有名進学校の他者とのコミュニケーションから学ぶ授業!集団の中で自分らしさを発揮する方法を学ぶ
現代は、先行き不透明な時代とも呼ばれており、これからの社会は様々な変化の可能性をはらみ、必要とされる人物像も大きく変わると予測されています。
知識偏重型の教育から、人間力向上のための教育への転換が求められていますが、有名進学校の多くには以前から、生徒の人間力を鍛える教育プログラムがあります。
一見勉強とは無関係な内容を通して、将来社会を担う人間の根幹を鍛えてきました。名物授業や伝統行事を通して、生徒たちが何を学んでいるのかを見ていきましょう。
開成は運動会で「組織の中で個が果たす役割」の大切さを学ぶ
開成生が全エネルギーを注ぎ込む名物行事「大運動会」
開成と言えば、37年連続東大合格者数トップをひた走り、ずば抜けた学力を誇るスーパー進学校です。そんな開成の生徒たちは、さぞ青白い顔のガリ勉だろうと思う方も多いかもしれませんが、実際にはバンカラな校風で知られています。
開成を語る上で欠かせないのは、毎年5月中旬に行われる「大運動会」です。中1から高3までの全生徒が8つの組に分かれ、それぞれの組の高3が下学年の指導を行うのも開成大運動会の特色です。
学年ごとの競技では、8チームのトーナメント戦を行いますが、どれもボディコンタクトのある激しい団体競技です。
学年競技は次の通りです。中1は相手の鉢巻を奪い合うスタイルの騎馬戦「馬上鉢巻取り」、中2は「綱取り」、中3は重い布袋を自陣に引き込めば勝ちの「俵取り」、高1は「騎馬戦」で、高2と高3はそれぞれ「棒倒し」です。
最高の運動会にするための準備は、高2を中心とした準備委員によりほぼ1年前から始まります。前年までの競技ルールだけでなく、発生したケガなどのトラブルを徹底的に洗い出し、話し合いを重ねながら作り上げていきます。
活動の根底にあるのは、開成の伝統でもある生徒の自主性であり、学校側はこれを最大限尊重し、支援しています。
2018年の大運動会は降雨順延により5月14日(月)に行われました。開会式はなんと朝の7:10、閉会式は17:20と長時間に渡って開催されましたが、学年競技6種目の他にはリレー競技などの個人種目が4種目と、競技の数はさほど多くありません。
というのも、先ほども述べた通り各競技はトーナメント方式で戦うため、競技ごとに7試合行うことになり、優勝チームが決まるまで1時間近くかかる計算になります。
さらに名物競技として知られる高3の棒倒しに至っては、トーナメントで全順位を決めるため、2時間近く競技を行います。
チームの勝利を目指した熱血指導で、学年を超えたチームの絆が強固になる
さて、運動会に向けての練習は4月から始まります。昼休みや放課後を使い、高3の指導の下、競技や応援の練習を文字通り毎日ヘトヘトになるまで行います。
特に中1の生徒にとっては、いきなり厳しい部活の上下関係に放り込まれたようなもので、戸惑いながらも伝統の運動会の渦に巻き込まれて行きます。
しかしながらその練習風景はただ身体を鍛えたり、競技の練習を繰り返すのとは違います。競技ごとに、改善を繰り返しながら長年受け継がれてきたルールと、積み上げてきた戦略があります。
高3が練り上げた今年の戦略を成功させるために、担当のクラスが完璧な動きを見せられるような指導を行うわけです。
そのためには、練習の様子の動画を分析し、生徒一人一人に対してアドバイスを行うだけでなく、対戦相手の分析も行い、試合ごとの戦術を微妙に変化させることもあります。
運動会の競技でありながら、事前に行われているのは頭脳戦です。この点が開成らしさでもあり、開成大運動会のコアなファンは、この戦略戦を楽しみにしています。
8組はそれぞれ、紫・白・青・緑・橙・黄・赤・黒とチームカラーが決まっていますが、競い合っているのは運動競技だけではありません。
毎年、組ごとに「エール」と呼ばれる応援歌が作られますが、これは生徒たちにより作詞作曲されたオリジナルソングです。また、「アーチ」と呼ばれるおよそ15メートル四方の絵も作られます。
また、エールやアーチにはそれぞれ賞があり、来場者にも投票してもらいます。この賞はチームの得点に加算されるため、毎年ハイレベルな争いが繰り広げられています。
さらに、組ごとに「パンフレット」が作成されます。これは高3生が総力を挙げてまとめた文集で、最後のページには下級生個人への激励メッセージがびっしりと書き込まれています。
これだけ思い入れを持って取り組むため、高2と高3の時にどのチームに所属していたかが、開成OBとしての自分の身体に誇りとともに刻み込まれます。
