毒親のしがらみを解いて、未来を歩むための行動や気持ちの切り替え方
毒親に苦しめられて育ってきた子供達は、このままずっと気持ちに整理をつけずに過ごし続けていて良いのでしょうか。心の中の絡まった糸をほどいて、未来を考えて歩むための行動や気持ちの切り替え方について、見ていきたいと思います。
自殺はしない事
毒親と過ごす時間がつらくても、毒親のせいでこうなってしまったと嘆いても、この世に生を受けた以上、自分で勝手に人生を終わらせないでください。自分で人生を終わらせなくても人は必ず死を迎えます。今がつらくても明日や数年後に自分がどうなっているかは、その時の自分しかわかりません。
ですから、自ら死を選ぶことそのものが無意味なのです。自殺してこの世にいない方には申し訳ないですが、実にもったいないと思います。自殺した方も突発的でない限りは、死に場所や死に方を事前に考えていたわけです。無意識で出来るようなことではありません。
この行動力と勇気をもって自殺しようとしたけれども、死にきれずに今を生きているという方や、自殺を考えている人は即やめて、今思う自分が2年後どうなっているかをノートに書き留めてみてください。2年という目安は、1年目は行動を意識して新しい習慣を作る期間であり、2年目はその行動を日常生活の一部として心で感じる期間です。
そして、2年後に必ずそのノートを見返してみて自分が本当にその通りになっているか確認してください。そこに書いてあることと2年後の自分が、どれだけ違うのかということも大事ですが、そこよりも大切にしてほしいのは、2年後にノートを見た時のあなたの気持ちはどのように変化しているかということです。
2年待たなければ分かりませんから、この間に小さな事から何かを始めていきましょう。始めた何かが人生の新たな道を作り始めるきっかけになると思います。
考え方の方向転換をすることから始めよう
毒親に育てられた子供で、自分の夢や希望を持ってはいけないと思ってしまう人がいます。
その原因はさまざまですが、中でも、毒親が置かれていた状況がとてもつらくて苦しいと思うものだったために、「夢や希望なんて持ったって、叶うわけがない」と、大人として現実を今から教えてあげていると言われ続けてきた中で育った人は、特にこのような考えになってしまいます。
無意識のうちに勝手に線引きをして、波風のない当たり障りのない生活をするのが、一番良いのだと思い込んでしまっています。それが逆に、趣味を持ったりせずに人付き合いも薄くなる原因になり、うつ病の引き金にもなります。
そもそも夢は必ず叶うものではなりません。自分は努力しているのに、結果が出ないだけで努力が足りないと言われて悩んでいる人と同じことです。叶ったらラッキー、それだけです。世の中夢を持ったら叶うシステムなら、貧困もなく世界は平和です。叶うかどうか分からないなら、夢の1つや2つ持っても自分の勝手ですから良いのです。
何十年先のことを、夢にしなくてはいけないという法則もありません。毎日、楽しいと思うこともないなら、朝起きてから夜寝るまでをなんとなく過ごさず、意識して過ごしてみましょう。いつもどのような事が習慣化されているか意識して客観的に見ることで、違う発想が沸いてくるでしょう。
例えば、夜、だらだらとテレビをつけたままお菓子もだらだら食べ続けている自分に気づいたのなら、夕食をもっとしっかり食べて満腹感を味わい、お菓子の量を減らして健康な体を維持することにつながります。健康な体を意識するようになってから始めたマラソンをきっかけに、フルマラソンに出場し完走したいという夢が出てくるかもしれません。
フルマラソンに必要な体力や精神力を作り上げるのには、自分自身に負荷をかけなければ完走することはできないという事は、マラソンを続けて分かっていることですから、そこに対する努力は自然体でできます。自分自身が決めた夢や目標に向けて何かを始めた人は、他人に努力の重さを勝手に測られても悩むことはなくなります。
こうなってしまえば、自分が毒親に育てられた事など思う暇もないので、毎日が違って見えるようになります。毒親に育てられた子供は、一刻も早い今までとは違う考え方に切り替えるきっかけが必要です。
引きこもりの限界
引きこもりの生活を続ける人は、毒親を嫌い、世の中と交わることを避け、部屋に引きこもることで、自分自身を守ろうとしています。
しかし、引きこもりの人は、あくまでその部屋の中だけで起こる変化に対して何かを感じるだけで、いずれは限界が来ます。スマートフォンやパソコンで世間とつながっているのは、それは引きこもっている人の乏しい思考に合ったものだけであり、始めたいときも終了したいときも自分で決められるので、独りよがりの行動にしかすぎません。
