毒親と普通の親の違いとは?
子育てをしている間に子供の心身に悪影響を及ぼしてしまう毒親。しかし、親も悪影響を与えたくてそのような育て方をしているわけではありません。また、大人になってから、自分は毒親に育てられたと主張する子供側の気持ちもわかりますが、果たしてその親は本当に毒親だったのでしょうか。普通の親と毒親の違いをケースごとに探っていきます。
子育てを放棄する毒親とその子供
現在は昔と違って、女性は結婚して家庭に入ったら仕事をやめて専業主婦でいるべきという考え方はほとんどなくなりましたので、子育て中でも生活のバランスをとりながらパートに出るなど働く女性がとても多くなりました。
また、妻が子育て中でも働くということに関して、夫側の理解を得られやすい時代にもなりました。保育園に父親が迎えに行く、学校行事に参加するなども当たり前の光景になりました。
「イクメン」などという言葉をよく聞くようになったのもこのような時代背景の象徴とも言えます。
しかし、家庭や子供を優先的に考えることをせずに、仕事が中心になってしまっている親もいます。子育てよりもギャンブルに重点を置く親もいます。また、夫婦関係が悪い場合は、家庭のことよりも浮気相手との関係に気を取られている親もいるかもしれません。
このような親は、毒親と言われてしまうのは仕方のないことです。また、親自身が依存症になっている可能性が高いので、カウンセリングなどの適切なケアが必要です。
家族として機能していない環境の下で毒親の子供は育つため、常に不安感がつきまといます。どんなに素晴らしいことをしても、褒めてもらうこともなければ認めてもらうこともないので、「自分は家族から不要な人間と思われている」と感じて生きるようになります。
そのような生活から、自分と他人を常に比べて羨み、そして妬み、対人関係もトラブルが絶えず精神病を患ってしまうことも少なくありません。
安心感が子供にあれば毒親ではない
放棄ではなく、共働きで子供と離れている時間が多くなっていても、帰宅後の家族同士のコミュニケーションの取り方に工夫をすれば、子供の寂しさは拭い切れないにしても、それ以上に両親が自分をちゃんと見てくれているという安心感を持ってすごすことができます。
帰宅後の夕食時に今日の出来事を報告しあうなど、大人と子供として区切りをつけるばかりではなく、家族として一つのテーマに沿って時間を共有することが子供の心の成長にも良い影響を与えます。
年齢に関係なく、赤ちゃんでも楽しく会話をする家族の輪の中に入っているだけでしっかりと安らぎを感じます。片言しか話せない年齢でも親の言うことや家族の雰囲気は感じ取ります。
ただし、親は「共働きで子供に寂しい思いをさせていて申し訳ない」と、卑下するような態度を子供の前では見せないようにしましょう。このような様子を子供が感じると、どんなに良好なコミュニケーションをとっていたとしても、悪いイメージの方が幼い子供心に強く残ってしまいます。
すると、やがて大人になった時に、寂しさや不安ばかりが強かったような記憶にすり替わっていて、子供時代に毒親のせいで寂しい思いばかりさせられたと感じてしまうからです。
ほったらかして仕事ばかりいていると周囲から言われてしまわないように、外側ばかり固めようとすると、あっという間に家族間のバランスが崩れてしまいます。これが我が家のスタイルだと堂々とすごすことで、子供達も絆を感じて大きく成長できます。
度が過ぎるのは毒親以外の何者でもない
悪いことをしたら、お仕置きとして押し入れや倉庫に入れられた経験のある方も多いことでしょう。でも、それを大人になって誰かに思い出話として伝えられるのは、自分で家族としてのルールを破ったからなど、自身が理由をわかって納得しているからです。
それだけでは毒親に育てられたと感じることはないと思います。しかし、このお仕置きが、理由よりも恐怖の方が勝っているとなればそれは違います。庭の木に逆さまに宙づりにされる、たばこの火を体に押し付けられる、性的虐待など、いつ逮捕されても不思議ではない行為をしつけとする親は毒親以外何者でもありません。
この場合は、子供が悪いことをしたという理由ではなく、痛みや苦しみを訴える子供の姿を見ることで、快楽を得ている自己満足的な行為であることに親自身が気付いていません。誰かに度が過ぎるお仕置きではないかと指摘されれば逆上し、さらに子供に対して暴力を加えます。
これでは、生命の危機に直面していると察知し、子供の体が反応して心身に異常が現れてしまうのも無理がありません。大人になってもトラウマとなり生活にも支障が出ます。最悪の事態になる前に、警察や児童相談所などの専門機関に、異変に気付いた第三者が通報することが解決の唯一の糸口とも言えるでしょう。
病気を持つ親は毒親なのか?
