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東大に入ることを至上とする時代は終わった?

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東京大学

特に男の子を持った親の中には、東大に入れば人生がすべてうまくいくと考え、そうした価値観を子どもにも持たせようとする人がいます。このように、東大に入ることを至上命題に掲げるのは果たして正しいことなのでしょうか。

 

東大に入りさえすれば人生はすべてうまくいく?

以前、「ドラゴン桜」というドラマがありました。これは同名のコミックを原作にしたドラマで、底辺高校の生徒が1年で東大に合格する、といったテーマの作品です。

 

経営破綻寸前の超底辺私立高に、高校を再建することで自分の出世の足がかりを作ろうともくろむ若い弁護士がやってきます。そして5年後に東大合格者100人を出すという計画をぶち上げ、高校三年生の生徒2人を東大に進学させようと計画を開始する、というのが大まかなあらすじです。

 

このドラマでは、東大に入れば人生がすべてうまく行く、というような内容の台詞が繰り返し出てきます。とにかく東大に入りさえすれば世の中に認められ、人生に対する見方も変わるというのです。

 

実際に世の中を見渡してみると、そうなのかもしれないという気になってくるかもしれません。政治、行政、法曹、財界などで活躍する人のうち、東大出身である人は結構多いからです。日本はまだまだ学歴社会だから、その中でも最高の学歴を得られる東大に入ることができなければ真の「勝ち組」にはなれないのでは、と親が考えたとしても仕方がないのかもしれません。

 

最近では東大を出た女優さんであったり、かつてミス東大であった政治家などもいて、女子で東大生であるということへの印象も変化してきているかもしれませんが、高すぎる学歴を持った女子は男子に敬遠されて幸せな人生を送りにくい、などという考え方はまだ一部に強く残っています。

 

そのためか、東大にさえ入れればみんなが認めてくれて、安定した生活を送ることができ幸せな人生を送れるのだから、今から頑張って東大を目指しなさい、と娘にハッパをかける親はまだそんなにいないのが現状です。

 

一方、男の子の場合は事情が異なります。「ドラゴン桜」での台詞ではありませんが、東大に入れば人生がすべてうまくいく、と考え、そのように自分の子どもに教え込む親は結構います。このように、東大に入ることを至上命題に掲げるのは果たして正しいことなのでしょうか。

 

日本の中枢において活躍する人には東大出身である人が結構多いと上で述べましたが、同時に、日本全体を揺るがすような不正・不祥事を引き起こしている人物にも東大出身者が多いという事実があります。もし本当に東大に入れば人生がすべてうまくいくのであれば、どうしてこういった人間が東大から輩出されるのでしょうか。

 

また、いままさに東大に通っている学生を見ても、小さなころから勉強ばかりしてきたため、本来培ってきていてもよいはずの好奇心に欠け、感受性も未熟な学生が多いように見受けられます。つまり、受験勉強はものすごく得意かもしれませんが、新奇なことを創造する能力や、ものごとを判断する力や、何かを学ぼうとする意欲に欠けているような人が多いのです。(言うまでもなくそうでない人もいます)

 

そういった人は、昔からずっと続いているシステムをそのまま維持するときには非常に便利かもしれませんが、新たなシステムを考え作り上げていく力には欠けています。激動する世界の中にあって、今ある社会システムに変革が求められている現代においてそのための能力を持ち合わせていないのです。日本の学歴の最高峰、東大出身者の実際の姿を見ればこんな姿が見えてきます。

 

社会が求める人物像は変化してきている

一方、受験の時に東大に入ることをあきらめ、いわゆる二流大学や三流大学にしか行けなかった学生に目を転じると、そうした人は古いシステムやそれがもたらすものに対して根本的なところで疑問を抱いています。今よりも社会をよくしてやろうという視点や意欲を持っていることが多く、今までの考え方に縛られない柔軟な発想ができる人が多いのです。(言うまでもなくそうでない人もいます)

 

二流大学・三流大学に入学した学生の子ども時代を見ると、中学校や高校まできちんとクラブ活動に従事していたり、小学生のころは毎日よく遊んでばかりいた、というようなケースが多いようです。東大に合格した学生のように、家と学校と塾にしか行っていなかったというようなことは少なく、子どものころにさまざまな経験を豊富に積んできている人が多いのです。

 

小さなころによく遊び、クラブ活動を熱心にやっていたような子どもは、塾や受験勉強では得ることのできない体験や人間関係における経験といったものをたくさんしてきています。そうした経験は、いい大学に入れなかったという一種の挫折とも相まって、豊かな創造性や判断力、好奇心や発想力といった東大生にはない人間的な魅力を与えます。

 

グローバル化ということが言われるようになって久しく、世界の趨勢は日々刻々と移り変わって行っています。日本国内だけを見ても古い価値観がどんどん廃れ、新しいものの考え方が次から次へと生まれるようになっており、そしてそのスピードはどんどん増してきているように思えます。

 

そうした中では、既得権益にとらわれ、昔からのシステムにしがみつくことで自らのプライドを守ろうとするような人間はむしろ社会にとって有害であり、柔軟な発想力を通して新しい価値観に対応していけるような人物が求められているといっていいでしょう。

 

むろん例外はありますが、高学歴な人の多くは詰め込み教育の害毒に毒され、豊かな創造性や判断力、好奇心や発想力といったものを失っている傾向があります。そういう視点からみれば、東大に入りさえすれば人生はすべてうまくいく、という考え方はそれ自体が「もう古い」ように思えます。

 

自分の子どもが主体性にあふれた有為な人材となれるように、まずは親自身が考え方を改める必要があるのかもしれません。また、東大含め多くの難関大も既に気付いています。学力偏重ではなく、様々な分野に貢献できる有能な人材を輩出できる入試制度や教育システムへの改革を進めています。

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