子供のやる気を引き出し、継続させる方法
子供が自らやる気を持つとき、大人はそのやる気を上手く育てる事ができるでしょうか?やる気を継続させる為には、モチベーションを維持する必要があります。そのためには、「有能願望の欲求」「自律欲求」「関係性の欲求」の3つの欲求を満たす必要があります。
これらの欲求は自分を愛する「自己肯定感」の土台が無ければ満たす事が出来ません。欲求を満たし、自己を愛する為にはどうすればいいか考えていきたいと思います。
子供に湧き上がるやる気を持たせるには
やる気に火をつけるもの
私達は普段、何か物事に取り組む時、やる気になる場合があります。多くの有名スポーツ選手は、長い期間やる気を持続しています。メジャーリーグで活躍している野球選手のイチロー選手や体操競技選手の内村航平選手等が挙げられます。
彼らは幼い頃から毎日練習を重ね、将来の目標をしっかり持っていました。それは、「将来メジャーリーグで活躍する」「オリンピックの舞台で演技をする」と、子供の頃に書いた作文から知ることが出きます。やる気を継続させたものは、内発的な好きな気持ちと上手になりたい思いです。
ピアニストで有名なフジコ・ヘミングさんも幼い頃からレッスンに励んでいました。彼女はピアノの先生だったお母さんからレッスンを受けていました。レッスンは厳しく、怒鳴られてばかりで「毎日のレッスンは嫌々ピアノを弾いていた」と話されています。この場合は、外発的理由で取り組む例になります。
その後フジコさんは、ピアノが上達してくると「だんだん面白くなってきた。」と自ら練習に励むようなりました。始めは外発的なピアノレッスンでしたが、彼女のやる気に火をつけ、次第に内発的なやる気に変化していきました。
外発的な動機でも内発的なやる気に変化する
やる気は、内発的なものと外発的なもの、2種類に分けることが出来ます。例えば、バスケットボールが好きな子供がいるとします。好きな物には、自ら進んで練習をするでしょう。上達する為には何が大切かを考え、体力が必要と分かれば基礎体力を付け、技術が足りないと分かれば自主練習に励みます。
誰かに言われるのではなく、情報を集めて行動した場合、内発的なやる気によるものです。また、その同じ子供は読書が苦手だとしたら、自ら本を読むことはないでしょう。しかし、「宿題に読書がある」、「本を読めばご褒美が貰える」等、外発的な動機があれば、自ら本を読むことはあるでしょう。
内発的な場合と外発的な場合では、自分の意志で取り組む方が良いのは、言うまでもありません。しかし、私達が生活している中の行動のほとんどは、内発的な意思によるものではありません。
朝目覚めて、「まだ眠りたい」、「学校や会社に行きたくない」、「家族のお弁当を作る事が面倒だ」と思うこともあるでしょう。私達は気持ちよく生活する為に、役割分担されたものを果たしながら生活を送っています。日常生活のほとんどが外発的な意思と言えるでしょう。
外発的な意思での行動でも、毎日繰り返し行動を続ける事で、しなければ落ち着かなくなることがあります。例えば、子供頃は起きてから、「歯磨きや顔を洗うことが面倒だ」と思うことが多いですが、続ける事で「しなくては一日が始まらない」、「落ち着かない」と思うようになります。
嫌いな教科や掃除など、子供にとってしたくない事は沢山あるでしょう。しかし、外発的な動機付けから、好きになることもあります。子供が興味を示すものを見つける事や、外発的な動機付けからでも、子供のやる気を引き出し、達成させることが出来れば、子供の充実感を体験させることができます。
親は子供が興味を示すものをキャッチして、環境を整える事が大切です。それにはどうすれば引き出す事が出来るかを考える、行動することが大切です。
やる気を育てる3つの欲求
子供のやる気を引き出す為には、環境を整える事が大切です。人間には、やる気を育てる3種類の欲求があります。その欲求を満たしたとき、自発的なやる気、外発的動機のやる気を、自らの意思で育てる事が出来ます。
①願望の欲求
