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思いやりの心や相手の立場が分かるにはイメージ力が必要!イメージ力のある子に育てる親の心構え

イメージする子供たち

我が子が思いやりのある子に育ってほしい、相手の立場を分かる子になってほしいと願いは、どの親も持つものではないでしょうか。思いやりや相手の立場というのは、イメージの力と大きく関わっています。

 

イメージ力のある子供は精神的に成長しているだけでなく、勉強においても伸びる力を持っています。イメージ力とは何か、勉強とどのように結びつくのか、そして、社会に出たときにどのように役立つのかを見ていきましょう。

 

人の成長に欠かせないイメージ力

人間的な成長においても学力の伸びにおいても、必要とされるのがイメージ力です。イメージ力は、目に見える具体的なものをイメージする力と、目に見えない抽象的なものをイメージする力の2つに分かれます。

 

具体的なものをイメージする力

目に見える具体的なものとは、形のある物、実際に感知したり経験したりできる事物です。山や川、海などの自然の風景や、ビルや駅、家などの建物、人、動物、機械などを指します。

 

「猫をイメージして。」と言われれば、今までに見たことのある猫の姿をイメージします。猫の大きさ、色、毛並みなどの細かい特徴は違っても、尖った耳と丸い目、小さな鼻のついたネコ科の小動物であることには違いありません。

 

このように、形ある実際に経験できる事物をイメージする力が、目に見える具体的なものをイメージする力です。多くの物を五感で感じ、経験することで、様々なものをイメージできるようになります。

 

抽象的なものをイメージする力

一方、目に見えない抽象的なものとは、感情、性格、概念などです。感情とは、嬉しい、悲しい、好き、嫌いなどの人の気持ち、性格とは、優しい、気が短い、面白いなどの人格や個性、概念とは、正義や平和などのことです。

 

「平和をイメージして。」と言われてイメージするものは、家族で食卓を囲んでいる姿、平和の象徴である鳩が飛んでいく姿など、人それぞれです。しかし、戦争がなく、世の中が安定している様や心が穏やかである様は共通した概念として、心の中にあります。

 

抽象的なものをイメージするとき、人はそれを象徴する物や人、事柄と結びつけます。具体的なものをイメージする場合と異なり、形のないものをイメージするので、より高度な力と言えます。

 

各教科で求められるイメージ力

イメージする力は、教科の学習において欠かせないものです。国語の長文読解において、文章の内容をイメージする力が必要なことは、想像できるでしょう。国語だけでなく、どの教科においても必要です。

 

理科では、教科書に書かれている内容と実験や日常生活でのイメージが繋がらなければなりません。社会でも、歴史や地理の学習で出てくる地名と地図帳のイメージが結びつくと、内容が理解しやすくなります。ここでは、算数と国語において更に詳しく見てみましょう。

 

算数で求められるイメージ力

算数では、数や図形に関わるイメージ力が必要です。数の大小や、図形の大きさなど、算数では比べる機会が多くあります。大まかな数や図形のイメージができることは、算数の基礎を固める上で欠かせません。

 

分数の学習では、実生活と結びついたイメージ力が必要とされます。先生が「1/2と1/3とではどちらが大きいですか?」と尋ねたときに、「1/3の方が大きい。」と答える子供がいます。1/2と1/3を頭のなかでイメージできていないことが原因です。

 

イメージ力のある子供は、1/2はりんごを半分に割ったときの1つ分、1/3は3つに分けたときの1つ分と、実体験に基づいてイメージすることができます。しかし、イメージ力の足りない子供は、単純に2と3という数字だけを比べてしまい、1/3の方が大きいと考えてしまうのです。

 

また、図形問題でもイメージ力が重要です。図形問題を解くときには、平面に書かれた図形を立体的に想像したり、頭の中で図形を回転させたりします。見えないところをイメージする必要があります。

 

幼い頃に積み木や折り紙を使って遊んだり、外で木登りをしたりしている子供は、図形を頭のなかでイメージする力に長けています。子供の頃に思い通りの形を作るにはどうすればいいかを考えながら遊ぶことで、空間認知力が発達するわけです。

 

