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文章を書くことを習慣化すると、生活が劇的に変わる!

文章を書く女性

文章を書くという行為は、慣れない人にとっては、何から始めて良いか戸惑ってしまうかもしれません。まずは、日常生活の中で、何か書くことはないかと、探求心を持ってみましょう。書く材料を求めながら生活するだけで、あなたの暮らし方は、きっと変化するでしょう。

 

感想を述べるだけでなく、小論文的なエッセイを書こう!

エッセイとは何でしょう?日々の日常をとりとめもなく書いたものをエッセイと呼ぶ場合もありますが、本当の意味のエッセイは、少し違います。読書感想文や作文とも違います。

 

読書感想文は、本について書いていきます。本を読んだ意見をエッセイにする場合、一つのテーマを決めて、そのことについて述べていくうちに、その本が引用されているという組み立てが必要です。

 

エッセイには、論文という意味もあり、作文より、もっと知的なレベルでの記述が求められるものです。文章のテーマに関わるキーワードが、あちこちにあって、何らかの新たな発見があるものがエッセイです。

 

言い換えると、エッセイを創作するには、あるテーマを決めて、そのテーマについて、今までとは異なった見方での物事を捉え直し、そうすることによって、新しく発見したことを記述していくことが重要です。

 

ある大学では、学生に、エッセイを一週間に一本書くように宿題を出しました。宿題開始から、数週間経つと、学生たちに劇的な変化が現れました。

 

何が変わったかと言うと、「書く」ことを意識しながら、日々の生活を過ごすようになったのです。毎週一本ずつエッセイを書かなければいけないので、初めは、エッセイを書くために生活するとも言えるでしょう。

 

今までの「書かない生活」では、気にしていなかったようなことも、「書く生活」を始めてからは、「何か発見はないかな?」と、いつも何かを探すような意識を持ちながら、生活するようになりました。あらゆるものを見る見方や、接し方、暮らし方自体が大きく変わったのです。

 

エッセイの実力が向上すると、それと同時に、認識する力や、発見する力も比例して向上します。実際に、エッセイを書いてみると、これらを実感することが出来ます。

 

友達や知人と、おしゃべりをすることは、こういった認識力や発見力の向上には効果がないのでしょうか?おしゃべりで上手にしゃべるということは、「すべらない話」であり、万人にウケる話となるでしょう。話す内容がレベルの低い話でも、会話としては成り立ち、誰とでも気軽におしゃべり出来ます。

 

つまり、おしゃべりには、「認識力」が必要ありません。しかし、書くためには、この「認識力」は絶対必要です。そこが、おしゃべりと書くことの大きな違いです。書くためには、人とは異なる斬新な視点でものを見て、斬新な切り口で新しいことを発見する力を身につけていきたいものです。

 

このような力がある人は、「目のつけどころが良い人」と、周りから一目置かれます。人とは異なる発想が出来て、世の中でとても重宝される貴重な人材に成長していくでしょう。おしゃべりをいくらしても、これは、書かなければ身につかないスキルです。

 

書く時の心構えが大切

大学で、エッセイを書き始めて間もない学生達の中には、自分で書いたエッセイに納得がいっていないため、「つまらない文章になってしまい申し訳ありません」とか、「まとまりきらず、すみません」などと、エッセイの最後に一文をつけてくる学生もいるようです。

 

しかし、詫びの文章で何とかしようとする、その心構えがよくありません。

 

最初は、面白い文章がなかなか書けないかもしれませんが、書く前から諦めたりしてはいけません。スポーツで、競争したり、試合で戦ったりする時に、「今日は体調が悪くて本気が出せない」とか、「足が痛い」とか、本番前や本番後に言い訳をするのは良くありません。文章を書く時も、それと一緒です。

 

書くからには、自分の書いたものに責任を持って、その創作した文章に自分の実力を表現しなければいけません。「私の文章はどうだ!」、「俺の実力を見てくれ」と言わんばかりの心構えで臨む必要があります。

 

完成した文章が面白くなかった時、つまらなかった時、「文章力が足りないのかなあ」と感じるかもしれません。エッセイに必要な文章力とは一体何でしょうか?