この欲求は、自分は有能でありたいと思うことです。有能とは、ある出来事に対して「自分なら上手に対応出来るだろう」と感じることです。未経験なことでも「自分なら出来る」と思い、対処する事で成長する事が出来ます。成長すると、色々な事にチャレンジしてみよう、自分ならできそうだ、と意欲が湧き、自信を育てる事が出来ます。
②自律欲求
自律欲求は、自分のことは自分で決めたいと思う欲求です。子供にあれこれ口を出すと、「自分でする、決める」と反発されたことはないでしょうか?自分で行動し自分の意思で決める欲求です。
③関係性の欲求
関係性の欲求とは、誰かに愛されたい、必要、重要と思われたいと思う欲求です。私達は生活をする中で、人と人との交流は様々な場面で必要です。周囲から認められたい、特別な存在でありたいと思う欲求です。
自己肯定出来てこそ、3つの欲求を満たす
子供が自発的に物事に取り組むことはとても素晴らしいことです。「有能願望の欲求」「自律欲求」「関係性の欲求」3つの欲求を満たせば、子供のやる気の土台となります。3つの欲求を満たす為には、自分自身を肯定出来なければいけません。
自分を肯定することは、「自分が好き」と言えることです。やる気を育てるには、自己肯定感を高めることが必須です。何かするべきことに失敗しても、失敗や欠点、愚かさを含めて「これが自分」と自分を肯定する事を自己肯定感といいます。やる気を高める為には、この気持ちが大切です。
私達の生活の中には、良い事、悪い事、楽しいことがあれば辛いこと、様々な出来事があります。自分がその場面で、どんな気持ちであろうと、支えになるのは自己肯定感です。人に求められた自分になるのではなく、自分でいる事が幸せだと思える感覚を育てる事が大切です。
失敗した時や悩み事がある時、周りから励まされることもあります。自分を肯定できない場合や、自己価値が低い場合でも、周りの励ましからやる気を出し、目標に達成することが出来るかもしれません。しかし、達成出来たとしても、自分の価値を持つことが出来なければ、肯定感を高めることは出来ません。
自分の価値は低いと思いながら目標達成しても、あるがままの自分を受け入れることは出来ません。素晴らしい才能を持っていると人物であっても、本人の自己肯定感が低くければ、周囲からの評価ばかりを気にしてしまうことになります。
自己を愛する子供を育てるには、親の愛情が大切です。子供は自分の良い所、悪い所、全てを親に受け入れてもらえることで、自分を大切に思える意識を育てる事が出来ます。そして、親も子供を受け入れ愛することで親の自己肯定感も育つと考えられます。
子供の成長に合ったサポート方法を考える
幼児期の保護や愛情は、自己肯定感を育てる
自己肯定感を育むには、乳幼児期に十分な助け(保護や愛情)を受けられるかどうかにあると考えられています。赤ちゃんは「泣くことが仕事」と言われるように、不快に思うことや何かを要求する時に、泣いて表現をします。
親は赤ちゃんの甘えを無条件に受け入れ、心を満たす事が大切です。乳幼児期に、十分な助け(保護・愛情)を受けると、それを受けるだけの「価値のある存在である」と認識が出来ます。そして、十分な関係性の欲求を満たすことで、幼い頃から自己の肯定感を育てることができます。
関係性の欲求が満たされていない場合、子供が成長した時、好奇心の向くものに集中してやる気を出すことが難しくなります。自分は親にとって、「価値のある存在なのか?」と不安を抱き、他者の評価を気にするようになります。
幼い頃から、心を満たす助け(保護・愛情)を注げば、子供が何かに興味を持った時、他者の評価を気にすることなく、やる気を集中することが出来ます。
成長に合わせて、手の差し伸べ方を変える
乳幼児期を卒業して、子供が1歳前後頃になると、少しずつ出来ることが増えてくるでしょう。乾いたスポンジのように学び、出来なかったことも「やってみよう」と主張を始めます。自分のことは自分で決めたい、やってみたいと自我が生まれます。これは、自律欲求の始まりです。
親は、子供を助ける(保護・愛情)行動から見守る(サポート)の変換に来た事を意味します。親が、子供の助ける(保護・愛情)から見守る(サポート)サインを見落としてしまい、保護し続けてしまうと子供の自立欲求を育てる事が出来ません。
