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叱るだけがしつけじゃない!叱らなくてもできるしつけのヒント

子どもを叱る?

「しつけ」と聞くと、厳しく叱咤したり時にはたたいたりというイメージを持ちがちです。でも、しつけのたびに叱っていては、子どももこちらも疲れてしまいます。だからと言ってしつけをやめてしまうのは問題ですね。叱るだけがしつけではありません。そこで、叱らない方法でしつけをするためのヒントをお伝えしましょう。

 

悪い点だけを指摘せず、どうしていったらよいかを一緒に考える

何かができない時、あるいは何かに失敗してしまった時、あなたは子どもにどのように言葉をかけますか?思わず「何でできないの!?」「こういうところが悪いから失敗するのよ!」などと、悪い点や失敗してしまった点をあげて叱ることも多いでしょう。でもこのやり方ですぐにできるようになるかというと、そんなことはありません。

 

これが大人の場合、少々話が違います。せっかく作った企画書を突き返されたり、上司に厳しく指摘されたりすると、なにくそ!と奮起してもっとよいものを目指すようになるかもしれません。でも、子どもにそのような思考はできません。

 

50メートル走でどうしても10秒以内に入れない子どもに向かって、「どうして10秒以内で走れないの!?」と言ってもタイムは縮まりません。ではどうしたらよいのか。この場合なら、具体的にどのような工夫をしたら走るスピードが上がるのかという方法を教えるべきでしょう。

 

目線はゴールをしっかり見続けるとか、腕をしっかり振るとか、基礎練習をつむとか、そういった具体的な方法を教えるのです。あるいは一緒にその方法を考えるのです。それでようやく、もっと速く走れるようになります。

 

つまり、子どもの悪い点について非難するのではなく、うまくいく方法を子どもと共に考えたり、助言してやったりするということです。そうすることでしか、子どもは変わっていきません。

 

逆に、子どもなりに頑張っているにもかかわらず、ただ「できない」と責めたり悪い点を挙げ連ねたりしていれば、子どもは自信が持てなくなりますし、やる気も失せていくでしょう。そして「僕は本当にダメな人間だな」と思うようになります。するとますますできなくなっていくのです。これでは、親があえてできないように仕向けているようなものです。

 

そうではなく、今の状況がどうしたらもっと良い方向に向かうかを考えていきましょう。そうすることで事態が好転していくのです。親の「ここをこうしてみたらやれるんじゃないかな」というポジティブな言葉かけが、子どもをやる気にさせるはずです。

 

子どもにできないことがあるとき、その事実だけを取り上げて責めるのはやめましょう。できないこと自体はただ受容し、どうやったらうまくいくのだろう?と考えるスイッチを入れましょう。それが、親が子どもにやってあげられることなのです。

 

「アメとムチ」だけでしつけるのは不可能

水族館では、イルカやアザラシなどがうまく演技をした後に餌をもらっているのを見ることができますね。ある芸を見せたら餌を食べられる。イルカたちはこのように条件付けされています。餌というごほうびのために、動物たちは頑張れるのです。逆に言えば、餌がもらえないなら芸などしないでしょう。

 

人間にもこのことは当てはまります。「○○ができたらお菓子を買ってあげるよ」というようなことを、子どもに言うことはよくありますね。そう言われた子どもは、お菓子欲しさに頑張るものです。でもこれでしつけができたと思ったら、それは間違いです。ごほうびがあるから、その時だけ親の指示に従ったまでです。

 

「○○ができたら□□をしてあげる」の反対で、「言うことを聞かないならおやつなんてあげないから!」という言い方もあります。これもまた同様に、しつけにはなりません。おやつのために子どもは親の意向に従うだけであり、おやつというごほうびがなければ従わないでしょう。

 

「アメとムチ」という言葉で、このようなやり方を言い表します。心理学の世界で言えばこのアメとムチは「外的動機づけ」と言われています。外的動機づけのおかげで学習できることがあるのです。ただしこの外的動機づけ、しつけに使うには効果的でないと言われています。アメとムチがなくなってもできるようになるかというと、そうではないからです。

 

親がしつけを厳しく行ってきたのに、家を出て一人でやっていくことになったら、自堕落な生活になってしまったなんていうのは、よく聞く話です。親元にいる時は「ムチ」によって押さえられていましたが、「ムチ」がなくなった途端に、きちんとできなくなるわけです。「アメとムチ」では本当の意味で子どもをしつけられなかったということを表しています。

 

