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男の子はよく遊んだ子の方が優秀になる?

遊ぶ男の子

最近では幼児教育の必要性が声高に叫ばれ、子どもが小さいころから幼児教室に通わせたり習いごとをさせたりする家庭が増えてきています。子どもが小さいころからこうした教育をするのははたして効果があるものなのでしょうか。

 

幼児教室や習いごとでの問題点

一億総中流などという言い方がなされていたのは少し前までの話で、勝ち組・負け組などという言い方がなされ、自分だけは負け組になるまい、勝ち組の方に入ろうとして目の色を変えている、というのが現在の日本の現実ではないかと思います。

 

この勝ち組は言い換えれば人生における勝利者とでもなるのでしょうが、何をもってそういうかといわれると、地位や経済面で人よりも抜きんでること、と考える人がほとんどであるようです。「勝ち組」と言われると、以前によく話に持ち上がったいわゆる「ヒルズ族」のような人を思い浮かべるのが普通ということです。

 

地位や金銭的なものではなく、たとえば芸術や学問、あるいはスポーツなどの面で他の人の追随を許さず、世界に名前を知られているような人を指して勝ち組とは呼ばないというあたりに底の浅さがあるようにも思えます。

 

そのあたりの是非はともかくも、現在というより一昔前からずっと日本ではほとんどの人が自分こそはこの「勝ち組」に入ろうと躍起になっているように思えます。そしてそうするために一番の道は何かと言われたときに、ほとんどの人が有名大学に進学し、大企業に入ることこそが勝ち組への道だと考えているのではないでしょうか。

 

こういった考え方は子育てにも見ることができるように思います。特にこれは子どもが男子の場合に顕著です。子どもが女子の場合にはいわゆる玉の輿などといった考え方もまだなくなってはおらず、あまり子どもに対して熱心に教育をしない家庭も見られますが、男子を子どもに持つ親たちは、自分の子どもを勝ち組への道に乗せようと躍起になって教育をしようとしている傾向があります。

 

こういった考え方が親世代の間で顕著になるとともに、いわゆる幼児教育の必要性が声高に唱えられるようになり、子どもがまだほんの幼いころから受験勉強を開始し、将来有名大学に進ませるための下積みをすることが大事だという考えになります。

 

最近では、少し前に比べるとはるかに多くの子どもが幼稚園にも通わぬうちから幼児教室に行っており、そこで情操教育や文字の学習などをさせられています。幼稚園に行くようになるころにはひらがなを読んだり書いたりすることができるのは当然で、自分の名前なら漢字も覚えているほか、中には簡単な数字の足し引きぐらいはマスターしているような子どももいるといいます。

 

こういった幼児教室だけでなく、子どもにさまざまな習いごとをさせている家庭も多く、ピアノ教室、水泳教室、幼児英語教室など、お母さんに連れられて毎日何かしら習いに出かけている、などという子どもも珍しくはなくなりました。習いごとといっても遊びの中にうまく織り交ぜるようにして教えるような教室も増えてきているため、習いごとをさせている側の親のほうも子どもがそれを負担には感じていないだろう、と考えている節があります。

 

確かに最近の幼児教室では、子どもを机に縛り付けるようなやり方で勉強をさせるようなやり方はしなくなってきています。カードを用いたり体全体を動かすようなカリキュラムが組まれていることが多く、幼稚園のお遊戯のようにも見えなくもありません。そうした様子を大人の視点から見れば、そうした勉強は遊びの延長のようなものであり、子どもも楽しく学んでいるだろう、と思いがちです。

 

しかし、こういった考え方には大きな誤りがあります。確かに、最近のこうした幼児教室や習いごとなどでは、子どもの関心をひくために、遊びのように感じられる要素がいろいろと採用されているのは事実です。しかしながらそれはあくまで子ども本人ではなく大人が決めたものとなっており、偶然の出来事は起きないように管理されたものになっています。そしてその点こそが重要なのです。

