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勉強する意味を人類の歴史から考えてみる

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勉強する意味を考える

どんな人でも一度は「なんで勉強なんかしなくちゃいけないんだろう」と感じたことがあるでしょう。そして多くの人はその明確な理由を見つけられないのではないでしょうか。しかし、人間の遠い過去を振り返ってみると、なぜ勉強をしなければならなかったのか、そして今、どうやって勉強する理由を見出していけばよいのかのヒントを得ることができます。

 

人間も人間以外の生き物も、みんな生きるために勉強してきた

勉強というと、普通は机の前に向かって、教科書や参考書を開いてするものというイメージを持つでしょう。でもそれだけが勉強ではありません。勉強はもっと、広い意味で使われるはずです。

 

教科書の内容を覚えることが勉強なのであれば、人間しかできないことになります。でも、勉強は人間以外の生き物もみんなやっていることです。ひな鳥は、成長するにつれ飛ぶことを学んでいくはずです。ライオンの子どもも、いずれは自分で獲物をとることができるように、親から学んでいます。

 

こう考えていくと、どんな生き物でもみんな勉強しています。そしてその理由はただ一つ、生きていくためです。勉強しなければ生きてはいけないから、みんな勉強するのです。

 

人間はそんなことを学ばなくても生きていけると思いますか?いいえ、そんなことはありません。赤ちゃんが大人になるまでずっと言葉を話せなければ、空腹を周囲に訴えることができなくて死んでしまいます。具合が悪いことを伝えたくても、言葉を話せないのでは誰にもわかってもらえません。それが死につながることもあるでしょう。

 

ですから、言葉を勉強するということは、ライオンが狩りを学ぶのと同じくらい、人間にとっては大切なことなのです。生死にかかわる問題なのですから。ただし、他の生き物と比べて人間が勉強することには、もう少し複雑な理由があります。それは、サルから人間へと進化したころまでさかのぼって考えるとわかってきます。

 

人間が誕生するはるか昔、先祖だと言われるサルたちはジャングルで生活していました。ジャングルは、緑が生い茂り、食べ物が手に入るだけでなく、敵から身を隠すにも好都合な場所でした。

 

ところが、ある時地球の気候ががらりと変わり、それに伴って緑豊かなジャングルが、一変して草木の少ない乾燥した土地になってしまったのです。これではサルたちは、敵から丸見えになってしまい、非常に危険な状態です。

 

彼らはそんな危険な場所で生き抜くために、2つの作戦を実行しました。1つ目は、大きな集団となって行動し、敵から襲われにくくすること。2つ目は、今自分たちが置かれている状況は危険なのか安全なのかを常に把握し、この先何が起こりそうかを予測する力をつけること。

 

1つ目の作戦により、サルたちの社会が出来上がりました。また、ライオンやトラが持つような強い力や牙、爪などが備わっていない彼らにとって、2つ目の作戦の力は非常に大きな武器となりました。

 

このような過程を経て、サルは人間へと進化していったのです。2つの作戦は、人間が生き抜いていくために最初に行った勉強だったと言ってもよいでしょう。そのため、人間はお互いに協力し合わなければ生き続けられませんし、先を見通しながら生きるようになったというわけです。

 

人間が集団の中で生きていくためにも勉強が必要

人間がまだサルだった時代に、気候の大きな変動のために、住んでいたジャングルが荒れ果てた乾燥地帯になってしまいました。そのままでは敵にすぐ見つかってしまうので、彼らは集団で動いて狙われにくくする必要がありました。そしてこれが、一つの社会となったのです。

 

ある社会の中で生きていくためには、受け身ではいられません。仲間に面倒を見てもらうだけではその社会に居られないのです。狩りをするための道具を借りたら、狩りで得た獲物を借りた人に分けてあげる必要があります。

 

お互いに与え、与えられる社会では、物々交換だけが行われるのではありません。物のかわりに知恵や技術など、目に見えないけれど必要なものが使われるときもあります。海の波や空気などから時化を予想できる力を持つものは、漁師にそのことを知らせる仕事をし、魚をもらうのです。