自律欲求を育てるということは、誰かの指示で行動する事ではなく、自分の意思で行動することです。子供が宿題をするときも、親が注意を促してするのではなく、子供自身が気付き、行動できなければ育てることが出来ません。親は子供の行動を信じて見守ることでやる気を育てることが出来ます。
子供が自転車に一人で乗れるようになる工程を例に挙げてみましょう。一人で自転車に乗りたいと言う子供の自転車を、親が支え続けては乗ることが出来ません。親が手を添えて乗せるのは簡単です。
子供が一人で出来るようになる時間を与える事は、親にとって忍耐が必要かもしれません。子供の成長と共に、親はサポートの変換をしていきます。子供も、自分一人で出来ることが増えると、有能願望の欲求を満たし、心を育てる事が出来ます。
サポートが必要か不必要かを見直す
子供が成長する中で、親が子供の出来る事に干渉しすぎていることは無いでしょうか?着替えの支度、部屋の片付け、起こす手伝い等、親が代わりにしてしまう事です。子供自身が出来ることを親がしてしまうと、子供は親にしてもらうことを待つようになります。
「早く起きなければ、朝食を食べる時間が無くなる」「今日は寒くなる、だから上着を持っていこう」等、子供自身に考えさせて行動させることです。親が子供に知識を与え、指示することは簡単に出来ます。しかし、「考える」自発的な思考を与えることは出来ません。
子供がゆっくり自発的に考えられるような環境作りをして、余計なサポートはし過ぎない事が大切です。
一方、子供が本当に必要としているサポートを、親が見逃している場合があります。例えば、子供が小学校へ入学した時、先生や親の助けを必要とします。学校へ入学したからと言って、勉強習慣を身に付けることは出来ません。これを理解せずに、「勉強しなさい」と言って机に向かわせる事は出来ません。
学校の先生は、子供達が興味を持つよう様々な工夫をして授業をしてくれるでしょう。家庭では「今日はどんな授業だった?」「習った事を教えて」「音読を聞きたいな」など興味を示し、時には一緒に机に向かうことも必要です。
口うるさく「勉強しなさい」と指示する前に、親のするべきサポートを怠ってはいけません。親は、必要か不必要かサポートかをきちんと区別しなくてはいけません。子供へあれこれと口出しをして「やる気」を損なわないように、サポートが必要か不必要かを考える必要があるでしょう。
親の行動が、子供の肯定感を育む
親の「愛」を子供へ正しく伝える
子供の人格形成をする上で、「親から大切に思われている」と感じる経験を重ねる事は大切です。子供が成長してくると、親は「将来こうなって欲しい」と期待を寄せることがあるでしょう。勉強やスポーツ等、他の子供よりも出来て欲しい。子供が競争社会に生き残る為に、「何事も早く習得させる事が大切」と思うことも親の愛情の一つでしょう。
親と子供の考えが同じ場合は問題ありません。しかし、考えにズレがある場合や子供自身の考えが無く、ただ親の将来の戦略に従っていれば、それが親に愛される術だと考えてしまうかもしれません。
子供の為と思い「勉強しなさい」「早くしなさい」、結果が出ない時に「もっと出来るはず」「頑張りなさい」と言った言葉は、親の愛情から出た言葉であっても、きちんと子供へ愛情が伝わっているかが疑問です。
「○○しなさい」「もっと出来るはず」と言った、親の期待する言葉に従い、行動した場合「自分は出来ているだろうか」「親は喜ぶだろうか」と親の評価を気にするようになるでしょう。そして、無意識に親の思い通りにならない自分は「ダメな自分だと」判断してしまう恐れがあります。
親は「子供の全てが良いもの」として伝える事が出来れば、子供は愛を得られます。そして子供が「自分はこれで良い」と思えることで自己愛を育むことが出来ます。
子供に対しての言葉使いや表現で、親の自分とは違う受け止め方を子供がする事を知らなければいけません。例えば、テスト結果が前回よりも良く褒めるとしたら、どのように子供を褒めれば良いでしょうか?
