親が子供のことをきちんと理解していれば、子供は能力を最大限に発揮できる
子供はいつか、親元から離れます。しかし、自宅を出て1人暮らしをするという物理的な距離の事のみを、親離れというわけではありません。親が子供を理解し認め、思考や心の面で子離れをする事が出来なければ、本当の親離れ、子離れが出来たとは言えません。それはどのような事なのか見ていきましょう。
子供の行動を心配する前に、まずは自分自身の行動をチェックしてみる
子供の親離れのサインに気付かない母親が、子供をダメにしてしまう
最近、子供が急に私と話さなくなってしまった。少し前まで、学校での出来事や、その日の事を良く話してくれたのに。最近は、お付き合いしている彼女とは楽しそうに電話で話しているのに、私には一言、二言程度でおしまい。子供に何か気に障る事でもした覚えもないので、心配で仕方ありません。
このような話をよく聞きます。でも、こんな心配をしている母親に、「息子さんは何歳ですか?」と尋ねると、高校を卒業している19歳や20歳くらいである事も多いのです。このような母親は、子供が親離れをしている事に気付いていないのです。
19歳ともなれば、親とあまり話さなくなる事は自然な事で、逆に、子離れが出来ない母親に問題があります。また、最近は、親離れをする年齢が低くなってきていて、小学校高学年から中学生くらいから、空腹や眠気、入浴など、何か要求をする時くらいしか、親とは会話をしない子供も増えています。必要以外の事は話したがりません。
ましてや、朝通学してから、習い事などしていれば帰宅も遅くなります。特に父親と顔を合わせる時間は少なくなりますから、父親と会話が無い日があっても、不思議な事ではありません。それなのに、親が心配しているという事は、子供に対する関心が、向けるべき方ではない部分に行ってしまっており、親側に問題があります。
19歳くらいの男の子が、彼女との電話は楽しそうなのに、親とはほとんど口を利かない事は、むしろ年相応の成長であり、不思議な事ではありません。それを例えば、父親が息子の様子に対して、「お父さんとはほとんど話さないのに、彼女とはよく話すんだね」と言ったら、息子からは、やきもちを妬いているとしか思われないでしょう。
更に輪をかけて、「彼女と長電話ばかりしている暇あったら、勉強しろ」と言ってしまう気持ちも分かります。しかし、中高生くらいになれば、もう十分親離れしているという事を、親は理解していなくてはなりません。
父親がどうしても息子と話したいのであれば、「最近、お前とゆっくり話をしていないから、今日は休日だし、話でもしないか?」と誘ってみましょう。すると息子は、「休みの日だからこそ、僕は友達と遊んでくるんだよ」と言って逃げるかもしれません。そんな時は、「そうか。それならお母さんと話するからいいや」と言い、その場は収めましょう。
寂しい思いはあるかもしれませんが、子が親離れをするならば、親も子離れをしなくてはなりません。子供を強制的に無理矢理引き留めてしまう事こそ、問題です。ここは潔く、子離れしましょう。
子供の困った行動に気がついたら、親自身の気持ちも自己分析してみる
子供が困った行動をとった時、親はどのような気持ちになっているでしょうか。「うるさいな」とか、「子供がどんな態度をとってこようが、挑発的な行動をとろうが、絶対負けない」という気持ちになる事も、多いと思います。
困った行動の初期段階のいたずら程度でしたら、「いらっとするけど憎めない子」と思う事もあるでしょう。しかし、もっと段階が進み、大人に対して挑戦的な態度を取り始めたら、親としての立場もなくなるような気持ちになって、追い込まれるかもしれません。さらには、侮辱されたと深く傷つき、我が子を嫌う親も出てくると思います。
そして、最終的にはどうしたら良いのか分からない状態になります。でも、このように親自身の気持ちに注目してみれば、何となく困った行動をとった子供との付き合い方が見えてこないでしょうか?
