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習い事からプロフェッショナルへ!エリートの厳しい現実を知ろう

習い事でゴルフをする子供

どんな習い事をするにせよ、子供のモチベーションが上がり、その道を極めたいとなったなら、親としては最大限応援したいと思うはずです。では、もし、その世界でトップを目指すことが、想像を遥かに超えて厳しいものだったら?

 

我が子がエリートコースに乗ってしまった場合、家族の生活はどう変わり、金銭的負担はどれほどかかるのか、代表的な競技のケースをご紹介します。また、実際に道を極めた当事者が、実際どんなルートを辿ったのか、プロ選手になるために必要なことは何なのかについても見てみましょう。

 

習い事を始める前に知っておくべき!もしエリートコースに乗ってしまったら?

我が子にどんな習い事をさせるかは、いつの時代の親にとっても悩ましいテーマです。

 

ことに最近は、習い事を通じて「頑張り抜く力」や「他人と協調し、何かを成し遂げる経験」をすることで、勉強の出来・不出来だけで測れない人間力を身につけることが重要視されており、教育熱心な親たちは、ますます習い事選びに全力を注いでいます。

 

習い事を選ぶにあたっては、様々な点を考慮する必要があります。

 

例えば、目標とするレベルや頑張って続ける期間を子供との間であらかじめ決めておくことは、その後子供が他の習い事に変えたいと心変わりしたり、習い事そのものを放り出してしまいそうな危機を乗り越えるために大切なプロセスとなります。

 

また、習い事を選ぶ際、事前に親の側で把握しておくべき情報もあります。それは、その習い事を本気で続けた場合、どこを目指すのかということです。

 

スポーツ競技の中には、業界全体で有力選手を育成する仕組みが整っているものもあり、もし我が子がエリートコースに乗ってしまった場合の時間的・金銭的負担を理解した上で始める必要があります。

 

お金がかかる習い事として知られる「バイオリン」、習うイコール(=)トップ選手を目指すことになる「シンクロナイズドスイミング」、そして本格的になればなるほど時間と費用の負担が大きくなるだけでなく、親子が一体となって取り組むケースが多い「ゴルフ」「テニス」のエリート教育の実態について、実際のケースを交えて紹介したいと思います。

 

また、習い事を始めたところ、その世界に魅了される子供はたくさんいますが、その道を極め、プロの道に進む子はほんの一握りです。幸運にも「好きな道」で生きていくことになった当事者は、これまでの道のりをどう振り返っているのか、その声もご紹介します。

 

シンクロナイズドスイミングは、遊びでは続けられない

シンクロを一旦始めたら、親子共々朝から晩までシンクロ漬けの日々

夏季オリンピックの花形競技でもあるシンクロナイズドスイミングに憧れる子供は多くいますが、実のところはそれほど門戸が開かれた世界ではありません。というのも、スイミングスクールに併設されたシンクロコースに入るには、まずは一定レベル以上の泳力が必要だからです。

 

いわゆる4泳法を美しいフォームで、しかも速く泳げるようになるのが、シンクロを始める目安だとされています。小学1〜2年といえば、まだクロールもおぼつかない子も多いものですが、シンクロを始める子の多くは、これくらいの年齢には4泳法が完成しているのです。

 

次に、シンクロでは、体型の良さ、脚のまっすぐさなども選手として不可欠な要素だとされています。例えば、日本代表の選考基準は身長165cmで、それを下回ると減点の対象とされているほどです。したがって、入会を希望しても、体型がその基準を満たしていなければ、コースに入れない場合もあります。

 

小学校低学年の子供の将来の体型は、その親を見て判断しているため、親の遺伝がものを言う競技でもあります。

 

また、晴れてシンクロコースに入った後も、体づくりのための栄養管理が非常に重要になります。過酷な練習を支え、浮力となる脂肪を適度に蓄えるために、緻密な計算を行いつつ、考えながら食べる習慣をつけなければなりません。

 

子供のうちは特に、食事の管理は母親に任されているため、コーチの栄養指導は選手本人だけでなく、母親にも行われます。365日気を抜くことはできず、親の責任は重大です。

 