 

これに対し、子どもが自主的に遊ぶような場面、例えば公園に行って遊ぶといった状況では、さまざまな偶然の出来事が発生します。見知らぬ子どもが急に姿を現したかと思うと、今まで遊んでいた玩具を取ってしまうかもしれません。木の葉を頑張って集めていたのに手を滑らせてしまい、全部小川の流れにさらわれていってしまうかもしれません。近くに置いておいたおやつが、食べようと思ったらカラスに持って行かれてしまっていた、といったこともあるかもしれません。こういったアクシデント的な要素が幼児教室や習いごとにはないのです。

 

幼児教室や習いごとではこういった偶然の出来事やアクシデントが排除されていますので、考え方によっては親はより安心できるのかもしれませんが、それでもそこには問題があります。偶然のできことやアクシデントというものはさまざまな形を取って現れるため、子どもはそこに意図せざる楽しみを発見したり、自分でさまざまな感情がわき上がるのを経験できたりすることができるからです。

 

男の子は小さいころはよく遊ばせる方がいい

小さな子ども、それも男子の場合、幼いころからとにかく早く勉強を始めることよりも、幼いころに十分に遊び、それによってさまざまな経験を積むことのほうが学習能力を高める役に立という考えがあります。ここでいう「遊び」とは家の中にこもって一人TVゲームなどにのめり込むようなものではありません。豊かな自然に触れたり、大勢の他の友だちと一緒になって活動したり、体を使う遊びをするという豊かな経験を伴うもののことです。そうした生きた経験こそが大事なのです。

 

豊かな自然に触れながらの遊びは、子どもにとって不思議だったりきれいと感じるようなものに出会うことができます。大勢の友だちと一緒に活動することは一人では味わうことのできない楽しさを見つけることができるだけでなく、他の人と上手に関係性を築くためのコミュニケーション能力を磨くことができます。体を使った遊びでは、さまざまな場合にどうやったらうまく切り抜けることができるのかということを学ぶことができます。

 

男子の場合、このような遊びから得た生きた経験が自分の中に蓄積されていくものです。同じぐらいの年齢の女子がきっちり勉強しているのを見ながら自分の子にこういう活動をさせるのは焦りを伴うかもしれませんが、中学校に上がってからもこんなふうにして遊びを続けてる子はほとんどいません。自分なりに、あるいは周りの状況を見て、さもなくば受験を意識するようになると、これはそろそろ勉強をしないとまずいことになる、といった状況に必ずなるからです。

 

そうやって真剣に勉強に向き合い始めると、遊びを通して得た生きた経験が非常に役に立ち始めます。自分の中に蓄積した経験を勉強にもうまく活かせるようになり、丸暗記によってものを覚えるよりも遙かに効率的に知識を身につけることができるようになります。

 

例えば、電車が好きで、日本全国の駅の名前を記憶するのが得意だったような場合、そこで発見したものごとを記憶するためのコツを受験勉強にも応用できるようになります。友だちとよく遊んでいて高いコミュニケーション能力を持っている場合、国語の文章を読解する時に登場人物の心情にかんたんに気づくことができるようになります。パズルが好きでよく遊んでいたような子どもは数学の図形に強くなるでしょう。一番重要なのは、小さいころによく遊んでいた子どもたちは伸びる余地がものすごくたくさんあるという点です。

 

料理を上手にできるようになるには、作り方を丸暗記するよりも実際に何度か作ってみることの方が効果があります。そうした例のように、実際にやってみて蓄積した知識というものは丸暗記よりも効率がよいだけでなく、他の分野にも応用することができるものなのです。

 

特に男子の場合こういったやり方のほうが効果が上がる傾向があります。遊んでばかりでぜんぜん勉強しない、などと焦る必要はあまりなく、14歳ぐらいまではのびのびと遊ばせてあげた方がいい場合が多いのです。

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