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女の子が豊かな感受性を育むには母親の感受性が大切

感受性豊かな女の子

人生80年などと言われる長い時間を幸せに過ごしていくためには、さまざまなことが必要とされます。その中でも特に好奇心や感受性は人間力のベースとなるもので、子供のころから育んでいくことが欠かせません。そうした力はどうやったら磨くことができるのかについて見てみましょう。

 

人生を歩む上での基礎になる能力とは何か

生きていくために重視すべきことはなんでしょう。いろいろ考えはあると思いますが、1つは健全な成長、もう1つは世代を後世に継いでいくことも、それに該当するでしょう。健全な成長は、美しい成長と言ってもいいかもしれません。

 

どんなことをしていてもいいですが、とにかくわずかずつでも自分のあり方が前進し、人間としての向上を感じることができれば、生きていく上で大きな不幸せはないはずです。不幸せがないというのは楽しく人生を送ることができるという意味で、物質的・金銭的に恵まれた人生を送ることとは必ずしも関連しません。

 

日本の女性の平均寿命は87歳ぐらいまで伸びてきており、これは世界一の長寿です。この数字が将来的にまだまだ伸びるのかどうかはともかく、現在の高齢者が健康に過ごすことができれば100歳近辺までアクティブな生き方をおくることができます。何にしても、定年を65歳とするならばそこから30年前後の時間を持てる可能性が高いと言えるでしょう。

 

30年という時間のスパンは長く、なにかをやり遂げるのに十分なだけの長さがあります。仮にこの時間を働いて過ごせば、それなりの財を築くことができるだけの時間です。

 

働くというのは自分のためになるだけでなく、他人のためにも社会のためにもなります。このため、人間は働くことによって社会に必要とされるようになります。言い換えれば、定年してからの人間活動にとって、それまでの人生の中で積み上げてきたさまざまな経験や技術といったものが非常に大事になってくるということです。

 

第一線を退いてからの生き方の理想は、年齢に関係なく社会の役に立てるということです。家族の誰かの助けになることができ、家族だけでなく他の人を助けることもできるような人物であること。周囲から敬意を払われ愛される人物であり続けること、社会にプラスのフィードバックができるような生き方です。

 

高齢にも関わらず社会の役に立つことができている人は、それまでの人生で豊富な知恵を身につけているような人間的魅力の高い人であることが多いようです。年を取っても健全な成長を続けることができれば、人は多くの場合ぼけたりせずに逆に賢明さが増していくように見えます。また長い年月で培ったもののために、芸術的な能力もどんどん味わいを増していきます。

 

高齢者は、何かいいものを見たときに、それを素直にいいものだと評しても問題にされることがありません。よほど変わった人でない限り、花を見たら人は美しさを感じ、可愛らしいと感じるものでしょう。高齢になると花を育てる人が多いのは、そのためかもしれません。

 

このような立場からすると、年を取ってから一番大事になってくるのは、さまざまなことを経験したことで身につく知恵であったり、好奇心や感受性といったものではないかと思われます。また、肉体が健康であることも大事です。これらはまた、子供がまっすぐ成長するためにもたいへん大事なものです。子供にとって大事なものと年を取って大事なものが一致するというのは面白いものです

 

つまり、こうした知恵や経験、好奇心、感受性、健康といったものは、人生を歩いて行くための基盤となるものだと言うことができます。そして、成人するまでの子供の時期にどういった環境で学ぶことができたかによって、そうした基盤がしっかりするかどうかが決まります。

 

子供時代の経験が人間をつくる

人間の感受性も、あるいはその体の健康についても、一番のもとになるのは子供時代にどういった経験をしたかです。最近では女性が社会にどんどん進出し、やろうとすればどんなことでもできるのだということにたくさんの女性が気がつくようになってきています。

 

こういった時代の潮流に影響された親たち、特に母親が、自分の娘に自分の夢を託し、いい学校に入学したり、男性顔負けの高い地位を得たりするように求めるようになってきています。やろうとすればどんなことでもできるということは、現在社会で活躍している女性たちをみれば分かっているので、見果てぬ夢ではないというわけです。