卒業後何十年経っていても、開成OB同士が出会った際には、「運動会、何組でした?」という言葉が共通の話題となるほどです。
運動会競技にも緻密に戦略を練るのが開成流
・中3・俵取り
2018年に行われた大運動会の最初に行われたのは、中3の「俵取り」です。この競技では、俵を模した、100kgを超える重さのある布製の大きな袋を11個転がします。
それをより多く自陣に入れた方が勝つというゲームですが、ただ転がすだけではなく、そこには綿密に練られた役割分担にもとづく戦略があります。
「押し」は、俵に覆いかぶさるようにして、自陣に向かって力一杯転がすポジションです。「はがし」は、敵チームが転がしている俵に襲いかかり、敵の「押し」を引き剥がす役割を持っています。
また「押しカバー」は、「押し」と「はがし」の争いに加勢して、敵の「はがし」攻撃から味方を守るポジションです。
試合開始直後は、それぞれのチームが俵を転がすことに全力を尽くしますが、しばらく経つと試合の形勢が見えてきます。
もし自軍がリードしている展開であれば、俵を転がす「押し」が敵の「はがし」に捕まるリスクを避け、俵に抱きついてその場から動かない戦略をとる場合もあります。この作戦は「カメ」と呼ばれ、過去に何度も取られてきた戦略です。
正攻法あり、知恵を絞った策のぶつかり合いありの試合ですが、ルール違反には非常に厳しく対処します。5〜6人の審判団がそれぞれの俵を取り囲むように配置され、それぞれの選手の動きをチェックし、反則が認められれば即刻退場となります。
真剣勝負の結果が勝利であれ敗北であれ、試合の後には涙を流す選手が続出します。
・高1・騎馬戦
午後のプログラム2番目には、高1による騎馬戦が行われました。騎馬戦のルールは、4〜5人で騎馬を組んで、相手軍の騎馬上に乗る人(騎手)の体の一部を地面に触れさせたら勝ちという、非常にシンプルなものです。
制限時間終了の時点で残っている騎馬の数が多い軍が勝利となります。
騎馬戦は、他校の運動会でもおなじみの競技であり目新しさはないように思えますが、開成の騎馬戦は一味違います。ここでも様々な戦術を駆使して試合を展開していきます。
騎馬戦は、一般的には「攻め」の競技だと考えられていますが、開成では「守り」の考えを取り入れた戦術が伝統的に取り入れられてきました。
先ほど、「騎手の体の一部を地面につければ勝ちだ」と述べましたが、これはつまり「騎手の体さえ地面に触れなければ、負けにはならない」ということでもあります。すなわち発想の転換を生かした戦術です。
例えば相手方との一騎打ちになったものの、勝てる見込みがない場合、騎手以外のメンバーは一斉に仰向けに倒れ、その上に騎手を載せて地面に触れないようにします。
一般的な騎馬は土台3名に騎手1名ですが、開成の騎馬は4名で土台を組んでいるため、騎手の真後ろに控える選手が体ごと騎手を受け止める格好になります。
敵軍の騎馬は、仰向けに倒れている騎手に攻撃し、態勢を崩そうと試みますが、自分たちの騎馬が崩れてしまう危険と隣り合わせであり、攻撃が失敗に終わることも多くあります。
開成の騎馬戦の面白さは、攻めの一辺倒ではなく、劣勢に陥った際の戦い方、つまりこの退却戦にあると言っても過言ではありません。
このように怪我と隣り合わせの競技が続きますが、教員はあくまでも見守る立場に徹します。プログラム進行についても、準備委員や審議会、審判団に所属する生徒たちが全体を見ながら各所に指示を飛ばします。
・高3・棒倒し
学年競技のトリは、高3による棒倒しです。棒倒しは80年以上の歴史を持つ、開成の大運動会の代名詞とも言える名物競技です。
棒倒しのルールはいたってシンプルで、相手方の棒を倒せば勝ちとなります。厳密に言えば、棒の先端が高さ140cm以下になるか、棒の根元部分を地面から50cm以上に浮かせることが勝利の条件です。
ルールが単純だけに、その裏には精密に組まれた戦略があり、それぞれの選手に細かい役割が割り当てられています。
選手は、棒を倒す「攻撃」、攻撃を押しとどめる「遊撃」、棒を守る「迎撃」そして、遊撃よりも守備範囲が広い「サード」の4つに分かれます。「サード」はルールの見直しにより8年前から導入されたポジションです。
「攻撃」がいかにして相手チームの棒によじ登るかが勝負の決め手となり、各チームとも戦術を練って来ますが、危険性の高いものや競技性を損なうと思われる行為は反則とされ、認められれば即座に敗北が決まります。
またポジション毎に、フィールド内で立ち入ってはならない場所が明確に決められています。