罰や厳しさ、そしてごほうびだけでしつけをしてはいけません。親の言う正しいふるまい方に、子どもが納得しなければ、本当には身に付かないのです。どうやったら子どもが自ら納得して、しつけを受け入れてくれるのかを考えていくべきでしょう。

 

しつけにおける「厳しさ」とは体罰や罵声ではない

子どもが間違った方向に育たないようにするには、親が厳しくしつけなければ、と思う人は多いことでしょう。でも、ここで言う「厳しさ」を、どうやら間違ってとらえている方もたくさんいるようです。「厳しい」イコール体罰、あるいは罵声ととらえていませんか?これらは一見厳しいようですが、本当の意味での厳しさとは違い、子育てには必要ないものです。

 

やるべきことは必ずやること。是が非でもやらねばならないことがあるということ。これらを子どもに教えるのが、本当の厳しさというものです。その時に、体罰も罵声もいりません。ただ親がその通りに生きて見せればいいのです。よく、「子どもは親の背を見て育つ」と言いますね。まさにそれです。

 

例えば休日、元気いっぱいの子どもが、そのパワーを発散しきれず、家の中で暴れまわって遊んでいたとしましょう。そんな子どもを「厳しく」叱ったりたたいたりするのはおすすめしません。

 

休日くらい休みたい…という気持ちをおして、公園に連れていって一緒に遊ぶことを選ぶ。これは親である自分への「厳しさ」です。そうやって自分に対して厳しくする姿を見せるほうが、ダメなものはダメ、やらなければならないことは何が何でもやる、そんな厳しさを理解できる人間へと、子どもを育てていくのです。

 

体罰や罵声をよく用いる親は、全て子どものためを思ってのことと弁明します。でも本当に子どもにそれが伝わるのでしょうか。親の厳しさが自分の未来のためなんて、子どもには理解できません。だから、自分は親に意地悪されていると思ってしまうのです。これがあまりにも続くと、自分は生きる価値のない人間だという風に考えるようになっていきます。

 

親の厳しさは自分の事を思っているからこそ、と考えられるようになるには、少なくとも10歳くらいになっていないとできません。このくらいの年齢になってやっと、形のないもの同士の結びつきが分かってくるからです。

 

体罰を与えたり罵声を浴びさせたりするのはうわべだけの厳しさです。そんな厳しさなら使わなくていいのです。親が本当の厳しさを自分に課している姿を見せること。それが、世の中の厳しさを教えるには最も適しているのです。

 

親に我慢を押し付けられるのではなく、自分で我慢を選べる子どもに育てよう

「○○を買って」「□□したいな」…子どもは自由に自分の願望を話すものです。それを全て叶えるのは無理なこと。でも、だからと言って全てについて「ダメよ!」と押さえつけていたらどうなるか。答えは、子どもは願い事を口にしなくなる、です。

 

「わがままを言わないから我慢する気持ちが育った」と思ってはいけません。お願い事を口にしなくなったわけは、言っても無駄だと諦めてしまったからです。口にしたって願いは通らないと思い、話す前に諦める習慣がついてしまったのです。これでは何にも興味が持てず気力もわきません。何かにつけ「自分なんかどうせ…」と言うような子になってしまいます。

 

「我慢する」イコール「願望をなくす」ではありません。ある理由のために、その時だけ、自主的に自分の願望を操作することを我慢と言います。我慢を押し付けられても、本当の意味で我慢が身に付くわけではありません。「自分の願望を分かってもらえた」という経験がなければ、自分から我慢することを選択できるようにはなりません。

 

ですから、あなたがもし「自分の子をもっと我慢強い子どもにしたい」と思っているなら、まずは子ども自身の気持ちを認め、理解してあげるのが一番です。

 

具体的な例をあげてみましょう。スーパーのお菓子売り場で、自分の子どもが「このお菓子、買って」と言ってきたとしましょう。この場合、子どもの言葉の通りに買ってあげることが、子どもの気持ちを認めるということではありません。

 

「このお菓子を食べたいんだね。でも今日はお菓子を買うことができないの。買えなくて残念な気持ちだろうね。でも、このお菓子を買ってしまったら、他のものを買えなくなってしまうんだ」というように話すのです。この時、子どもの「買ってほしい」という願望も、「買ってもらえなくて残念」という気持ちも認められていますね。

 

このように、自分の気持ちを受け止めてもらえた子どもは、自分の気持ちは親に理解されたと満足し、そのお菓子を買わないこと、つまり我慢することを、自ら選択できるようになるのです。

 

子どもには、我慢するという選択肢を選ぶチャンスをあげましょう。それすら与えずに、親から一方的に我慢する道を押し付けてしまっていては、子どもは「我慢すること」を選ぶ力を会得することはできないのです。まずは親が、子どもに我慢を強要することを、我慢する必要があるというわけです。

