こんな言葉が子どもを傷つける
親子の間であっても、言葉でコミュニケーションを取る限りは思い違いや誤解といったことが必ず生じます。もしかすると、それによって子どもがひどく傷ついているかもしれません。親としては気軽に使いがちなのに、子どもを傷つけてしまう言葉にはどんなものがあるのかについて見ていきましょう。
何気ない親の言葉が子どもを傷つけているかもしれない
子どもが小学生以下の場合、一日で一番長く顔を合わせる人物といえば母親ということになるかと思われます。このため、子どもと話をする機会が最も多いのも母親ということになるでしょう。
子どもとはどうでもいいような内容からかなり真剣な話し合いまで、さまざまなことを話すことになります。しかもそれが毎日ということになりますから、いきおい母親としてはいちいち意識せずに言葉を使うことになりがちです。
実際、毎日毎日いちいち言葉を意識していたらやってられないと親としては感じるかもしれませんが、親が深く考えずに言ったことであっても、言われた子どもがかなり傷ついていた、ということは往々にしておこるものです。そして自分を傷つけた親の言葉のようなものほど、子どもはずっと長期間忘れずにいるものなのです。
また、子どもと母親は毎日一緒にいる時間が長いわけですから、言葉をかわす中で誤解が生じてしまったり、感情面ですれ違いや摩擦が生じることもよく起きることになります。
このため、親としては自分が言ったこと、かけた言葉が子どもにどんなふうに影響を与えているのか、どんな受け取り方をされたのか、といったことについてときおり振り返ってみた方が良いことがあります。
特に、今から挙げていく言葉は間違いなく子どもを傷つけます。こうした言葉をついつい口にしてしまっていないか、自分の言動を振り返ってみてください。
「あなたなんて産むんじゃなかった」
母親が自分が産んだ子供にこんな言葉を言うことなんてあるのか、とびっくりする人もあるかもしれませんが、ある調査によれば、「産むんじゃなかった」「生まれてこなきゃよかった」というようなひどい言葉を自分の子どもに言ったことがある親がけっこういるという結果が出ています。
子どもたちに話を聞いてみても、こういった言葉をかけられた経験があると答える子どもが相当数いるのです。現在親になっている女性たちに聞いてみても、こうした言葉を親に言われたのが一番辛かったという回答を返す人がかなりいたようです。
こうした調査から見えてくるのは、時代に関わらず親というものが子どもに対して時に信じられないぐらい無神経になるという事実です。
子どもはこの世に生を受けるときに、親たちに自分を産んでくれと頼んで産まれてきたわけではありません。つまり、産まれたことに何の責任もないのです。それなのに、今の生活が辛くて言ったにせよ、あるいは軽い冗談として言ったにせよ、親が自分の子どもに対してこういった言葉を吐くことは許されることではありません。
「産むんじゃなかった」「生まれてこなきゃよかった」という言い方は、相手の子どもの存在を全否定している言葉です。親が子どもに軽はずみにもかけていい言葉とは言えません。
こんなことを言われた子どもは心に深い傷を負いますし、想像もできないほど悲しい気持ちに見舞われるでしょう。言われた子どもは自分を産んだ実の母親に対する愛情や信頼感といったものを一切信じられなくなってしまいます。
ついカッとなって言ってしまった、というような場合、子どもとの絆をズタズタにしてしまうような言葉を言ってしまったのだ、ということをきちんと自覚し、愛情と信頼感を元に戻せるように総力を挙げて取り組まなくてはなりません。
自分にとって子どもが一番大事であること、子どもをほんとうに愛しているということ、どんなときでも子どもの味方になるということを、言葉を尽くしこころを込めて子どもに示す必要があります。
「大嫌い」
親とて一人の人間ですから、つい一時の感情に駆られて言ってはいけないことを口走ることもあるでしょう。そんな言葉の例としてあげられるのが「あなたみたいな子は大嫌いよ」といった言葉です。子どもにしてみれば、自分を守ってくれるはずの親から自分に愛情をかけるのを拒む言葉をかけられたことになります。
どんなに手のかかる子であっても、親の言うことを聞かない子であってさえも、子どもというものは自分の親に常に愛情をかけてもらいたがっています。また、親が自分に愛情を持ってくれていることを確認したいという衝動も持っています。
どれだけ叱責されても子どもは親のことが好きですし、兄弟間であってさえも、どちらがより愛されているかを常に気にしますし、親の愛情の奪い合いをするほどです。また、子どもは常に親に生殺与奪を握られているようなもので、単独で生きていくことはとうていできない存在なのです。