そして、相手チームの「攻撃」にどんな選手が配置されているかは、チームの勝敗を左右する重要な情報です。相手方の攻撃に強い選手がいた場合、試合開始前からマークしており、遊撃選手2名でその選手を組み伏せるなどのシフトを敷きます。
従って、どちらも自軍の攻撃陣の配置を直前まで知られないために、顔を隠すなどの対策を取ります。
練りに練った策は時として、賛否両論を巻き起こすことがあります。ある年には、自軍が劣勢と見て、競技開始直後から自分たちのチームの棒を斜めに傾け、迎撃の選手たちがその下から肩で支える新戦術を披露しました。
本来相手方に棒を倒されそうになった時に使う「肩入れ」という防御の技を拡大解釈した訳です。
その試合は成立し、この戦略を用いたチームは勝利しましたが、このようなルールの捉え方がフェアであるか、競技性を損なっていないかの議論が巻き起こりました。
そして翌年以降はこの戦略を禁止にできるよう、ルール改正の対象として検討されることになりました。
ノウハウは、長い歴史の中で人から人へと受け継がれてきた開成生の財産
2018年度の運動会は、黒組の優勝で幕を閉じました。エールとアーチの各賞も発表され、エール賞は白組、アーチ賞は緑組が手にしました。
開成の運動会はほとんどが生徒自身の手で運営され、先生の出番は開会式と閉会式ぐらいだと言われます。閉会式では柳沢校長先生が、生徒たちの頑張りを讃える手短な挨拶をしました。
1ヶ月近くにわたる練習期間を通じ、高3生は下級生を熱心に指導します。下級生一人一人に目を配り、彼らが書いた練習の反省文には手書きで返事を書くうちに、上級生はリーダーシップが育ち、下級生は憧れの先輩という存在が生まれます。
中学で900名、高校では1400名の生徒を擁する巨大な組織でもある開成で、これだけの大きなイベントを準備し成功させるのは並大抵のことではありません。
全校生徒一人一人に与えられた役割は小さいものですが、それが縦横に連携することで大きなうねりとなって、一つの意志を持った生き物のように動き出します。
伝統の大運動会は、このように先輩から後輩へと時代を超えて受け継がれてきました。明文化したマニュアルは存在しません。蓄積されたノウハウは、先輩の働きを間近で見て学び、そして後輩へも同じように伝えていきます。
それはあたかも伝統芸能や伝統工芸の世界に弟子入りするような、技と知恵の継承があります。
開成では教育をする上で、行事を重視しています。運動会を通して、練習から準備、本番の競技と運営までの一連の流れを体感し、大きな組織の中で役割を果たし、行事の成功に寄与できたという経験をすることが生徒の財産となると考えているからです。
また、開成生としてのDNAは、運動会に参加することで身につくと言っても過言ではありません。開成生にとって、運動会で優勝することは東大に受かるより嬉しいことだと、柳沢校長先生は語っています。
高3生が、自分が指導した下級生たちの成績の責任を負うのも、開成の伝統です。来年の初夏もまた、頭を丸めた開成生が西日暮里の街を闊歩する姿が見られるでしょう。
海城はドラマ作りの授業で、異なる価値観を持つ他人との協働を通し、調整能力を養う
人間力・学力のバランスがとれた紳士を目指し、学校改革を行う
東京・大久保にある中高一貫の私立男子校である海城は、1891年に海軍予備校として創立された伝統校で、筑駒や御三家に次ぐ進学校としてその名を知られています。
かつては厳しい指導で東大合格者数を大きく伸ばし、スパルタ校として有名になった海城は、この四半世紀ほどを学校改革に費やしています。
その背景にあったのは、受験対策に極端に偏ったカリキュラムにありました。苦労の末に東大合格を勝ち取った海城の卒業生たちに「燃え尽き症候群」のような現象が見られたのです。
これでは建学の精神『国家社会に有為な人材を育成する』に反すると考え、人間力と学力のバランスを重視した教育へと転換を図りました。
現在海城が目指すのは「新しい紳士」を育てることです。それは、確かな学力を持ちつつ、公正でフェアな考え方ができる、これからの社会のリーダーとなれる人材を意味します。
新しい紳士育成のために新カリキュラムが導入
カリキュラムもそれに合わせて大きく変わりました。学力面の強化で言えば、「社会科総合学習」では、自分が設定したテーマについて、時には現地に足を運ぶなどして主体的に調査し、考えをまとめます。
教師や同級生と意見を交わす中で、自分とは異なる考えに触れる経験もし、社会人として求められる課題解決能力や調整能力を高める狙いがあります。
