日本で女子校が減る理由、海外で女子校が増える理由
「男女平等」という言葉が当たり前になって久しいですが、それと同じくらい「女性の活躍できる社会」という言葉も耳にするようになりました。社会の重責に女性を途用するなどの取り組みは見られますが、まだまだ「女性の活躍する社会」になるまでには時間がかかりそうです。
では、女性はどのような環境ならば活躍できるのでしょうか?女性の特性を伸ばすには、どのような学習環境が適しているのでしょうか?ここでは男女平等の陰でその数を減らしている女子校に着目して、その答えを考えていきます。
消えつつある女子校
あなた自身も含め、あなたのまわりには男女別学の学校出身の知り合いはどのくらいいるでしょうか?もしかしたら、生活している地域によっては、1人もそんな知り合いはいないという人もいるかもしれません。
文部科学省「学校基本調査」によると、男女別学の学校は、減少傾向にあります。男子校に比べるとまだ少しは数を誇ってはいるものの、女子校も1970年代のピーク時を折り返し地点にして、年々減少の一途をたどっています。2017年度は、全国の高校4,907校、女子校306校、男子校109校となっています。
女子校が減少する理由を考える前に、女子校の抱える歴史的背景を整理しておきましょう。「男女七歳にして席を同じうせず」ということわざになぞるように、戦前の日本では男女別学の学校がほとんどでした。
これは日本に限ったことではなく、世界的にみても、それが当たり前の時代です。伝統のある学校ほど男女別学の学校が存在するのは、この名残です。
しかし、第二次世界大戦後、アメリカを主として学校の共学化がスタンダードとなる時代になりました。もちろん敗戦国である日本もまた、GHQの指導の下で、国内の男子校、女子校は合併という形でどんどん共学化されていきます。
現在西日本より東日本に多くの男女別学の学校が残っているのは、当時の日本におけるGHQの指導体制に差があったからだ、と言われています。GHQの支配力が強かった西日本では、ほとんど残らずに共学化が推し進められました。
さらに、1999年に施行された男女共同参画社会基本法によって、男子校、女子校ともに共学化のスピードは加速していきます。東日本に残っていた男女別学の学校も、福島県、宮城県、群馬県、千葉県と公立の学校を中心に共学化へと変わっていきました。
共学化のスピードが加速した理由は、もう一つあります。それは現在深刻な社会問題となっている「少子化」です。共学化を遂げた学校を分析すると、その多くは過疎化した地域の学校です。つまり、「男女平等」というもっともらしい理由の裏には、学校経営など、平等な環境作りとは全く関係のない経済的な事情があるかもしれないのです。
女子校では生徒が集まらない
戦後から男女別学を維持してきた私立の学校も、2010年以降は共学化へと進む勢いが止まりません。その大きな理由の一つとして、やはり公立の学校よりも厳しい経営状況があると言えるでしょう。
株式会社エデュケーショナルネットワーク「E-REPORT」によると、東京23区の私立中学および中等教育学校の数は、ほとんどが男女別学の学校でした。しかし、2012年には共学の学校の数が圧倒的にその数を増やしてきています。
また、共学の学校に比べて男女別学の学校の方が、私立高校の入学志願者数が少ないことがわかります。一般的に考えても、男女別学の学校へ入学を志願する生徒数は、男女ともに集まる共学の学校へ入学を志願する生徒数よりも少ないのは明らかです。
さらに近年では著しい少子化傾向により、生徒の数そのものが減ってしまいました。しかし、一時的ではありますが男女別学の学校から共学の学校へと教育体制を変えた学校では、入学志願者数が増えたという結果も「E-REPORT」から伺えます。
このような現状を受け、経営の立て直しを目指す学校では、おおまかに3つの経営路線がとられるようになりました。1つはより経営の厳しい高校を廃止し、中学校のみ男女別学の体制を保つものです。もう1つは高校・中学ともに共学の学校へと体制を組みなおすものです。
そして、この2つのどちらにも当てはまらない独自の方法をとる学校も現れました。学校名や制服を変え、校舎を新築し、新しい共学の学校としてリニューアルするのです。広尾学園や東京都市大学附属等々力などがその代表的な例です。
男女別学の学校が共学の学校へと変わっていくのは、少子化の進む現代の中で、厳しい経営状況を打破するための苦肉の策なのです。
男女平等な教育とは何か
男女別学の学校から共学化する際に、「男女平等・同権の観点に基づいて」や「学校は社会の縮図であるから、学校にも男女が存在する環境を整えるために」という説明をよく耳にします。この説明の背景には、いくつもの経営戦略が複雑に張り巡らされています。
しっかりとした経営戦略に基づいて共学化を進め、その後安定して最適な学校経営が行われるのであれば、それは何の問題もありません。生徒たちにもいいことのはずです。
しかしその一方で、「男女共同参画社会の実現」や「自律した女性の育成と、その後の社会進出のために」という政治的な思想だけを根拠に、共学化を進めることに簡単には賛同できません。
2001年には、埼玉県の公立高校一律共学化に関する論争が起こりました。「共学化問題の記録」(埼玉県立浦和第一女子高等学校PTA著)にその全貌が記されています。
