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読み手に高評価してもらえる文章!すぐに取り入れてみたい文章の書き方のコツ

文章を書く女性

文章を書く際に、知っているとグレードの高い文章を書けるコツをいくつか紹介していきたいと思います。基本的な国語力を急にレベルアップをすることは難しいでしょうが、視点の身につけ方や、文章の思考法など、すぐにでもあなたの文章に取り入れることが可能な手法をマスターして下さい。

 

「目のつけどころが良い人」と思わせよう

長い文章が書けるようになったり、ちょっとまとまりのある文章が書けるようになって、満足していてはいけません。仕事に役立つ文章、社会生活の中で有効な文章、少しレベルの高いところを目指しましょう。新しいものの見方があったり、何らかの発見がある文章を書けるようになりたいものです。

 

生活の中で役に立つ文章、仕事上でも、プライベートでも、あなたが属する組織の中で評価される文章を書くためのコツがあります。「書く力」を向上させるためには、「読む力」も大切です。文章を読む時に気をつけたい3つのポイントがあります。

 

1つ目は、「この文章を書いた人は、『これとそれが違っている』ということが言いたいんだ。」ということに気づくことです。

 

2つ目は、「この文章を書いた人は、『これとそれは全く違うもののように見えていたが、実は同じなんだ』ということを言いたいんだ。」ということに気づくことです。

 

3つ目は、「この文章を書いた人は、『これがどのようにすごいのか、優れてるのか』、そのことを言っているだけなんだ。」ということに気づくことです。

 

この3点に着目して読むと、頭の中がスッキリします。その文章を書いた人の頭の中が理解出来るようにもなります。「書き手は、一体何を伝えたかったのか、どのような思いで書いているのか」という着眼点で読むと、文章が格段に読みやすくなります。書き手の立場になってみて、読む力をつけましょう。

 

そして、この読む時の3つのポイントを、自分が文章を書く時にも意識しながら書いてみましょう。

 

「複数の全然違うものを結びつけて書いてみる。」とか、「これとそれの違いを、何でも良いので、3点を挙げて説明してみる。」という練習をしてみましょう。この練習により、ものの見え方が以前とは違ってきたり、焦点が絞れて書きやすくなります。

 

例えば、テレビ局を例にとって説明しましょう。NHKと民放という2つに分類することも出来ます。この両者について、違いを3点挙げてみましょう。また、民放局の中で、フジテレビと日本テレビを比較してみると、新しい見解が得られるはずです。このように枠組みを徐々に小さくしていきます。

 

自分はどの基準で何の違いを発見したのか、自分で意識することが大切です。文章を書くことは、認識の枠組み、自分がものごとをどのように見ているかを表現することなのだと理解出来るようになります。これは話しているだけでは、なかなか習得することは難しいです。書くことによって、初めて習得出来るでしょう。

 

こうやって文章を書く練習を続けていると、「面白い考え方が出来る人だな」とか、「目のつけどころが良いな」とか好印象を持たれて、さらには、「少し引き上げてみようかな」と出世に直結することもあるかもしれません。「ものの見方が他の人とは違うな」、「鋭い視点を持っているな」という具合になります。

 

実用的な文章力を高めよう

文章を書く時に、素晴らしい名文を書くために、高い国語力がどうしても必要なのではないかと思うかもしれませんが、そうとも限りません。作家志望でなければ、文学的な国語力はなくても大丈夫です。

 

むしろ企業が求めているのは、目のつけどころが良かったり、新しい提言が出来たり、段取りが上手く出来たり、取得した情報を上手く活用出来たりする人材です。

 

ビジネス上のトラブルが発生した場合、「現在の問題は何なのか、原因は何だったのかを明確にし、この問題の解決策を3点列挙します。その3点の中で、○○の理由から選択します。」という具合に、トラブル対応策を文章にまとめる能力があれば、文学的でなくても、企業が仕事をする上では、大切な文章力が備わっていると評価されます。

 

欲を言えば、トラブルが発生する前に、事前にそれを察知して、未然に食い止めることが出来るような予測が出来る力があれば、さらに、目のつけどころが良いと、評価はもっと上がるでしょう。

 

こういう企業が求める力は、たくさんの文章を書くことで向上します。新しいものを発見すること、気づきの力をつけましょう。

 