 

このように、物質として目に見えるものではなくても、誰かの役に立つ知恵や能力なども、社会の中ではとても大切なものです。そのような力を持つことでも、社会の中で生きていくことができるというわけです。

 

アラビアンナイトという物語をご存知ですか?一人の女性が王様に毎晩1話ずつ聞かせるお話で構成された物語です。実はこのお話に出てくる王様は、その晩共にする女性を次から次へと殺していったそうなのですが、王にお話を聞かせた女性は、毎晩一つだけお話を聞かせ、続きは翌晩のお楽しみにしていたため、殺されずに済んだわけです。

 

彼女の場合、たくさんのお話を調べ、知っていたことが、まさに彼女の住む世界で生き抜く糧となっていたと言えるのです。物語を勉強しなければ、すぐに殺されていたことでしょう。

 

そのような命の危険がない現代でも、知識や知恵、技術などを持つ人は、周囲から尊ばれます。逆に何も持たないと、就職することもできませんし、誰にも必要とされませんから、この社会にいることが難しくなってしまいます。

 

自分は一人暮らしだから誰ともかかわる必要はない、と思うかもしれませんが、そうではありません。知識や知恵、技術などを持たず一人でいれば、暇で仕方がないでしょう。それに、気候に対応したり、空腹を満たしたりといった基本的なこともできないはずですから、結局は生き続けることができないのです。

 

生きるためには、様々な知識や知恵や技術が必要です。そしてそれを学ぶために、人は勉強するのだと考えることができるのです。

 

生命の存続をかけて、先見の明を身につけた人類たち

気候が大きく変わったため、ジャングルに住んでいたサルたちの住処は、植物の少ないサバンナのような場所と化してしまいました。そんな中では、敵の襲撃を予測する力が必要でした。今自分たちが置かれている状況は安全かどうか。敵はいつごろ来るのか。そんなことを知らなければ、敵の襲撃に備えることができなかったのです。

 

このようにして人間は、自分の周りにあるどんなことに対しても、そしてまだ知らない未来についても「知りたい」という気持ちがわくようになったのです。逆によく分からないことがあるともやもやして、その状態を何とかしたくなるのです。

 

人間が持つ「知りたい欲求」は、ここから来ているのでしょう。人間のそのような欲求は、今ではもっと大きく膨らんでいます。見たこともない遥か昔の歴史も知りたい、自分の体の中の細胞一つ一つはどうなっているのかも知りたい、といったふうに、「知りたい欲求」はとどまることを知りません。

 

人はなぜ勉強するのか。それは、太古の昔に備わった「知りたい欲求」が、今でも私たちの中に脈々と受け継がれているからなのです。

 

「知りたい」という欲求によって勉強すると、直感的な判断力を手に入れられる

集団の中で生きる私たち人間は、いろいろな知識や知恵、技能を身につけなければ、その集団の中で役立つことができません。そのために私たちは勉強するのです。では、勉強する気になるにはどうすればよいのでしょうか。

 

まずは、勉強せざるを得ないという状況にあるとき、私たちは仕方なく勉強に取り組むことでしょう。例えば、学校の勉強がそうです。テストが近いから、受験が近いからということで、勉強しなくてはならない状況があれば、嫌々ながらも勉強し始めるのです。この、やむを得ない状況があるということも、勉強するきっかけとなります。

 

次に、勉強しておくと何かの得になると判断された場合も、私たちは勉強をし始めます。この場合、私たちは自分なりに勉強することを受け入れています。何かの役に立つから、と自発的に行っているのです。

 

最後に、何の得にもならないとしても、誰からも強制されなくても、どうしても自分が知りたい、という気持ちがあるとき。この時も私たちは勉強をします。何かについて学びたいから勉強する、というわけです。

 

小さな子どもの場合、これは勉強せざるを得ない状況だな、とか、これを勉強しておくと何かの得になるぞ、とかいう発想はあまりありません。だから、周りが「勉強しないとこうなるぞ」「勉強しておけばこんないいことがあるぞ」といって子どもに勉強させようとしても、あまりそれは効果的ではありません