「社会科総合学習」は中学の3年間、週2コマ行われています。様々なテーマについて中1からレポートを書く訓練をするため、中3で書く「卒業論文」はどの生徒も原稿用紙30〜50枚もの大作を書き上げます。また、取材や調査も一人で行えるようになります。
人間力を高めるためのカリキュラムも、2つ導入されました。一つはプロジェクトアドベンチャー、もう一つはドラマエデュケーション(以下DE)と呼ばれる授業です。
プロジェクトアドベンチャーは、入学して間もない中1生が対象で、高尾山の麓にある専用施設でグループ毎に課題にチャレンジすることを通し、仲間との信頼関係を育みます。
ドラマエデュケーション(DE)
・1回目の授業:即興劇を短時間で作る練習を行う
DEは中2と中3が対象の授業です。中2では7人で作ったチームごとにドラマ(劇)を作ります。その内容は、海城のある大久保周辺に暮らす方や学校関係者、その知り合いから聞き書きした「それぞれの人生」をもとに組み立てたものです。
3週間にわたるプログラムの最後には、保護者を招いて発表会を開きますが、文化祭のクラス劇のようなセットや衣装、小道具はおろか音響効果も一切使用しません。伝えたいことはセリフか体の動きだけで表現しなければならないところが、海城のDEの特色です。
中2の男子たちには難しい課題であるようにも思えますが、授業では、段階を踏みつつ生徒たちを確実に導いていきます。
まず、最初の授業で行うのは「3秒で作る即興劇」です。2人組を作り、先生から与えられたテーマを基に即興でスキット(寸劇)を演じますが、準備に与えられた時間はわずか3秒です。
例えば「医者と患者」というテーマが与えられたら、3秒でそのイメージを掴み、どちらがどの役になるかを決めて演じ始めるのが理想です。
ですがたった3秒では打ち合わせが出来ないままのペアがほとんどですので、2人ともが医者を演じてしまうハプニングも起こります。
ここからがこの授業の醍醐味です。想定外の事態に咄嗟に対応し、演じながら役割分担を調整していきます。
ペアを組んでいる相手の演技を見ながら、自らを適応させていくのは非常に難しいことですが、海城生は無理だと投げ出してしまうことなく、必死に演じ続けます。
テーマは徐々に難易度を増します。「ケチャップとマヨネーズ」や「バットとボール」など、登場するのが人ではないテーマになると、自分の体だけで「ケチャップ」や「マヨネーズ」のイメージを伝えなければなりません。
その上で、お互いが相手の動きに呼応しつつ一つの劇として成立させるのは至難の技ですが、生徒たちは臆することなく取り組んでいます。
次は徐々にグループの人数を増やしながら、更に難しいテーマが与えられます。「カマキリ」や「改札」、あるいは「矛盾」や「羊頭狗肉」と言った故事成語を題材に、複数人のグループで演じますが、この場合は数分間の打ち合わせ時間が与えられます。
短時間の間にスキットの大まかなあらすじや配役のアウトラインを決め、後はアドリブでの勝負です。
これは、演劇以外にも応用できる能力を育てる目的があります。つまり、すべての条件や材料が揃っていない状態でも、とりあえず始めてみる練習です。
十分に言葉を交わせない状況でも、チームの仲間たちの意図を汲み取り、自分もそれに合わせて動くことには、「阿吽の呼吸」が求められています。
ここまではいわばウォーミングアップです。初回の授業の最後には、7人ずつのグループに分かれて、様々な職業に就く人の話が書かれたプリントを見ながら即興劇を作ります。
食堂で働く人、教師、医師など、様々な仕事をしている人が1人称で語った話を読み、同じく数分という短い時間でドラマの構成と配役を手際良く決めていきます。
ここまでスムーズにチームの意思決定が行われる背景には、授業前半を使ったウォーミングアップのスキット作りが役立っていますが、中1で行われた授業「プロジェクトアドベンチャー」で、チーム一丸となって課題に取り組んだ経験も大きいのです。
・2回目の授業:「ある人の人生」をじっくりとインタビュー
次の授業では、グループインタビューを行います。学校関係者やその知り合いだけにとどまらず、海城のある新宿区・大久保周辺で様々な仕事をしている人たちが、中2生のDEのために集まってくれます。
その職業は様々で、新大久保の商店街の店主や神主など、総勢40名にもなります。
そして、1グループ毎に1人のゲストスピーカーの方を迎えて、その人の人生や仕事の話を聞き、メモを取っていきます。