企業などの組織の中で求められるのは、現実を動かすことが出来る実用的な文章を上手く書けるようになることです。それを意識して、日頃から文章を書く練習をすると、企業で通用する認識力のある文章が書けるはずです。

 

「一人弁証法」で思考を深める

文章の書き方として、スマートに組み立てる基本の方法は、初めに、最終ゴールとなる一文を決めます。それが結論です。そして、スタートになるタイトルを決めます。タイトルは、疑問形にすると、後述の文章がその問いに答えていく形に出来るので、分かりやすいです。

 

スタートからゴールの間には、通過点となるポイントを3点ほど並べて文章を書いていくのです。この手法は、文章を書くことに慣れていない人が、実践してみると書きやすいでしょう。

 

この基本の方法よりワンランク上の形式が、「一人弁証法」と呼ばれるものです。あるテーマについて、初めは、「正」の賛成意見を述べます。次に、「反」となる反対意見を論じます。最後に、議論の結果として、「合」を述べます。これを書き手一人が、文章の中で意見をぶつけて論じていくのです。

 

賛成意見、反対意見、そして、その両者を議論した後に導かれた結論を書くことになるので、一つの文章の中で、様々な見方が現れ、高い思考レベルとなります。あなたの文章なのですから、あなたの好きなように、他者に惑わされることなく、意見して良いのです。

 

このような文章の中で、一人で対話的な関係性を示す手法は、昔から存在していました。イタリアの物理学者、天文学者、哲学者でもあるガリレオ・ガリレイの『天文対話』や、古代ギリシャの哲学者であるプラトンの『対話篇』でも、この手法が用いられています。昔から深い思考を見出す決め手として存在している形式です。

 

弁証法で柔軟な意見・結論を導き出そう

弁証法で文章を書くということは、自分の中で、賛成意見と反対意見の2つの立場に区別して検討していかなければなりません。「ある点に関しては、賛成でこういう意見です。けれども、逆の方から見ると、こういうことも出来ます。次の点では、こういう意見にもなるし、別の考えも出来そうだ」という具合です。

 

このようにして、賛成意見と反対意見を議論した最終的な結果として、正解はどちらの意見だと、1つだけを正解として、もう1つを全否定するのではなく、どちらが正解という二者択一の答えは出さず、両者を仲裁するように、仲裁者としての意見を考えながら書いていきます。

 

両者の共通していることや、次の段階、新しい提案をしてみましょう。両者が対立するだけでなく、融合出来るような策を検討していきましょう。

 

このような弁証法を用いた文章を読むと、読み手は「これを書いた人は、柔軟だなあ」と感じることでしょう。対立する2つのものの意見が錯綜して、様々な議論がなされ、その結果として、新しい発見によって、新たな提案が生まれるという方針は、読み手を興奮させるに違いありません。

 

一人弁証法は、基本となるスタートからゴールまで、1つの意見を突き通すような手法に比べると、議論が激しいものになります。最後は読み手が納得してくれるはずですが、議論の内容や最終的な結論が混乱し過ぎてしまうと、単にまとまりのない文章として終わってしまいます。書き手の文脈をつなげていく力が重要になってきます。注意が必要です。

 

お客さんの立場になることを忘れない

文章を「一人弁証法」で書き進めていく場合、自分の本心を書くというより、自分がいろいろな立場に立って、様々な角度から物事を見た時にどうなのかということが重要です。自分が現在置かれている立場から考えるだけでなく、自分と逆の立場にもなってみて異なる見え方を発見することが必要です。多様な観察力が要るということです。

 

サービス業において、例えば、ものを売る側の人は、どうやったら商品が売れるかを考えるでしょうが、時には、商品を買うお客さんの立場になって考えてみることも大切です。その企業に就職する前は、売り手の人も一人のお客さんであったはずです。

 

ITシステムを手掛ける企業でも同じです。新しいシステムを展開していく中で、そのシステムを使うユーザーのことを一番に考えてシステム構築しなければ、ただの自己満足のシステムになってしまいます。

 

このように、企業の人間としての立場という見方と、お客さんの立場にもなってみるという観点を持っている人が、組織の中では高い評価を得るでしょう。

 