 

しかし、やろうとすればどんなことでもできるという考えが高じて、受験勉強だけに焦点が当たってしまうようなことになると、むしろ悪い影響を及ぼすようになります。暗記暗記で子供が感受性を失ってしまい、人間的な魅力の乏しい人になってしまいかねないのです。

 

人間的な魅力が乏しい人というのは、性別に関係なく周りの人たちとうまくやっていくことができません。そして、それによって得られる人間的な成長の機会を得られなくなりがちです。また、こういった人というのは一般に交友関係も狭くなりがちで、魅力的な異性と出会う機会も少なくなり、従って結婚もなかなかできないといったことになりがちです。

 

仮に独り身であっても、その人本人がみずみずしい感受性を持った人物であり、幅広くいろんな分野の趣味を楽しむことができるような人であるならば、仕事の方でも充実して毎日を送ることができるかもしれません。そのようにできれば仮に世代を継いでいけなかったとしても、満ち足りた人生を送れる可能性が高くなると思います。しかし、そうした人生や仕事の基盤となるものも、成人するまでに身につけてきたものであるということに留意しておく必要があります。

 

つまり、子供のころに豊富な発想力や豊かな感受性、健康面を鍛えることができなかった子供は、たとえ高い学歴を持っていたとしても、趣味でも仕事においても満たされた人生を送ることが難しくなり、人間的な成長の機会が乏しくなりがちであり、さらには結婚も難しくなりがちだということになります。

 

自分の娘に自分の夢を託し、学歴や地位を得ることを求めた母親たちは、自分の娘が学歴や地位は得たものの結婚や出産をせずにいた場合に何も言わないでしょうか?現実では、次は結婚と子供だといったような具合に、自分の夢を娘に押しつけてしまう場合がほとんどのようです。これは、本質的には自分の娘の生き方を母親が受け容れないでいるということです。その娘にとって、これほどの不幸があるでしょうか。

 

少し前の時代までは男尊女卑に基づく考え方が強く、女性や女の子はそれに束縛されている面がありました。しかし最近ではその足かせを離れ、自分の生きたいように生きる女性がどんどん増えてきています。しかしそうであることによって起きてくる問題というものもあります。昔の男性のように、女性が遊んだり働いたり時間が長くなればなるほど他のことをする時間は短くなっていきます。そしてそれにより、世代を後世に継いでいくことが難しくなってきています。

 

子供を産み育てるというのはかなり大変なことです。人間的・経済的に女性が自立していたとしても、周りの人たちからのバックアップなしに一人でできるようなものではありません。さらにいえば、その前に子供の父親になる男性と出会い、絆を深めて結婚に至るまでの時間も必要です。結婚も出産も自分一人でできるものではないので、自分の思い通りにすべてを進めることはできません。つまり、子供を産んで育てるためには他の人に対する受容の能力が必要不可欠なのです。

 

昨今、自らをフェミニストと称する人たちの間では、結婚したらフェミニストではないと言う人もいるそうですが、はたしてそう言っていいものかどうか少し疑問を感じます。フェミニズムというものは、本来は女性らしさを追求し、女性の幸福を実現するという目的に立っています。女性らしく生き幸せを求めるために、なにごとにつけ男性と対抗するような生き方をする必要は果たしてあるのでしょうか。むしろ自分に備わった女性の美点をきちんと磨き上げることが必要に思われてなりません。

 

女性の美点の基盤には豊かな感受性があります。そしてそれを磨き上げ、完全なものにするには女性でなくてはできないこと、すなわち母親という経験をすることが不可欠なのではないかと思うのです。また、母親という経験は人の受容性を高め、実感させてくれるものでもあります。

 

結婚し、母親になるということを拒否するのもその人の人生の選択ですからとやかく言うものではありませんが、その人本人にもともと高い感受性や受容性があるのでなければ大人の女性としてやっていくのは難しいのではないかと思われます。