①「良かったね!○○点だね。次もこの調子で頑張ろうね。」
②「良かったね!○○点だね。毎日、復習していた成果が出たね。」
どちらも子供を褒めた言葉ですが、①の場合、子供にとって何が良かったのかを理解する事は難しいでしょう。どの調子で頑張ればいいのか具体性に欠けています。子供の理解は、次も褒めてもらう為には、「いい点を取る事」だと認識します。
②の場合、「自分の頑張りを認めてもらえた」と分かる褒め方です。自分が勉強した事で、親に満足してもらえたと認識が出来ます。子供は、努力が結果に結びつく因果関係を理解したと同時に、自己肯定感と有能感の二つを得る事が出来ます。
子供に期待することは悪いことではありません。しかし、子供の意思や選択を無視することは、人格形成上良い影響を与えないでしょう。子供が必要としていることに気付き、子供の全てを無条件に愛している事が伝われば、子供は自分自身を好きになれるでしょう。自己肯定が出来てこそ、やる気を育てる事が出来ます。
達成感の体験は、次のやる気への動力
やる気を引き出すために必要な事は、達成感を体験し、「次のチャレンジにも達成感を味わいたい」と思うことにあります。親や他の誰かが期待した事に応え達成したとしても、次へチャレンジする動力にはなりません。
例えば、「親が期待するから勉強をする」のではなく、子供自身が「復習をしたら、いい点が取れた。嬉しい!もっと勉強しよう」とやる気を掻き立てられれば、「次もいい点を取ろう」と行動を起こすでしょう。他人の満足ではなく、自分の満足感を多く得られた子供は、自分の持っている才能や能力を発揮することが出来ます。
多くのスポーツ選手は「自分らしく演技をしたい」や「普段通り、自分のプレーをする」等、試合前のインタビューに答えます。誰かの為に演技するのではなく、自分の喜びの為に演技やプレーしなければ、「自分の能力を発揮できない」と理解しているのでしょう。
また、「自分らしく」と回答することで、他者からのプレッシャーを遮り、自分のプレーに集中する意味もあるかもしれません。
親の関心を引こうとする問題行動の対処方法
子供の全てを受け入れ、愛することが重要だと前述しました。日々の生活の中で、子供がわがままを言うことや、兄妹喧嘩を始めると否定的な気持ちになり、叱る事もあるでしょう。子供のわがままや喧嘩の中には、メッセージを含む場合があります。表面的な行動で判断すると、子供の真意に気付けず、子供の気持ちを封じさせる恐れがあります。
人には、誰かに愛されたい、周囲から認められたいと思う関係性の欲求があります。子供も同じように、勉強やお手伝いをして関係性の欲求を満たそうとします。子供が思うような関心を、親や周りから得られなかった場合、様々な行動に出ます。親にわがままを言う事や、些細な事で兄妹喧嘩を始めることも行動の一つかも知れません。
これらの行動は、親の愛情不足からくるものではありません。子供は、親の関心を引く方法を見つけられない場合、無意識にいたずらや、口答えを言ったりします。これらは子供の無意識行動です。「どうしてしたの?」と聞いても子供は答えられないでしょう。
意味の無いこれらの行動に、否定的に叱るのではなく、親はそっと抱き寄せ、一緒に遊んであげられると良いでしょう。「いつも傍にいるよ」と安心感を与えられれば、子供の自己肯定感を育てる事が出来ます。子供を叱る前に、子供の自己肯定感を育てるチャンスと認識し、子供の傍に寄り添う事ができるといいでしょう。
感情と行動を別物にする方法
自分自身の怒りの感情を上手くコントロールすることが出来るでしょうか。それが出来れば、今よりももっと子供に対して冷静に対応出来る様になります。感情をコントロール出来ずに、子供へ暴言や暴力をふるうことは問題です。感情のコントロールは、感情を押さえる意味ではなく、感情と行動を別物にすると言うことです。
コントロールする為には、自分を変える必要性を認め、努力する事が大切です。頑張っても「コントロール出来ない」「やったが出来ない」と言う人は、心の底でそれが必要と認めていない可能性があります。自分にはコントロールが必要と認め、始める事が大切です。
①固定観念を見直す
人は「こうあるべき」と固定観念を持っています。例えば、子供が持ち帰ったテスト結果が90点だったとします。親が「100点を取るのが当たり前」と考えていれば、このテスト結果に腹を立てるでしょう。
しかし、クラス平均が90点であれば、子供なり努力をしています。腹を立てる裏には、子供には「こうであって欲しい」願望が隠されている場合があります。子供に自分の願望を当てはめてはいけません。テスト結果も一つの結果や事実と思えば、腹を立てる事はないでしょう。
②感情を出す前に一呼吸
自分の固定観念から外れた事をされた場合、腹を立て暴言を吐いたことはありませんか?後から、「どうしてあんなに怒ったのだろう」と後悔する経験もあるかもしれません。