あれやこれやといろんな意見を出してくるだけでは、まとまりきらず、頭の中が整理できていない状態です。文章の中で、「一人弁証法」を進めていくには、2つの意見を手を抜かずに、妥協することなく競わせて、その後、両者が折り合いを見つけて、前向きな意見を発掘する必要があります。こういう文章力にこそ、企業は高い評価を下します。

 

自分の意見にクレームをつけ、クレームをつけられたら、それをフォローする

小論文を書く時にも「一人弁証法」はお勧めです。基本の1つの意見で突き進めていこうとすると、書き出しは、順調に自分の思うことを書いていくことが出来るでしょう。

 

しかし、一旦、自分の意見を述べ終わると、書くことがなくなって、同じことを言い回しを変えて何度も述べているだけになりがちです。そして、それ以上話が進まなくなってしまいます。「一人弁証法」で書くと、急激に話が進むようになります。

 

あなたが、ある意見を示します。その意見に対して、あなた自身が逆の立場として「クレーマー」に扮して、初めに書いた自分の意見に、クレームをつけます。次は、このクレーマーに対して、クレームをつけられた側の弁護人になり、苦情をフォローしていきます。こうやって、対立する2つの立場の対話を行っていきます。

 

2つの立場から、それぞれのもっともだと思われる意見のやりとりは、文章を進めやすくなります。動きもあり、読み手にとっては、とても面白く感じることでしょう。この手法をマスターすれば、いくらでも文章は書けるはずです。

 

物語には、もともとこうした対話形式ややりとりが存在します。それがあるから、読み物として、楽しく読むことが出来ます。論文には、通常、それがありません。しかし、小論文やエッセイに、このような対話形式を取り入れると、動きが出て、読んでいて楽しい文章になります。

 

平凡な文章を書いてしまうのは恥ずかしいこと

テレビでコメンテーターが一般論を話していて、「無難なコメントをしているなあ。」と感じることがあります。世間の反応を気にして、わざと無難なコメントをしている人も中にはいるかもしれません。しかし、同じことを文章で書く際に行うと、魅力のない、何も惹きつけられないつまらないものになってしまいます。

 

例えば、テレビでは「自分自身が納得いく生き方をすることが一番大切ですね。」と有名人がコメントしたら、「へえ、そうなの。」というくらいに、聞き流すことも出来るでしょうが、同じ言葉を文章で書くと、平凡過ぎてかっこ悪いなあと思われてしまいます。

 

文章では、このような平凡な言葉を何食わぬ顔して使ってしまう行為を恥じなくてはいけません。平凡にならないように書いたつもりが、結果として平凡になってしまったなら、目をつむりましょう。けれども、文章を書く時は平凡にならないような言葉を選んで、書いていこうという努力が見られない場合は、非難されても仕方ありません。

 

一般論を否定してから自論をスタートさせる

日本人の昔からの特性として、他人と同じであることが恥であるという感覚はありません。この日本人と全く違って、自分独自の意見を強く主張しようとするのは、フランス人です。何としてでも、他人と違うことを言わなければいけないという衝動に駆られています。

 

これまでの日本文化の中では、「自分が自分が・・・」というような態度は、高評価はされていませんでしたが、これからは、他人と違う独自の意見を言える人材が求められています。当たり前のことしか言えなかったり、言い方は上手くても、内容が乏しかったりする文章は、現代では、社会の評価は高くならないでしょう。

 

従って、一般論をいくら書いても意味がないということです。「一般論は〇〇ですが、私の意見はこうです。」というように、まず一般論を否定し、乗り越えて、その次に自分の意見を書き進めます。

 

わざと普通と違うことを書いて、読み手の注意を引こうとするわけではありません。多くの人が注目しそうなポイントではなく、従来とは異なる箇所にスポットライトを当てて、本質を明確にします。

 

他の人が注目していなかった箇所にスポットライトを当てて、異なる注目すべき点を見つけ、そこから本質を押さえていこうと挑戦しましょう。着眼点を変えて、考察していくことをやってみましょう。

 

メジャーなものではなく、マイナーなものに注目してみよう

小さい子供に大人気のアンパンマンのテレビを見ると、たいてい、バイキンマンがアンパンマン達の邪魔をしようとして、アンパンマンはピンチになってしまいますが、そこにアンパンマンの新しい顔を仲間が持ってきてくれて、アンパンマンは元気100倍になって、バイキンマンをやっつけるという感じです。

 

その時々に、登場するキャラクターは違いますが、アンパンマンとバイキンマンの関係はいつも同じです。ストーリーは予想出来るのものばかりです。

 

バイキンマンとドキンちゃんは、よく変装して、アンパンマン達に近づいてきますが、絶対ばれそうな変装なのに、なぜいつもばれないのだろうか?アンパンマンの顔が新しいものと取り換えられた時、古い顔はどこへ飛ばされていったんだろうか?