挑戦的な態度を子供にとられ、親としての立場が揺らぐような気持ちになったら、まずは、成長して子供が力を持つようになった事を認めてあげます。そして、その力を生産的な事に使えるよう促すことに努めます。親と子供が互いに張り合わず、妥協点を探り当てて、最良の関係性を考えます。
また、親自身が深く傷ついてしまったと感じる時は、まずはそれを子供に悟られないようにしましょう。次に、親はどんなことがあってもあなたを好きでいるのだという事を、子供が納得するような策を考えます。
もうどうしたら良いのか分からない状態になってしまった時は、とにかく子供がやることなすこと全て評価してあげます。この時、つらいかもしれませんが、親自身が落胆しないように努めてください。それと同時に「あなたを絶対あきらめない」と伝えましょう。
このように、困った行動の段階に応じて対策を練り、とにかく子供と正面から向き合う事に意識すれば、時間がかかっても、必ず親子関係は修復していきます。
子供がベストを尽くすために必要となる親の行動
将来を心配するより、まずは子供の現状を認める事が能力を伸ばす秘訣
我が子の能力の限界を、親が判断するのは、非常に難しく、むしろ不可能であると思った方が良いでしょう。
そもそも、どこが子供の限界なのかを判断できる基準はありません。だから、親がひいき目で「もっとできるだろう」とか「やれるに違いない」と過剰な期待をしてしまい、それが仇となることも少なくありません。今持っている能力以上のことを要求するのは、子供にとってはとても酷なことです。
聖書の中に「タラントのたとえ」という話があります。タラントとは当時のお金の単位のことです。現在の金額で言うと、日本円で1タラントは数千万円、あるいは億という説もあります。
主が、旅に出かける前に3人の使用人に、能力に応じてタラントを分け与えました。1人は5タラント、1人は2タラント、1人は1タラントをそれぞれ受け取りました。
主が旅に出ている間、5タラントを受け取った者は、それを商売の資金にして、更に5タラントの収入を得ました。
2タラントを受け取った者も同様に商売の資金にして、更に2タラント得ました。
1タラントを受け取った者は、商売などせずに、土を掘って地中に埋めて保管しました。
旅から帰ってきた主は、商売の資金にして更に収入を得た、初めに5タラントと2タラントを受け取った者に対して、「自分の能力を最大限に生かして良くやった。ご褒美にさらにタラントを増やして与えよう」と言いました。
ところが、1タラントを土に埋めた者には、「自分の能力を最大限に生かして、何かを成し遂げようとする気もなかった愚か者よ」と怒り、1タラントを取り上げて、さらにこの者を追い出してしまいましたという話です。
この話から言えることは、持っている能力をフルに発揮してベストを尽くし、さらに能力を伸ばす重要性であり、能力があるのにベストを尽くさないことは、人として成長できないということです。だから、5タラントの者も2タラントの者も、評価は同じです。
1タラントの者も、1タラントで出来ることを一生懸命行い、1タラントの収入を得ていれば、同じように評価をしてもらえたはずです。
これを子供の能力に例えてみます。今、子供がやっていること全てが、その子にとってベストであると、親はまず考えましょう。親はどうしても我が子に期待してしまい、「2タラント分ではなく、頑張れば10タラント分の力があるかもしれない」と思いがちですが、そのようなことは非常に稀なのが現状です。
もし、この子供の力がやがて10タラントになったとしても、それは、常にその時々でベストを尽くしてやってきた結果が積もって10タラント分の力となっただけであり、2タラントの時から既に10タラントの力があったというわけではありません。
また、10タラント分の力になったのは、2タラントの時に、「お前の力は、こんなものではないだろう。もっとできるはずだ」と、2タラントを否定されて大きくなったわけではありません。「2タラント分の力を良く出し切った。偉いぞ」と肯定されてこそ、さらなる能力へつながって行きます。
思考は現実化すると言いますが、否定的な考えからは否定的な結果しか生まれず、肯定的な考えからは肯定的な結果しか生まれません。それならば、肯定的な結果の方が良いわけですから、今、子供がやっていることは、肯定するのがベターです。
これは、子供だけではなく、大人も同じです。自分のやることなすこと否定され続けたら、否定されることがあたりまえのような感覚になり、「どうせ私なんて・・・」と自分自身をどんどん小さくしてしまいます。肯定されて認めてもらえるから、もっと自分の可能性を広げてみようという気持ちも湧いてきます。
今の自分の能力を肯定されることもなく、認められないのにも関わらず、それ以上を常に求められたら、ベストを尽くすどころか、プレッシャーだけが重くのしかかり、能力は発揮できません。このような経験は、親は誰しもしていることではないでしょうか?