生徒側から次々と質問を重ねる、あるいはゲストに思いのままに語ってもらうなど、インタビューの方法は自由ですが、先生からはあらかじめ「仕事の話から見えてくる『その人らしさ』を掴むように」とのアドバイスが与えられます。
生徒たちは話の内容だけでなく、ゲストの表情や言葉遣いなどについても細かく正確に記録していき、インタビューの後にそれぞれがメモした内容を突き合わせします。
すると、メモした内容がメンバー毎に違っていることに気づきます。同時に同じ人の話を聞いていても、感じ方や話の受け取り方は人それぞれだと知ることも、授業の大切なポイントです。
・3回目の授業:聞いた話を元にドラマを組み立て、観客の前で演じる
3回目の授業でいよいよグループ毎の演劇づくりを行います。先生はまず、演劇を「ナレーション」「セリフ」「身体の動き」という要素に分解し、これらの要素の一部が使えないという制約下ではどんなことが難しく、それをクリアするためにはどういう工夫をしたら良いかを生徒たちと一緒に考えます。
例えば「ナレーション」が使えない劇では、状況や場所の説明が不足するため、その状況をカバーするためには、必要な情報をセリフに盛り込む必要が出てきます。
公園のベンチに座る場合も、登場人物に「公園は気持ちがいいなあ・・・あっ、ここにベンチがあるから座っていこう」と言わせることで、ナレーションの役割を補完できるという訳です。
その他にも、観客席から見やすい演者の立ち位置や、ナレーションの声のボリュームなど、視覚面、聴覚面から考えた「伝わりやすさ」にも気を配るように指導します。
同じ人の話を聞いても、グループのメンバーそれぞれが異なる印象を受けるように、同じ劇を見ても観客の受け取り方は人それぞれだと、生徒たちは既に気づいています。
先生からの助言と合わせ、演劇づくりは仕上げの段階に入りますが、与えられた時間は10分そこそこですので、簡潔なやりとりでメンバーの意見をまとめ、発表に臨みます。
ドラマづくりから実際に演じるまでのグループワーク成功の秘訣は、メンバーそれぞれの参加意識にあります。強いリーダーシップを発揮するメンバーが現れたグループでは、時として残りのメンバーがリーダーの指示待ちをしてしまうケースも見られます。
すべてのメンバーが自分のやるべきことを見出し、同じ目標に向かって一体となった時こそ、最高のパフォーマンスが得られます。これは、演劇づくりに限ったことではなく、社会におけるあらゆる組織にも言えることでしょう。
演劇づくりで身につく様々な能力は、社会のリーダーに不可欠な「人間力」を養う
ドラマエデュケーション(DE)の授業では、ワークショップなど教育普及事業への取り組みでも知られる、世田谷パブリックシアターがファシリテーターを務めています。またこの教育プログラムも、海城の教員と共に構築しました。
海城ではこの授業を通して、生徒たちに「対話的なコミュニケーション能力」と「コラボレーション能力」を身につけて欲しいと考えています。
また、グループワークで集団としての意見の取りまとめや役割分担を、観客に劇を見せることで不特定多数に対するプレゼンテーションのやり方を学ぶこともできます。
これらの能力はすなわち、海城が目指す「新しい人間力」に他なりません。人は皆、異なる価値観を持っていることを知った上で、お互いの良い点を引き出すことがシナジー効果を生み出すことを、ドラマ作りを楽しみながら実感してもらう狙いがあります。
そして、十分に準備ができない状況で、ひとまず劇にして「やってみる」経験も、先行きが見通せないと言われる今の世の中で、答えの無い問いに自分なりの答えを見出していく力に繋がると考えているのです。
芝ではバイオリンの授業を通して、自分の感性を研ぎ澄ませつつ、他者の意見も尊重できる人間を育てる
芸術系科目にも注力し、感性豊かな人間を育てる教育
芝中学校・高等学校は、徳川家ゆかりの寺である増上寺境内に作られた学僧の学びの場をルーツとする、歴史ある男子校です。伝統的な進学校でありながら、穏やかな校風でも知られ、あまりにも温かいその雰囲気は「芝温泉」とも呼ばれるほどです。
仏教校でもある芝の教育理念は、浄土宗の宗祖である法然が唱えた「共生(ともいき)」です。
これは、私たちの命は祖先から受け継いできたものであり、この先は自分たちの子孫につないでいくものでもあり、自分だけではなく多くの命と「共に生かされている」という考え方を言います。
「共生」は、芝の教育の根幹である「人間教育」を貫く考え方でもあります。
家庭、学校そして社会もまた、自分の周りには多くの人がいます。自分一人でそこにいるのではないことを自覚し、常に周りの人を信頼、尊重し、他人の意見にも謙虚に耳を傾けることができる人間を育てようとしています。