 

アンパンマンのアンはこしあんかつぶあんか?しょくぱんまんの食パンは何枚切りか?カレーパンマンのカレーは甘口か?など、本編のストーリーとは関係ないところで、気になる疑問をたくさん見つけることが出来ます。

 

ストーリーだけにとらわれず、いろいろな視点でこの作品を観察することが出来ます。あなた独自の視点で、作者のやなせたかしさんでさえ気づいていなかった作品の何かを発見してみるのも良いでしょう。

 

テレビでも映画でも、アニメでもドラマでも小説でも、作り手は作り手なりに、何らかのメッセージを作品に込めています。しかし、その作品をどうとらえるか、意味を感じ取るかを決定するのは、作り手ではなく、読み手の方です。読み手は、自分の好きなように自由に読み取って良いのです。

 

そこで、自分なりに、作品を理解しようとして、本質に近づこうとするほど、「この作品のテーマは、人類の平和だ。」という具合に、抽象的過ぎる、平凡な観点でとらえてしまうこともあります。そうならないために、主流から離れたマイナーなところを攻めて、スポットライトを当ててみましょう。

 

例えば、数年前から工場の夜景がブームになりました。テレビで取り上げられたこともあってメジャーになってきました。海から工場夜景を見るためのナイトクルーズもあるようです。昔では考えられなかった観光です。今まで注目されなかった工場の夜景に注目することが、多くの人々の共感を得ました。

 

また、近年、パワースポット巡りの流行からか、神社やお寺を参拝して、御朱印を集める若い女性が増えてきました。かわいい御朱印、かっこいい御朱印をたくさん集めようとする御朱印コレクターも急増中です。若者の関心が薄かった御朱印が脚光を浴びることになりました。

 

こういったもともとマイナーな存在が、ふとしたことからメジャーになっていくこともあります。マイナーなものは、自分の視点でとらえることが容易です。

 

「多くの人は、こういう風に見ているけれど、私はそうではなくて、ああいう風に見える。こんなに素晴らしいところ、面白いところがあるんだ。」と、世の中であまり取り上げられることもないようなマイナーな存在を、あなたなりに肯定的に紹介することは、あなた自身の視点を確立するためには有効です。

 

そういった視点を習慣にして文章を書く練習をすると、だんだんと、ものの見方が柔軟になっていきます。

 

見慣れない文章の引用と出典を明記してお得な印象を与える

他人がその文章を読むと分かっている場合、文章を書く段階から、面白い発見を入れていきたいものです。しかし、その発見がいまいちの時もあります。そんな時には、他の方法で、文章全体を補う必要があります。そんな時に使える方法が「引用」です。

 

引用と言っても、何かの文章をそのままコピーしてきて貼り付けるのではありません。読書をしたり、映画を観た時に、気に入った言葉や面白いと感じたセリフがあれば、メモしておきましょう。文章を書く時に、出典を明記するためです。

 

例を挙げて説明します。NPO法人コヂカラ・ニッポンの代表や、NPO法人ファザーリング・ジャパンの理事を務める川島高之さんは、自著の『いつまでも会社があると思うなよ!』の中で、「無いものを嘆くな、あるものを活かせ。」と書いていますが、この言葉は、もともとパナソニックを一代で築き上げた経営者である松下幸之助さんの名言です。

 

この言葉を文章で引用する場合は、松下幸之助さんの言葉であり、その出典も明記すると、読み手は、「この言葉は、川島高之さんが作り出した名言ではなくて、松下幸之助さんのものだったんだ。」と、その言葉と、松下幸之助さんのことも知ることが出来ます。読み手にとっては、初耳かもしれないのでお得な印象を持ちます。

 