「もっと貪欲に」と思いがちですが、今の子供の能力をベストと捉え、認めてあげることが、子供の能力を最大限に伸ばすことにつながるのです。
親は、個人差と能力の限界を頭に入れて、我が子のやる気を引き出す事
「もっと頑張れ。あなたなら必ずできるはず」と子供を一生懸命励まし続けている親は、人間の能力は無限大にあると信じているのではないでしょうか?確かに、そのような考えもありますし、信じたい気持ちも分かります。しかし、残念ながら人間の能力には限界があり、併せて個人差もあります。
考えてみて下さい。同じ指導者の下で同じ練習をしている選手が何人もいるのに、オリンピック出場や、プロになる事が出来る選手もいれば、一度も日の目を見ずに終わる選手もいます。これは、オリンピックに出られた選手が特別なことをしているのではなくて、生まれ持った才能が、日の目を見ずに終わる選手よりあるからです。
勉強でも同じ事が言えます。授業を聞いてノートに書いただけで、学校のテストで100点を取ってしまう子供もいれば、予習復習をしても80点を取る事しか出来ない子供もいます。これは、80点を取った子より、100点を取った子の方が頭が良いという事ではなくて、生まれ持った能力や才能に差があるという事になります。
ところが、大概の親は、この事を本当は分かっているのに、目をつぶり、子供に対してハードルをどんどん上げていってしまいます。例えば、通知表の成績が3だったら、「次は4を取れるようにもっと勉強しようね」などと言ってしまう事です。通知表を3から4、4から5と望んでいるのは親であり、子供の能力や才能とは無関係です。
本当は能力があるのに怠けていた為、3だった成績がいきなり5になる事も稀にあるとは思いますが、一般的にはこれはとても困難です。そして何より、親以上の能力は子供にはほとんどありません。
父親か母親のどちらかの能力を多く受け継ぐようなことはあっても、大概は二人の能力を足して2で割ったぐらいの力が子供の能力であると考えた方が無難です。これを考えれば、子供に過剰な期待をする事がそもそも困難であり、子供にとっては苦痛となります。
テストで何点取ったとか、通知表がどれだけ良かったかという評価よりも、我が子が自分の能力をどれだけ発揮する事が出来たのかが重要です。70点分の能力がある子が70点をテストで取る事が出来たら、それはその子の自己最高ベストであり、親はそれを大いに認めてあげるべきです。
人間が行うすべての事には限りがあり、その中でベストを尽くすために努力をします。子供がもって生まれた才能を最大限に開花させるには、親は子供に高望みすることなく、その子供自身が考える、自分の限界ぎりぎりまでベストを尽くせるように、見守る姿勢を取る事が大切です。
よその子と比べずに、我が子ペースでの進歩を認める事が能力を大きく発揮させる
「どうして○○君はあの子に勝てるのに、あなたは勝てないのかしらね?練習を真面目にやってないんじゃないの?」と試合で勝てない子供を叱る親がいます。よその子供と比べられる事で競争心が芽生えて、やる気に火が着いてくれたらと思う親心からの言葉かもしれませんが、よその子との対比は我が子の為にはならず、効果がありません。
しかし、「良きライバル」という言葉もあるように、対比されてしまうような相手がいる事が悪いのではなく、競争する相手がいるという存在そのものが、自分自身を奮い立たせるのだと、本人が気付いている時だけが効果を発揮します。
ですから、子供がそんな事を全く感じていないのに、親が一方的によその子と比べているのでは、いつまでも子供は親に認めてもらえないと感じて生きていくようになり、とてもかわいそうです。
子育てで大切なのは、我が子が我が子なりに、どれだけベストを尽くしたかという事です。そして、親はどれだけ成長したのかを見極めて、評価してあげる事です。
例えば、障害のある子供は、障害の無い子供が平気でこなす事も、出来るようになるまでには、大変な時間と努力が必要な事があります。また、箸でうまく食べ物を挟むことが出来なかった子供が、一生懸命練習して使いこなせるようになったら、それはとても素晴らしい進歩です。
これらを存分に親は認めてあげて、子供が認めてもらえたと感じる事が重要です。
よその子にしてみたら、大げさなことかもしれませんが、我が子にとっては大きな進歩であると認めて、親子で一緒に喜び合う事が出来れば、子供だけでなく、親も成長した事になります。