 

三島由紀夫の「文章読本」や、谷崎潤一郎の「文章読本」などは、小説家自身が良いと思った方法を書いていて、日本語の書き方の作法の一つではありますが、そういう意味の文章力は、文章の中身とはあまり関係がありません。

 

文章の書き方も大事ですが、それ以上に、物事をどのようにとらえたのか、何を発見したのかという、文章の中身、内容が、とても大切です。新しい発見と言っても、世紀の大発見である必要はなく、その文章を書く作者自身にとっての、新たな発見は何であったかということが、重要なのです。

 

認識を獲得したプロセスを書くのが文章の基本

文章の中には、様々な種類のものがあります。新聞記事はよく目にすることがあると思いますが、新聞記事の基本は、感情を盛り込まないことです。事実関係をもとに、原因、結果を忠実に記し、その影響などを加えていくというのが新聞記事の基本です。感情が入らないので、書き手が違っても、新聞記事は同じような文章になってきます。

 

新聞を読む人は、書き手の独自の認識を求めていないので、新聞記事はこういった手法で書かれています。実用日本語モデルとして、このような文章スタイルは確立されていますが、エッセイを書く時の手法とは、異なっています。

 

また、昔から名作家の文章を真似る手法も知られています。太宰治風に書いてみたり、小林秀雄気取りの文章にしてみたりです。文章修行の一つの方法ではありますが、スタイルだけ真似しても、クサイ文章になってしまい、意味がありません。

 

再掲ですが、エッセイには新しい発見が必要です。例を挙げてみましょう。まず、1つ目に日常の出来事を書きます。

「休日、ショッピングセンターの屋上に行きました。」

2つ目に、観察をします。

「フェンスの向こう側の街並みや行き交う人達をぼーっと見ていました。」

3つ目に、発見があります。

「すると、ふと気づくことがありました。私達が暮らしている日本、今の世の中や社会は、貧富の差が大きすぎる。富は等しく分配して、低賃金労働のワーキングプアの人達に、経済的な自由を与えなくてはいけないのではないだろうか。」

 

これは、有名なマルクス主義の発想です。しかし、この文章の作者が、マルクス主義を聞いたことがなく、知らずに、この発想を思いついたとしたら、それは大発見になります。一般常識が乏しいことは否定出来ませんが、身近な日常の出来事を皮切りに、観察して、発見して、この認識を得たことは、素晴らしいです。

 

この1つ目から3つ目までのプロセスが描かれ、構成されたものをエッセイと呼べるのではないでしょうか?あるエピソードから、新しい認識を見出すことが出来た、そのプロセスを書いていくというのは、文章を書く基本となります。その際に、文章力は関係ありません。新たな発見と、認識の獲得です。

 

自分自身の発見や、人とは異なる独自の視点から物事を捉えたことを文章として書いていく能力を追究していきましょう。一般的な文章力は、内容が乏しいのに、文章だけ秀でていると、読者に読ませてしまうことになりますが、ここでは、そういうものを求めてはいません。あくまで、内容が重要です。

 

気づきと発見する力を身につけよう

セザンヌの「籠のある静物(台所のテーブル)」という絵画をご存知でしょうか?

ポール・セザンヌ「籠のある静物(台所のテーブル)」1888-90年、64×80cm、オルセー美術館

 

この絵は、テーブルの上に果物が載っているセザンヌの静止画です。小中学生なら、教科書で見たことのある果物の絵だなあと、思うでしょう。驚いたりはしないでしょう。ところが、その同じ絵を見ても、とても驚く人もいます。それは、通常ではあり得ない絵になっているからです。

 

一見、果物を描いたありふれた静止画に見えるこの絵には、本当は、絵画史上の大革命が隠されています。よく観察すると、テーブルから果物が落ちそうになっている構図です。また、正面から見てみると、そこに描いてある壺の口は、見えないはずなのに、まるで上から見ているように描かれています。

 

1枚の絵の中に、いろいろな角度から見た情報が入り混じっているのです。しかし、絵全体として見た時に、不自然と思わないように出来ています。不思議な絵です。

 

通常の絵は、1つの視点からある物体を遠近法的に描きます。このセザンヌの絵は、1枚の絵の中に複数の視点が混在しているという、未だない画期的な試みが盛り込まれた絵になっています。今までの常識を崩して、新しい手法を取り入れました。