本格的なシンクロの練習を始めると、プール漬けの毎日が待っています。例えばあるクラブチームでは、入門クラスが終わると、練習日は週2回から4回に倍増します。しかも、早朝2時間の朝練と、放課後の練習との2本立てとなります。午後の練習では、体操などプール外でのトレーニングを1時間、その後プールに入って2時間練習します。

 

夏休みともなると、8時間から9時間もの練習を毎日繰り返します。1日中プールの中で過ごしていると言っても過言ではありません。親は、そんな子供達の送り迎えや付き添い、さらに先ほど述べた栄養管理と、まさに休む暇なくサポートを続けなければならない訳ですから、シンクロの世界には覚悟を持って足を踏み入れる必要があるでしょう。

 

では、シンクロ選手として伸びるのに必要なのは、生まれ持った体型と泳力、そして家族の献身的なサポートだけでしょうか?

 

最も大切なのは、本人の「心の強さ」であり、「諦めずに頑張り抜く力」だと指導者は言います。また、生活の全てをシンクロに捧げるほどの過酷な練習に耐え、やめずに続けられる「シンクロが好きという気持ち」も重要です。

 

シンクロは、オリンピックの人気競技であり、華やかで目立ってはいますが、大会で好成績を残しても賞金はなく、日本代表になるほどの選手でも、活動にかかる資金は自分でなんとかしなければなりません。

 

プロ選手になる道はなく、指導者や協会役員になったとしても、報酬はほんのわずかであり、まさに、好きでなければ続けられない世界なのです。

 

厳しい練習を乗り越える力は、シンクロが好きだという気持ち

現在シンクロ選手を目指し、厳しい練習漬けの毎日を送っている小学校高学年の女子の生活を見てみましょう。シンクロの練習はほぼ毎日あります。起床時間は朝4時半、朝練は5時半から始まります。学校が終わるとまたプールに向かい、17時から20時まで練習に参加します。

 

練習が終わったら、帰りの車でお母さんが作ったお弁当を食べます。21時までには寝なければならないため、家族とゆっくり食事している暇がないのです。

 

慌ただしいですが、食事と睡眠をしっかり取るのは、シンクロ選手にとってとても大切なため、母親は送り迎え、お弁当作りとフル回転となり、また、他の兄弟がいれば、その忙しさは倍増します。

 

親が自分の時間を犠牲にしてまで、娘のサポートを続けられる原動力は、シンクロに対する本人の思いの強さです。オリンピックでメダリストになることを目標に、毎日の過酷な練習と、試合前に受ける大きなプレッシャーにも耐え、自分の意思でシンクロに取り組んでいる姿をみれば、応援したくなるのもうなずけます。

 

シンクロを通じて、「何かをとことんまで極める」という、かけがえのない経験を得られるのであれば、この先シンクロで身を立てることの困難さも、月々数万円のレッスン料に加え、遠征や水着代など様々な経済的負担も、乗り越えられると考えているのでしょう。

 

テニスは本気と趣味の差が大きいスポーツ

テニスでプロを目指すなら、費用も拘束時間も激増、家族の生活は一変する

テニスは、生涯スポーツとしても人気があり、カルチャースクールで趣味として楽しむレベルの教室も多くありますが、プロを目指していくとなると、たどる道は様変わりします。

 

スクールの育成コースに入ると、まず練習日数が増えます。テニスを始めた頃は週1回であったものが、勝つための練習を行うためには、週2〜3回になります。

 

練習の内容も、ただ楽しくボールを打つというものから、ラケットの振り方やステップなど、一見地味な基本動作を身につけるものに変わります。反復練習で正しい打ち方や身のこなしを身体で覚えこむと、徐々に試合で勝てるようになります。

 

そして、協会が規定する大会に出場して、勝利をおさめて獲得できるポイントを貯めることで、将来のトップ選手を育成するキャンプへの参加資格が得られるようになります。

 

ジュニア育成選手と呼ばれるレベルまで来ると、平日は、放課後に2時間の練習を週5日行ない、更にプロのプライベートレッスンを週1〜2回追加します。週末ももちろんテニス漬けで、朝から夕方までみっちり練習を行うのが普通です。

 