逆に、よその子と比べて、我が子は全然駄目だなどと言って評価しないのは、親が子供の成長についていけてない状態と言えます。このような親は、早くよその子と比較するのはやめて、我が子の現実の姿に目を背けず受け入れる事です。
我が子が我が子なりに、自分の能力の範囲内で精一杯努力していて、その中で成長しているのだと理解し認める事が出来れば、それは親と子が共に成長して歩んでいる証です。
子供の良い所を伸ばしてあげれば、努力しても埋まらない部分に親は悩むことは無い
よその子と比べないようにとは言っても、親として比べてしまいたくなる気持ちも分かりますし、現実を認めざるを得ない心情はつらい場合もあります。
しかし、目先の問題をたくさん並べている場合ではありません。現実を受け止めて、親は、子供の能力を最大限に発揮できる方法を考える事が先決です。
例えば、普通の子が5の能力があるのに対して、我が子は初めから3の能力しかないと分かったのであれば、よその子と比べることなく、この3の能力全てを発揮させてあげる事が最高の子育てです。世の中には、10の能力があるのに、3くらいの能力しか発揮していない子供達もたくさんいます。
ですから、同じように、この子が3の能力全てを発揮できずに育ってしまう事の方が、とても残念でありもったいない事でもあります。親は、この能力を最大限に発揮させる為に、この子の特長や、この子らしく生きるためにはどんな環境が良いのかなどを見つけてあげます。
人間の能力には個人差があり、その差をどんな事をしても埋められない部分は誰しもあります。教師が生徒に、「能力の差は関係ない。最後は一生懸命努力した人の勝ち」と良く言うのは、5の能力の子供が努力して10の能力の子供に勝つという意味ではありません。
それぞれの能力を、努力して最大限に生かした人が立派であるとして、子供達のやる気を起こそうとしているからです。
全盲のピアニストで、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した、辻井伸行さんの母いつ子さんは、生後間もなく伸行さんが全盲であると知り、「この子は目が見えない」という事だけにとらわれ過ぎて、普通の事が我が子は出来ないという事ばかり考えていました。
ところが、「フロックスはわたしの目」という本の著者である、視力障害を持つ福澤美和さんに出会い、考え方が変わり、伸行さんの目が見えない事を「個性」として見るようになりました。
すると、いつ子さんは、伸行さんの普段の様子から、幼いながらも聴力がとても優れている事に気が付きます。そして、2歳の時にプレゼントしたおもちゃのピアノを、いつ子さんが歌ったジングルベルに合わせて弾き始めた事が、現在の伸行さんの原点になります。
このように、障害があってもこうした可能性を持っているので、普通に生活のできる子供なら、なおさらその子の良い所を、親が見つけて伸ばしてあげる事が出来るはずです。
自分の居場所が欲しくて、子供は困った行動を取ることがある
家に閉じこもっている子供には、家族の一員であるという意識を持たせることが先決
不登校で家に閉じこもっているという子供は、学校での自分の居場所が無いと感じ、家の中に居場所を見つけているケースが多く見られます。自分の居場所が無い学校に行くより、居場所として確認する事が出来る家が良いと思い、閉じこもります。
このような子供は、学校に行っても特に親しい友達もいなければ、勉強や部活動で際立つ存在でもなく、学校に行っても誰も自分を認めてくれるわけでもなければ、特に自分を必要としているわけでもないと感じて、学校での居場所を見失います。
しかし、自分の家にいれば、家族とのコミュニケーションを通じて、自分はここに居て良い存在だと安心感を得る事が出来ます。時々親や、兄弟と喧嘩をすることがあるかもしれませんが、それこそがとても重要です。恐らく、学校では自分の感情を露わにすることはできなかったはずです。
家に閉じこもってしまった子供には、親は無理に学校に行かせようとせず、また、過剰に神経質にならずに、今まで通りの接し方をします。ここで誤って気を使いすぎて、腫れ物に触るかのような扱いをしてしまうと、子供は、居場所が家庭にも無いと感じてしまう恐れがあるので、注意が必要です。
子供が自らの意思で行動し、家族と触れ合える場所や雰囲気を維持し続ける事が重要です。家にいつもいる事で、干渉したり、逆に反抗されるのを恐れて、無関心を装う事も逆効果です。