 

そのポイントを認識した後、この絵を見れば、「本当だ!視点が複数存在する。けれども、全体として1つの絵にまとまっている。これはすごいことだ!」と、何も知らない人とは、異なった反応を示すでしょう。

 

「1つの絵の中に複数の視点」というポイントを絵画に応用すれば、ピカソの作品の人物画を見て、「この絵は、上下左右、様々な角度から見た顔を1つの絵に描いているから、こんな変な顔の絵になったんだな」ということを見つけることが出来ます。

 

ある1つの「気づき」から、その気づきを他の物事に幅広く応用していくことで、さらに新たなものが見えてくることがあります。文章も同じで、ものの見方を変えることが出来る文章こそ、意味のある文章と言えるでしょう。

 

同じ文章でも、何かの情報を新しい知として受け取ることもよくありますが、そうではなく、その文章を読んだ結果、何かをひらめき、刺激を受けて奮い立ったりする文章が理想です。

 

気づきや発見が、大切であると力説するのは、気づきや発見を提示する力が、まさに求められていく時代になっているからです。

 

社会に出て、会社勤務していれば、企画書を書く際に、気づきや発見する力が備わっていれば、新しい事業計画を立案し、素晴らしい企画書が出来上がるでしょう。それが、会社の新しい売上貢献の一歩になることもあります。

 

また、会議中に、「何か意見はありませんか?」と聞かれた時に、「特に意見はありません」とか、「別に」と答えてしまうと、上司からの信頼はなくなり、もう次からは、この人に期待しないでおこうと思われてしまいます。そうならないように、意見を求められたら、気づきと発見する力を振り絞って、コメント力を発揮すべきです。

 

気づきと発見する力が備わっていれば、「私は○○と思います。その根拠は××です。××と同じような事柄は△△です。そして、△△をとらえるキーワードは※※です」などと、はっきり言えるようになります。

 

意見や感想を求められた時、遠慮せずに、少し言い過ぎになってしまっても良いので、自分の言葉でコメントしましょう。最初に思い切って、強気で発言してみて、「何か違うぞ」と後悔したら、「これは少々言い過ぎましたが」と後付けすることも可能です。最初から腰が引けてしまっているようでは、面白みがありません。

 

企画書のようなエッセイを書いてみよう

中学校の国語の授業では、百人一首を習います。学校によっては、百人一首大会が開催されるところもあります。百人一首大会で、「何枚取れた」、「何位になった」と楽しんだり、順位を競うことで普通は終わってしまうところですが、例えば、中学生自身が現代版百人一首を手作りしようと計画してみるのはどうでしょうか?

 

五七五七七の31語に意味を込めた短歌を創作してみるとします。百人とまではいかないかもしれませんが、クラスのメンバー40人分の短歌集でも十分ではありませんか。短歌の内容は学校生活のことなど、テーマを決めてみても面白いです。

 

国語の授業で百人一首を学び、百人一首大会を行い、今度は、生徒自ら短歌を創作し、それをまとめて冊子にします。さらに想像を膨らませて、短歌集の冊子だけでなく、札に各自の創作した短歌を書いて、手作り百人一首大会が出来るかもしれません。「中学生百人一首」です。

 

この「中学生百人一首」の気づきをエッセイのテーマとして書くことが出来ます。題名は「中学生百人一首を学校で創作してみたら」などになるでしょう。「『中学生百人一首』とは何ですか?」と、読者は、まず題名に関心を抱くでしょう。それがつかみとしては、大切です。

 

「中学生百人一首」という一語が目に留まり、「何だろう?」と感じた人が、詳細説明を読むと、「そういうことだったのか、分かったぞ」と、イメージを膨らませることが出来れば成功です。

 

そして、結論として、「『中学生百人一首』を学校で創作すると、こんなメリットが見出せる」と提示することが出来ます。読者は、「そんな考え方もあったのか、斬新だな」、「今までないもので、面白そうだ」と思うはずです。

 