病気の親と生活をするというのは子供も配偶者も苦労は多分にあると思います。でも家族としてきちんと機能していて、コミュニケーションがとれていれば、子供は大人になっても毒親と思うことは無く、むしろ両親をもっと助けたいと思う気持ちが強くなります。
その中でも精神疾患のある親とのコミュニケーションはとても難しいです。感情のコントロールができないので、突然「あんたなんて要らない」と平気で吐き捨て、子供の目の前でタクシーを呼び一人で乗ってどこかへ行ってしまう親、幻覚や幻聴に支配されて、ありもしない現実を必死に訴える親などさまざまです。
当然毒親に育てられたと思い、恨んで生きているのだろうと一見思うのですが、子供達に話を聞くと意外にもそう捉えていない場合があります。理由は、当時は毎日を一生懸命生きるために必死だったので、恨むという感情が沸いてこなかったからというものです。
このような子供時代を過ごした大人は、逆境を苦と思わず、立ち向かう精神力が強いので、企業家として成功する人も多いです。「あの子供時代がなかったら、今の私は無かった」という人もいます。
毒親という概念は、その子供自身が悪影響を与えられていたと認識しているか否かによっても変わってくることが、このような子供たちの証言からわかります。
毒親の始まりは母乳の与え方から
私たちは、まずこの世に生まれ出て初めて口にするものは、ほとんどの場合は母乳もしくはミルクです。母親は出産の疲労に加え、喜びと今後の子育ての不安が入り混じりながらも、赤ちゃんが必死に乳首を探し当て吸い付く姿を愛おしく思います。
お腹がすいたら泣いて知らせて、母乳の出が良すぎると吸いながら息ができなくてむせて泣き出し、母乳の出が悪ければ乳首を食いちぎるように歯ぐきを上手に使って引っ張り怒ります。
この行為は赤ちゃんができる精一杯の意思表示であり、脳や神経が著しく成長している証です。また、これは成長した時に「何か言いたいことがあったら自分からきちんと伝える」という行為に直結します。
母親はこのサインを必死で理解しようとしますが、泣くという行為を立派な成長としてとらえずにかわいそうと思い始めてしまうと、毒親としての道を歩んでしまう始まりになりかねません。
また、出産後まもなく働きに出る母親の代わりに、おじいちゃんやおばあちゃんになった大人が面倒を見るようになると、かわいさのあまり「泣かせないように面倒を見なくてはいけない」と思いながら過ごすケースもあります。毒親ならぬ毒祖父母の始まりともいえるでしょう。
すると、泣かせないように時間を見てこまめに母乳やミルクを先回りして与えるようになるので、赤ちゃんも自己主張する必要がなくなり、泣かない手のかからない子となるのです。また、身体的な成長を言えば、満腹や空腹の感覚が鈍ってしまうので小児肥満の原因にもなります。
一度このような育て方のベースを、母乳やミルクを与えるところから作ってしまうと、自然と子供が学生になっても先回りをした子育てをするようになり、やがてそれが思春期に影響を与えることになります。
過保護な毒親
「魔の2歳児」という言葉を聞いたことがないでしょうか。何でもイヤイヤと反抗する第一次反抗期の例えです。この例えは世界共通で「terrible two」とも言われています。この時期は世界中の親が子育てに悩む時期であり、子供は心身の成長にとても大事な時期と言えます。
母乳とミルクを泣かせないようにと先回りして与えていた親は、このイヤイヤ期もイヤイヤを言わせない方法を考えて行動するでしょう。特にあれがほしいこれがほしいと物をねだる場合は、ダメと言えばひっくり返って泣き叫ぶことを避けたいので、つい買い与えてしまいます。
ほしい物をむやみに買い与えれば、泣き止んで笑顔を見せてくれる事に安堵してしまう親は、毒親になる可能性が高くなります。イヤイヤは心身が成長している証ですから、親がその成長を妨げていることに気づいていないことになります。