こんな状況でも、家族の一員であると子供自身が認識できて、家の中に居場所を見いだせていれば、これ以上の困った行動を起こす可能性は少なくなります。
子供が家に閉じこもっている間、子供と話し合いをして、何か役割を与えてあげると良いと思います。家の掃除でも皿洗いでも良いので、手伝わせます。子供が納得して、こうした何らかの役割を果たしていく事で、「自分は家族の役に立っているし、必要とされている」という存在価値を十分に認識させる事につながって行きます。
学校にも自分の家にも居場所が無いと感じた子供は、今度は外に居場所を見つけようとして非行グループと接触するようになります。また、家の中に居ても、自分の部屋に閉じこもって、ゲームの世界に居場所を見つけようとします。
このような状況になってしまうと、家の中に居場所を見つけられていた時より状況が深刻化し、問題の解決は困難になります。
学校に行かないよりは行った方が良いわけですが、焦らずに、不登校になってしまった子供と家族とのコミュニケーションを取る時間をたっぷり与えて、家の中にある居場所を失わせないようにしましょう。
「自分は役に立っている」という実感を求めて、子供は非行を繰り返す
不登校になってから、家に閉じこもるわけでもなく、不良グループと付き合い始めて、そのグループの一員となっていたというケースのほとんどは、学校にも家庭にも居場所を見つけられなくなった子供が、居場所を求めて不良グループと接触したと考えられます。
学校がつまらないし、居場所もないから学校が嫌になります。同級生からも相手にされず、存在すら否定されてしまうような言葉を浴びる事もあるかもしれません。そして自分の居場所が無いと感じて、登校拒否となってしまいます。
学校に行かなくなり、家に閉じこもっても、親が「何で学校に行かないんだ」とただ怒るだけの状態が続き、それでも学校に行く素振りも見せないと、「もう勝手にしなさい」と、諦めたように言います。これで子供は、家でも居場所が無いと感じ始めます。
そこで、自分は役に立っているという実感を得る事と、居場所の確保をするために、不良グループの一員となっていきます。不良と一緒になって、タバコを吸ったり、万引きをしたりして、「お前もなかなかやるじゃないか」と言われたら、認めてもらえたような気になってしまいます。
悪い事をしているという事よりも、これをきっかけに、「もっと認められたい、役に立ちたい」と思うようになり、万引きを繰り返し、自宅からお金を持ち出し、さらには恐喝のような事までするようになっていきます。
そして、これらの行為に対して、不良仲間から、「お前、度胸あるよな。すごいよ」と言われると、称賛されたように感じて、ますますエスカレートした困った行動へと発展していきます。
でも、非行を繰り返していて、これらの行動そのものを楽しんでいる子供は、意外に少ないものです。グループの一員として認められたい、自分もこのグループの仲間であると実感したい、自分の居場所を確保していたいという気持ちを維持するための行動であることが多いのです。
ルール違反をしたからといって、その子の全人格が駄目になったというわけではない
ユニークな教育方針で有名な幼稚園で、スケート教室が開催されました。レベルに応じて色の違うゼッケンをつけて練習して、上達すればさらに上のレベルのゼッケンがもらえるというルールを決めていました。
すると、ある母親が、「ゼッケンをレベル別に分けるという事は、差別意識を子供に植え付けてしまう事にならないか」と質問しました。
すると、先生は、「スケートは、危険を伴うスポーツですから、レベルが違う子供が一緒にいるよりも、分ける方が指導しやすい。しかし、レベル別に分けたのは、あくまでスケートのレベルだけで決めた事であって、それぞれの子供の人格までを否定したわけではありません」と答えたそうです。
スケートと万引きを比べるのは少し違うかもしれませんが、実は同じ事が言えます。万引きをしてしまう子供は、万引きをしたくてそうなったわけではありません。無意識にこのような人生を選んでしまったわけです。ですから、意識すれば、いつでも決心して違う道を歩むことが出来ます。
しかし、このような社会のルールを違反してしまった子供に対して、親が「お前を心底嫌いになった。もう付き合っていられない」などと、突き放すような事を言ってしまったら、子供はますます悪の道へ進んでしまう事になります。