 

ですが、「知りたい」という欲求であれば、たいていの子どもが持っているはずです。この気持ちがあれば、勉強したくてたまらなくなるのです。そしてこの気持ちをひとたび持つと、身の回りの様々なことが勉強の内容となるのです

 

そうやって勉強すれば、いろいろな知恵や知識や技能が身に付きます。そうやって身に付いたものは、もう自分にとって「知らないこと」「できないこと」ではなく、自分の一部となります。すると、自分の周りの人や物、状況に対して、自然と「これは近づかない方がよさそうなもの」「これは信頼できるもの」ということが直感的にわかる力が手に入るのです。

 

人間というものは、これまで得てきた知識や知恵などをもとにして、直感的に「これはなんだかおかしいぞ」と訝しんだり、「これはとてもいいものだ」とうれしくなったりして、初めてのものや状況に対応します。これを繰り返していくと、どんどん新しい知識が増え、また、今まであった知識や知恵や技能がさらにバージョンアップするのです。

 

「知りたいな」という欲求に基づく勉強は、知識を深め、自分の中の直観的な力を作っていきます。この力があれば、小さな子どもは何事もなく大きくなれるし、勉強したことを社会に生かすこともできるのです。

 

学校で習う勉強が面白くなるコツとは

この世の中で生き抜いていくには、どうしても勉強が必要です。でも、自分の好きなことや興味のあることについてはいくらでも勉強できるけれど、学校の授業で習う勉強はどうしてもやる気になれない、という子どももいることでしょう。

 

一方大人の側も、「勉強しないとあとで困るよ」などと言いながら子どもに勉強を強いつつも、この勉強が大人になってから役立つのかと問われれば、すぐにそうだと答えることができないのではないでしょうか。

 

実は、学校で習うようなことを勉強に対してやる気を持てないのは、無理もないことなのです。そして、どうも学校で習うことについては勉強する気になれないな、と思うことができるのは、本当は素晴らしいことなのです。

 

学校で習うことというのは、たいてい正解が決まっています。それを決めているのは先生や親といった大人です。そして授業の内容を理解し、できるようになったかを判断するのも大人です。ここで言う正解も、正解を導き出したことも、ちゃんと意味があることですが、押し付けられた価値観であるとも言えます。

 

たいていの子どもたちはあまりそこに気づきませんが、自分の「知りたい」意欲に基づいて勉強してきた子どもは違います。そうやって知識を身につけてきたために、自分なりの判断基準が直感的に働くようになっています。だから、学校での勉強の正解は面白くないと思ったり、できたかできなかったかを大人に決められるのをつまらないと思ったりするのです。

 

学校で教わることはあまり実生活に結びつかなかったり、子どもたちがつまらないと思ったりするようになりましたが、それは、誰から見ても正解であることばかりが教科書に載っていて、それを読んで身につける傾向にあるからです。これでは、自分の興味の赴くままに勉強し身につけてきた知識を生かすことはできません。

 

自分なりの見方や考え方から始まる勉強が楽しいのに、大人から押し付けられた教科書と正解で勉強しなければならないのでは、つまらないと思ってしまっても仕方のないことでしょう。

 

でも、だからと言って学校での勉強を放棄してよいかというと、そんなわけにもいきません。何とかして学校での勉強もやっていかなければならないのです。だから、どうやったら学校の勉強に対してやる気を持つことができるのかな、とみんな考えるわけです。

 

学校で習うことについての勉強に対して、やる気になるコツをお教えしましょう。それは、学校で習う内容の中に、自分が好きだと思えるもの、面白いなと思えるものを見つけるということです。

 

自分の「知りたい」という欲求に基づいて身につけてきた様々な知識と、学校で習う内容との間に、少しでも似通った部分はないかと探すのです。これができれば、楽しい気持ちで勉強に取り組むことができるようになってきます。楽しい気持ちで勉強できれば、身に付くのも早くなります。