このまま、やがて第2次反抗期と呼ばれる思春期の中学生や高校生くらいになると、ただ友達と遊ぶことが楽しかった時期とは違い、コミュニケーションの取り方や価値観に違和感を覚えるようになります。また、受験勉強や部活などで厳しいと思うような経験をたくさんするようになります。
心身の成長を妨げない程度にイヤイヤを抑制されてきた子供は、親にダメなものはダメと言われて、騒いでもどうにもならないことがあることを体で覚えてきています。そこで、我慢や忍耐力の基礎が培われているので、その先に待っている達成感を受験や部活動で得られる機会が多くなります。
逆に、幼い頃にイヤイヤと反抗や主張するチャンスが持てないくらい過保護に育てられてきた子供は、子供だけの時間が増える中学校や高校生活に不安を覚えるようになります。先回りしていた親がいない子供社会で、はじめて我慢や忍耐力を問われるのです。
学校では先回りしてサポートしてくれる親はいません。また、お腹がすいて泣いて母乳ミルクをほしがることをしてこなかった場合は、ここにきて子供社会で困ったことや不満を主張することが上手にできず、一人でいることにとても大きな不安を覚え、やがて現実から逃げるように自宅に引きこもるようになることもあります。
過干渉な毒親と反抗期
現代は、将来有名大学に入学させるためになどと言って、幼い頃から塾に通わせることは普通の事とも認識されるようになりました。
子供本人が塾で勉強することを望んでいるなら、問題はないでしょう。しかし、本当は塾に通いたくないのに、兄や姉がすでにお受験を乗り越えて有名進学校に入学しているから、あなたも入学して当然と思われていて、本人の意思は無視されているとなればそう思わせている親は毒親です。
また、食育という言葉も頻繁に使われて、国を挙げて改革をしていることに加えて、栄養に対する関心も高まっていることから、食に対してとても神経質になり、子供が口にする食べ物すべて気を付けていますという親も、毒親になっている可能性が高いです。
このような毒親に共通して言えることは、「すべては子供の将来の為」と思い続けていることです。さらに、「私の言ったとおりに行動すれば必ず素晴らしい将来が待っている」と言い切る毒親もいます。
このような毒親に幼い頃から育てられた子供は、だいたい中学生くらいになると手の付けられない行動を起こすようになります。
あなたの為とあれやこれやと世話を焼く毒親を煩わしく思い、非行に走り暴力的になるのはドラマや映画でもよくある場面です。毒親という言葉が世に出る前から、このような作品を見て大人になった人が今、毒親となって生活しているのですから不思議です。
食に関して言えば、親の目を盗んでお菓子や好きな物を食べていることも多く、毒親の前だけはお利口さんになっている子供の話もよく聞くエピソードです。あまりにも干渉され過ぎて強迫観念から摂食障害になる子供も多くいます。
また、親の敷いたレール通りに進まなくてはならないことを悲観し、自殺にまで発展することも現代社会の問題の一つと言えるでしょう。中学生になると、リストカットの跡が刻まれている子供が当たり前のように学校にいます。
毒親の子供は不幸なのか?
確かに、過保護や過干渉はよくありませんし、子供に悪影響を及ぼしますが、人間一人一人が違うので、感じ方もさまざまです。本当に自分の親が毒親かどうかも、子供本人の感じ方次第です。つまり、毒親を持ったから不幸だと思うのであれば、それは考え方や見方を変える必要があるということです。
毒親でも普通の親でも「良い親」と言われるのは、すでにこの世にいない亡くなった親だけです。いろいろあったけれども、でも良い親だったと失った後に気づくことがたくさんあります。
毒親に育てられても、あなたはあなたです。毒親に育てられたから私はこんな風になってしまったと思っているなら、自分自身に「それで?」と一言問いかけてみてください。もう毒親のせいにして生きている理由が、見当たらないはずです。
毒親という存在を作り、毒親のせいにしたかっただけの自分に気づくと思います。
更新日:2019/11/29|公開日:2017/09/24|タグ:毒親