 

男性の場合、好奇心に突き動かされるままにいろんな体験を広く積むことがその後の人生にとって大事な基盤となります。そんな男性は、こと感受性といった点では女性にはとうてい及びもつきません。深い感受性というのは女性特有の能力だと言っていいと思います。

 

子供時代は特にそうですが、男性はちょこまかと動き回り、周囲が愉快になるような行動をのべつまくなく取っているという傾向があります。そういった点では女性よりも男性の方が上です。

 

しかしこうした男性の愉快さというのはそれだけあってもどうしようもありません。女性がそれに気づき、反応を返してくれて初めて愉快に見えるようになるのです。男性の場合同性にアピールするよりもやはり女性にアピールをしたがるところがありますから、自分の愉快さに気づいてくれる女性は自分の母親よりも得がたい存在だと考えることになります。

 

このような相手のことを受容する力、相手の面白さを感じ取る感受性というのは非常に大事ですが、それを身につけるにはまず自分のことをきちんと分かった上で、自分のことを好きになるということが必要になります。自分のことを大切に思えない人が他人のことを大切に思えるはずがないからです。

 

自分自身を大切に思い、他の人を大切に思う。これが受容性の基本にあるものであり、それによって人は後世に世代を継ぐためのパートナーを見つけ出すことができるようになります。そしてパートナーとの間で愛情を深め、次の世代を産み育てることができれば、その時には自分の生き方が充実していると心の底から感じることができるでしょう。

 

男性は理詰めでものを考える傾向がありますが、女性は豊かな感受性を得意分野にしています。このため、子供が女の子の場合には、こうした感受性を磨くという考え方が非常に大事になってきます。そして豊かな感受性を育てることができた女の子は、大人になってからの人生を充実したものにしやすくなるのです。

 

豊かな感受性を育くむのに必要なこと

このようにして女の子が豊かな感受性を育んでいくためには、まずはその母親が豊かな感受性を持っていることが大事です。というのは、子供の感受性を伸ばすことができるのは母親の役割だからです。

 

上でも書きましたが、男性は感受性の分野では女性には適いません。故に、母親こそが子供の感受性を磨くのに適任なのです。子供の感受性を磨く担当の母親が豊かな感受性を持たなければ、子供にどうやって同じものを育ませることができるでしょうか。

 

自分の周囲で起きている細かいことに気づく力、そして相手の心情を感じ取れる心というのは、学校の勉強で身につけることのできないものです。子供がそうした大事な力を身につけるには、親の導きが重要なのです。

 

現代において、世代を後世に継いでいくというのは、個人個人だけの問題ではなくなりつつあります。少子化がかなり進展してきてしまったため、世代を継いでいくことは日本という社会全体の問題になってきているからです。このため、次の世代の人生が充実したものとなるように心を砕くというのは、社会全体が求めることといえるまでになってきています。

 

新しい世代に属する子供が好奇心や感受性に乏しく、人間的な魅力が薄いというのは以前よりも深刻な問題になります。少子化によって世代を構成する人数が減っていっているためです。

 

このため、子供たちの好奇心や感受性を守り育むことが以前よりも大切になってきています。そして、最近の親世代は何とはなしにそれに気がつき始めているように思えます。これは、社会全体が次の世代に求めるものを何とはなしに感じ取っているからではないでしょうか。

 

社会が少子化に向かって突き進む中、世間は間違いなく変化していっています。子供たちの好奇心や感受性を守り育むことが重要な時代になり、そのことに関する親世代の気づきが自然発生的に出始めています。近い将来、こうした点により配慮した形に社会も教育も変わっていくでしょう。これは、たいへん興味深い現象です。

 

世の中で自然であったさまざまな営みが代わりはじめ、変化を見せる中、親世代にこうした認識の変化が生まれているということは、日本の社会全体が次の世代を守り育てていこうとする本能的な動きに思えてならないのです。

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