この論争のきっかけは、男女共同参画社会基本法やそれに準じた埼玉県の条例をうけ、「男女別学教育は違反だ」という苦情が県に寄せられたことにあります。この苦情に埼玉県が応える形で、「早急に共学化を進める必要がある」という旨の勧告を出しました。
果たして男女平等のために、男女ともに画一的な教育を施す必要が本当にあるのでしょうか?この疑問を肯定するような学術的根拠は、この論争が行われていた当時も今も、明確に示されていません。
埼玉県の例では、2年間に及ぶ論争の結果、男女別学校の共学化は回避されました。「男女共同参画社会の実現のためには共学化が不可欠だ」という政治的思想に、男女別学の学校のOBやその保護者が反対を訴え、その思想を跳ね除けたのです。
男女平等社会の実現のためには、男女同じ教育が必要不可欠だという思想だけで、共学化を進めてはいけません。
本当に、社会で活躍する女子を育てることを目指すならば、教育におけるジェンダーについて、その役割を考える必要があるでしょう。それを踏まえて、生徒たちの人格形成の支援プログラムを構築していくことこそが、より良い教育なのです。
女子校では差別意識が生まれにくい
一般的に、男性は語学の能力、女性は理数系の能力が、それぞれ育ちにくいと言われています。男性は理数系の分野が得意であり、女性は芸術の分野に秀でやすいという傾向もあります。あなたにも思い当たる節があるのではないでしょうか?性別によって苦手な科目、得意な分野というものが存在するのです。
これに関して、2000年以降に男女別学教育について様々な海外の調査が発表されています。2002年にはイギリスの国立教育調査財団(The National Foundation for Educational Research)が高校を対象に調査した結果、「女子校に通う生徒は、女性的でないとされる科目を選択する確率が高い」ということが分かっています。
2003年にはバージニア大学が「男女別学教育はジェンダー・ステレオタイプを打ち破りやすいが、共学教育では強化しやすい」という調査結果を発表しています。
さらに2005年にイギリスのケンブリッジ大学では、教育においての性差に関する調査報告を発表しています。そこでは男女の学力差を埋めつつ、それぞれの能力を伸ばすには男女別学の教育が最適であるという結論に至っています。
これは女子校、男子校という、特殊な環境が大きな要因と考えられるでしょう。ただ一つのジェンダーしか存在しない環境は、一見偏ったジェンダー・ステレオタイプを生むと考えがちです。
しかし、実は自分と同性しか存在しえないという環境は、他の性を意識しにくいため、余計なバイアスをかけることなく、自身の性の特徴を育てることができるのです。このような男女のジェンダー・ステレオタイプに捉われにくい環境で教育を受けたことで、教育的に良い効果が見られていると考えられています。
共学の学校では女性らしさが浮き彫りになる
いくら「男女平等」や「男女共同参画社会の実現」を訴えても、現在の社会には未だに「男女不平等」を感じさせる意識が、根強く残っています。ジェンダー・ステレオタイプに捉われ、誤った男らしさや女性らしさを、無意識に求めてしまっています。
そのような意識は当然、社会の縮図である学校にも勢いよく流れ混んでくるでしょう。それらは先入観となり、生徒たちに性的な差別意識を教え込んでしまうのです。
いくら女性の社会進出の必要性が叫ばれようとも、ジェンダー・ステレオタイプによって凝り固まった環境では、新しい可能性はなかなか生まれません。もとのままある形を変えるほどの才能や人材の登場は、なかなか期待できないでしょう。
人材育成と教育を同一視してはいけません。人材育成とは、求める理想像に当てはまるよう人間を変えていくことを指します。一方で教育とは、その人本来の特性を生かし育てることを指します。
優れた教育によって完成された人材が、人材育成の際に掲げた理想と合致することはあるかもしれません。たどり着く結果はとても似ているこの二つですが、過程はまるで違います。
学校とは、教育を行う場所です。社会が求める人材育成を行う場所ではありません。従って社会の縮図となり、社会の閉塞感を打破する人材を育てることを目的とするのは、本来間違った学校経営の在り方と言えるでしょう。生徒たちそれぞれの特徴・個性を尊重し、育んだ結果、社会の閉塞感を打破する人材が現れるに過ぎないのです。
女性が自立するために女子校がある
そもそも女子校の作られた背景には、女性の自立や、女性が社会で活躍出来るように、という先人の熱い思いがあります。
例えば雙葉学園の場合、その歴史は古くは17世紀のフランスにまで遡ります。当時のフランスは政治的な大混乱の中にあり、裕福な家庭では専属の教師を雇うことができましたが、その他の一般民衆が教育を受ける金銭的な余裕はありませんでした。
そのような中でも、民衆への教養の必要性を感じ、教えようという動きが強まりました。イエズス会のニコラ・バレがその中心です。最初は学習の環境も男女共同だったものの、社会変革のためには女性の参画が必要不可欠であるという思想が生まれ、女子校の先駆けとなる環境が誕生したのです。これが雙葉の母体である「幼きイエス会」です。
「ミッション系」と称される女子校には同様の生い立ちがみられます。当時から女性の自立や社会進出の力を育てるには、男女共学ではなく、男女別学が適しているという考えが、存在していたのです。