つまり、子どもは親の愛情を常に欲しており、立場も弱い存在であるということになりますが、そういう立場にある者が自分を愛し守ってくれるはずの親から愛されていないとなった時にどんなことを感じることになるでしょうか。
親にしてみれば、一時の感情でこんな言葉を言ってしまったのかもしれません。あるいは、しつけのつもりで言ったのかもしれません。自分がそんな言葉をかけてしまったことさえ、少し経てば忘れてしまうこともあるかもしれません。
しかし、言われた側はそういうわけにはいきません。何をしていても、どんなことをしようとしても親に言われた「大嫌い」がよみがえり、こんなことをしたらまた拒絶されるのではないだろうか、とビクつきながら生活を送るようになってしまいます。
そうなれば子どもは何かをすることに非常に臆病になってしまうでしょうし、自らの能力を伸ばす機会もなくしてしまいます。
また、単に子どもに嫌いと言うだけでなく、さらに加えて「だから友だちもできないのよ」などと付け加えてしまったことはないでしょうか。そんなことを言われてしまったら、子どもは親だけではなく世間の人たちすべてに嫌われているのではないか、と感じるようになります。
これは子どもにとっては大きな衝撃でしょう。自分を肯定的に捉えることもできなくなりますし、何かをやろうという意欲も失ってしまい、気持ちはふさぎ、ひどく落ち込んでしまうことになってしまいます。
万一感情的になってこういった言葉を口走ってしまった場合、子どもにすぐに謝りましょう。「さっきはついイライラしてひどいこと言ってごめんね。ホントはママ、あなたのことが大好きよ。悪いことしたわ、ごめんなさい」といったように、はっきりと分かりやすく子どもに謝るのです。そのようにして子どもを安心させてあげる必要があります。
「あなたのせいでやりたいことがやれない」
これはおもに母親がよく言ってしまう言葉かと思います。結婚して子どもを作るまでは仕事などで充実した毎日を送っていたのに子どもができて仕事を辞めてしまった、であるとか、同世代の友人がまだ独身で毎日自由を謳歌しているといったような姿を見て、喪失感や焦燥感を感じているような人がよくやってしまいがちです。
しかし、子どもに対して「あなたのせいで、お母さんやりたいことがやれないのよ」などと言うのはひどいことです。子どもは自分が望んで生まれてきたわけではありません。そういう意味では何にも罪がないにも関わらず、「自分が原因でお母さんが不幸せになってる」と感じさせられるのです。これではあまりに理不尽というものではないでしょうか。
また、こういうことを口走る人は、子育てが一生続くものではないということを忘れてしまいがちです。人生50年と言われたような時代ならいざ知らず、平均寿命が80歳になんなんとする現代において、人生の中で子育てに取られる時間などほんの一部に過ぎないということを忘れているのではないかと考えてしまいます。
手のかかる子どもを持ってなお仕事をしている人はたくさんいます。つまり、子育てをどう考えるか、そしてどれだけ工夫をして、どれだけうまく時間を使うかによってはやりたいことをすることは可能なのです。そうした努力を怠っておいて、すべてを子どものせいにするようなことをしてはなりません。
自分がやりたいことというのが何かによっても変わってきますが、子育てと平行して自分のやりたいことを少しずつ進めたり、子どもに手がかからなくなった時のために下準備をしたりすることも可能です。
また、子どもを育てるという行為からさまざまなことを学ぶこともできます。生まれてきた時には自分の力ではほとんど何もできないに等しい状態の赤ちゃんを、最終的には社会の役に立つ一人の人間となるまで育て上げるという一連の活動が子育てです。
これは、それ以外の仕事のどれと比べても決して劣る活動ではありません。まずは親がそうした認識を持つことが重要だと考えます。
育児のことを「育自」、教育のことを「共育」と表現した人もいるように、子育てとは子どものみならず自らをも育てることであり、子どもと一緒に親や周囲の大人も大事なことを学んでいくことのできるものです。
たとえば日々の食事についても、自分の子どもに食べさせるためとなれば、メニューや調理の方法をはじめとして、日本が置かれた食糧環境、食料輸入の現状や問題点、環境問題、流通問題など、そこからさまざまなことに興味を広げていくことができます。それ以外にも、教育問題、社会環境や交通に関するテーマ、保育に関する知識など、たいへん広範囲にわたる知識を学ぶこともできます。
このように育児には自分を高めるさまざまな機会が眠っているわけですが、そうはいっても現代日本における育児は母親だけにその比重がかかっており、いろいろと苦労を強いられる状況であることは否めません。
