facebook Twitter はてなブログ feedly

過ぎ去った臨界期は戻せるのか?

臨界期

子供の脳は年齢が進むにつれて発達していきますが、年齢が低いうちは脳が未発達な代わりに言語、運動、数学的能力などさまざまな能力を習得できるという側面もあります。このような習得の限界となる年齢のことを臨界期ないし感受性期といいます。それを過ぎるとこうした能力を身につけることができにくくなるため、さまざまな問題を抱えることになるのですが、臨界期を延長するようなことはできないのでしょうか。

 

視力とその臨界期

人間の赤ちゃんは生まれた直後はほとんど視力がありません。赤ちゃんの視力は時間が経つと共にだんだんとよくなっていくものです。しかし、生まれながらに白内障であったり、斜視があったりして片目が使われない状態になっていると弱視になってしまうことがあります。見える方の片目からの信号だけで視覚的感知を行うように脳の神経ネットワークが変化してしまうのです。

 

こうした神経のネットワークの変容は、平成6年にネコを使った実験によって突き止められました。まだ臨界期のさなかにあるネコの片目を塞ぎ、そこからの情報を伝達する神経を観察したのです。実験の結果、1週間ほどで後頭部にある視覚野まで伸びている神経繊維全体に萎縮が見られ、繊維の長さや樹状突起の数が減ったことが確認できました。

 

さらに、目を物理的に塞がなくても、神経伝達に科学的な処理をして情報伝達を阻害することによっても神経の萎縮が見られることも分かりました。

 

弱視の治療はとにかく早く発見することが大事なのですが、赤ちゃんに生まれながらの白内障があったような場合には生後三週間で手術を行ったとしても0.1までの視力が得られる程度に留まってしまうのが現状です。

 

さらに、弱視は本人にとって分かりにくい場合も多いほか、視覚に関する臨界期にも差があります。1歳半ぐらいで頂点に達し、小学校の低学年になる頃には柔軟性もかなり低下してしまいます。

 

日本では子供が3歳になると受けることになる三歳児検診が整備されており、先進国の間で比較してもこうした問題を発見するための体勢が整っていると言えます。しかし子供の視力を検査するには、検査で受け答えができるようになる3歳半ぐらいまで待たなければならないのが実情なのです。

 

生まれながらに白内障である子供は1万人に1人程度の割合で存在します。また、他のことが原因で弱視になる子供も全体の1%程度と、少ないとは言えない数に上っています。弱視であることが判明した場合、1日に何時間かの間問題ない方の目に眼帯をするなどして弱視の改善を図ることになりますが、それも臨界期を過ぎてしまうと行えなくなってしまうのです。

 

また、ネコの神経の萎縮を見る実験から、生まれつき白内障があったものを治療し、目を普通の状態に戻したとしても、脳が認識できない状態で無理に視覚の訓練をするとトラブルのもとになるかもしれないという主張をしている研究者もいます。

 

臨界期を操作できるか?

視力をはじめとしてさまざまな能力の獲得に関わってくる臨界期を延長するようなことはできないのでしょうか。臨界期を延長したり後にずらすようなことが可能になれば、今まで能力が獲得できなかったために発生していた病気や障害も治すことができるようになります。

 

日本人は英語のRの音を聞き取るのが苦手だと言われますが、これも臨界期までに訓練すれば聞き取れるようになります。絶対音感のような能力についてもそうです。子供だけでなくもっと大きくなってから脳を臨界期に戻すことができれば、そうしたことも獲得できるかもしれません。

 

こうした考え方を実践に移した研究が存在します。平成10年、理化学研究所のチームが臨界期を操作できる物質を発見しました。

 

この研究では生まれたてでまだ臨界期に達していないマウスが使われました。マウスの体内にあるGABAという神経伝達物質を減少させ、その状態で片方の目を塞いで成長させても弱視にならないことが分かったのです。そして逆に臨界期に達していなくてもこのGABAを増やしてやると、すぐに弱視になってしまうことも分かりました。つまり、このGABAという物質が臨界期を左右する物質ではないか、というわけです。

 

脳皮質は知覚をつかさどっていますが、この部分の細胞の8割は接続先の神経細胞に刺激を与えて興奮を引き起こす錐体細胞で占められ、その周りの2割は抑制性細胞でできています。GABAはこの抑制性細胞で作られる物質で、神経細胞の興奮を抑制する作用があるものです。もともと、神経組織のネットワークは刺激で興奮する回路が連続していくことによってできあがっていくと考えられてきたので、当時においてはこれは新たな発見と言えるかもしれません。

 

脳の神経細胞における刺激の抑制がまだ未熟な期間においては、左右の目から送られてくる刺激が違っているといったことを脳が認識するに至りません。しかしGABAによって抑制ができてくると脳の機能に均衡が生じ始め、そうした認識が発生してきて臨界期が起こり始めるというのです。

 

しかし今のところ、このGABAという物質を使って臨界期を操作できるには至っていません。

 

GABAを用いて臨界期を開始させた場合でも、GABAを与え続けても臨界期が早く終わってしまうのです。このことからGABAが臨界期を左右するのではなく、引き金を引く役目をしているに過ぎないのではないかと考えられています。

 

臨界期の仕組みの研究

平成16年、神経細胞どうしを接続しているシナプスと呼ばれる場所を切り離すことができると思しき物質が発見されました。目を塞いだ状態のマウスの脳を調べたところ、視覚に関連する部位でtPAと呼ばれるタンパク質分解酵素が増加することが判明したのです。

 

このtPAと呼ばれるプロテアーゼ酵素が効果を発揮すると、4日ほどで神経細胞から軸索の樹状突起が消失し、tPAを除去したマウスの神経細胞では突起が伸びるという結果が出ました。

 

こうした研究結果から、神経を成長させるための因子と、神経細胞どうしの結びつきを溶解させ神経細胞どうしの結びつきをほぐすためのプロテアーゼ酵素が出たり止まったりすることによって脳に臨界期が発生したり臨界期が終了したりするのではないかという見方がされるに至りました。このtPAという酵素は聴覚などの視覚以外の能力についても関連がある可能性が高いと考えられています。

 

子供の脳に臨界期があることが分かってから、子供を早い頃から教育しようという考え方が広がってきています。この臨界期がどのように始まり、そして終わるのかについての仕組みが分子のレベルで調べられるようになりました。しかし、こうした研究はまだ未知数な部分が多々あります。

 

GABAをうまく使うことで、子供だけでなく大人の脳でも臨界期を起こせるかもしれません。しかしそのことが脳の神経細胞どうしのネットワークを溶かしてしまうことにつながるのかもしれず、今の段階で人間に応用するのは、まだリスクがあるとされています。

※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用しています。

このページの先頭へ