漫画の中にも名言はたくさんあります。出典『ドラえもん』ですが、「過ぎたことを悔やんでも、しょうがないじゃないか。目はどうして前についていると思う? 前向きに進んでいくためだよ。」と、ドラえもんがのび太に言っています。漫画の中のセリフにも、心に響くものはあるのです。

 

何かの言葉を引用する場合は、出典を明記することにより、あなたの文章は輝きを放つことでしょう。書き手が新しい発見を出来ていなくても、全体的に面白味が欠けていても、光るような言葉が引用されていて、その出典が明記されていたら、「読んで得したかな」という感想を得られるはずです。

 

引用する際に使う言葉は、何でも良いわけではありません。誰でも知っているような言葉を選んでも、お得と感じてもらえず、残念ながら輝きゼロです。あなた自身が本を読んだ時に、ふと発見した言葉、ちゃんと原典にあたって発見した言葉だからこそ価値が見出せるのです。

 

文章を書く練習として、必ず「引用」を使うこと、というルールを決めて練習してみると良いでしょう。手始めに、『論語』の中の文章を必ず一つは取り入れて文章を書いてみましょう。自分の体験と絡めることが出来る言葉はあるかを探しながら、『論語』を読むのもお勧めです。読むというか、探すという行為に近いです。

 

自分のエピソードに関係しそうな言葉を引用して、その引用と自分自身の体験を絡ませてエッセイを書いていくのです。自分の体験に合う言葉を引用するのですから、文章は書きやすくなると思います。

 

文章の中に、論語の一説が出現したら、文章全体に輝きを放ってくれます。必ず『論語』を引用して文章を書かなければいけなかったというルールの存在を知らない人が、この文章を読んだら、「ここで論語を引用するとはすごいな」と感心することでしょう。

 

自分のエピソードを書いているうちに、ふと論語の言葉が頭に浮かぶなんて、この書き手は、教養にあふれている人なんだと、読み手に思われる可能性もあります。

 

自分で新しく研ぎ澄まされた格言のようなものを生み出すことが出来れば、問題ありませんが、これはなかなかレベルが高く難しいです。そこで、文章の「締まり」となるところを他人の力を借りてきて、引用文に頼って書き進めるという手法を使うのは効果的です。

 

ここで使う引用文を何にするかで、文章のレベルが変わってきます。平凡過ぎる引用文は、困ります。ことわざを引用しようとする人もいますが、要注意です。

 

例えば、「百聞は一見に如かず」という言葉で、文章を締められると、面白くない説教を聞いている感じになってしまいます。「小学生でも知っているようなことわざで締めるんですか。」という印象です。

 

読み手が、「それ知ってるわ」と思うような引用文は避けましょう。インパクトに欠けますし、読む気が減退します。一般的に、あまり知られていなさそうな言葉を引用するように心掛けて下さい。

 

『論語』の中に「憤せずんば啓せず」という言葉があります。意味は、発奮していなければ啓蒙しない、教えないということです。この言葉は、一般的に聞きなれない言葉なのではないでしょうか。こんな言葉が文章中に出現したら、読み手は、自分の知らない言葉を習得出来たということで、書き手に対して尊敬の念が増します。

 

速読術より緩急読みで、アウトプット優先にしよう

引用文となる候補を探すために、『論語』や有名な哲学者の本をたくさん読む必要があると言っているのではありません。まずはたくさん読書して、教養をつけなくてはいけないと、あせらないで下さい。文章を書くためには、アウトプット優先の知識で十分です。

 

「書く」ために本を読むスピードも速くなります。本を読む目的が、何かを発見するためだと、自分に関係のない部分は読み飛ばせるので、高速で本を読めるようになります。

 

速読術には、様々な方法があります。電車に乗車中、車窓の風景が右から左に動くのを、目で追っていくと、おそろしいほどに目が動くようになります。スポーツのために役立つことで、この練習をすることで、目の動きが速くなります。これが、スポーツだけでなく、読書の時、ページを開いた時に、パッパッと視点を移すことが可能になります。

 

速読術の一般的なものは、本をほとんど同じ速度でページをめくっていく方法です。途中の読むスピードは変わらないものです。しかし、皆さんにこのような速読術をマスターして欲しいのではありません。

 