昔に比べれば父親の育児参加という考え方が広く認知されるようになり、育児や家事に協力したいという父親側の意識の高まりも見られ、また社会における育児のための資源もある程度充実してきてはいます。
しかしながら、育児に関する母親の負担を軽減するのに十分なだけの環境が整っているかと言われれば否と言わざるを得ないのもまた事実です。しかし、それを子どものせいにするのはやはりお門違いでしょう。夫婦間で家事や育児を分担したり、親や周囲に理解を求めたりするなど、もっとしなければならないこと、すべきことがないかどうかを見直してみましょう。
「早く○○しなさい」
母親が子どもを叱るときに一番多く使うフレーズと言えば「早く○○しなさい」というものでしょう。「早く起きなさい」「早く顔洗って」「さっさと食べなさい」「急がないと遅れるわよ」……といった具合で、子どもが目覚めてから学校に出かけるまでの短い時間でも何回も言っている、といった人もあるのではないでしょうか。
このように、言われてみればよく口にしているなという感覚がある人の場合1日に50回以上この言葉をかけているという調査もあります。言っているつもりはない、という人の場合でも7回から8回は口にしていると言いますから、これらは子どもを叱る際の定番フレーズと言っても過言ではないでしょう。
親が子どもに「早く」を連発してしまうのは、子どものやっていることを見ているとノロノロしていて、例えば朝なら学校に遅れてしまいそうだ、と感じてしまうからでしょう。
しかし、そんなに口を酸っぱくして「早く」とせかさなければ、子どもは学校に遅れてしまったりするものなのでしょうか。逆の言い方をするならば、親が「早く」を連発することで子どもが早く行動できるようになるものなのでしょうか。
その点については、自分がそういう状況になったらどう感じるかを考えてみると効果があるのかが分かってきそうです。家族の誰か、たとえば夫から「早く起きろ」「さっさと朝ご飯の用意をしろ」……といった具合に、何かにつけて「早く」を連発されたらどう感じるか考えてみればいいのです。
もしこんなことを言われたら、「うるさいな。いまやってるでしょ」であるとか「そんなにせかさなくったってすぐやるわよ」といった具合に、売り言葉に買い言葉で喧嘩になってしまうかも……とは感じないでしょうか。
自分がそう感じるなら、子どももそう感じるのではないでしょうか。子どもとて何もわざとゆっくり行動しているわけではなく、自分なりに急ごうとはしているのです。学校に遅れたいためにぐずぐずしているわけではないのです。
「うるさいな。いまやってるでしょ」と感じてはいても、それを口にするとよけい叱られるから言わないだけかもしれません。そうでなければいちいち真に受けていたら身が持たないということで、馬耳東風と聞き流しているだけかもしれないのです。
つまり、親がどれだけ「早く~しなさい」と口を酸っぱくしていってもあまり効果がない可能性が高いわけです。そうであれば、試しにこうしたフレーズを使わずにすませてみてはどうでしょうか。
ただやめるだけではなく、最初に子どもに対して「早くしなさい」を言わないことにする、と宣言してしまうのです。「明日からもう『早くしなさい』って言わないことにするから、しっかり自分で考えてやりなさい。遅れたりしないようにするのよ」というふうに約束をさせるようにします。
いままでさんざん言われつけていたでしょうから、子どもも最初のうちは戸惑ってしまうかもしれません。ですがほんとうに言ってもらえないんだと分かってくると、しっかりやらなきゃという意識が芽生えてきて自らきちんとやるようになってきます。
子どもはそうすることができる能力をちゃんと備えているものなのです。そうなるまで母親の側が約束を守っていられるかのほうが少々気がかりなところです。
「うるさい」
子どもは自分の母親が大好きで、自分が気づいたことや思いついたりしたことを知って欲しかったり、できるようになったことを褒めて欲しくていろいろと話しかけてきます。特に言葉を覚え始めたころや、幼稚園や小学校に行くようになって新しい経験に数多く出会うようになるころにはそうした傾向が顕著になります。
特におしゃべりが好きな子どもの場合は、下手をすると一日中母親にまとわりついて何かしらしゃべろうとします。さすがにこうなってくると、時と場合によっては少々うるさく感じられるのも無理はありません。
そして、子どもはなぜか決まって母親が手が離せないような時や忙しく働いている時にそばに寄ってきては、「ねえねえママ……」とやり始めるものです。これはおそらく、「そんなに他のことにかまけていないでこっちを見てよ」という思いからの行動なのではないかと思われます。
こういった時、忙しくていらついていたりすると「うるさいわね」を言ってしまいがちです。そして、子どもは親がいまどういう状況にあるのかを完全には理解できませんので、「うるさいわね」と言われた時に親が自分と関わりたくないと思っているのだ、と誤解し、親が自分をもう愛してくれていないのではないかと疑念を抱くようになります。