自分の感情が沸き起こった時、すぐ行動に出ることを辞めましょう。一呼吸してから子供と向き合うようにします。そうする事で、落ち着いて子供と話せるようになります。
普段から何か感情が沸き起こった時「怒り・悲しみ・喜び・戸惑い・不安」等、感情を口に出すようにします。この方法は、自分の感情に気付く練習になります。例えば、「今、私はとって悲しみを感じている」などです。
③自分の感情に素直になり、伝える練習をする
自分が素直になる為に、きちんと理解できないことは「分からない」と、相手に自分の感情と一緒に伝える事が大切です。
例えば、友人との会話の中で悲しみを感じたとします。気付いた感情に素直になり、「今の話の中で○○に悲しみを感じたけれど、どうしたらいいと思う?」と伝えることで、解決策を見つける事が出来るかもしれません。
この行動をとれない場合、曖昧な返事をしたり、沈黙することになります。相手も「どうしたのかな?」と思うでしょう。また、自分自身の悲しみも解消されないまま、感情に蓋をする事になります。
④自分の気質を理解し受け止める
よく泣く人・怒る人等、様々なタイプの人がいます。これらは、人が持っている気質で、幼い頃から感情が沸き起こると、行動する習慣となったものと言えます。
幼い頃を思い出して、「○○ちゃん(自分の幼い頃の呼び名)、悲しかったね」と心が落ち着くまで声に出します。そして、幼い頃の自分が聞きたい言葉を口に出します。「私がついているから、大丈夫」と声を掛けます。自分の感情をコントロールする為には、自分自身を受け止める必要があります。
子供とよい生活を送るには、自分の感情をコントロール出来るスキルを身につけるべきでしょう。
自己責任を学ばせる機会を与える
子供のやる気を奪わないよう、気を付ける
子供がやる気を出している時、大人は子供の邪魔をしないことが大切です。大人は、折角のやる気に邪魔をするはずがないと思うかもしれません。しかし、子育てをする中で、親の都合で子供を動かそうとしている場面は多々あります。
時間に遅れるからと言って、子供が「自分でやりたい」と言っている身支度も、親がしてしまう事や、汚れるからと子供の口に食べ物を運ぶ等です。その行動を繰り返すと、子供のやる気を潰す恐れがあります。
子供がやりたいと思ってしている時は、やる気を発揮している時です。親が子供のやる気を潰さない為には、手出しをせず自分で行動させる事です。見守りながら、自律欲求を満たすことが必要です。また、子供のやる気で自ら行動している時、親は子供と同じように夢中になり過ぎる事に、気を付けなければいけません。
あるスポーツに夢中になった子供がいました。始めは上達する事が嬉しくて、親子共にスポーツを楽しみました。上達するうちに、親がスポーツに夢中になりすぎ、子供が失敗すると叱りつける様になったそうです。その後子供は、親の為にスポーツを続けるつもりはない、とあっさり辞めてしまったそうです。
始めは、自分がやりたくて始めたことが、いつの間にか、親の為にしている気持ちになった例です。自発的に意欲は、親が奪う形になってしまいました。親は、一緒に夢中になるのではなく、子供の後ろからサポートする位の立ち位置で、見守ること望ましいでしょう。
子供を中心としたサポートと心得る
人は、有能になりたいと思いを持ちながら成長しています。人は何かを任され、それが上手に出来ることで有能願望の欲求が満たすことが出来ます。
子供は、自分の発達に合わせて成長しています。勉強やスポーツも、本来は子供のスピードに合わせて成長します。いくら親が子供の持つ能力以上のものを求めても、得ることは出来ません。しかし、子供の持つ能力を最大限に引き出すことは可能でしょう。
野球選手のイチロー選手と父親の例を挙げてみましょう。イチロー選手との野球の遊びは小学三年生頃から始まり、その遊びはイチロー選手が高校へ進学するまで続いたそうです。練習は毎日同じですが、飽きても無理強いはせず相撲を取って遊ぶこともあったそうです。また、練習内容も、成長に応じて高度になったそうです。
お父さんは、「子供のやりたい気持ちを主体に、後ろからついて行くと言う感じだった。子供に指導した事は一度もありません。遊びの主体はイチローだった。」と話されています。常に子供中心で、楽しく遊べるよう工夫してサポートされていたようです。
勉強も同じように、主体は子供。勉強や練習を嫌いにならないように工夫したサポートが出来ると良いです。過度に親がやりすぎる事や、押し付けることは子供のやる気を失わせる原因になるので気を付けたい部分です。
人のせいにしない、自己責任を学ぶ
子供が責任を学ぶ為には、子供自身に責任を持たせることが大切です。食後のお皿をシンクまで運ぶ、洗濯後の畳んだ洋服は箪笥にしまう、学校の持ち物を自分で用意する等です。