エッセイの題名で、疑問を持ちながらも知りたいなと、引き込まれて、読み進めていくうちに説得されて、最終的には、「なるほど『中学生百人一首』ってすごい」と共感してくれたり、「こういうものの見方があったのか、他にも応用出来そう」と、さらなる新たなイメージが膨らむ可能性もあります。

 

こういった文章は、エッセイなのでしょうが、企画書としても成り立つと思いませんか?本来は、企画書とエッセイは文章構造的に、同じではありません。企画書では、考察を述べて、最終的に「これでいきます」とアイディアを打ち出すものです。エッセイは、じっくりと心の中に秘めた感情をつづっていく形です。

 

しかし、企画書のようにエッセイを書いても、何も問題ありません。エッセイの中で、感想を述べるだけでなく、新しい発見や認識をはっきりと提示するのです。エッセイを書くことを習慣づけることで、その人のものの見方が一変します。

 

何事においても、ユニークな視点が培われていくようになります。それは、これからの社会で非常に重宝されるスキルです。そのためにも、文章を書くことを、日常的に実践することで、スキルアップが出来ます。

 

話し言葉を文章に変える練習をしよう

今まで、エッセイなど内容にも重みがあり、量的にも少なくない文章を書いた経験がない人が、いざ、エッセイを書いてみようとすると、初めは上手くいかないものです。そういう初心者の人にお勧めの練習方法があります。

 

テレビのニュースの解説者の一まとまりの話を、メモを取りながら聞きます。その後で、それを文章にまとめてみましょう。前述していた、新しい発見や認識は、どうなったかと思うでしょうが、この練習の時には、そのことは置いておいて練習とわりきって下さい。

 

この練習で大切なことは、ある程度の量のまとまった文章を書いてみるという作業です。この時は、新しい発見や認識は、解説者の言葉を拝借しておきましょう。

 

人が話したことをメモして、それを文章にするのは、速記のスキルが必要かと思うかもしれませんが、そうではありません。話し手の言葉を一言一句書くのではなく、自分の言葉に言い換えて書くのです。

 

文章を書くためには、2種類の考える作業が存在します。1つ目は、新しい発見や認識を見つけ出すことです。2つ目は、「文脈をつなげる」というところです。今回の練習方法は、2つ目のスキルを向上させるための訓練です。

 

他人の文脈をつなぐことは、想像以上に難しく、良い訓練になるはずです。自分の取ったメモを頼りに、解説者の話を思い返しながら、「この話題と、次の話題はどうやってつながっていたかな」と、いろいろ考えながら、書き進めていくのです。

 

話を聞いている時は、よく理解出来たと思っていても、それを自分が文章にしようとすると、簡単にはいきません。話の流れの中には、余談も含まれているし、どこかで話がずれてくる時もあります。盛り上がって話していた箇所でも、本筋から離れていれば、カットする必要があります。

 

話の順番も、変更した方が理解しやすいのであれば、スッキリする方に変えるべきです。そうやって、文章の順番を入れ替えて、無駄な話を削除して、より良い文章に進化させていくのです。そして、意味のある中身だけで構成していきます。プロのライターは、こういった作業をする高度なスキルを持ち合わせています。

 

学生であれば、テレビのニュース解説者ではなく、学校の先生の授業の話で、同じ練習が出来ます。

 

話し言葉は、人によって癖がありがちです。ずーっと一つの文章を切らずに、つないでしゃべり続ける人もいます。話の途中で、別の話題に脱線してしまって、結論を言わないまま終わっている場合もあります。

 

様々なタイプの人の話言葉を、きちんと整えていくことは、初めは難しいですが、慣れていくと徐々に出来るようになります。

 

心配はいりません。この練習方法で、数回実践してみて下さい。この作業に慣れてきます。そして、慣れると、話し言葉を、書き言葉に置き換えて書くという作業が、苦痛でなくなります。まずは、練習してみましょう。

 

文章を書く時の自分の苦手分野を見つけよう

文章を書くためには、2種類の考える力が存在します。新しい発見や認識を獲得する力と、文脈をつなげる力です。人は、文章を書く時、この2つの力のうち、得意な方や苦手な方があるかもしれません。人によって、どちらが得意か異なってくるでしょう。自分がどちらが苦手なのかが明確になれば、今後の課題が見えてきます。

