返される世の中を見ていると、それがよく現れています。

 

大学進学をした後も、本当の自分が分からずにもがき苦しむ青年たちは、決して少なくありません。東大生のように優秀な学生であっても、人とのコミュニケーションがうまく計れず、社会に適応していけない若者もいます。

 

「自分という人間が分からない」と悩む大学生も、信じられない事件を引き起こす「良い子」も、その背景には同じ問題が隠れています。「自分」というものがない。それが大きな問題です。

 

自分は一体どんな人間なんだろうと自分自身を見つめてみた時に、「自分」そのものがないのだということに気づく。そんな時彼らは、足がすくむような不安感にかられることでしょう。

 

ガングロやヤマンバギャルが、昔大流行しました。彼女たちの特徴的で奇抜なメイクやファッションは、大人たちを不気味にさせたものです。しかし彼女たちがいったんメイクを落とし、普段着に着替えたとたん、ごく普通の「良い子」になるのです。

 

つまり、あのメイクやファッションをした状態が彼女たちの本当の姿であり、素顔に戻ると「良い子」の仮面をかぶっているというわけです。周囲から奇異の目で見られるような外見を作ることで、良い子になれという要求から解放され、自由な自分になれる、本当の自分を得ることができたと言われています。

 

ガングロやヤマンバメイクをする必要はないですが、自分らしさを出せる時間を持つことは、今の子供たちには重要と考えられます。

 

例えば、普段まじめな会社員に趣味を聞くと、「ヘビメタバンドのライブで一緒に熱唱すること」などと返ってくることがあります。このように、仕事上の必要性から被っている仮面を脱いで、自分らしさを出せる時間を大人も必要と感じ持っているのですから、子供にも自分らしさを出せる時間(機会)を作ってあげる必要があるでしょう。

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