もちろん親の側は「忙しいから後にして」という程度のつもりで言葉を口にしただけなのかもしれませんが、子どもはそこまでの受け取り方をすることがあるのです。親に邪険にされ、愛してもらえなくなったと人知れず悩みを深めてしまうかもしれません。
忙しい時に話しかけられて「うるさいな」と思った時、試しにちょっと子どもの方を向いて話に耳を傾けてみましょう。すると、注意を向けてもらって子どもは満足する一方、親はその話が大して長くはかからないことに気づくことになるでしょう。
その程度のことに対して毎回「うるさいわね」と拒絶を返してばかりいると、子どもはだんだんと親に近づかなくなり、話をしなくなってしまいます。
小学校も高学年になりクラブ活動などに参加するようになって以前よりも帰りが遅くなり始め、子どもと接する時間が短くなってくると、親としては子どもが学校でどんなふうに過ごしているのか、友だちとはどんななのかを知りたいと思うようになるものですが、そんな時に子どもが話をしなくなってしまっていればどうでしょうか。小さいころにわずかな時間をけちったばかりに、後で深刻な問題になりかねないのです。
また、子どもがまだ小さい時には状況判断がまだ適切ではありませんから、食べ物を手づかみした後の汚れた手や、外で転げ回って泥だらけになった状態で親にくっついてこようとする場合もあるかもしれません。
こんなときに「汚いわね! 汚れちゃうでしょ、くっつかないで!」などとそれを拒否すれば、子どものほうはひどく傷つきます。服が少々汚れるのと、子どもが親に冷淡にされたと感じて心に傷を負うのと、どちらがよりたいへんなことでしょうか。
子どもが親に何かを聞いて欲しいと近寄ってきた時や、子どもが甘えてくっついてきた時には、どういった場合でもきちんと受容してあげることが大事です。そうしてあげることで、子どもは親にどんな場合でも受け容れてもらえるという感覚を得ることができ、情緒が安定するようになります。
子どもが幼い時にその思いを受容し、抱きしめたり頭をなでたりといったスキンシップをたくさんするのは、将来的に子どもが自立した人間に成長するためにはなくてはならないプロセスです。
幼い時期に親から受けるスキンシップが不足したり、話しかけたのに拒絶されたような体験が多かった子どもは、大きくなってからもなかなか親離れできない人間になってしまうのです。
このように、子どもとのスキンシップをはかることは非常に重要です。子どもがまだ幼いころは当然として、小学校にあがっても、高学年に入った場合でも、子どもが嫌がらない限りはときどきしてあげることをおすすめします。
「バカ」「グズ」「駄目な子」
子どもが何かをしようとして失敗してしまったような時、「バカな子ね」「あなたってほんとに駄目ねぇ」「グズグズしないで」などという言葉をかけてしまってはいないでしょうか。
たとえばお手伝いをしようとして料理をこぼして台無しにしてしまったような時、「あなたってほんとに駄目ねぇ。邪魔になるからあっちにいってなさい!」などと叱りつけてはいないでしょうか。
親はそこまで思って言っていないかもしれませんが、こうしたフレーズを使うことは子どもの人格を否定することにつながってしまうのです。こうしたフレーズを言われ続けて育った子どもは、自分に対してネガティブな価値観を持つようになります。
親が口にしたとおり、「自分は駄目な人間だ」という思い込みを育ててしまうのです。そして、「自分は駄目な子だから何をやっても無駄」という感じで、何かをがんばってやろうという意欲を持てなくなり、物事を努力してやろうと試みることもやめてしまいます。
子どもが何かへまをやらかした時であっても、親はこういったネガティブなフレーズを使わないように気をつける必要があります。注意するにしても、子どもがそうした行為をしたことのみを取り上げてたしなめるようにすべきなのです。
お手伝いをしようとしてミスをした場合、まずは子どもがお手伝いをしようとしてくれたその思いを認めて褒めてあげるようにしてください。その上で、危険があったのなら怪我をしていないか心配してあげることです。そうすれば、ミスをしたのに自分を心配してくれたということで、子どもは親の愛情を感じて素直になれます。
そこを見計らって「お手伝いをする時にはちゃんと気持ちを集中してね。よそ見をしないのが大事よ」とか「いっぺんに運ぼうとするとこぼしやすいから、ひとりぶんずつ運んでね」といったように注意や助言をするようにすれば、子どもはすんなりとそれを受け容れてくれます。次はうまくやるぞ、とやる気を出すことにもつながっていきます。
