facebook Twitter はてなブログ feedly

目的をきちんと持たない子供は将来不幸になりかねない

将来の夢、大学に入る目的

勉強をするときには「何のために」学ぶのかという目的を持っていることが大事になってきます。しかし、この「目的」をはき違えると問題が起きてくることになります。どんな問題が発生するのか、そして、そうならないようにするためにどのようなことを目的に据えればいいのかについて見ていきましょう。

 

間違った目的設定をしていないか

よく、「有名な学校、一流の学校に入るために」といったことを目的にしている親や子供がいます。そうした目的を一概に否定するものではありませんが、もう一段踏み込んで、「なぜそうした学校に入りたいのか」という目的を持っているでしょうか。

 

「○○大学に入る」という目的のベースに、例えば「コンピューター関連に進みたい」であるとか、「宇宙で役に立つ技術開発をしてみたい」といったようなよりはっきりとした目的を持っており、それが実現できそうであるからその志望校に入りたいと考えているのであれば、それはすばらしいことです。

 

一方、「一流大学にさえ入れば将来安泰だから」であるとか、「いい大学に入り、一流企業に就職したい」といったようなあいまいな気持ちしかなく、それにあてはまりそうな志望校を選んでいるようであると将来問題が起きかねません。

 

最近では工学部の志望者数が減少傾向にあり、地方に立地する国立大学などでは東京や名古屋といった大都市圏に試験会場を設置してまで学生の獲得をしようとするようなところも出てきています。

 

第一の理由は、少子化の進展によって進学者数の全体数が減少傾向にあるため、そうでもしないとそもそも受験してもらえないという危機感があるためです。そしてこうした傾向にはもう一つ大きな理由があります。それは、理系を志望する子供たちのうち優秀な層が工学部を志望せず、みな医学部を目指してしまうというものです。

 

もともと、医学部というのは医師になるために入る学部です。病気に悩む人を助けるために、というような思いがある人が志す学部であったはずです。しかし最近では、理系学部で一番高いクラスであるから、という理由だけで医学部を目指す人が増えてきているのです。

 

実際、入学者の一部には特に医学に関心があったわけではない、といった人や、生物の授業に興味関心もそんなに持っていないような人さえいるといいます。そういった人が医学部に入り、医師免許を取って医師になるのです。世間のことをろくに知らず、使命感もあまり持たない人が、成績がいいというだけの理由で裁判官になってしまうのと同じです。

 

こんなことが起きてしまう理由は、上で述べたようにあいまいな理由で志望校を選ぶというところにあります。これが、将来への展望も何もなく、「いい大学」あるいは「いい学部」だけを目指して勉強してきた子供の将来像なのです。

 

子供を将来他人から煙たがられる人にしないために

「いい大学」あるいは「いい学部」に入るというのは簡単なことではありません。寝る間を惜しみ、楽しみを我慢し、友だちづきあいもろくにせずに日夜勉強に励むといった大変な努力を、楽しいことをしたくてしょうがない子供の時期に何年間もかけて行わねばならないのです。

 

本来、こういった大変な努力を支えているのは、その子供が持つ将来への展望、あるいは夢であるはずです。「病気に悩む人を助けたいから医師になりたい」といったような夢でもいいですし、「社会正義を実現したいから法曹の道に進みたい」といった夢でもいいでしょう。

 

「流行の最先端を感じていたいから都会の大学に」といった少々不純さの混じる目的を持つような子供もいないわけではありませんが、それでもまだはっきりとした目的を持っているわけですから勉強するための努力の源泉にはなるでしょう。しかし、はっきりとした夢も目的も特に持っていないにも関わらず、本来やりたい楽しみをすべてなげうって努力するというのは、普通であれば不可能なことです。

 

ところが、子供本人は夢も目的もはっきり認識していないにも関わらず、親に強く言われたからという理由だけでこうした努力ができてしまう子供がいます。そんなふうに聞くと「うちの子はどれだけ言っても全然勉強しないのに、感心な子じゃないか」などと感じる方もあるかもせしれません。

 

こうした子供は他のクラスメートたちが外で遊び回っている時にそれに加わることもなく習い事や塾に通い、他の子供が真っ黒になるまで遊び回る夏休みには夏期講習で勉強し、一年に1回か2回ほどの家族旅行でちょっとしたリフレッシュを図るものの、その他の日は毎日学校と塾に通い、帰ってきては遅くまで勉強するといった生活を送ります。

 

こういった子供が努力する目的は一流大学に入ることであったり、一流の職業に就くことであったりします。例えば「東大合格」であったり、「医師や弁護士となる」といったものです。そして、本来何をしたいから、あるいは何をするために勉強してそういった大学に入ろうとするのかまでは考えないのです。

 

こうした子供が血のにじむような努力の末に目指す大学に合格できたとしましょう。すると、たいていの場合こうした子供は「自分は○○大学出だからすごい」というように、強い権威的性格の持ち主になってしまう傾向があります。こうした例は、例えば東大出身の官僚などを見れば明らかであるかと思います。学歴(だけ)を鼻にかける人物になってしまいかねないのです。

 

そういう人は、子供のころから勉強ばかりしているため、他に得意とすることがあまりありません。また、趣味もろくに持っておらず、何かを美しいといとおしむことのできる感性も育てていません。従って、学歴しか誇ることができないことが多いのです。

 

現実の社会に目を転じてみて、こういった人物に心当たりはないでしょうか。頭がよく、学歴も立派な権威的性格の持ち主、となれば枚挙に暇がないのではないでしょうか。そして得てして、そういう人間ほど会社や社会の中で煙たがられているものです。

 

他人から煙たがられるような人物が幸せに人生を送ることは難しいでしょう。会社など学歴の効能がまだしも有効であるような場面ではまだいいかもしれませんが、定年を迎えて第二の人生を歩もうとしたとき、果たしてその人の周囲には暖かな家族や友人関係といったものが残るでしょうか。気がついたら誰も近寄ってくる人がいない、そんなふうに寂しく年を取っていくことになってはしまわないでしょうか。

 

現在子供を育てている親は、そして日本という社会全体が、子供たちがこういった人物になってしまわないように気をつけるべきではないかと思います。いい大学に合格するために勉強する、というのは確かに大事なことですが、「なぜそういった大学に入るべきなのか」という一番大事な動機をしっかり持たせるべきだと思うのです。

※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用しています。

このページの先頭へ