大会は年に10回ほどありますが、親が運転する車で移動するケースが多いため、遠征仕様の車に買い替える家庭もあります。我が子が移動中にしっかり休息を取り、ベストな体調で試合に臨むための必要経費です。それに加え、大会ごとにプロコーチの日当や交通費、食事代、ホテル代、現地でのレッスン料もかかってきます。

 

テニスは、プロを目指して本気で取り組むと非常にお金のかかるスポーツです。レッスン料、遠征費用の他、ラケット代、ガットの張り替え、さらにはスポーツ鍼やプロテインといった体のケアも含めると、年間トータルで、120万〜150万の出費は覚悟しなければなりません。

 

強くなるため、自分の意思で厳しい練習に取り組む小学生選手

小学校高学年で、トップを目指してテニスに打ち込むある選手のケースを見てみましょう。

 

テニスを始めたきっかけは幼稚園の頃、自治体主催のゆるいテニス教室に参加したことでした。すると、親の目にも我が子の才能が感じられ、テニススクールできちんと習うことにしたそうです。

 

この子のテニスへの情熱に火がついたのは、試合で負けた経験でした。「勝ちたい」という思いが強くなり、自ら言い出して練習日数を増やし、テニス中心の生活となっても勉強もきちんとする約束もしました。友達と遊ぶという、小学生らしい日々と引き換えに彼が得たものは、もっと強くなりたいという強い意思だったと言えます。

 

親としても、試合に負ければ悔し泣きをし、更に上を目指す息子の姿を見ていると、サラリーマン家庭には大きな負担となる費用面の苦労も、年間休むことなくサポートを続け、息子を応援することも、頑張り抜けると思っているのです。

 

ゴルフのトッププロへの道は、家族一体となって突き進む

本気で取り組むと、学校に通う暇もないほどゴルフ漬けの毎日が始まる

ゴルフはテニスと並び、老若男女に親しまれる個人スポーツで、ゴルフ教室も数多くあります。ですが、ゴルフ部を置く中学・高校はそれほど多くはなく、ひとたびプロゴルファーを目指すとなれば、親が全面サポートしてゴルフ一色の生活を送る覚悟が必要です。

 

競技開始年齢は若年化の傾向があり、プロを目指す選手の多くは、小学校に上がる前からクラブを握っています。ちなみに松山英樹選手は4歳から、池田勇太選手は6歳からゴルフを始めたそうです。小学生になるとジュニアの大会に出始め、切磋琢磨しながら腕を磨いて行きます。

 

大会でより良い結果を出すため、この頃から練習日数を増やす子が出てきます。当然ながら練習量とゴルフの力や技術は比例するので、全国大会で上位にランクインできるようになります。すると、もっと上を目指したくなるのは自然な流れで、その結果ゴルフ漬けの毎日が始まるのです。

 

練習場にほぼ毎日通いながら、週2〜3回は練習ラウンドもこなします。勉強どころか、学校に通うのも至難の技です。中学に上がってからは、毎日放課後に1時間半練習し、加えて週1回は個人レッスンを行います。練習ラウンドに試合もありますから、時間的にも金銭的にも大きな負担が待ち受けています。かかる費用は月15万円程度が目安です。

 

中学から高校にかけての時期は、プロゴルファーを目指す子にとって重要な転換期でもあります。ジュニアの強豪選手で終わらないためにも、この時期どんな練習を行うかが、その子の将来を決定づけると言っても過言ではありません。高校生と言えば、一般的には学業が本格化する時ですので、各家庭が様々な選択を行います。

 

高校受験を避け、大学付属の一貫校に進む子もいれば、ほとんど学校には行かず、通信制の高校を選ぶことでゴルフのための時間を確保する子もいます。

 

中には、練習拠点をアメリカに移し、外国人コーチのもとでトレーニングを行なう子までいるほどです。それほどトッププロへの道は険しく、狭き門なのです。

 

常に一緒に過ごす中での親子関係のこじれには要注意

選手とその家族は、それぞれのやり方でトップ選手を目指していますが、共通していることがあります。それは、親子関係が濃密になりやすいという点です。

 

テニスも含め、個人スポーツに起こりがちな問題ですが、日々の練習や遠征試合など、すべて親子で行動を共にしており、成功や挫折、プレッシャーに至るまで親子で共有するわけです。