社会のルールを破ってしまった事そのものは、認めてはいけません。しかし、それで我が子の全人格まで駄目になったわけではありません。万引きは即辞めてもらうべき行為ですが、それに対しての責任を子供自身がとってくれれば、かわいい我が子である事に変わりはありません。
「罪を憎んで人を憎まず」ということわざがあるように、親は、犯した罪に対しては毅然とした態度で、子供には責任の取り方を教えなくてはいけません。そして、責任を取った後は、元通りの家族関係に戻らなくてはいけません。
何か悪い事をすると、取り調べのように、それよりも前の悪い事を掘り返して言う親もいます。それよりも、今やってしまった事だけの責任の追及をすれば、子供がその責任を取り終えた時の人生は、良い方向へ行くと思います。
子供の秘密(隠しごと)に対する親の対処法
思春期の子供は、親に秘密を持ってこそ成長できる
「中学生の息子の部屋を掃除したら、ベッドの下から、グラビアアイドルの写真集が数冊出てきて驚いた」という母親の話をよく聞きます。部屋で一生懸命勉強していると思い込んでいただけに、慌てふためいてしまう事が多いようです。
中学生ともなれば、保健体育の授業でも勉強している第二次性徴が始まるわけですし、異性の体に興味を持つ事は、ごく自然で正常な事です。これを抑えてしまう事が逆に不自然です。
しかし、親からしたら、何歳になっても子供は子供ですから、異性に関心を持つ事は頭に無い事かもしれません。逆に、こうして、子供が異性に興味を持っている事を過剰に心配すると、その通りになってしまう事もあるかもしれません。つまり、性的犯罪を起こしてしまう事になりかねないという事です。
昔から、「親の心配通りに子供は育つ」と言われています。例えば、「息子は、特に仲の良い友達もいないようだし、学校から帰ってくれば、外で遊ぶ様子もなければ、家でゴロゴロしてばかりいる。そのうち不登校になるのではないか」と心配している親がいるとします。すると、本当に不登校になってしまったというケースが少なくありません。
子供は、良くも悪くも、無意識に親の期待にそって生きています。親がいつも、不登校になってしまうのではないかと思っていれば、それはいつも間にか現実となっていても、不思議な事ではありません。
つまり、心配事を思うよりも、どうなってほしいかをイメージして願う事です。「不登校にならないでほしい」というマイナス思考のイメージではなく、毎日元気に登校して、楽しく学校で過ごしている姿を、ポジティブな思考でイメージします。
このポジティブな思考をベースにすると、親に秘密を作るという事も、思春期の子供には大切な仕事の1つとして、親はどんと構えるくらいが丁度良いです。親に隠れて秘密を作るなんてと苛立たずに、思春期の大きな特徴として捉える事です。逆に、何も隠さず1から10まで親に話すという子供の方が心配です。
また、子供が秘密を作るのは、親離れが始まった証でもあります。ベッドの下から、グラビアアイドルの写真集を見つけてしまったとしても、それは一人前の男になってきたという事なので、称美すべきと思って、黙って元に戻しておきましょう。
あまりに重大な子供の秘密を、親が知ってしまった時の対応法とは
子供がグラビアアイドルの写真集を隠し持っていたくらいなら、知らんぷりして元の場所に戻しておけばいいのですが、時には、親として事実確認をした方が良いと思う秘密を知ってしまう事があります。
例えば、誰かをいじめてしまったというような内容を書き込んだ、日記やノートを見つけてしまったとか、そのような内容を示唆するSNSの投稿を見つけてしまったという時です。
写真集を隠し持つのとは違い、他人に迷惑をかけてしまっているとなれば、親は事実確認をしなくてはいけません。
ただし、その場合は、子供にそのような内容が記載されている部分を見てしまった事を、まずは謝って下さい。もし、その内容が事実であるなら、いじめた理由を聞きます。例えばそれで、「ムカつくから」と答えたら、「自分がその子と一緒に居てムカつくなら、付き合わなければよいでしょう?」などと返します。
クラスの全員と仲良くしようなんて、大人でも不可能です。親はそれを伝えて、ムカつく子から距離を置き、加害者にならないようにしなければいけません。
反対に、我が子がいじめられている事を同じような形で知ってしまっても、きちんと見てしまった事を断ってから話を続けます。「何か助けてあげられることは無い?」と聞いて、親が先走りせずに、話し合いながら解決法を探していきます。