例えば、持ち物の用意を大人が代わりにするとします。子供は用意されたものを、考え無しに持っていく状態が当たり前になります。何かの都合で親が用意できなかった場合や、忘れ物をした場合、子供は親の責任にしています。
子供自身に用意を任せると、忘れたら自分の責任、困るのは自分だと気付くことが出来ます。次からは忘れ物で困らないよう、確認するようになります。
人は、他人から与えられ続けられると、それが当たり前になります。自分のするべきことを任されない限り、意識を広げ自発性を生むことは出来ません。親の「言ったこと」だけに従い行動するのではなく、自ら考えて行動する。行動して成功した時、子供の自信となり、やる気が育まれるでしょう。
自発的動機に、褒美はいらない
人の役に立つ体感は、純粋な動機付けになる
私達人間の心の中には、見返りを求めない「誰かの為に役立ちたい」と言う思いが心の中に存在します。自分が助けたことで、相手が満足や感謝をしてくれた時、「自分は人の役に立てる存在だ」と感じる事が出来ます。その認識は幸せを感じ、次へのやる気を育てます。
「怪我をしている人に座席を譲って感謝された。」「バスに乗車する時に、お年寄りの手を取り、喜ばれた。」等、日常の些細な出来事に「有難う」と感謝されると、「人の役に立つ事が出来た」と喜びや充実感を得ることが出来ます。
子供にも、人の役に立つ喜びを体験させることで、子供自身から沸き起こる「やる気」を育てる事が出来るでしょう。それには、家族で一緒に過ごす家庭で多く体験させることです。子供にとって掛け替えのない親から感謝させることは、子供の喜びです。
親から「有難う」「うれしい」と感謝させることで、自分は「役に立つ存在だ」と体験できます。親は、子供の気遣いやお手伝いに気付き、言葉で伝える事が大切です。沢山経験することで、子供は純粋な気持ちで「人の為に役立ちたい」という動機付けでやる気を育てるでしょう。
アメとムチは、やる気を下げる材料
人を育てる時「アメとムチで育てる」と言います。子供の動機づけで、やる気を起こすのにアメやムチを用いて行動させることは、純粋な動機付けでやる気を起こさせる意味に沿わないものになります。
自分の思い通りに子供が動かない場合に使うアメやムチは、常に主導権が親にあることを意味します。行動を起こす子供には主導権はなく、外発的にやる気を起こす意味になります。
アメとムチは学習習慣を身につけるために用いる場合があります。しかし、これを多用してしまうことは、自発的に行動している時の「やる気」を失わせてしまう原因となる危険性があります。
子供が自発的に取り組む何かに、大人が「ご褒美」と言ってアメを与えた場合、主導権が大人へと移行してしまいます。勉強やスポート、お手伝い等、自発的に行動を起こしている場合、アメのご褒美は必要ありません。
ある女性が小学生の頃、運動場の端に咲いている元気のない花を見つけ、水やりをしたそうです。翌日、花が元気に咲いていた事から、毎日花の水やりを始めたそうです。数日後、それを見た先生は、みんなの前でその女性の行動を褒めました。
先生はその子供の善意を認めたく、発表しました。しかし、子供だったその女性は、みんなの前で褒めた事に腹を立てたそうです。
誰かに褒められる為にしたのではなく、その女性はそれをする事が好きだったのです。発表されたことでその行為は『褒められるための行為』になりました。「楽しみを奪われた」と話すその女性は、その後花の水やりをしなくなったそうです。
褒める事は悪いことではありません。彼女一人に、「ありがとう」と気持ちを伝えれば、自発的なやる気を奪うことはありませんでした。
野球選手のイチローもまた、国民栄誉賞受賞の打診を受け、辞退しました。彼は、「今の段階で表彰されると、モチベーションが低下する」と説明したそうです。自発的に取り組んでいる場合、その本人に直接感謝や感動を伝えることです、過度なご褒美は必要ではありません。
アメを使うことに落とし穴があるように、ムチを使うことも子供にとって弊害があります。ムチとは、基本的に罰や脅かしとなるもので、これを使うと「誰かに愛されたい」「必要と思われたい」と思う関係性の欲求は満たされません。
頻繁に大人からムチを使われた子供は、ムチに怯え、人の顔色を窺って行動するようになります。ムチを使う人の前では行動を起こしますが、それは自発的行動とは言えません。また、ムチが無ければ行動しないでしょう。
アメとムチから考えると、特別な見返りが無く自発的行動を促す方法は、「誰かの為に役立ちたい」と思わせる方法です。その機会を作るには、子供に積極的に手伝いをさせる事です。
子供が役に立つことをしてくれれば「ありがとう」「嬉しい」と感謝の気持ちを伝えます。それを積み重ねることで、関係性の欲求を育て、子供の使命感を育むことができます。
更新日:2023/05/31|公開日:2018/01/24|タグ:やる気