 

中には、試合で敗れた我が子を、他人の見ている前で殴る親もいるほどです。親子の距離が近すぎて、試合結果を客観的に受け止められなくなってしまった例でしょう。プロゴルファーという夢を親子で追うことができる反面、子供のためを思うあまりに追い詰め、潰してしまう危険もはらんでいます。

 

多くの家庭では、親子関係がこじれてしまわないための工夫として、父親と母親とで役割分担をしています。どちらか一方が厳しく、もう一方は思い切り甘えさせてやるのです。

 

そうすることで、子供がいざという時に逃げ込める場を家庭内に作ることが出来ます。また、他の兄弟のケアを十分に行うなど、親の側が心を砕くべき点はたくさんあるでしょう。

 

バイオリンを始めるなら、バイオリン中心の生活を覚悟しなければならない

バイオリンはお金がかかる習い事の筆頭、ハードな練習にも定評あり

バイオリンはピアノと同じ弦楽器(打弦楽器)ですが、習い事としてはピアノの方がメジャーだと言えます。その理由としてまずあげられるのは、バイオリンは非常にお金がかかる習い事であるという点です。

 

ピアノは1サイズしかありませんが、バイオリンは成長に合わせて何度も買い換えなければなりません。一生物となるフルサイズのバイオリンの相場は300万〜400万円と大変高価で、弓代やメンテナンス費も高額です。

 

レッスン代は1回1万円以上で、プロを目指して名のある指導者のレッスンを受けるなら、その倍の金額を覚悟しなければなりません。

 

習い事としてのバイオリンに高いハードルがあるもう一つの理由は、親の関わりが非常に求められている点です。

 

そもそもバイオリンは、演奏するのがとても難しい楽器です。鍵盤をたたけば決まった音が出るピアノとは違い、バイオリンは、いきなり美しい音を出すことはできません。

 

音が出せるようになってからも、姿勢や顔の向き、弓の動かし方、そして指使いといった様々なポイントを意識しながら反復練習をしなければなりません。

 

自宅で練習する場合にも、これらの項目をもとに親がチェックし、子供にその都度注意します。そのために、週1回のレッスンには親の立ち会いが求められるのです。

 

レッスンは通常60分を週1回のペースで行いますが、コンクールが近づいてくると、課題曲の練習を行うため、回数が増えることもあります。もちろん練習は毎日行います。

 

本格的に音楽の道に進む場合、音楽科のある高校や音大に進学するのが一般的です。また、ニューヨークのジュリアード音楽院など、海外に留学して学ぶ人もいる一方で、一般の学校で学びながらレッスンを続ける人もいるなど、音楽との関わり方次第でその選択肢は多様です。

 

バイオリニストになるために必要なのは、素質や才能よりも「努力」

高額な費用と親のコミットメント、そして厳しい練習が必要なバイオリンですが、バイオリニストを目指す上で欠かせない資質は何でしょうか?

 

生まれ持った才能ももちろん必要です。例えば、腕の長さや細長く力強い指など、体型面で恵まれた人は「バイオリン向き」と言われます。また、音感の良さや表現力も、指導だけでは習得できない要素です。

 

ある指導者は、それに加えて「努力すること」も才能の一つだと言います。突き抜けたレベルに達するには、ただ練習を続けるだけではなく、徹底的に努力することが必要です。

 

バイオリン向きの手をしていても、音感が優れていても、努力することが出来なければバイオリニストとしては凡庸なまま終わってしまうからです。

 

最後に、バイオリンは本来、アンサンブルなどの合奏でハーモニーを楽しむための楽器です。自分だけが目立とうとするのではなく、周りの奏者と息を合わせて一つの音楽を作り出すことが醍醐味であるため、協調性も欠かせない資質であることを付け加えておきます。

 

では、求められる親の姿勢はどういったものでしょうか?レッスンにも同席し、日々の練習にも目を光らせていると、つい子供と自分との境界線が曖昧になってしまいます。

 

親の方がバイオリンにのめり込み、まだ幼いお子さんに無理矢理長時間の練習をさせ、結果的にその才能を潰してしまうケースはよく見られます。

 