時代が動く時にこそ、女性の力がフォーカスされる
フランス同様、日本でも時代の大きな変革が起こるときには、女性の力が注目を浴びていました。これは女子校の設立時期からも分かるでしょう。日本の女子校が設立された時期は、大きく三つに分けることが出来ます。
まず明治維新後に女子校が設立されていきます。その設立には伊藤博文や新渡戸稲造といった、歴史的著名人が多く関わっています。特に新渡戸稲造は自身の著書「婦人に勧めて」の中で、女性の人間的な成長を訴えました。良妻賢母とは、「人間として立派な人である」と説いています。
続いて第一次世界大戦後、関東大震災後というように、いずれも日本全体を揺るがすような出来事の後に、女子校は設立されていきました。不安や混乱でいっぱいの社会を、女性の力を以ってして安定させていきたいという強い願いがあったのです。
今もまた、時代が大きく動き出そうとしています。歴史と同じく、女性の社会進出に注目が集まっているのは明らかです。ただ残念ながら、女子校の数は社会の動きとは反比例的に減っていっています。
女性の社会進出を単なる政治的なキャッチフレーズとして消費するのではなく、本当に必要だと考えるのなら、今一度女性に必要な教育や教育環境について、検討するべきかもしれません。
海外の調査で明らかになる男女別学のメリット
海外ではイギリスを始め、様々な国が、男女別学の学校の生徒と共学の学校の生徒とを比較して、成績や素行にどのような違いが生まれるかを調査しています。
2002年にはイギリスの国立教育調査財団(The National Foundation for Educational Research)が「もともとの学力差などの要因を排除しても、共学よりも男女別学教育を受けた生徒の方が学力は高い」という調査報告を出しています。
同じくイギリスのOFSTED(The Ofiice for Standars in Education)は、1998年の調査結果として「社会経済的背景と成績との相関関係は見られないが、共学校の生徒か男女別学校の生徒かという要因と生徒の成績との相関関係は強い。男女別学校の生徒の方が学習に対して積極的である」という旨を発表しています。
オーストラリアのACER(The Australian Council for Educational Research)は、2000年に6年間の調査結果として、男女別学の学校で学んだ生徒の方が、共学で学んだ生徒たちよりも15~22%成績がよいことを発表しています。
そこで「男女別学の学校に在籍する生徒たちは、思春期における、男女の教養や認知、発達に関する成長のスピードには大きな違いがあるものの、その影響を受けていない。この時期に男女共学を維持するには限界がある」と考察しています。
実際にイギリスの全国統一模試の上位50校のうち、8割を男女別学の学校が占めています。また日本と同じアジア圏の韓国でも同様に、2009年の大学修学能力試験で、上位100校のうちの7割は男女別学の学校であると「韓国日報」が報じています。
海外の調査を受けても分かるように、男女別学化による学習成績や生活素行へのメリットは、確実に存在します。一方で共学化のデメリットも浮かび上がってきました。
日本に共学化を勧めてきたアメリカでさえ、今や公立学校の男女別学が認められました。同様のことが、カナダやイギリスでも起きています。日本だけが世界とは逆の男子校、女子校廃止の動きを見せているのです。
現代日本の男女別学教育の形
男女の学習スピードや方法の違いに注目して、共学の学校でありながら、クラス編成のみを男女別にして学習を行わせる学校も増えてきました。それぞれに合った指導方法をとることで、効率的に成績の向上が期待できるからです。
その一方で共学の学校としての強みを活かし、学校行事や学校生活では男女混合作業を行うことで、時に刺激を与え、逸脱した社会との認識ズレが生まれることを防いでいます。共学校の中での男女別学は、男女別学の学校とはまた違う効果をもたらすことが期待されます。
日本では、かえつ有明がその代表的な例でしょう。2006年に共学化をスタートさせ、6年間の中高一貫教育の中だるみを防ぐ目的から、難関大進学コースの生徒を対象に男女別クラス編成を試したのがきっかけです。この試みから男女別学の教育効果を実感し、2013年度より「共学だけど、授業は別学」として生徒募集を開始しています。
女子校が減りつつある中で、あえて今、女子校を設立する動きを見せる学校もあります。クラーク記念国際学校です。2011年に女子校・横浜青葉キャンパスを開校しました。
元々神奈川県にあった2つのキャンパスに通う生徒たちを観察するうちに、女子生徒の中には女子同士でいるときの方が自然体に過ごせる子、男子の言動に疑問を感じている子がいることに気づき、女子校のニーズを感じたそうです。
少子化の時代に、共学化が進む中で、女子生徒だけの学校というのは、それだけで個性となります。女性としての特性を存分に伸ばされた生徒たちは、皆、魅力的に見えるでしょう。生徒たちの魅力は、そのまま学校の魅力となるのです。
現代では、男女別学によって、生徒たちだけでなく、学校までもが個性を伸ばし魅力的になるのです。
更新日:2023/05/31|公開日:2018/01/07|タグ:女子校