国語で求められるイメージ力

国語においては、物語文や評論文などの長文読解をするときに、特にイメージ力が必要です。物語では、書かれている場面や情景をイメージしたり、登場人物の心情をイメージしたりします。

 

物語に書かれている場面や情景をイメージするには、その言葉とイメージが繋がっていなければなりません。小学4年生で学習する「ごんぎつね」に、「ごんは、村の小川のつつみまで出てきました。」という文が出てきます。「つつみ」という言葉の意味が分からなければ、イメージできません。

 

広辞苑を引くと、「川の水が溢れないように土を高く築いたもの。どて。堤防。」と出てきます。どて、堤防という言葉が分かれば、イメージができるでしょう。川は身近なものなので、実際に見たことのあるイメージと言葉が結びつくはずです。

 

同じくごんぎつねでは、心情について書かれた文が多く出てきます。登場人物の心情をそのまま書いた文だけでなく、比喩も使われています。最後の場面で「兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。」という表現が出てきます。

 

兵十は、きつねのごんがいたずらに来たと思い、火縄銃でごんを撃ってしまいます。一方ごんは、自分のいたずらで兵十の母親が亡くなったと思い、その償いのためにくりや松茸を兵十に届けていたのです。兵十は撃ったあとで、そのことに気づきます。そのときの後悔やショック、やるせなさがこの1文に表れています

 

「火なわじゅうをばたりと取り落としました。」という表現から、兵十の動きをイメージするだけでなく、どんな心情が表現されているのかをイメージしなければなりません。物語文では、風景や場面という具体的なもののイメージだけでなく、心情や性格といった抽象的なものをイメージする力が必要です。

 

また、評論文では、筆者の主張を読み解いたり、抽象的な言葉をイメージしたりしなければなりません。正義、個性、主義などといった、イメージすることが難しい言葉にも出会います。語彙力を増やすことが必要となりますが、単に辞書を引いて意味を覚えるだけでなく、言葉に関わる経験を積むことが真の理解につながります。

 

社会に出て求められるイメージ力

場の空気を察する力

ある日、Aちゃんの家にお母さんの友達が遊びにきました。初めはAちゃんも一緒におしゃべりをしていましたが、そのうちお母さんと2人で話を始め、声も小さくなっていきました。お母さんはAちゃんに「ちょっとお外で遊んでおいで。」と言いました。

 

この場面で必要とされるのが、社会で求められるイメージ力です。イメージ力のある子は、自分がここにいるとお母さんたちは話したい話ができないんだなと、考えることができます。外で遊びたくはないけれど、家から出るという行動をとることができます。

 

このように、場の空気を察する力が、社会で求められるイメージ力です。例えば、レストランで食事をしているお客さんが「寒いですね。」と言ったとします。ウエイターに求められることは、「そうですね。」と相槌を打つことではなく、暖房の温度を上げたり、ひざ掛けを持ってきたりすることです。

 

上司に「今月は目標値に届かないかもしれないぞ。」と言われれば、届くために努力するように言われていると理解しなければなりません。「私もそう思います。」などと言ってしまえば、やる気がないと思われたり、逆鱗に触れてしまったりするかもしれません。

 

社会では、言葉そのままの意味を理解するのではなく、その裏にどんな気持ちが隠されているのか、何を求められているのかをイメージする力が必要です。時には、言葉ではなく行動や表情からイメージすることも求められます。相手の気持ちを汲み取って行動できる人は、気が利くと思われ、重宝される存在になります。

 

見えない相手をイメージする力

場の空気を察する力に加えて、社会で必要とされる重要なイメージ力があります。それは、見えない相手をイメージする力です。例えば、お菓子の新商品を開発する部署で働いているとします。目の前にあるのは、試作品のお菓子や資料ですが、そればかりを見ていては売れる商品は開発できません。

 

大事なのは、その商品を食べる人をイメージすることです。ターゲットは誰なのか、いつ、どこで食べるのかなど、その場にいない人のことをイメージしなければなりません。イメージ力があれば、今度の商品は大人向けだから、甘すぎなくしようとか、仕事をしながら食べられるように手が汚れない商品にしようなどと考えることができます。

 