バイオリンを通して我が子と関わる上で大切なことは2つあります。

 

1つは、他のお子さんと比べないことです。周りが6時間練習していると聞けば、我が子にも同じだけ練習させたくなりますが、バイオリン以外のことをする時間が、子供の感性を豊かにし、友達との交流が協調性を育てることを忘れないようにしたいものです。

 

もう1つは、子供の自我の育ちを妨げないということです。バイオリンをやっていると、普通の親子よりも関係が密になり、親離れ子離れのタイミングを見失ってしまいがちです。例えば進路についても、これまでの投資や努力を考えて、子供に口出ししたくなりますが、子供がどうしたいか、その意思を尊重することが健全な親子関係のためにも大切です。

 

バイオリンやピアノを習ったことがある人の多くは、練習を強制された記憶や、さぼっていて先生や親から厳しく怒られた記憶が残り、その楽器との出会いがネガティブな思い出になってしまっています。

 

その楽器をどこまで極めるのかはそれぞれ違いますが、子供に楽しく幸せな記憶として残してやれるような向き合い方をしていきたいところです。

 

当事者の声:バイオリン好きの少年が、運と出逢いを繋ぎ合わせて音楽家になった話

音楽で生きていくと決めたのは、11歳の時

現在プロのヴィオラ奏者として活躍するある音楽家は、音大出身の母親の影響で3歳からピアノを始めました。その後小学生の時にバイオリンの演奏に接する機会があり、ぜひやってみたいと親を説得し、バイオリンに転向しました。

 

ピアノを習っていた頃は、練習しなさいと口うるさく言っていた母親は、バイオリンを始めてからは適度な距離を置いて見守るようになっていました。怒られることで練習に嫌気がさし、ピアノから離れてしまった経験から学んだのでしょう。

 

中だるみでバイオリンの練習に身が入らなかった時は、著名バイオリニストの演奏に触れさせることで、子供のモチベーションを引き上げました。名演に触発された彼は、11歳にして音楽家として生きていく決意を固めたのです。ここでも頭ごなしに反対せず、話し合いを重ね、本人の強い意思を確認してからは、息子を応援するようになりました。

 

高校からは、音楽を専門的に学び、アメリカ留学も果たす

高校からは音楽学校に進みました。日本には、東京藝術大学音楽学部付属音楽高校、そして桐朋女子高校音楽科と、国立・私立ともに著名な音楽学校があります。

 

国立を目指す場合、学科試験が課されるので、受験勉強にも時間を割かなければなりません。しかも、大学付属とはいえ、センター試験と実技試験もあるため、勉強からは逃れられないのです。

 

東京藝大を卒業した彼は、ニューヨークにあるジュリアード音楽院へ進学しました。ジュリアードと言えば、世界に名だたる超名門で、優秀な音楽家を多数輩出しています。難易度も超一流で、例年入試倍率は13倍以上の狭き門です。

 

エリート集団であるジュリアードを出ても、名の知れた音楽家として成功を収める人は少数派です。それどころか、音楽で生計を立てるのも至難の技だといいます。

 

今回紹介している彼は、在学中にヴィオラと出会い、卒業後も音楽家として活躍の場を見出し、現在に至っています。人との出会いなど、運も味方した結果でもあるでしょう。

 

頑張り抜く意志の強さと運が彼を音楽家に導いた

子供時代を振り返って、辛かった思い出はやはり、一人で毎日長時間練習をしなければならなかったことだそうです。ですが、バイオリンが好きだから頑張れるという、意志の強さを持ち合わせていたからプロの音楽家になれたのだと考えています。それは生まれ持っての音楽的、身体的な能力よりも大切な要素なのです。

 

また、音楽を続けていく上で、良き指導者との出会いやタイミングなど、運も大切だと言えます。もちろん、自分に合った楽器に出会えたかどうかも、将来の道を決定づける重要なポイントでしょう。

 

最後に彼は、音楽家になれた要因の一つとして「親」を付け加えました。子供を伸ばす親と、追い詰めてダメにしてしまう親の差は大きいと実感しているようです。これから子供を音楽の世界に入れようとしている方は、心してかからなければなりません。