引きこもりのほとんどが、毒親のせいだというのは、きっかけと言い訳でしかなく、実際は自分自身が、目の前に出口があるのを分かっているのに、自らの意思で出口へ行かない状態です。外に出て、人と会うことで何らかの変化が起きることを知っていて、その変化を嫌っているから引きこもります。
引きこもりから抜け出すには、部屋にあるゲームやパソコンから得られない何かをほしいと思う時です。そのきっかけを作るのも、さらに引きこもりを悪化させるのも、親が親としてどのような態度を取るかがとても重要です。
出会いと会話がもたらす気づき
出会いは、人に良くも悪くも大きな変化と刺激を与えます。人がこの世に誕生し、今日まで発展してきたのは、太古からたくさんの人が何らかの方法でコミュニケーションをとり、考えを出し合ってきたからこそあります。ですから、人は人に出会い会話してこそ成長できる生き物なのです。
空気の読めない人を少し前に「KY」と呼んだ時期がありました。言葉の発祥は女子高校生からのようですが、学生時代に空気を読むということを勘違いして、神経をすり減らして不登校になる子供は、現在も減ることはありません。この分別を覚えさせる教育も、今の学校生活には必要になってきているのではないかと思います。
逆に、子供社会ばかりでなく、大人の中でも空気の読めない人もたくさんいます。確かに周囲は迷惑していることも多いですが、当の本人はそこに気づいていないどころか、楽しく生きているものです。その人を育てた親を知っている人は、「あの親あっての子だ」と外側からみて毒親と認定してしまいます。
人と人とが交われば、毒親の概念も、自分が毒親に育てられたかどうかは無関係で、自身の意思や発言でさらに相手が感じ、発言することで成長もできればコミュニケーションが広がります。空気を読みすぎて、人付き合いが嫌になってしまっている人は、早くそこに気づく必要があります。意見が合わなくて当たり前なのです。人は皆同じではありません。
セルフチェックで無意識と向き合う
意識して自分と向き合う時は起きて活動している時です。実はそればかりではやはり自分自身の心の整理をするのは難しく、心底にある無意識から自己分析をしなければ解決できないこともあります。
無意識の自分と対話で来ているのは寝ている間に見る夢です。夢は心で見ているのではなく脳が見せているのはご存知かと思いますが、結局は今までに起こった出来事を記憶している脳の整理をすることが、毒親から解放される一歩となります。
夢にもいろいろな解釈の仕方があり、著書もたくさん出ているので、良い予兆と書いてある本もあれば悪い予兆と書いてある本もあります。毎朝の情報番組の占いコーナーの内容が、番組事に違うことと同じです。
悪いと書いてある事に対して、これからどんな悪いことが起こるのだろうと先の事を想像して怯えるということではありません。あくまで夢は、数分前数年前にすでに起きた過去の記憶からなるものです。
その時の出来事と気持ちを脳が必死に整理している最中という解釈をして、1つずつ向き合って、「その時の自分はつらかった。でも昔の事」として、自分の脳にお疲れ様の一声をかけてあげるつもりで前に進みましょう。
個性は発信するものではない
私はもっと個性を表現したいと言って、デザイナーやアーティストになる人がいます。目標を持った人生を歩むことはとても素晴らしいことです。でも、デザイナーやアーティストにならないと個性は表現できないのでしょうか。
自分が頭の中で思い描いたものがそのまま形になって世に広まることを喜びとするだけであり、これは個性を表現したものとは言えないと思います。
最近は、SNSで見栄えのよい写真がアップできるようなスポットが、人気となっています。センスの良い写真をアップできることが、個性を表現できると考える女性もいるようですが、いろんな人が同じスポットの写真をアップしているのでそれは個性ではなく、そこに行ったということと、流行りに流されている証明となるだけです。
就職先を探すとき、辞めるときも、個性が生かされないという理由を話す若者も多いようです。確かに、国の教育方針で個性を伸ばすという内容のものがありますから、かけっこが苦手な子も1番になる事ができるかもしれない競技も運動会で取り入れていますし、みんな違って当たり前というような内容を道徳の授業でも取り入れています。