また、ビジネスでは電話やメールなどを使って、顔の見えない相手とやり取りをすることが多くあります。できる社会人は、相手の忙しい時間を避けて電話したり、見やすさを心がけてメールをしたりするという配慮ができます。

 

このように、社会では、見えない相手をイメージする力が求められます。相手の立場に立って考える力とも、言い換えられるでしょう。大人の顔色を見て行動する子供になってしまってはいけませんが、幼い頃から相手の立場に立って考えさせる経験を積ませることが必要です。

 

全体の中の自分をイメージする力

社会に出て働くとき、自分の役割を理解することで、効率的に生き生きと働くことができます。会社には、経理部、商品開発部、営業部、広報部など様々な部署があります。部ごとに役割があり、個人にも役割があります。

 

例えば、商品開発部にはより良い商品を開発するという役割があり、営業部には開発した商品の良さをアピールし、新たな顧客を発掘するという役割があります。商品開発部がどんなにいい商品を作っても、営業部の地道な営業活動がなければ、商品は売れません。それぞれの役割を理解し、自分は何をすべきかを考えなければなりません。

 

全体の中の自分がイメージできる人は、簡単に人を責めたり、不満をぶちまけたりすることはありません。自分に役割があるように、他者にも役割があると冷静に捉えることができます。会社全体のことを考え、自分がしていることにどんな効果があるのかを考えることができます。

 

全体の中の自分をイメージする力は、一朝一夕に身につくものではありません。子供の頃からたくさんの経験を積み、考えることが大切です。チームスポーツで考えると分かりやすいでしょう。

 

バレーボールでは、アタッカーがボールを打ち、点数を決めます。しかし、相手のボールを拾ってくれるレシーバーやトスを上げてくれるセッターがいなければ、アタッカーはいいボールを打つことができません。アタッカー、レシーバー、セッターそれぞれに役割があります。

 

また、スターティングメンバーに入っていない選手でも、ピンチのときにサーブを決めてくれる選手や、タオルや飲み物を準備してくれる控え選手もいます。中高生の部活動であれば、指導してくれる監督やコーチ、応援してくれる保護者の存在もあります。

 

バレーボールという競技をするにあたって、どれだけの人が関わっているかを理解することが、全体を理解するということです。全体を知ることで、自分の役割を理解することができます。自分の役割を果たすだけでなく、他者への感謝の気持ちも芽生えるはずです。親は、周りのサポートや子供自身の役割について気づかせてほしいと思います。

 

他者との関係から自分を見つめる

子供は、成長するにつれて、周りの目を気にするようになります。こう言ったら相手はどう思うだろうか、この服を着て行ったらどう思われるだろうかと考えられるようになります。自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかを考えられるようになることは精神的に成長した証です。

 

大人には見えないところで、子供は考えを巡らせています。「友達に髪型をからかわれた。どうしてだろう?」「AちゃんといるときとB君といるときでは、なんだか気持ちが違う。なんでだろう?」などと、親に相談するほどではないけれど、気になることについて考えることがあります。

 

考えを巡らせるうちに、「僕の髪型がみんなと違うから、からかわれたのかな?」「これが人を好きになるってことかな?」などと自分なりに答えを見つけ出します。このように、考えを巡らせることが自分を見つめることにつながります。

 

自分とは何かという直接的な問いでなくても、他人との関わりの中で比べたり、違いを見つけたりすることで、自分の好みや楽しみ、特長を発見していきます。それが自分とは何かと考えることになります。

 

このように、考えを巡らせることは、子供の心の成長にとって大切なことです。成績はよくても、考えることを放棄したような子供もいます。「なんで勉強するの?」と尋ねても、「親がやれって言うから。」「知らない。」などと答える子供がいます。考えようとせずに安易に答えを出してしまっています。

 

「なんでだろう?」と考え、「将来のためかな?」「考えることが楽しいからかな?」などと自分なりに答えを出すことは大切なことです。自分なりに深く考えることで、自分は何が好きなのか、将来はどうしたいのかなどと、自分を見つめるきっかけになるのです。

 