 

子どもの願望に対していつでも「だめ!我慢しなさい!」と言っているようでは、子どもは自分を卑しめるようになり、自分から我慢する道を選ぶ人間にはなれません。でも、願望やそれがかなわない悔しさなどの気持ちを親に認めてもらえれば、やがては自ら我慢できる人間へと育っていけるのです。

 

「溺愛」大いに結構!それが強い子どもを育てます

溺愛するのはいいことですよ、と言われたら、それでは子供を甘やかすことになりませんか?と聞かれそうです。でも、溺愛と甘やかしは全く違います。上手な溺愛はいいのです。

 

子どもの目の前に何か障害があり、それを自力で克服しなければならない時に、親の方が先にその障害をなくしてしまうこと。それが甘やかしです。甘やかすということは、子どもが成長するチャンスを、親がわざわざつぶしてしまうようなものです。障害を乗り越えられないのではと心配かもしれませんが、その気持ちを子どもに押し付けてはいけません。

 

では溺愛と言うのは何なのか。それは、とにかく自分の子どもを愛し、子どもの全てを受容するということにほかなりません。親から溺愛された子どもは、自分の中に愛されるべき価値を見出すことができ、自信を持って生きていけます。自分を信じる心があれば、様々なことにチャレンジできます。そして仮に失敗したとしても、そう簡単にはめげないのです。

 

甘やかしの裏にあるのは、自分の子は失敗するものと決めつけていますから、子どもをまるごと受け入れている姿とは言えません。ここが、溺愛とまるっきり違う点なのです。

 

では次に、具体的な事例をあげて、甘やかしを溺愛の違いを考えてみましょう。あなたの子どもが食事中に、自分のスプーンを落としてしまいました。この時、親がスプーンを拾ってあげたとしたら、それは甘やかしと溺愛の、どちらだと言えるのでしょうか。

 

この場合、拾った行為だけで、甘やかしか溺愛かを判断することはできません。その行為の裏にある気持ちがキーポイントとなります。つまり「誰かが何かを落とした時には、拾ってあげる優しさを持った子どもに育ってほしい。自分のそんな姿を見て子どももそんな風に育つだろう」こんな前向きな気持ちから拾ったのであれば、これは溺愛と言えるでしょう。

 

これに対して、「まあ、落としちゃったわね。この子は本当に、私なしでは生きていけないのよね」と、子どもを否定的にとらえた考え方で拾っているのであれば、これは甘やかしと言えます。このままでは、子どもも自分に自信が持てなくなりますし、何かにつけだれかに頼ろうとする人間になっていくでしょう。

 

溺愛と甘やかしをきちんと区別して、正しい意味での溺愛をしていけば、子どもは自分に自信が持てるようになり、少々の事ではくじけない、強い心を持った人間へと成長していくのです。

 

子どもにしつけたいことは、まず親がきちんとやってみせる

子どもというのは、親が日ごろから言い聞かせていることよりも、親がいつもやっていることの方を真似します。例えば、常日頃「挨拶は大切にしなさい」と言い聞かせつつ、自分は知っている人に会っても挨拶しない姿を見せていたら、子どもも進んで挨拶をするような子にはならないのです。

 

大人がすることをモデルとして、自分も同じように行動するわけですね。心理学では、人間が何かを学習する時、ほとんどこのやり方で行っているのが分かっています。誰かに教わらずとも、日頃からモデルとなる行動に接し、それを真似しながら会得していくことが、とても多いのです。二本の足で立って歩くことも、このやり方で赤ちゃんは習得していくそうです。

 

「おはよう」「こんにちは」「いただきます」「ごめんなさい」といった言葉を言えるようにさせることは、しつけの基本とも言えるでしょう。それをどう教えていったらよいかというと、周りの大人がそれらの事をきちんと身につけて、実践している姿を見せるのが一番なのです。

 

時々、「うちの子には、挨拶のしつけについては厳しくしています」という親御さんがいらっしゃいます。でも、挨拶と言うのは本来、した方もされた方も気持ちが良いもののはず。それを厳しく言い聞かせる必要があるのでしょうか。

 

挨拶は毎日の事です。だから毎日、親が自然な形で挨拶の言葉を口に出していることで、子どもにとっても挨拶が当然のこととなり、自然とできるようになっていくはずなのです。挨拶のしつけを厳しく、と考えている方は、今一度、自分自身は挨拶をきちんとしているだろうかと、振り返ってみてください。

 

親であれば、人間として当然のことは、我が子にも身につけてほしいと思うはず。でも、そんな人間として当然のことを、罵声や体罰で厳しく身につけさせようなどと思わなくていいのです。当然のことは、まず親が当然のようにやってみせる姿を、日常的に見せ続ける。これが一番効果的なやり方だと言えるでしょう。

 

時には叱ることもあって当然!上手な叱り方をすれば大丈夫!