 

当事者の声:積み上げた柔道のキャリアを捨てて、格闘家として成功した話

エリート選手育成の陰で、横行する体罰と指導者への権力集中

総合格闘技の世界で活躍しているある選手は、元は柔道のジュニア強化選手としてトップ選手を目指していました。どんな経緯で、現在の位置にいるのでしょうか。様々な場面で、何を感じてきたのでしょうか?覗いてみたいと思います。

 

柔道は、日本の格闘技の中でもエリートの育成システムが整っている競技の一つで、そのルートに乗ってトップ選手になれば、進学も就職も保証されています。

 

しかしそれは、指導者に権力が集中する仕組みでもあります。選手や、我が子に目をかけて欲しい保護者が誰も、指導者の方針に意を唱えなくなるのも無理はありません。

 

小3で柔道を始めた彼は、エリート選手候補として、私立の中高一貫校の柔道部から声がかかりました。強豪校で柔道に取り組む環境を手に入れたわけですが、若干12〜13歳の子供を長期的に育成するという視点はなく、目の前の大会で結果を出すことだけを求められる、理不尽な世界が待っていました。

 

学校の部活動でありながら、指導者は教育者というよりは、絶対的な権力者でした。指導の名の下に体罰が日常的に行われ、時には女子もターゲットにされますが、指導者には誰も逆らえない状況でした。強い選手を育てることを免罪符に、周りの大人たちも口を出さないのです。

 

どの競技でも、部活中の体罰の是非が議論になることがあります。自分もそのような指導を受けて強くなったからと体罰を肯定する意見もありますし、多少の体罰を我慢すれば、そのコーチや監督の卓越した指導力で、一流選手に育ててもらえるという意見もあります。ですがそれは、言うことを聞かないとムチで打たれる、サーカスの動物と同じです。

 

今回紹介している彼にとっては、体罰を伴う恐怖政治のような柔道部の様子は見過ごせないものでした。中高一貫校を退学し、別の高校に進学した彼は、ここで尊敬できる指導者に出会います。厳しい練習を乗り越え、柔道への思いを途切れさせなかった彼は、大学でも柔道を続けることを決心します。

 

柔道のエリートコースをリセットして、総合格闘技の道へ

スカウトしてくれた数多くの大学の中から選んだのは、学費免除もなく、学業にもしっかり取り組めるレベルの高い学校でした。この選択の裏には、父親のアドバイスがありました。

 

柔道一色だった高校時代と違い、キャンパスで出会う様々な人は、彼の視野を大きく広げるきっかけになりました。柔道部を退部し、総合格闘技を始めたのは在学中のことでした。そして卒業後は本格的に格闘家の道を歩むこととなり、世界王者などのタイトルを獲得するなど活躍を続けています。

 

確立された選手育成システムの光と陰

日本のお家芸とされ、オリンピックでも数多くのメダリストを輩出してきた日本柔道界は、頑張ればエリート選手としてのルートが用意されますが、そこまでたどり着くのはほんの一握りの選ばれし者たちです。ほとんどの選手は、苦しい練習や体罰に耐えながらも、途中で夢破れて去っていくのです。

 

指導者側が勝利至上主義となった結果、選手としてのピーク年齢に照準を合わせた指導ではなく、短期的な結果を求める指導に陥っている面も見逃せません。体を大きくするために、吐くまで食べさせられた選手が、引退後健康を損ねてしまうケースも見られます。

 

また、柔道で成功し、名声を得た選手であっても、狭く閉鎖的な柔道の世界しか知らないために金銭管理が出来ないなど、普通の社会人としての一般常識に欠けたままの人もいるのです。

 

「子供が柔道を始めるとしたら、その親にはのめり込みすぎないで欲しい」と彼は話します。柔道しか知らない人間になってしまうことのないよう、他の様々な経験もしながらバランスの取れた大人になって欲しいと願っているのです。

 

当事者の声:目立たなかった野球少年が、運をたぐり寄せてプロ野球選手になった話

典型的な野球少年の道を辿るも、スポットライトを浴びるチャンスはなし

野球は、プロ選手に憧れる子供が始めるスポーツの筆頭とも言えます。ここ10年の競技人口の移り変わりを見ると、野球人口は減少が見られ、サッカーに押され気味であるのは明らかですが、各地域には野球チームが数多くあり、地域の人や選手の父親によるボランティアコーチが熱血指導を行なっています。

