大学入試に強いだけじゃない!立派な大人に成長できる環境が揃う中高一貫校
中高一貫校では大学入試の為に、勉強ばかりに力を入れていると思われがちですが、それは間違いです。中高一貫校は、その特殊な環境が生徒達の心にも様々な影響を与え、立派な大人としての要素が養われる場でもあるのです。その環境やそれを見守る教師は、公立中学校とは大きく異なります。今回はその点について、詳しく見ていきましょう。
中学生と高校生の距離が近い中高一貫校で、それぞれが与え合う良い影響
小学1年生が、5、6年生のお兄さんお姉さんをとても大きく感じるように、中学1年生も、入学当初は先輩達の迫力に圧倒されます。
つい最近まで小学生だった中学1年生からしたら中学3年生でも十分大きく見えるのに、中高一貫校では高校3年生が間近にいる訳ですから、その圧倒度は尚更でしょう。実はここに、中高一貫校ならではのメリットがあります。
普通の公立中学校の1年生が3年生の先輩を見て驚くのは、そのつっぱった態度です。反抗期真っ最中のとがった雰囲気や、時に先生に怒鳴られても言い返す先輩の姿を見て、自分の2年後を想像します。かっこいいと憧れる人もいれば、自分もこうなっていくのかという不安を感じる人もいるでしょうが、どちらにせよ良い影響とは言えません。
一方中高一貫校の中学1年生は、高校3年生の落ち着いた姿に衝撃を受けます。もちろん中学3年生がつっぱって先生に反抗する姿も目に入るので、より体格の良い高校3年生がなぜ先生に食って掛からないのか、むしろ先生との関係が良く見える事が不思議で仕方ないのです。
しかし徐々に、これが反抗期を乗り越えた姿なのだという事が分かってきます。高校3年生は心身共に大人に近づいていて、だから先生とも対等な付き合いが出来ているのだ、反抗的な中学3年生は、まだ子供なのだと気付くのです。
この気付きは、2年後に反抗期を迎える中学1年生にとって、大きな安心材料になります。自分もいずれは高校3年生のような大人に成長出来ると気付ける事で、必要以上に荒れる事無く、反抗期を終息させられます。
また、同じ校内に高校生がいる事が、中学生の非行等に対する抑止力にもなります。普通の中学校では中学3年生が学校内の最高学年である為に、反抗的な態度に拍車がかかる部分もありますが、中高一貫校では高校生というさらに上の学年がいます。
中学生にとって高校生の先輩は、時に先生よりも威厳を感じさせる存在です。その高校生に注意されれば、いくら粋がった中学生でも逆らう事はまず出来ません。高校生が中学生の行動に目を光らせている事で、結果として学校全体の風紀が保たれます。
高校生からすれば、中学生は少し前までの懐かしい過去の自分です。反抗期特有の感情も覚えているし、必要以上に粋がらなくてもそれを乗り越えられる事も知っています。
だから反抗的な様子の中学生が近くにいると、過去の自分と重なり放っておけなくなります。過去の自分に言い聞かせているつもりで、中学生の指導をしているとも言えるでしょう。
また中学生からすれば、高校生は5年後の自分です。間近に見る高校生の落ち着いた雰囲気や大人っぽさを、これから自分も身に付けていけるという安心感が、反抗期で乱れがちな心に安定を与えてくれます。
このように、それぞれの存在が相互に作用する中高一貫校ならではの環境は、思春期において自立を学ぶのに非常に有効なのです。
中高一貫校でグローバルな心が育つ訳
グローバルな人材の需要は年々高まり、英語の習得やプレゼンテーションのスキルアップに必死に精を出す人も多いと思います。
確かに、高い語学力や実務能力を身に付けるのは社会人として必要ですが、世界を舞台に活躍できる人材になる為には、まずはグローバル人材的な思考を持つ事が非常に重要と言えます。
グローバル人材的な思考とは、日本という慣れ親しんだ環境を離れても、他国の文化や習慣に即座に適応出来る柔軟な思考です。
他国では、日本での価値観が通用しないが故のトラブルも起こり得ます。その時頼りになるのは、英語やプレゼンテーション能力よりも、自分の内面に備わる力です。相手の価値や文化をすんなり受け入れる器の広さのような、自分との違いに動じない強さを持ってこそ、グローバル人材的と言えるでしょう。
このようなグローバル人材的な思考や力は、英会話教室やプレゼンテーションのスキルアップ研修のように、誰かに教えてもらって身に付けていくものではありません。日頃から、異文化交流のような機会を積極的に設けて、少しずつ自分の価値観や生活圏を広げていく事でだんだんと養われていくものです。
その点、中高一貫校に通う生徒たちは、毎日異文化交流しているようなものと言っても過言ではありません。ほとんどの子供達が、慣れ親しんだ地元を離れ電車通学しているので、生活圏も広がっています。