 

文章を書くのが苦手な人が、他人の話を文章に再現する練習を行った時、文脈をつなげる練習は上手く出来るのに、文章が書けない場合、その人に足りないのは、新しく発見する力や認識を獲得する力ということになります。

 

逆に、文脈をつなげる練習が苦手な場合は、発見する力はあるのに、文脈をつなげる力が不足している可能性が高いです。

 

苦手なことが自覚出来れば、その苦手部分の底上げをすべく、何度も練習していけば、文章力は、飛躍的に向上します。特に、文脈をつなげる練習は、回数を重ねれば必ず慣れてきます。

 

騙されたと思って、まずは3回やってみて下さい。練習前とは、比較対象にならないほど、レベルアップします。段取りの良い文章構成力を手に入れること間違いなしです。

 

文章を書くことで、能動的知識が増えていく

他人の話を聞いて、その時は分かったと思っていても、自分のものになっていないという経験はありませんか?話を聞いているだけでは、やはり、完全に理解出来ていなかったのです。

 

しかし、他者の話をメモを取って、文章に再現する練習をする場合は、聞いた話が理解出来ていなければ、自分で書くという作業に取り掛かることが出来ません。

 

理解出来ていなかった場合は、自分で、話し手の話の不足している部分を補足して調査したり、自ら行動しなければなりません。そうやって、一手間も二手間もかけることによって、もちろん理解も深まるし、知識としてしっかり定着します。

 

もともとは、他者の話であっても、自分で追加して調べたり、自分の言葉に置き換えたりしていくうちに、その話は、自分の持ちネタに変わっていくのです。自分の頭で完璧に理解出来ているから、いつでも自信を持って話せるネタになっています。知識を応用することが可能になるのです。

 

昨今の情報社会では、いろいろなところに、膨大な情報が溢れています。そんな多くの情報を見聞きして、知っているつもりになっていても、それを自分で活用出来ていますか?「聞いたことあるな」のレベルで終わってしまっていませんか。

 

こういう知識は、受動的知識と呼ばれます。私たちの知識の中には、この受動的知識が非常に多いです。

 

ところが、文章を書くという行為を行うと、知識は活用できるレベルになっていきます。まず、「書くぞ」という心構えが出来ていれば、情報を仕入れる際の態度も気持ちも、おのずと変わってきます。

 

発信元は、自分自身でなくても、他者が話していた内容でも、自分で文章にまとめ直すことによって、自ら活用出来るネタになるはずです。その元ネタに、自分のもともと持ち合わせていた知識や、経験を付け加えていくと、それは、自分のオリジナルネタが誕生します。これは、能動的知識と呼べるでしょう。

 

他人の話を文章にまとめる練習は、このように、能動的知識を増やすことにつながります。

 

学校では練習してこなかった、論を再構成する作業に挑戦しよう

他人の話を文章にまとめるという作業をお勧めしてきましたが、日本の学校教育において、このような練習を取り入れているところは、ほとんど存在しません。

 

作文を書くというのは、小学校の頃から、何度も授業や宿題などでも取り組んだことがあるでしょう。しかし、作文は、自分の思ったこと、感じたことをまとめる行為です。

 

他人の話を聞いて、それを正確に構成し直して書くという作業をした経験がないままに、作文を書きましょうと言って、自分の感じたことを書かかなくてはいけない現状が、子供が作文に対して、苦手意識を持っていたり、作文を書くことに拒否反応を示したりする要因となっているのではないでしょうか。

 

また、学校では、様々な教科でたくさんの知識を学びますが、その習得した知識を確認するために行われるテストは、主に、文章の中の空欄に何が入るかを問う、穴埋め形式のテストとなっています。

 

子供達は、その穴埋めテストを攻略するために、キーワードとなる語句を必死に暗記しますが、結果として、その事象の全体像が理解出来ていない場合も多々あります。

 

「この単語が重要ワードです」、「テストに出るから覚えるように」と言われて、教科書やノートに線を引いたり、マーカーでチェックしたりしているでしょうが、そのレベルの勉強で終わってしまっていませんか。

 