このように、同じかけるにしてもどんな言葉を使うのかによって、子どもの成長にプラスの影響を与えることもできるし、マイナスの影響を与えてしまうこともあるのです。親としてはちょっとした言葉遣いにも注意を払いたいものです。
「あなたには無理よ」
子どもは、がんばってやりさえすれば何でもできるんだ、と感じているものです。
このため、子どもがちょっと背伸びしたものを欲しがったような時、たとえば少々複雑な模型を作ってみたいから買ってと言われたような時、まだちょっと無理かな、と感じられた時でも「あなたには無理よ」とか「そんなのできっこないわよ」とかいう言葉をかけてはいけません。むしろ、「ちょっと難しいかもね。でも、がんばってやってみる?」と励ますことが大切です。
その上で、買ってあげて作らせてみたところ予想通り難しすぎてうまくいきそうにないなと思ったなら、親が脇からいろいろ助言しながら少しだけ手伝ってあげるようにすればよいのです。
この時の「手伝い」というのは親が代わりにやってあげることではありません。組み立てやすいように部品をしっかり持って支えてあげたり、はめ込む場所をさりげなく教えてあげたりといったことです。それでうまく作ることができれば、「まだちょっと難しかったけど、ちょっとだけ手伝ってもらったら自分にもできた!」という達成感を得ることができます。
ごく簡単なものを作り上げたとしても、最後までやり遂げたという満足感はあるかもしれませんが、難しいものを何とか仕上げることができたという達成感までは手に入りません。
そしてこの達成感こそが、「自分は何かをやることができる」という思いを満たすことになり、それが他のことにもチャレンジしてみようという意欲をかき立てることにつながります。そうなれば子どもはより難しいことに挑戦し始め、できなければできるように努力するようになっていきます。
逆に「あなたには無理よ」「できっこないわよ」と言われつけていると、子どもの「できる」という思いはしぼんでしまい、何かに取り組む前に「どうせ無理だから」といってあきらめる子になってしまいます。当然何かをするために努力するということもなくなり、能力を成長させることも難しくなってしまうのです。
「○○ちゃんはできるのに、どうしてあなたはできないの?」
何かを上手にできる相手、例えば兄姉などと比較されて「○○ちゃんはきちんとできるのに、どうしてあなたはできないの?」などと言われてしまった時。その子どもが「ようし自分もがんばろう」などと考えることはまずありません。
「どうせわたしは駄目だもん」といじけてしまい、かえってそれをしなくなってしまうことでしょう。これは誰に対してもそうで、友だちと比較するのは特によくありません。
例えば自分の子どもが友だちを連れてきた時、「○○君はちゃんとあいさつできるのね、すごいわね」などと褒めることはいいことです。子どもにしても、自分の友だちはすごいでしょ、そんな子を友だちにしている自分もすごいでしょ、と感じるからです。
しかし、続けて「それに比べてあなたときたら……」とやってしまってはいけません。子どもにしてみれば友だちの前で恥をかくことになってしまうからです。
また、多くの場合、子どもは自分の家ではやれないことややらないことであっても、別の場所ではきちんとできたりしたりするものです。にもかかわらず親にそんなふうに決めつけられたら、「わたしだって友だちのところに行ったらちゃんとあいさつしてるもん。それも知らないのに、ひどい」と腹を立ててしまうかもしれません。
親が自分に信頼を置いてくれないと反発し、逆に親を信頼しなくなるかもしれません。あるいは、子どもが実際のところうまくあいさつができないような場合であっても、そういう言い方をされれば「自分は友だちより駄目な子なんだ」というふうに感じてしまいます。
こういうケースでは、親としては友だちを褒めるに留めた方がいいでしょう。そうすれば子どもは「他人の家に招かれた時にはこんなふうにあいさつすればいいんだな」というように、友だちの姿勢から素直に教訓を学びとることができます。他人のいいところをまねして成長することができるようになるのです。
よりできる他人と比べられて嫌な思いをした、という経験はほとんどの人がしているものです。にもかかわらず、自分が親の立場になると、そうした思いを忘れて子どもを他人と比較してしまうのです。
これは自分の子どもだけに限ったことではなく、大勢子どもたちがいる前で誰か一人だけを褒める、というような形で他人の子どもにやってしまうこともあります。自分の子どもにしても他人の子どもにしても、誰かほかの人と比較して評価を口にするようなことをしたり、叱りつけたりするのはやめるようにすべきと思います。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/09/13|タグ:言葉