一つの学校に、様々な地域から様々な習慣や価値観を持った子供達が集まる訳ですから、あらゆる地域文化を必然的に共有しながら学校生活を送っていく事になります。そこで消極的になっていては楽しめないですから、自分から友達作りを始めなければなりません。
クラスメイト一人一人が異なるバックグラウンドを持っているので、細かい自己紹介から入る事になるでしょう。小学校で流行っていたものや遊びのルールなどの違いに驚く事も、異文化交流の第一歩です。未知のものを受け入れながら、自分の価値観を広げていくのです。
このようにして中高一貫校の子供達は、国境を越えずとも異文化交流を経験しています。そしてそれに慣れていく中で自然と適応力や柔軟性が養われ、グローバルな人材として必要な要素が備わっていくのです。
一方、公立中学校ではどうかと言うと、徒歩で通学出来る圏内の地元の子供達が集まるので、どうしても地域文化の多様性という意味では乏しくなります。入学当初から顔見知りも多く、同じ価値観や習慣の中で育ってきた者同士なので安心感はありますが、異文化に触れる機会が無くグローバル人材的な思考は育てられません。
またその安心感が強ければ強いほど、生活圏を広げようという意欲が薄れます。一時期注目を集めたマイルドヤンキーにも、この傾向があります。
マイルドヤンキーとは、地元を愛するが故その狭い生活圏から出ようとしない若者の事です。ヤンキー風な見た目でありながらも、暴走族とは違いマイルドな性格で、むしろ極端に保守的だったり、内向的だったりする場合が多いとされています。
地元を離れて通学するのは、子供達にとっては毎日冒険に出ているようなものです。ですがあえて多様性あふれる新しい環境に身を置く事でグローバル人材的な思考は養われていきます。この点も、中高一貫校ならではという事が出来るでしょう。
学力の多様性に富む公立中学校より、入試で学力を揃える中高一貫校の方がメリットいっぱい!
学力に関して言うと、どうしても公立中学校の方に多様性があります。入試を受ける事なく地域の子供達が通えるのが公立中学校ですから、学力に幅があるのは当然とも言えます。
ですが学校という環境においては、必ずしも学力に多様性がある方が良いとは限りません。むしろ学力の幅が少ない事でもたらされるメリットの方が多いのです。
最近では、個々の学力に応じた教育が重要視されています。その為、学力に幅のある公立中学校では、生徒の習熟度別にクラスを分けて授業を行う必要が出てきています。
ですが中高一貫校であれば、中学入試の時点で既に、個々の学力に合う学校に振り分けられています。わざわざクラスを分割しなくても、種熟度に応じた個別教育が最初から成り立っています。
また、公立中学校では学力に幅がある為に、その差が明白になりがちです。
クラスの中で、勉強が出来る子と出来ない子がはっきり位置付けられてしまいます。それぞれにレッテルが貼られてしまうので、勉強が出来る子はいつだって成績が良くて当然だし、出来ない子がすごく努力してテストで良い点取っても、「今回は頑張ったね」と言われるだけで、勉強が出来る子に成り変わるのは難しいのです。
ですがクラスみんなの学力が同程度であれば、そのレッテルが貼られにくくなります。誰が成績トップになってもおかしくないし、トップが定まらないので、みんながライバルであり真っ当な競い合いが出来ます。
逆に、小学校時代からずっと出来る子側のレッテルが貼られていた子にとっては、常に成績上位でいなくてはならないプレッシャーから逃れられる嬉しいメリットにもなるとも言えます。
今まで勉強だけに縛られていた自分を解き放ち、肩の力を抜いて、得意分野に集中してみたり、部活や学校行事で活躍したりする事で、新しい自分を発見出来るかも知れません。
また、公立中学校では何となく成績の良い子が担当しがちな学級委員や生徒会長、文化祭や体育祭の実行委員長なども、みんなの学力が同程度であれば固定される事がありません。
誰でもリーダーになり得るから、リーダーシップを身に付ける機会がより多くなりますし、小学校までリーダー役ばかりだった子も、他の子がリーダーをやる事でフォロワーシップを学ぶ機会をきちんと設けられます。どちらの立場でも自ら動ける力は、今後の人生で必ず役に立ちます。
たとえ最下位でも落ち込まないで!優秀な仲間は、自分の価値を上げてくれる財産になる
みんなの学力が同程度である為に中高一貫校に入ってからなかなかトップになれず、自信を失う生徒も稀にいます。親も、今まではずっと一番だったのに突然成績が落ちたとか、小学校では我が子がいつも学級委員をやっていたのに、立候補しなくなったとかの事実だけをそのまま受け取って、不安になりがちです。