しつけをするのに、厳しく叱ったりたたいたりする必要はありません。でもきっと、「本当に、子どもを全く叱らないでいいのかな?」と疑問に思ったり不安に感じたりする方もいるでしょう。

 

心配はありません。どんなに強く「叱らずに子育てするぞ!」と決意したとしても、それまでよりは叱る回数が減るものの、やはり全く叱らずにいられるわけではないからです。ダイエットでも、「今日からやる」「いや明日からは絶対に…」と、なかなかきっぱりとダイエット生活に入れないことは多いですよね。

 

それが人間というものです。やらないと決めたらその日から絶対に一度もやらないでいられるほど、強い意志を持つことはできないのです。感情に任せて怒らないように…罵声を浴びさせないように…そんなことはわかっているのです。でも、やってしまうことがある。でもそれでいいのではないでしょうか。

 

笑うだけでなく、怒ったり泣いたりする、それが人間です。怒りや悲しみの感情だけが欠けている親になってしまったら、子どもも豊かな感情を持てなくなりますよ。ただし、子どもを叱らなければならない時には、上手な叱り方を心がけましょう。

 

叱るときのコツは、子どもの目をしっかりと見つめながら叱るということ。怒りの感情に任せて、叱られている子ども以外の人にも怒りをぶちまけるような姿を見せないようにしましょう。これでは、その親の姿が恐ろしすぎて、叱られた内容そのものが子どもに伝わりません。

 

真剣な目で、子どもの目だけをまっすぐに見ながら叱る姿には、ものすごい気迫があります。親の話の内容がきちんと理解できなかったとしても、親がこんな風に自分を叱るなんて、自分は本当に悪いことをしたのだと、子どもははっきりと感じとることでしょう。

 

親と言っても一人の人間です。怒りや悲しみの感情に襲われることだってあって当然です。ただし、感情の波にのまれてただ怒りをぶつけるのはよくない方法。それでは何の効果ももたらしません。怒りの感情に素直になって叱るときには、子どもを真正面から見据えて、雰囲気でただ事ではないことを伝えましょう。

 

叱った回数が昨日より少しでも減ればOK!自分を褒めてあげよう

近頃の育児書や育児関係の雑誌を読んでいると、叱らずに子育てをする方法について述べたものが多いように思われます。それらを読んで、言いたいことはわかるけど、自分には絶対できないな…と思った方も少なくないのでは?

 

リアルに子どもと毎日接している親にとっては、ただの理想論にしか思えないのですが、これらを実践することは、果たして本当に無理なことなのでしょうか。

 

しつけは叱らなければできないということではありません。それは周知のことでしょう。例えば親がやって見せるとか、言葉で教えるとか、子どもができない理由を考えてみて、その子に合ったやり方を考えるとか…。しつけをするには実にいろいろな方法があるのです。だから、叱らなくてもしつけは可能だということです。

 

では、しつけの時に叱るのは絶対に悪いことなのかと思ってしまいますが、そこでちょっと、叱らないしつけ方法について取り上げている本や雑誌を、もう一度読み返してみてほしいと思います。

 

よく読むと、叱ることはいついかなる時も、1回でもやってはいけないことであるとは、決して書かれていないことに気づくでしょう。そのような本や雑誌ではたいてい、叱る回数を減らすにはどうしたらよいかについて書いてあるのです。

 

親だってただの一人の人間に過ぎないのですから、ストレスもたまるしそのせいでイラついたりもする。そんな時は、些細なことで激しく怒ってしまうこともあるでしょう。必要以上に厳しく叱ってしまうこともあるでしょう。それに、命に関わる危険性のあるときなど、否応なく叱らなければならない場合も、確かにあるはずです。

 

「今日は子どもを叱ってしまった。自分は親として失格だ」などと思う必要はないのです。それよりは、昨日より叱る回数を減らすことができた時に、そのことを前向きにとらえ「私もなかなかやるじゃない!」と自分を褒めてあげてください。

 

「叱らずに子育てする」イコール「子どもを一回でも叱ってはいけない」ではありません。叱らないですむ方法を考えつつ、その場の状況に合わせてたしつけの方法を選択していくことが大切なのです。

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