このように、いずれにせよ、子供の秘密を知ってしまったら、たとえそれが故意的でないとしても、まずは親が謝る事が重要です。思春期の子供に秘密は付き物であり、親だからと言って、無理矢理秘密をこじ開けても良いという権利はありません。
でも、我が子が学校でいじめられているという事実があって、その子が日記やSNSに何かを書いていると分かったら、親はそれらを見れば、原因と解決法が分かるかもしれないと思い、つい探して読んでしまいたくなるでしょう。
しかし、そんな場合でも、のぞき見するような事よりは、ただ「最近元気が無いみたいだけど、何かお母さんに出来ることは無い?」と聞いてあげる方が、子供も母親に見透かされたかのようにハッとして、心を開きやすくなります。
親も子供に対して秘密を持っているのと一緒で、子供もまた、大人に秘密を持っていても、当然な事です。それを踏まえて、親は子供を尊重して、強要して秘密を打ち明けさせるような事はしないように注意をする事が重要です。
子供が思春期にしか味わえない気持ちや経験を、親が奪ってはいけない
異性との交際や恋愛も、子供が親に秘密にしている事の1つです。我が子が異性とお付き合いをしているらしいと親が知った時の対応はさまざまです。真相を知りたくて、子供に根掘り葉掘り聞きまくる親。尾行して様子を探る親。ショックで何も知りたくないとして、無理に平常心を保とうとする親もいます。
どんな場合でも、親は穏やかな気持ちではない事は確かです。
その穏やかではない気持ちには、主に2つの理由があげられます。1つは、自分の子供がだんだん大人になっていく事に対して、関心が親よりも、他人に向けられてしまう寂しい思いがあるからです。そして、もう1つは、我が子がここまで成長したのだという、感動や喜びのようなものが複雑に絡んでいるからです。
いつまでも、子供が親にだけ関心を向けているのは不可能です。どんな手を使っても、子供は好きな異性の元へ行ってしまいます。こんな状況になった時、親も自分が若かった事を思い出せば、我が子の行動も、理解してあげられるのではないでしょうか?
「親がどれだけ心配しているか、お前は考えたことがあるか!」と怒られたとしても、好きな人からの電話はメールの1つで、その人の元へ出かけて行った思い出は誰にでもあります。親の気持ちは、子供なりに分かっているつもりでも、どうにもならない気持ちを抑える事ができなかったはずです。
子供が中学生になったら、親はこのような事に対しての、心の準備と覚悟をしておいた方が良いでしょう。必ず、子供は親から離れます。むしろ親の後ろに子供がいつまでもくっついている状態の方が、良くありません。
人を好きになるという事は、とても素晴らしく素敵な事です。相手が親から見て、「なんでこんな子が好きなんだろう?」と思ってしまう子供であっても、家族以外を好きになれる事は、誰も好きになれない事より幸せな事です。
主に3つの批判書を発表した、ドイツの哲学者のイマヌエル・カントですが、彼は生涯、誰も愛することなく世を去ったと言われ、哲学者として功績を残しても、人を愛することなく生涯を終えてしまった事は、とても残念であると思われてきました。しかし、一方で、実は結婚を考えるほどの恋愛をしたとも言われています。
実際はどうだったのかは、はっきりしていませんが、人を好きになるという事は、いつの時代であっても素晴らしい事には変わりありません。
そしてまた、初めから理想的な恋愛が出来るような人は滅多にいません。いろいろな人と付き合ってから始めて分かる事も人生の中でプラスになります。あまり思い出したくないような体験をしたり、1週間で終わってしまった恋があっても、自分にとってマイナスにはなりません。
思春期に、異性を好きになる事もなく大人になると、結婚に失敗する事にもつながるかもしれません。また、いつまでも結婚できないという事にもなってしまいます。ですから、この時期の恋愛は、準備期間と捉えても良いと思います。15歳には15歳の恋愛があり、30歳には30歳の恋愛があります。
とはいえ、親の心配は尽きません。恋愛ばかりに気を取られていたら、学生なら受験に失敗するのではないかと思い、つい説教したくなると思います。しかし、子供は親が止めても、恋愛の方に行ってしまいます。親は、そういう時期だと考え、子供の恋愛を肯定的に認めてあげましょう。
更新日:2023/05/31|公開日:2018/08/13|タグ:子供を理解