ですがここで考えて欲しいのは、その子が身を置いている環境です。一緒に勉強をしているのは、自分と同じ中学受験をパスして入ってきた、優秀な人材です。トップになれないのは、周りのレベルが上がったからであって、自分の学力が落ちた訳ではありません。本来落ち込む必要は無いのです。
そもそも、レベルの低い環境での一等賞と、レベル最上位の環境での最下位では、どちらに価値があるでしょうか。
例えば400mリレーの選手である場合、前者では、4人の中で自分が一番早いという事になります。アンカーを担って注目を浴び、エースとして活躍出来ます。しかし、対戦チームが自分より速く走れるメンバーばかりだったら、勝負には確実に負けます。
しかし後者であれば、自分は4人の中では一番遅いかもしれないけれど、自分より速い仲間がいる分、勝てる可能性が上がります。
頼もしい仲間のおかげでチームとして勝ち上がっていける事で、より多くの大会に出場出来たり、オリンピックを目指したりと上り詰めていけます。例え自分が最下位でも、このような沢山の上質な経験が出来る事には、大きな価値があると言えるはずです。
ですから、トップでないからと気を揉む事はありません。最下位だったとしても、周りに自分以上の優秀な仲間がいる事は、財産にもなります。財産は多ければ多いほど良いでしょう。ですから親も、成績の事で子供に圧力をかける必要は無いのです。
思春期の全てを一緒に経験した中高一貫校の仲間は、生涯付き合える友人になる
思春期は、反抗期を折り返し地点とするマラソンのようなものです。子供達は6年間という長い時間をかけて長い距離を走り切り、自立というゴールを迎えます。
往路では、無事完走出来るのか、この先どんな険しい道が待っているのかという不安と緊張に襲われる事もあるでしょう。ですが共にマラソンに挑んでいる友人の存在が、そんな不安を和らげてくれます。
もちろん友人も同じように不安や緊張を抱えており、一見頼りない存在なのですが、自分と同じ境遇であるという一点が何よりの安心材料になるのです。
同じ気持ちでいる友人の方が、路肩で必死に声援を送る親よりも良き理解者であると感じます。お互いの気持ちを分かり合う事で仲間意識も強まり、友人同士依存し合いながら、折り返し地点を目指していきます。
折り返し地点の反抗期では、足並みが乱れる事も多々あるでしょう。ルートを外れて暴れてしまったり、足が止まってなかなか折り返せなかったりする生徒が出てきます。しかし、「中高一貫校」チームは、誰一人置いてきぼりにはしません。復路も同じメンバーで支え合いながら走り、みんなで完走を目指します。
ですが「公立中学校」チームではそれが叶いません。折り返し地点の一番気持ちが切れ易い時期に、「卒業」という解散を迎えてしまうからです。
そして、無事に全員で完走した中高一貫校チームのメンバーは、それぞれが立派な自立を果たします。共に頑張った友人達との間には、強い一体感も生まれています。往路での不安、折り返し地点での乱れ、復路のラストスパート、それぞれのマラソンをお互いに見て、全てを知り尽くしている仲間同士の絆は、とても固いものとなるのです。
中高一貫校は、生涯付き合える友人に出会える場所と良く言われます。これは単に6年間という長い時間を一緒に過ごしたからというだけではなく、激動の思春期にこの強烈な共通体験をしたという事が、最も大きな理由と言えるでしょう。
中高一貫校の教師だけが味わえる中等教育の醍醐味
中高一貫校の教師は、生徒と共にマラソンコースを走るベテランの並走者のような存在です。中等教育の6年間という長いマラソンを通して、子供達がどのように成長していくのかを、知り尽くしています。
立派に巣立っていく生徒を、今までに何人も見てきたからこそ、中学2、3年生頃の反抗的な態度に対しても穏やかに構えていられるし、中学3年生から高校1年生あたりで生じ易い中だるみに対しても、口うるさく注意して勉強を促すような事はしません。むしろ、反抗も中だるみも、思春期の子供達には大いに経験してもらいたいと思っています。
反抗期を乗り越えてこそ精神的な自立が完成するのだし、中だるみで無駄な時間を過ごしてこそ、勉強の必要性を再認識し、自発的に取り組めるようになる事を、知っているからです。
自発的に勉強する姿勢が身に付くと、不思議と未来の為に努力する事に楽しさを感じるようになるものです。この瞬間を、中高一貫校の教師は待っています。この境地に達した生徒達のきらきらした表情を見られる事が何よりの喜びであり、彼らが中高一貫校の教師であり続ける一番の理由でもあるのです。
更新日:2023/05/31|公開日:2018/11/12|タグ:中高一貫校