芝では、進学校らしく数学・英語・国語は先取り授業を行いますが、社会や理科では実験や体験学習を多く取り入れ、自分で調べたことをまとめ、人に伝える力を育みます。
また、技術・家庭・美術・音楽といった実技教科なども主要教科だと考え、創造力や情操面を伸ばすことにも力を入れています。
例えば家庭科では、調理実習だけでなく被服実習も行います。そのため調理実習の前にまず、ミシンを使って自分用のエプロンを縫います。
また、美術では基礎的なデッサンから入り、デザインや工芸の分野など、平面・立体様々な作品を制作します。技術科でも金属加工や木材加工など、幅広い分野に触れることができます。
中でもユニークなのは音楽です。合唱や合奏に力を入れており、中1の秋に行われる合唱祭に向けては、課題曲を作曲し、作詞もクラスで行います。また、様々な楽器の演奏にも取り組んでおり、和太鼓やギター、三線そしてバイオリンの演奏を教えています。
中学のバイオリン授業では、基本的な演奏ができるレベルまで指導する
バイオリンの授業は中1から中3まであり、1人につき1台のバイオリンが用意されているなど、環境も整っています。ほとんどの生徒は初心者ですが、中3の終わりに合奏することを目指し、練習していきます。
バイオリンは、音を出すことすら難しい楽器であるというイメージがあり、生徒たちも中1の最初の頃は不安そうな様子を見せますが、クライズラー&カンパニーなど、とっつきやすい印象のアーティストのDVDを鑑賞すると、少しずつ興味が湧いてきます。
そこから徐々に、弓の持ち方や立ち方、構え方などバイオリンを演奏するための基本を教えていきます。
中1の3学期にはいよいよバイオリンを弾いて、音を出してみます。バイオリンには4本の弦がありますが、生徒たちが使うのは第1弦のE(エー)線と第2弦のA(アー)線だけ、しかも音階を弾く目安となる場所にはシールが貼ってある特別仕様です。
それでも、ミリ単位のズレで全く違う音が出るため、自分の耳を頼りに音を探す作業が必要です。
中1の終わり頃の授業では、先生のピアノに合わせて、クラス全員で音階を弾いていきますが、その前に先生から「音階」について説明があります。
誰もが知っている音階「ドレミファソラシド」の音と音の間隔は均等ではなく、ピアノの鍵盤に置き換えると、ミとファの間とシとドの間には黒鍵がないのはそのためだという話です。
さらに音楽に携わっている人たちは、黒鍵がないミとファ、シとドの間は「狭く」感じ、間に黒鍵がある音の間隔は「広く」感じることを話します。
その感覚を意識させた上で実際にバイオリンを弾くことで、微妙な音の違いに気づき、自分で音を合わせていくことが求められるバイオリン演奏のウォーミングアップをすることができます。
ピアノの音を頼りに、1音ずつ上げながらバイオリンを弾いている間にも、先生からは、その部分の音階が広いのか狭いのかが説明されます。
すると自然と、現在出している音に意識が集中してきます。誰かの弾くタイミングが微妙にずれていると、すかさず指摘の声が飛びます。
音階の次には易しい練習曲を弾きます。誰もが知っている『きらきら星』のメロディを弾いている最中も、先生は音階の間隔を意識させるような声がけを行い、同時に音にズレがないかにも目を配ります。
生徒たちはこの時点で既に、自分たちの持っている音感を頼りにバイオリンで思い通りの音階を奏でることができるようになっています。
次のステップは、周りとの調和です。自分が正しく演奏することに気を取られすぎると、他の生徒たちと弓の動きがずれていることに気がつかず、音が揃わなくなってしまいます。
この点についても先生は、演奏中に何度も繰り返し注意を促します。弦を押さえる自分の手元だけでなく、自分以外の演奏者の手の動きまでも視界に入れておく必要があるのです。
このように、バイオリンの合奏中は目も耳も研ぎ澄ませておかなければなりません。バイオリンの授業を通して、音感だけでなく他の様々な感覚も身につけることができるのです。
自分の納得がいく音を追求しつつ、周りの音と自分の音とを調和させる能力を鍛える
このバイオリン授業で芝が目指しているのは、自分の納得のいく音を追求するのと同時に、クラス全体が奏でる音と自分の音とが美しく調和するように、自分の音を微調整していく能力を高めることです。
バイオリンを音楽の授業に取り入れたのは、吹奏楽部顧問を務める音楽担当教諭の提案がきっかけでした。
