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子どもの頭をよくするには読書が重要

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読書

昔から、読書は勉強の基本であると言われています。これは洋の東西を問わずどこでも言われていることのようです。実際、読書をたくさんすることでさまざまな知識が手に入り、子どもの知能も向上していきます。子どもを読書好きに育てるためのやり方を見ていきましょう。

 

読書は広く深い教養を身につけるのに向いている

最近の親が子どもの教育について誤解していることに、何のために勉強をするのかということがあります。最近の傾向として、いい大学やいい企業、あるいは公務員になれるように勉強をするというふうに考えている人がある程度いるようです。

 

こうした傾向は、少し前までは特に男の子どもを持つ親に顕著でした。当時は女の子をいい大学や就職先に入れるように血道をあけさせる親はそんなにいませんでしたが、男の子となると話は別で、それによって人生が決まると考えるような親が多かったのです。

 

しかし男女雇用機会均等法の制定などもあり、女性の社会進出が広がってきたことによって、女の子どもを持つ親でもいい大学、いい就職先に入らせようと勉強をさせようとする親が増えてきたように思います。これからは女性でも学歴が重要になるということで、子どもたちは男女関係なくたいへんな受験勉強を行わねばならなくなってきています。

 

男の子も女の子もごくちいさいうちから塾通いをし、小学校から受験に追われ、その入試の問題にあわせて詰め込み学習をすることになるわけですが、そんなふうにして外で遊ぶこともなく子ども時代を過ごした子どもは将来成功しているのでしょうか。実際のところを見てみると、成功したとはとても言えないような状態に陥っている子どもが少なくありません。

 

例えば、志望校に合格できたのはいいものの、入学してからクラスになじむことができずに孤立してしまい、最終的に引きこもりになってしまったようなケース、過酷な勉強をやり遂げたことで自分が偉いと思い込み、周囲の子どもたちと摩擦を起こしてしまうようなケース、塾通いなどによってストレスをため、それが爆発して家族に暴力をふるうようになってしまったようなケースなどなど……。「成功」するどころか壊れてしまったとでもいうべき子どもたちが大勢いるのです。

 

そこまでいかなかったとしても問題に直面している子どもたちもいます。激しい受験競争の結果、意中の学校にうまく入れた子どもはいいのですが、そうでなかったケースです。幼いころからやりたいことも楽しいことも脇に置いてずっと勉強に励んで知識を詰め込み、しかし受験に失敗して合格できなかったという子どもはそれこそもっとたくさんいます。こうした子どもたちが、今までやってきたことがすべて無意味になってしまったと感じるその絶望感を、果たして勉強を強いてきた親たちは想像できているのでしょうか。

 

ですから子どもたちには、無味乾燥な詰め込み型の勉強ではなく、もし意中の学校に入れなかったとしても広い視野や深い教養を身につけるような方法で学習を行うようにしてほしいものです。そしてこのようなやり方に向いている学習方法の1つとして、さまざまな「よい」本を読んでそこから知識を吸収するというやり方です。

 

本を読むと言っても、ただ手当たり次第に読んだのではいけません。現在話題になっている人気本ばかり読んでいても、そんなに教養を得られるわけではないからです。一番いいのは、百年近く読み継がれているようないわゆる「古典」を手に取ることでしょう。こうした本たちは深い教養を授けてくれるからこそ「古典」として長年生き残っているものだからです。

 

読書は豊かな空想力を育てる

さて、本を読んで得られることは何かと聞かれたときに、いろんなものごとについて知ることができる、と答える方は多いのではないでしょうか。確かにそれも間違いのないことなのですが、豊かな空想力を育てる助けになる、という点にも注目して欲しいところです。そしてその点を理解するには、本と映画を比較してみるとわかりやすいかと思います。

 

以前から、名作といわれる本のうちさまざまなものが映画化されてきました。特に最近ではこの傾向が強く、ファンタジーなどの分野ではいわゆる名作というものだけでなく売れ行きが良かったようなものであれば出たばかりのようなものでもどんどん映画化されるようになっています。

 

書籍の映画化をする場合には、特にその内容が名作といわれ広く親しまれているものであればあるほど、原作の中で展開されているイメージを壊さないように注意を払って映画化がなされます。にもかかわらず、原作となる作品が好きな人ほど映画化された作品に高い評価をつけないことが多いものです。

 

内容に関わらず、本を読むときにはその中で展開されている情景を多かれ少なかれ想像しながら読むものです。読み手の想像力が豊かであればあるほど、こうした想像は翼をもたげどんどん広がっていきます。登場人物の表情や声の調子、周囲の光景など、そうしたものを想像するときりがありません。名作といわれるような作品は読み手の想像力に強く訴えかける力を持っているからこそ名作たり得るわけです。そしてそれ故に、是非映画化してみたいという人が出てくるのでしょう。

 

しかし、どんな作品でも映画となり映像化されてしまうと、本を読んだときに味わうことができた想像力の入る隙間がなくなってしまいます。単にシーンの展開を追うだけのことになってしまうわけです。もしかすると、まったく別の作品だと思って見た方が楽しめるのかもしれません。

 

本を読んで空想力の翼を広げている間、読み手は現実から意識を離して本の世界の中に入り込み、自由に思いを巡らすことができます。そうした体験はたいへんすばらしいもので、本を読んだときにしか味わうことができないものです。この時に発揮される空想力は、人間が持つ好奇心や感受性を研ぎ澄まし、いわゆる創造性の源になるものです。

 

本を読むのは時間がかかるし面倒くさいから映画化されたものを見てすませよう、というのは、その本のあらすじをただ追いかけただけのようなものです。その作品が与えてくれる空想力の広がりや味わいを経験したとはとても言えず、それで理解できると考えるのは大きな間違いです。

 

こうした作品というのはストーリー展開を知っていることが大事なのではなく、それを読むことでさまざまな想像ができることが大事なのです。そしてこういった空想の力や楽しみというのは、小さいころから本に親しんでいないとなかなか自分のものにはなりません。

 

このように本を読むことは子どもにとってたいへん大事な行為であるわけですが、親が本を読まない場合子どもも本を読むようにはならないというのもまた厳然とした事実です。

 

親がどれだけ子どもに本を読ませようとしても、親本人がまったく本を読もうとしないのであれば、子どもが本を読む楽しさを見いだすことはありません。そうした子どもにとって、本を読むというのは詰め込み型の勉強をするのと何ら変わらない「いやな」ことになる可能性さえあります。

 

実際のところ、いわゆる頭がいい子どもは自ら進んでたくさん本を読むものですし、その親についてみてみるとやはり読書家であるのが普通です。自宅に大きな書棚があってそこにずらっと本が並んでおり、そうした本を親がよく読んで楽しんでいるような家庭の子どもにはやはり読書好きで成績のいい子どもが多いのです。

 

つまり、本を読んで楽しむという習慣は、自分の子どもへ、そして子どもから孫へと代々引き継いでいけるいい資産であると言えます。そうした資産を子どもに身につけてもらうには、まず親たちが率先してよい本を読み、それを楽しむという習慣が大事なのです。

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