社会人になっても個性についてのウェイトを考えることは間違ってはいないし、そのような教育を受けてきたのですから、否定はできません。しかし、学校と社会は違うのだということを教えてあげられるのはやはり親なのではないでしょうか。
子供に意見をはっきり言えない親も毒親と考えられます。大人として、親として凛としている姿を見て、子供は社会に出ていくのです。
自分のルーツを知る
「うちの家系は代々医者だから、お前も当然医者になるのが当たり前」と子供に言い続けて、初めから子供に人生の選択をさせない毒親がいます。これで、子供が医者になればやっぱりうちの子供だと満足します。ただ、子供本人も幼い頃から医者になりたいと思っていたのなら良いですが、そうでない場合はどうなってしまうでしょうか。
医者になりなさいと言われるのは、毎日呪いの呪文を掛けられているようにしか聞こえないし、うつになってしまいかねません。また、違う職業になりたくて、親と絶縁することも少なくありません。これでは、家系的にも本人にもメリットが無いし、毒親は失うものが大きくなります。
ご先祖様は代々医者であっても、例えば昔は人を助ける仕事が医者しかなかったという事もあります。親は、その職業を守るというよりは、人を助ける仕事に代々就いている家系というように選択肢のあるような解釈をすれば、毒親にならなくて済むのではないでしょうか。子供も将来を考えた時には自然と人を助ける仕事に就いたりするものです。
また、一見人を助ける仕事に見えないような、工場で作業をするような職に就いたとしても、開発や製作にかかわった商品が、結果的に多くの人を救う物だったというケースもあります。
毒親に育てられたと思う子供が、社会人として歩み始めた時に、自分のルーツを知ってどう思うか。毒親に縛られて反発していたころには思わなかった家族の思いを受け止めることが出来るかもしれません。
こうしてルーツをたどり詳しく調べていくと、詳細が分かればなお、今を生きる自分がバトンを渡されている感覚になります。今まさに、あなたは主人公としてリアルな世界を生きているのです。
生まれ変わらなくても人格は変わる
生まれ変わればもっと良い人生が歩めるかもしれないと思うのは、壁にぶつかった時によく思う事です。
でも、そういう壁にぶつかった事をきっかけに顕著に人格が変わる人がいます。それは、新興宗教に入信した時です。自分だけではどうにもならなかったもどかしさを、入信したことで信者のバイタリティー溢れる行動力や熱い想いに刺激を受け、同じような生き方をすれば素晴らしい人生が送れる、仲間ができると思い行動に移します。
人とまともに目を合わせて話せないような人が、生き生きと勧誘活動を行っている姿を見て、「あいつは洗脳された」と言う人も出てきます。両親は必死になって脱会させるべくあれこれ手を尽くします。
本人はそんなことはお構いなしで、入信して、生活が変わって、なぜもっと早く入信しなかったのだろうと思うわけですが、実際は宗教が人生を変えたのではなくて、変わりたいと思っていた自分の強い想いに応える依存できる物が見つかっただけにすぎません。
そして同時に、入信して変わり始めた自分を、褒めずに辞めさせようとしている親を憎み、毒親とし始めるのです。
もちろん、入信しなくても人は変わることができます。今持っている価値観が変わると、行動も変わるため、アクティブになります。ここでは、宗教を例にしましたが、オタクと呼ばれるくらい1つにこだわりぬくことも人格を変える方法です。価値観を変えるのはやはり、同じような価値観の仲間と時間を共有することです。
変わりたいと思う気持ちが最大の武器
毒親に育てられた子供達は、過去から抜け出せず、また毒親に植え付けられた価値観を変えられずに生きづらさを感じています。この価値観を変えることが、毒親から解放される道です。
価値観を変えるには、数や量を増やすような単純な事ではできません。転職しても職場環境が変わっただけで、以前よりも仕事が忙しくなってしまったのでは、価値観を変えるどころか仕事に追い込まれてしまうだけです。
まずは自身の身だしなみから変えてみましょう。髪の分け目を左右逆にするだけで、自分で鏡を見るだけでも印象が変わって見えます。また、今まで着たことのない色の服や、アイシャドウなどを試してみることも、いつもの自分とは違う印象に気持ちが昂ります。
いきなり黒が白に変わるような劇的な変化を求めすぎてしまうから、毒親に育てられたからといつも言い訳して殻に閉じこもります。ただの欲張りになってしまいます。自分がこうなりたいと思う道に向かい、前に歩き出す勇気が必要です。この過程が大切なのです。
更新日:2019/11/29|公開日:2017/11/04|タグ:毒親