芝の生徒たちに、難しいことにチャレンジさせたいという思いと、いずれ学校としてオーケストラをやってみたいという希望が背景にあったようですが、一番の理由はバイオリンという楽器の持つ特性にありました。
まず、バイオリンは自分で音階を作る楽器だということです。ピアノのように決められた音ではなく、自分の左手の使い方ひとつでどのような音でも出せる点が、魅力であり難しさでもあります。
自分の出したい音を追求するには、音楽を自分なりに解釈し、音を豊かに表現する感性が求められます。
納得できる音に出会うためには、高い技術ももちろん必要ですが、妥協しないで何度も練習を重ねる姿勢も大切です。これは、社会人として求められる資質にも通じるところがあります。
もう一点は、バイオリンは単独で演奏するよりも、アンサンブルなど複数で演奏されることが多い楽器だということです。弦楽器同士の場合も、ピアノとの組み合わせで演奏されることもありますが、いずれも他の演奏者が奏でる音に合わせた演奏が求められています。
自分がいいと思った音であっても、周りと不協和音になってしまう場合もありますが、そんな時には周りに合わせて調整する能力が必要です。
これは、芝が教育理念に掲げる「共生」そのものだと言えます。集団の中にある自分を意識し、周りの人たちを尊重する姿勢は、バイオリンの授業の中でも育まれていくのです。
麻布では、今の高校生にとっての『ふるさと』の新しい歌詞を作り、同じ言葉が持つ意味の時代による変遷に気づかせる
「自由な校風」で知られる麻布を象徴する授業「教養総合」
麻布中学校・高等学校は、創立123年を迎えた歴史ある私立男子校です。首都圏の中学入試御三家の一角を担っており、戦後常に東大合格者数トップ10を守り続ける進学校でありながら、超のつく自由な校風でも知られています。
麻布には校則も制服もありません。髪を染めた生徒も多く目にします。唯一あるのは「生徒の自主活動は基本的に自由である」という言葉で、クラブ活動や学校行事の自治権を持ち、生徒たちが管理・運営を行なっています。
つまり、自由をただ謳歌しているのではなく、相応の責任も負っているのです。
また、自由には失敗がつきものですが、生徒たちは、自由を手にした代償として失敗やトラブルを経験しながら、その扱いについて身をもって学んでいくべきだというのが、麻布の考え方です。
平秀明校長は、「服装や髪型の自由」よりも「内面の自由」を重視していると語ります。規則に縛られるのではなく、自分の中に揺るぎのない基準を持ち、自らを律することを覚えて麻布を巣立って欲しいと考えているようです。
生徒たちが自由なのと同様、学習カリキュラムも自由度が高く、また、授業の進め方も教員に一任されています。それぞれの教員は工夫を凝らしたオリジナルテキストを活用しながら授業を進めています。
麻布の自由な教育活動を象徴するのが「教養総合授業」です。2002年度施行の学習指導要領の目玉とされた「総合的な学習の時間」を麻布流にアレンジした「特別授業」がその前身です。
高1・高2を対象に、土曜日の3・4時間目を使い開講される選択必修授業で、毎年様々な分野から約60ものテーマの授業が行われます。
分野は、語学、人文、科学、芸術、スポーツそして「リレー」があります。リレーはひとつのテーマに沿って複数の学外講師が受け持つ授業で、2018年度は「理系的地球の歩き方」「2050年の日本と行政のゆくえ」「Let’s try NPO/NGO NPO/NGOの可能性」といった講座が開講されました。
現代の高校生にとっての『ふるさと』とはどんな風景かを考える授業が名物講座
リレー分野の名物講座は「日本を読む、日本を書く」です。8年以上も続けられている講座で、その授業では唱歌『ふるさと』の4番を作るというテーマに毎年取り組んでいます。
講師を務めるのは、首都大学東京人文学部で教育社会学を専門とする西島央准教授です。また、西島准教授は麻布OBでもあります。
『ふるさと』という歌を聞いたことがない日本人はいないのではないでしょうか。この歌は1914年(大正3年)に文部省唱歌に選ばれ、尋常小学校で歌われました。
当時の時代背景もあり、子供達の故郷や国を愛する気持ちを育てることを目的に選ばれましたが、そこに描かれているのは日本の美しい自然を讃え、望郷の念を呼び起こす日本人の心です。
「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」など、歌に描かれているのは、作詞をした国文学者・高野辰之が生まれ育った長野の里山の風景だと思われます。