 

戦国時代の歴史に興味があるなら、どの県にはどんな武将がいたとか、どのように勢力を広げていったかということから、地理的分野につなげていけばよいのです。自分の興味に幅があればあるほど、学校で習う内容についてもたくさんの似通った部分を見つけることができるでしょう。

 

勉強したくない時は、学ぶタイミングが訪れるまで待つのも一つの手

勉強する気になれないな、どれだけ勉強してもわからないな、そう思っていると、「なんで勉強なんかしなきゃいけないんだろう」という気持ちにもなりますね。こんな気持ちで勉強していても、ストレスがたまるばかりです。楽しい気持ちで勉強できないと、いくらやっても身に付かないでしょう。

 

そんな時はちょっと立ち止まって、学ぶタイミングがやってくるのをまってみてもいいのではないでしょうか。どうしても勉強する気になれないのはなぜかというと、今はまだそのことに対して興味をもっていないからです。どれだけやってもわからないのは、もう少し時がたたないと理解できないことなのかもしれません。

 

基本的には、この内容を理解できるのはこのくらいの年齢、というものがありますから、それに従って勉強すればそれほどストレスを感じずに続けられるはずなのです。ストレスを感じすぎるのであれば、自分のペースと勉強している内容とが合っていないのかもしれません。

 

分かるまで待つ、というのは、学校でも塾でも家でも勉強が迫ってくる今の時代の子どもたちには、とても難しいことかもしれませんが…。

 

子どものやることを制限しすぎると、子どもはやる気を失う

テレビゲームやマンガ、アニメ番組…。親たちは子どもがこれらに夢中になっていると、ちょっと気がかりになります。反対に子どもたちにとってはとても魅力的なものです。だから最近は、これらが勉強に役立つように作られたものもたくさんあります。

 

歴史を学べるマンガや、歴史上の人物が出てくるゲームなどはその代表的なものです。これらは普通に勉強しようとすると子どもたちにストレスを感じさせるのに、ゲームやマンガにすることでそのストレスを感じさせないようにしながら、子どもに学ばせることができるのです。

 

テレビゲームというのは、人間が本来持っている「知りたい」という欲求を満たしてくれる、とても良い道具となり得るのです。いつも、楽して勉強を身につけたいと考えている人にとっては、格好の道具だと言えるでしょう。こんなに便利な勉強道具があるのですから、それを使うなというのも酷な話なのかもしれません。

 

とはいえ、親ならば「そんなにゲームやマンガばかりの生活では、視力が落ちてしまうし、それ以外のことが手につかなくなってしまう」と心配するのは当然のこと。ただし、親が一方的に禁止するのではなく、その危険性を子ども自身がきちんと知ることが必要だと言えるでしょう。

 

別に、テレビゲームやマンガ類だけを薦めているわけではありません。子どもには、今これをやるのが一番身に付く、というものやタイミングは絶対に存在します。自分の興味の赴くままに勉強するかしないかを決めていると、タイミングを逃すことにもなりかねません。

 

大人たちはよく、もっと学生時代に勉強しておけばよかったな、と思いますよね。だからこそ、我が子には同じ道を歩ませないようにと、先回りしていろいろ口出ししたくなるのです。その気持ちは当然のことです。

 

でも、実はその親の行動が、子どもにとってはストレスの源となっているのです。そしてそれが、結果的に勉強に対するやる気を失わせてしまっているのです。

 

また、子どもが「自分はこれをどうしてもやりたいんだ」と言ってきたときには、周りの大人たちはまずはその気持ちを真剣に受け止め、話をじっくり聞いてあげてください。子どもが心から話しているのであれば、真剣に聞くことで、きっと大人たちも自分の子ども頃を思い出して、共感できることでしょう。

 

大人からすれば首をかしげてしまいたくなることだったとしても、子どもの真剣さをしっかりと受け止めてあげてください。その子の興味や関心を大事にしてあげてください。そうすればきっと、子どもは自分の未来を誰に決められることなく、自分自身で歩んでいくことができることでしょう。

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