速読ではなく、「緩急読み」をマスターすべきです。ゆっくり読む箇所は、1ページに3~4分かけて、「この文は重要、これは引用したい」とチェックしながら読みます。けれども、自分には関係なさそうな箇所は、どんどんページをめくっていきます。これこそが、アウトプット優先の読書法と言えるでしょう。

 

「縁」を大事に本を選ぼう

他人との出会いは、何かの「縁」があるからでしょう。満員電車の中で、同じ空間に居合わせた見ず知らずの人に対して、「この人とは縁があるかもしれないな。」とか、「この人とは縁がないはず。」と、瞬時に感じとっているのです。

 

飲み会の席でも、人数は多くないでしょうが、「この人とは今後、何か縁を持ちたいな。」と思うのが第1グループだとします。「この人は、どっちでも良いかな。」と思うのが第2グループです。その時の雰囲気で、状況次第では付き合っても良いかなというくらいのグループです。「絶対に縁はない。」と断定出来てしまうのが、第3グループです。

 

第1グループよりも、さらに上をいくような、運命の赤い糸を感じてしまう場合は、特級グループとなります。時には、こういうレベルの人も現れるでしょう。このように、私達は、知らぬ間に、縁の濃密度により他人を認識しているのです。

 

瞬時に感じ取るグループ判別なので、そのグループ分けには、勘違いも起こり得ます。人生を大きく左右する結婚においても、その勘違いによって縁を引き寄せる可能性もあります。

 

人と人との出会いだけでなく、私達が本と出会うのも「縁」なのかもしれません。「これは運命の1冊かもしれない。」というような本に出会うことも、時にはあります。そういった縁を大切にして本を選びましょう。

 

人間関係の構築は、生活する上で、とても大切なことです。「野生の勘」も働いて、私達は自ずと付き合う相手を選択しています。論理的ではなく、無意識の感覚とでも言いましょうか、フェロモンや匂いを感じ、相手の人格や感性をすさまじい速さで推測しています。「縁」は、このようにしてかぎ出すものなのでしょう。

 

読書は「保存期間の長い」ものほど引用しやすい

読書をする際には、長い期間その引用文が使用出来そうなものを選ぶ方が良いでしょう。発信者を気にせず、情報だけを獲得しようとして読書すると、その獲得した情報は、1年後、または1~2ヶ月後には、古びたものになっているかもしれません。

 

けれども、書き手の何かに憧れを抱いて読めば、そこから自分に流れ込んでくる重要なものがきっとあると感じています。そんな著者の人間性や人格と一体化して読書することを重視すると、ただ単に情報獲得のための読書とは違ったものになります。

 

時代を超えて情報が長持ちする本とは、『論語』のように古びてしまうことはないでしょう。古典だけが良いのではなく、内容の中身によるのです。

 

「保存期間の短い」情報を引用すると、自分が書いた文章が、時代に合わなくなって誤情報になってしまう恐れもあります。最新のニュースをもとにエッセイを書くと、事実関係が、実は違っていたという間違いが発生してしまう可能性もあります。

 

そうならないためにも、読書は「保存期間が長い」ものを中心に読むのが良いでしょう。かつ、アウトプットすることを念頭に置いて、「縁」の勘を働かせながら、「この部分は自分に関係があるのか、ないのか」を、ページごとに瞬間的に区別していきましょう。目次を活用して、章ごとに「縁がある、縁がない」と判別するのがお勧めです。

 

「新しい認識」か「有益な情報」は存在しているか

世間に出回っている文章の中には、文章を書くのが得意ではない芸能人などが、雑誌の一企画としてエッセイを連載することもあります。「文章としては読めたものではないレベルなのに、連載が継続するのはなぜだろう?」と顔をゆがめる人もいますが、これは、その芸能人には、多くのファンがいるからです。

 

書き手の存在や人格を愛しているファンのおかげです。このような中身の伴わない文章が成り立つのは、多くのファンを持っている特定の芸能人などにだけ、通用する行為です。

 

文章は、知的なものだけが認められるというわけではありません。女性アイドルがメイク術を披露したり、俳優さんが、姿勢が良くなるストレッチを紹介したりする場合は、情報として、読者が惹きつけられる可能性があります。それは、ある程度の需要が見込まれます。

 

「おいしいパンケーキのお店がここにあります」というだけの文章でも、読み手が興味を持ってくれたら、それは、情報としての需要があったということです。

 