『ふるさと』が作られてから100年以上たった現代の高校生にとっての「ふるさと」はどんな風景かを考え、4番の歌詞を作り、メロディにのせた歌にして鑑賞するのがこの授業の目的です。
前半は個人で、後半はグループを作り、10時間じっくり考えて歌詞を作る
全5回の授業前半は個人で考え作業を行いますが、後半では2〜3名のグループワークを行います。
まず初回授業では自分にとっての「日本」、そして唱歌『ふるさと』の持つイメージを整理した上で、2回目の授業で唱歌について詳しく学びます。特に、この歌が人々に与えた影響について理解を深めます。
3回目の授業では現代に視点を移します。今、高校生が何を考えているか、社会はどんな価値観を持っているかだけではなく、自分たちが暮らす地域、さらには日本という国から思い浮かぶ景色を言葉にして書き留めていきます。
そして多くの言葉をピックアップした中から、自分の「4番」のコンセプトに落とし込むまでを行います。
4回目の授業からはグループワークとなります。前回の授業で作ったコンセプトの方向性が近い生徒同士で2〜3人のグループを作り、意見を出し合いながらいよいよ歌詞を完成させます。
最終回となる5回目の授業は、グループごとのプレゼンテーションを行います。準備するのは歌詞だけではありません。その歌詞の内容とリンクする写真を自分たちで撮影し、そのスライドを同時上映します。
21世紀の東京に残る「古き良き日本」に着目しているグループもあれば、一見美しく見える大都会の夜景の陰にある、仕事漬けになっている人たちの悲哀を感じ取るグループもあります。
きらびやかなネオンに矛盾を見た彼らの作った詞には、「社畜」「足枷」といったネガティブな言葉が並びます。
プレゼンテーションのハイライトは歌の披露です。と言っても生徒たちが歌うわけではありません。作った歌詞の内容に合わせて『ふるさと』をアレンジした曲は、プロの声楽家によって歌い上げられます。
ある曲は正統派クラシックオペラ風、またある曲はジャズ調といった具合です。
プロの手によって立派な楽曲になった、自分たちの「ふるさと4番」を鑑賞するのは非常に贅沢な体験であり、10時間かけて考え抜き、作詞をやり遂げたことを誇らしく思うことができるでしょう。
近年の授業では、さらに一歩踏み込んだ取り組みとして、原曲の歌詞の言葉選びと当時の社会情勢など、歴史的な背景とを絡めて分析したり、歌のプレゼンテーション終了後に音楽家と話し合う時間を設けることもあります。
真剣に考えて紡いだ歌詞は、思春期の心をそのまま映し出す
麻布生たちが紡ぎ出す歌詞は一様に内省的で、時に暗さが目立つものが多くあります。これはやはり、彼らが現在、思春期の真っ只中にいるということが背景にあると言えます。
時間をかけて自分と向き合い、取り出した言葉は、偽らざる自分が映し出されているからでしょう。
発表する歌詞だからといって、繕いの明るさは見られません。迷いや葛藤、そして怒りが込められた言葉には、麻布生たちが思春期の今を懸命に生きていて、様々なことを日々考えていることが表れています。
未来を担う若者こそ、受け継いだ既存の言葉が持つ意味を改めて考えて欲しい
この授業が誕生した背景には、生徒たちの社会を見る目を豊かにしたいという麻布の思いがあります。というのも私たちは、意識をせずに生きていると、「これまで」と「これから」を感覚的に混同して捉えてしまいがちだからです。
将来の社会、そして日本を担うということは、これまでには存在しなかった新しい考えを生み出すことでもあります。すなわち「新しい言葉を紡ぐこと」でもあるのです。
また以前から使われていた言葉も、改めて考えてみることで、違うイメージを持って捉えることができるものもあります。
麻布の教員たちは生徒たちに、今までこうだったからといって、そのまま未来に引き渡してしまうのではなく、今はどうなのかを考え、新しい価値を付加していって欲しいと願っています。
そして自分たちの次の世代が紡ぎ出した新しい言葉に対しても聞く耳を持ち、新しい価値を受け入れられる人であって欲しいと考えています。世代のバトンはこうやって、過去から未来へと受け渡されるのです。
これは麻布の教育理念「青年即未来」にも通じる考え方です。これは青年こそが未来の扉を開く担い手であり、未来そのものであるという意味で、青年の内面にある豊かな個性と才能さえあれば、この社会の未来は可能性に満ちているという希望あふれる言葉です。
麻布が生徒たちに寄せる、絶対的な信頼と、個性を伸ばす教育の源はここにあるのでしょう。
更新日:2023/05/31|公開日:2019/01/28|タグ:授業