思いやりの心を育てる親の心構え

異年齢集団で子供は成長する

小中学校が併設されているような小規模な地域では、学校の中でも外でも、異年齢の集団が一緒に遊んでいる姿をよく目にします。サッカーをするにも野球をするにも、同年齢の子供だけでは人数が足りません。仲間を増やすためには、異年齢の子供たちも誘わなければならないことも1つの要因でしょう。

 

そんな集団を見ていると、中学生のお兄ちゃんがルールを説明したり、小学校低学年の子にはハンデをつけてあげたりする姿を見ることができます。喧嘩をする子がいれば仲裁をしたり、ケガをした子がいれば手当をしてあげたりします。

 

しかし、少し規模が大きな地域になると、ほとんどこのような様子を見ることはありません。街では同年齢の子供達同士が行動を共にしています。公園でも野球をしているのは中学生、サッカーをしているのは低学年の子供達というように、それぞれに好きなことをして遊んでいます。

 

それでも視点を変えてみると、異年齢の集団が存在する場所もあります。学校の外で行われているスポーツ少年団や習い事などです。幼稚園生から高校生までが通っているダンススクールや演劇クラブなどでは、異年齢で活動する姿を見ることができます。このように、都会でも異年齢集団が一緒に活動する場所はありますが、限られているのが現状です。

 

異年齢集団で活動することの良さは、思いやりの気持ちが育つことです。普段は、末っ子でお兄ちゃんやお姉ちゃんのあとをついて回っている子が、年下の子がいると、急にしっかりすることがあります。自分が面倒を見てあげなきゃと思うのです。

 

一緒にいる大人に、「ちゃんと、面倒を見てあげてえらいね。」などと褒められると、自分の存在が認められたと感じることができます。また、お兄ちゃんやお姉ちゃんの大変さを知るきっかけにもなります。自己肯定感が上がり、年下の子の面倒を見る優しさや、他者の立場に立って考える思いやりの気持ちを持つことができます。

 

普段から異年齢と関わることの少ない子供には、親が積極的にその機会を作ってあげなければいけません。自治体が主催するサマーキャンプや山登り体験などに参加するのも良いでしょう。最近では、NPOが企画しているものもあります。情報を集め、子供が興味を示してものに参加させてみてほしいと思います。

 

お手伝いは最後までやらせる

思いやりの心を育むのに有効なのは、日頃のお手伝いです。お皿洗いでも玄関掃除でも何でも構いません。積極的にお手伝いをさせてほしいと思います。そのときに、気をつけてほしいのが、任せることです。

 

「お風呂掃除をしてくれる?」と子供に頼みます。そのときの気分や状態にもよるでしょうが、子供が「わかった。」と引き受けます。しかし、なかなか取り掛かりません。「まだ?」「やるって言ったでしょ!」と言いたくなります。もう一声かけても取り掛かる様子がなければ、「もういい!お母さんがする!」と言ってしまうかもしれません。

 

しかし、これでは思いやりの心を育ちません。一度頼んだら任せることが大切です。ときには、任せられる仕事を頼むことも必要かもしれません。「お風呂掃除を頼んだよ。お父さんが帰ってくる6時までにできる?」と具体的に頼むと、親も子もイライラすることはありません。

 

頼んだことができたら、「ありがとう。」「忙しかったから助かったわ。」と褒めれば、子供はお母さんの役に立てたと嬉しく思います。手伝いをしたら褒められると思えば、また手伝おうと気持ちになるはずです。そうして思いやりの心が育まれるのです。

 

道案内をさせてみる

他者への思いやりを身につけさせるためには、道案内をさせてみることも有効です。例えば、家庭訪問で学校の先生が家に来るとき、親戚のおばさんが駅から家に来るときなど、機会を捉えてさせてみてほしいと思います。

 

その際には、子供がいつも通っていて、1人で行き来できる道であることがポイントです。自分はよく知っている道を、初めて通る人にどのように説明するかが問われます。大人でも急に言われると、少し戸惑ってしまうかもしれません。

 

相手の知っている場所からどのように説明すればいいか、頭を使います。右に曲がるのか、左に曲がるのか、相手が知っている目印は何かを考えながら、説明しなければなりません。相手のことを考えるというよい経験になります。親子でぜひ取り組んでほしいと思います。

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