例えば、新しい筋トレ方法が本になったとします。それを知った人のうち、何割かの人は本を読んでみたくなります。まずは2週間試してみて良いと思えたら、本を実際に買おうという人達がいます。そこには、今までにない、一つの新しい筋トレ方法の案そのものに意味があるのです。

 

または、ある優れた舞台を紹介する平凡な文章でも、その文章を読んだ人が、実際に観にいこうと思い、感動すれば、書いたものが有益であったことになります。

 

文章には、新しい認識が書かれていますか。新しい認識を示すことが出来ていない場合は、人を魅了する情報が書かれていますか。文章には、認識か情報か、少なくとも、どちらか一つは存在して欲しいものです。

 

「章立て」を工夫して読者を惹きつける

長い文章を書く場合、章立てを工夫しましょう。レポートの場合でも、全体構造をはじめに検討することは大切です。「初めにこういうことを書いて、こうなって、ああなって、こうなって、結局、5章立てで書こう。」ということを決めるのです。

 

章立てを考えずに、思うままに書いていくのは、迷宮に迷い込んでしまったようなものです。最初に章立てを考えるというやり方に慣れることは、とても大事です。

 

章立てを考える時、「第1章では、○○について述べて、第2章では△△について述べる。第3章で、〇〇と△△の相違点を説明して、第4章で、〇〇と△△を比べて出てきた論点をまんべんなく拾い集めて、第5章で、その結論に基づいて提言する。」という具合に、考えておくと、骨組みが仕上がります。これで文章を書く設計図が出来ます。

 

村上春樹さんの『1Q84』を読んだことはありますか?この小説は読ませる文章として、参考にしたいコツがたくさんあります。目次に章立てが書かれているのですが、「天吾」という男性と、「青豆」という女性の2人の主人公が、章ごとに交互に登場するストーリーの構成となっています。

 

勘が良い人なら、「別のストーリーの中にいる2人の主人公の距離が、次第に縮まって、1つのストーリーになっていくのではなかろうか。」と予想するかもしれません。本文を読まずに、目次を見ただけで、「別々の2人の人物が、だんだんクロスしていくのではないか。」と、読み手に思わせています。

 

この『1Q84』は、各章のタイトルのつけ方が、本当にうますぎます。人を惹きつける章のタイトルのお手本にして下さい。たいてい、作品のタイトルや章のタイトルは、具体的なものと抽象的なものを上手に合わせることが良いとされています。片方だけではダメなのです。

 

映画に『プラダを着た悪魔』というタイトルがありますが、この「プラダ」という具体的なブランド名をタイトルに盛り込んでいることこそが、素晴らしい点です。もし『高級ブランドを着た悪魔』という映画のタイトルなら、人を惹きつけることは出来ません。「プラダ」とか「グッチ」とかを前面に出すことで具体的な印象が湧きます。

 

小説でも具体的な地名がタイトルになっているものもあります。スティーブン・キングの『ブルックリンの八月』などもそうです。このような具体性の中に、読者は「何かあるのかな」と思うのでしょう。

 

村上春樹さんの『ノルウェイの森』は有名ですが、このタイトルはビートルズの曲名を引用したものです。そこに何か関係性があるのではないかと、読者を惹きつける効果も含まれています。

 

読者の想像力を刺激する「章タイトル」

村上春樹さんの『1Q84』の章タイトルは、とても説明的なセリフのような変わった形式です。「Books1」の第1章は「見かけにだまされないように」です。このタイトルを見ただけでも、少し気になってきます。

 

他の章のタイトルは、「専門的な技能と訓練が必要とされる職業」、「我々はかなり遠くまで行くのだろうか?」、「風景が変わり、ルールが変わった」、「もうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない」、「時間がいびつなかたちをとって進み得ること」などです。通常の小説では、ストーリーを壊してしまうので、こんな細々としたタイトルをつけないでしょう。

 

しかし、村上春樹さんは、この作品では、章タイトルを工夫することによって、まるで推理小説のような、謎解きをしていくような効果を発揮しています。「このタイトルの意味は?どんな場面からこんなタイトルが出てくるのかな?」と、読者の想像力をかき立てています。

 

