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帰国子女はなぜ「できる」?

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帰国子女

「できる」子どもというと例えば帰国子女などが思い浮かびます。今から自分の子どもを帰国子女にすることはできないとしても、帰国子女のいいところを真似たり見習ったりすることで自分の子どもを「できる」子どもにできるかもしれません。ここでは、帰国子女についてどんな点が優れているのかをチェックしてみたいと思います。

 

帰国子女に「できる」子が多いのはなぜなのか

最近では「ガリ勉」などという言い方はあまりしなくなりましたが、それでも「ガリ勉」的な子ども時代を送った人、つまり、受験勉強に忙しく、他の経験をあまりしていないせいで人間的な幅が狭く育ってしまったような人というのは普通にいます。

 

どれだけ勉強ができたとしても、こんな人に育ってしまうのはあまり好ましくはないでしょう。一番望ましいのは、やはり特に勉強ばかりしているようにも見えないのに、どうしてか「できる」子ども、というものではないでしょうか。

 

こういった「できる」子どもにはいくつかのタイプがあります。例えば長期間外国に滞在し、そこでの生活を経て日本に帰国した子どもたち、いわゆる「帰国子女」には「できる」子どもが多いように思われます。外国生活が長いわけですからこうした子どもは外国語が堪能なのが当たり前ですが、こうした子どもが「できる」というのは外国語というアドバンテージだけに限ったことではありません。

 

帰国子女が持っている長所というと、自分のことについて自ら考える力、自分の意見をはっきりと表明する力、自分の意志を他人に対して上手に表現できる力あたりがあげられるかと思います。では帰国子女たちがこうした長所を持てるようになる秘密はどこにあるのでしょうか。

 

外国で製作されたドキュメンタリー番組や映画などで教育現場のシーンを見ると、日本のように黒板の前で教師が教え、受験に必要な知識をがんばって覚えるという感じの教育をしていない様子が見えてきます。外国の教育現場では日本のような教師から生徒への知識の受け渡しではなく、生徒自身がどんなふうに考えるのか、どんなふうに感じるのか、そしてその根拠は何か、といったことを尋ね、「自分はこう思う」といったことを表明させることがよく行われているのです。

 

そのほかにも、教師は少し脇にどいて、生徒同士で議論をしたりディベートをするような授業形態もよく見られます。こうした授業のやり方の違いによって、帰国子女の持つ自主的に考えて上手に主張することができるという長所が作られていくと考えられています。

 

帰国子女には主体的な子どもが多い

帰国子女の持っているこうした長所、つまり、自ら主体性を持って考え行動する特徴は、日本的な意味での高い成績をとり続けることや、良い高校・大学に合格するといったこと以上に重要な意味合いを持ってきます。

 

たとえば最近大学で問題となってきている現象に、主体性のない学生が増えてきているというものがあります。有名大学に努力して入学を果たしたようないわゆる「優秀な」学生であるにもかかわらず、研究のテーマや目的と言ったものを自分から見つけ出すことができず、一から十まで指導してもらうことを求める受動的な学生ばかりになってきているというのです。また、有名大学に入るような「優秀な」子どもがこぞってカルトにはまって洗脳されていまい、社会的に問題となったというようなこともありました。

 

どうしてこういったことが起きてしまうかといえば、日本式の「優秀さ」を作るための暗記中心・知識偏重の訓練ばかり積んできているため、子どもたちが自主的に考え自己主張をきちんと行うための力を持たずに大きくなってしまったからに他なりません。いわゆる「自分というものを持たない」子どもになってしまっているためです。

 

さらに、帰国子女が得意とするもう一つの側面、他人に対して自分の思うところを堂々と述べ上手にそれを伝えるための力は、残念ながら日本式の教育システムで育った子どもたちにはほとんど培われていないと言っても過言ではありません。そしてこうしたコミュニケーション能力の低さが、昨今問題になっているいじめの根底にもある気がします。

 

いじめの根底にあるのは、異質なものを排除しようという考え方です。日本人は「和を以て貴しとなす」といった考え方が好きで、一致団結して何かをするときなどにはそれがものすごい長所になったりもしますが、これが悪い方向に働くといわゆる「島国根性」が発揮され、「空気の読めない」人を集団で排除し迫害するという行為となって噴出することがあります。

 

こういった考え方は、自分の考えと違った考えを受け容れることができず、他人の失敗をあげつらって馬鹿にするといった人間的な懐の狭さが原因となっています。自分がおもしろくないと思った感情を他人にぶつける、しかもそれを集団の力でごり押しするなどといった行為は、許されたとしても小学校の3~4年生ぐらいまでには卒業して欲しい悪習でしょう。

 

外国における教育では、自分の意見や思いを素直に表現し、同時に相手の意見や思いもきちんと聞くということが重視されます。つまりコミュニケーションをきちんととることで、自分とは異質な考えもそれなりに理解しようとする努力をするような訓練を積んでいます。こうした訓練を積んでいれば、少し自分と意見が違うからといって頭ごなしにそれを排斥するような態度は育たず、むしろ理解しにくい相手をがんばって理解してみようという態度が生まれてきます。

 

それによって、ものごとを筋道立てて捉え、自分なりに理解して再構築するといった能力も培われます。よく「論理性」と言われるような能力です。論理性は頭の善し悪しに直結する特徴ですし、論理的に組み立てた筋の通った意見を高いコミュニケーション能力で相手に伝えることも得意ですから、帰国子女たちは「できる」となるわけです。

 

自分の子どもを「できる」子に育てるには

さて、では自分の子どもを「できる」ように育てたかったらどうすればいいのでしょうか。まさか今から外国に移住するわけにもいきませんし、そんなことをする必要もありません。大事なのはどこで育つかではなく、ものごとを筋道立てて考える力やコミュニケーションを上手に取れるようになることが身につくかどうかです。

 

そう言われるとなんだか難しそうですが、実際にどうするかはごく簡単です。あることについて子ども自身がどのように考えているのかを尋ねたり、子ども自身がどうしたいのかをはっきり言わせるといったように、親が意識的に子どもに接するようにするのです。

 

子どもの考えやしたいことを「聞く」のと、それを「聞き入れる」のは別だと言うことに注意をして下さい。ここを混同してしまうと、子どもの言うことを何でも聞いて甘やかしてしまうことになりかねないからです。また、親の意見と違うことを子どもが主張したときに頭ごなしに否定するのもよくありません。そんなことをしたら子どもが自分の意見を言わなくなってしまうからです。

 

大事なのは子どもが自分で物事を考え、そしてそれを上手に表現できるようになることです。親の側の意見とぶつかるようならば、いったん子どもの意見は意見として聞いた上で、親の側はこう思う、といった具合に冷静に反論を出すようにします。その上で、互いに納得して折り合えるところを探るために話し合いをするようにするのです。

 

こういったことを親が意識的にやっていれば、子どもは自分でものごとについて考える癖をつけることができ、またそれを表現する方法を模索し始めます。そして自分とは違う意見を聞いた上で、相手を頭から排除するのではなく相手との妥協点を探すといったようなコミュニケーション能力の基礎ともいえる技術を身につけていくことができます。

 

そんなふうにして子どもの自主性と主張力を日々鍛えていけば、子どもはいつの間にか帰国子女と同じようなスキルを身につけることができるかもしれません。

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