 

ある在京球団で球団職員をしている男性は、その球団にドラフトで指名され、8シーズンに渡り選手としてプレーしました。ドラフト入団のプロ野球選手と聞くと、野球人生で常にスポットライトを浴びてきたように思えるかもしれませんが、彼の場合はそうではありません。運が巡ってきた時に見逃さず掴み取ってきた結果なのです。

 

彼が野球を始めたのは小学校低学年の時で、何の変哲も無い、地元の野球チームに入りました。英才教育などではなく、お父さんコーチの指導を受けていましたが、持って生まれた運動神経の良さで程なく目立つ存在になりました。野球経験者だった父親から練習を強制されたことはなく、仲間と毎日ゲーム形式で遊ぶ「自主練」をしていました。

 

甲子園に憧れた彼は、中学の軟式野球部を避け、シニアリーグに籍を置きました。そこには、あらゆるリトルリーグの「エースで4番」が集まってきていて、これまでは才能だけで頭一つ抜きん出ていた彼もその他大勢になってしまいました。それでも彼は、走り込みや素振りなど、地道な練習を続け、努力を重ねました。

 

中学卒業後は、甲子園を目指して強豪校へ進学しました。するとそこには、選りすぐりの野球エリートが揃っていました。トップレベルを目指して野球を続けて行くと、段階ごとに、より選び抜かれたエリート集団に身を置くこととなり、その中での激しい競争に勝ち残っていかなければなりません。実に厳しい世界なのです。

 

上下関係の厳しさと選手層の厚さで、くじけそうにもなりますが、彼は早朝・夜間のグラウンド整備や道具の管理など、下級生の仕事を黙々とこなしました。やがてベンチ入りし、試合の出場機会も増えましたが、甲子園出場は夢で終わってしまいました。

 

厚い選手層の中でもがきながらも、徐々に運を味方につけて行く

東京六大学の1つに進学した彼は、またもそこで野球ヒエラルキーの洗礼を受けることとなります。文字通り全国から力のある選手たちが、スポーツ推薦で集まってきていたのです。

 

これまでの野球人生で輝かしい実績がある選手が偉く、目立った活躍をしていない選手など歯牙にも掛けてもらえないという、シビアな世界がありました。

 

ですが、ここから彼の持つ幸運が、その人生を大きく動かして行きます。チームメイトの代理で出かけた先で、社会人チームのコーチから才能を発掘され、そのことが伝わり、野球部の練習メンバーに入ります。

 

さらに幸運は重なるもので、同じポジションのレギュラー選手がスランプに陥った際、試合に出場し結果を残したのです。

 

まさかのドラフト、そしてプロ野球選手に

その後、大学時代にはベストナインに選ばれるなど実績を残せましたが、プロに進むことになるとは思ってもいませんでした。現役引退後の生活のことなども考え、社会人野球チームに進むことを決めましたが、在京セリーグ球団からドラフト指名の話が舞い込んだのです。

 

そして彼は、そのチャンスに食らいつくことに決めました。現役生活は8年間、そのうち1シーズンだけは1軍で36試合に出場することができましたが、2006年に現役を引退、球団職員として残ることになりました。バッティングピッチャーとして、今もユニフォーム生活を送っています。

 

頑張る原動力は、野球が好きな気持ち。見守ってくれる親の存在も重要。

決して華々しいとは言えないキャリアの末に、憧れのプロ野球選手の座を掴み取った要因を自己分析すると、「運」と「諦めずに頑張る力」だと、彼は言います。

 

野球が好きなら、誰から強制されなくても練習に打ち込めるはずなので、「野球が好きだ」という気持ちも大切なのでしょう。

 

また、野球を始めた小学生の頃から、両親は様々な形でサポートしてくれたと感謝します。技術指導などは一切せず、練習しろとも言われないけれど、ずっと息子の「野球が好きな気持ち」を尊重し、見守ってくれたことで、自分はプロ野球選手になれたと話していました。

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