そして、このタイトルは読んでいくと、本文の中にも出てきます。読者としては、これらの「章タイトル」を念頭に置きながら読んでいくと、本文の中で同じ言葉を発見します。「ここにあったぞ!」とガッツポーズをしたくなります。パズルのピースを発見したような感じで、ガンガン読み進めていくことが出来ます。

 

「一人弁証法」のような登場人物達の会話

『1Q84』という本のタイトルは、何を意味しているのでしょうか。物語の設定は、1984年ですが、主人公はそれと、少し違う別の現実世界にさまよいこんでしまうのです。月が2つあることで、それを分からせようとしています。この別の現実世界に対処するために、主人公の青豆は「1Q84年」と名付けて、認識を明確にしました。

 

このタイトルである『1Q84』自体が謎であり、問いかけとなっています。「なぜ、月が2つあるのか」、「どうして主人公の青豆と天吾は別の現実世界に紛れ込んでしまったのか」、「空気さなぎとは何か」と、次から次へと疑問が浮かび上がってきます。

 

このように、作者の村上春樹さんが問いを投げかけて、本文中で、登場人物達が対話しながらその問いを究明しようとしています。1つの問いに対して、答えが出ていなくても、新しい問いが出てくると、新しい問いの答えを究明しようと話は進んでいきます。その究明する行為が物語を進める力となっています。

 

登場人物達は会話の中で、疑問を究明しようとしています。このスタイルは、「一人弁証法」で自分の考えに自分でツッコんで文章に推進力を生み出す手法に似ています。問いが問いを生み出していき、それこそが、物語の大きな力になっています。

 

たくさんの引用でお得を感じさせよう

『1Q84』の中には、引用が多様されていることも注目すべきところです。『イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン』の曲を冒頭から引用してスタートします。様々な引用が散りばめられています。

 

長文を引用しているケースもあります。それは、登場人物が本を音読するシーンです。「こういう言葉もある」、「アリストテレスを読んだことはあるか?」などと言って、以下の文を全部引用しています。

 

「あらゆる芸術、あらゆる希求、そしてまたあらゆる行動と探索は、何らかの善を目指していると考えられる。それ故に、ものごとが目指しているものから、善なるものを正しく規定することができる」という文です。

 

この文章はアリスとテレスの『ニコマコス倫理学』の中の言葉です。一般的に、『ニコマコス倫理学』を読んだことがある人は、そう多くはないでしょう。そこで、この一説を引用されたら、読者は、お得に感じるでしょう。

 

「村上春樹さんは、さすが教養があるなあ」という尊敬のまなざしとともに、「原本を読まずして、このアリストテレスの言葉を知ることが出来て、良かったな」と得した気分になります。

 

他にも重厚なものから軽めのものまで、様々なものを登場人物達の会話の中に、取り込んでいます。それだけで、お得が感じられる作品となっています。

 

巧みな「道具立て」で小説をより面白くしよう

小説の中に「道具立て」があると利点になります。『1Q84』では、2つの月、空気さなぎ、リトル・ピープルなどです。このような現実的ではない道具立てを作成し、リアルな物語を進ませることは、物語の推進力を生みだします。

 

けれども、村上春樹さんのような小説家だから出来ることであって、私達のようなプロの小説家でない人が、このような非現実的な物事を話に取り入れることは、なかなか難しいでしょう。そこで、一種の比喩として使用する程度ならどうでしょうか。

 

例えば、「この広い現代社会の中で、私達は繭の中にいるようなものではないか」と述べてから、繭をキーワードとして話を広げていくことは興味深いものです。

 

『1Q84』は、物語に取り込んだ道具立ての1つの強いイメージを上手に使用しながら、話を展開していきます。この技法は素晴らしいものです。それぞれの道具立てのイメージが過激なので、章ごとにそのイメージが離れることはありません。その道具立ての効果で、読者は1つの章を読み終えると、次々に読みたくなるのです。

 

読者は投げかけられた疑問に対して、謎を解明しながら、楽しく読んでいくことが出来ます。疑問の提示の仕方も絶妙で、その謎を解くためのヒントもうまい具合に出されています。読者に優しい親切構造になっています。多くの引用もありお得です。これらの中でも、投げかけられた疑問自体に大きな吸引力が存在します。

 

これらの観点で『1Q84』を読み直すと、また別の感じ取り方が体験出来るはずです。

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