社会の勉強で、明治維新について学ぶとします。明治維新とは何だったのか、どうして成功したのかなど、そのことについて、教科書にはもちろん記述がありますが、生徒が個々に、自分なりに解釈して、自分の言葉に置き換えて、文章に書いたことがないのです。

 

だから、明治維新について質問された時、重要キーワードは言うことが出来ても、全体像とか、意味を説明することが出来ないのです。学校の教育現場では、生徒に文章を自分で再構成して書かせてみる練習をする機会が不足しています。そういう練習をする機会を設けてほしいものです。

 

学校に、文章再構成の練習を求めても、教えてもらえないのであれば、自分のためと思って、自分でまとめてみてはいかがですか。学校の授業内容を、再構成して文章に書けば、良い勉強になるし、大人がやってみても、割と楽しい作業です。テストが存在しない大人は、気楽なものです。

 

再構成してみる題材は、何でも良いのですが、テレビの教養番組でやっていた話題や、講演会で聞いた話などを、誰かに伝える形で、文章に自分なりにまとめ直すことをしてみましょう。

 

それが、趣味になったら面白いです。これは、今後、注目されるべきスキルです。文章を書くための重要項目として、もっとウェートを置くべきものです。

 

書いた文章を人に発表しよう

テレビで、今や大成功した企業の経営者が、会社立ち上げ当初の苦労話を語っていたとします。それを、文章に再構成してみましょう。

 

書いた後どうするかというと、その文章を、自分のブログに投稿したり、友達にメールで送信してみましょう。どんな媒体を利用してもかまいませんが、人に、世間に発表してみましょう。それが重要です。

 

この文章をブログを介して読んだ人や、メールをもらって読んだ人は、割と重宝するでしょう。そのテレビ番組を見ていなかったとしても、内容が分かるし、そのテレビをずっと最初から最後まで見るためには、1時間以上かかったかもしれないところを、まとめられた文章を読むのなら、短時間で読むことが出来ます。

 

また、人は好みによって見るテレビ番組も違うので、通常自分が触れていない情報や知識を配信してもらえるのはありがたいことです。

 

文章を書いた本人は、テレビを見て獲得した知識を、しっかりと自分のものとして定着出来たはずです。その知識が広く、他の人に伝わっていくことで、感謝されることになり、人脈形成にもつながります。

 

他者の認識を自分のものにして多様性を獲得しよう

現代の情報社会では、テレビだけでなく、インターネットの普及により、多くの情報が溢れかえっています。休むことなく、新しい情報が生まれては流れ、それに追いつくことすら難しいかもしれません。

 

スマートフォンを持っていれば、外出中でも、いつでもどこでもネット環境に接続可能で、最新ニュースを見ることが出来ます。

 

そんな膨大な情報を見聞きしても、それらの知識や情報が、自分自身のものとして定着しているとは限りません。ほとんどの情報は、素通りしていき、すぐに忘れ去られてしまうでしょう。

 

新しい情報を追い求めるだけでは、自分を高めることにはなりません。知り得た情報を自分のものにするために、文章化して定着させたいものです。

 

孔子の言葉には、「述べて作らず」というものがあります。これは、「自分は創作しない」ということを意味します。孔子は、自分自身が持ち合わせている感覚は、90%以上が過去のものを継承しているものだと諭していました。

 

他者の認識を出来るだけ多く、自分の認識として定着させることを目標にしましょう。その際に、一人の人に心酔してしまわない方が良いでしょう。

 

太宰治風や、小林秀雄気取りにならないように、5人、10人、いや、100人ぐらいの他者がいれば、多様性が生まれて、独自の目線での捉え方が可能になるはずです。

 

特定の事柄や、人物にこだわっていると、周りが見えなくなってしまうので、常に視野を広げて、多様性を備えるように心がけましょう。

 

自分を磨いたり、自己を深めたりすることも時には必要ですが、文章を書くにあたっては、自己を広げた方が、ユニークな人材になれるでしょう。柔軟な発想によって新しい発見も多く見つかるでしょう。

 

文章をたくさん書くことによって、そういった多様性は、より広がりを持つことになります。文章を書くことは、簡単ではありません。一言で言ってしまえば、面倒くさいかもしれませんが、敢えて、その面倒なことに挑んで下さい。

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