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子どもが世間を知るには友だちづきあいが重要

友だち

最近では一日中一人遊びをしているような子どもも増えてきていますが、なるべくなら子どもは友だちの輪の中で遊ぶようにさせたいものです。これは、友だちの輪の中で遊ぶことでしか得られないものがあるからなのですが、いったいどういったものを得ることができるのか少し見ていきましょう。

 

友だちグループは子どもに知恵を授けてくれる

人類は太古から長い歴史を紡いできましたが、その間のかなり長い期間を、理想的とは言えない環境下で子育てをしてきたと言えます。例えばほんの少し前、二次大戦前の時期であっても、日本においては子育てをする親は毎日の暮らしを立てるのに忙しく、自分の子どものために十分な時間を割くということがあまりできませんでした。今日言われている子育てのやり方からすればある意味問題だらけの子育てをしていたことになります。しかし、そうした条件下でも子どもはきちんと大きくなり、その後社会でやっていくのに必要となる能力をきちんと身につけることができていました。

 

こうした時代、子どもが必要とするものを与えてくれるのは親ではなく子ども同士のグループ、遊び仲間でした。子どもたちは、こうした仲間たちのグループの中で行動することを通じて人間同士のいろいろなルールを学び、将来社会に出る際に必要となるようなさまざまなスキルを身につけていったのです。こうした遊び仲間は、現在においても子どもの成長に大きな影響力を持っており、大切な役割を果たす存在です。どのような影響力があるのでしょうか。

 

友だちと自分を比べることで自らを知る

子どもは友だちの輪の中で遊びつつ、自分の特徴と友だちの特徴を比べ、そこに違いがあるということに気づき理解するようになっていきます。つまり、「自分はこういった人間だ」ということを理解するのです。

 

自分とあるクラスメートを比べた時、身長や体重も同じぐらいなのに、自分は勉強が得意で、そのクラスメートは運動がうまい、といったような違いを認識することによって、自分の長所はどんなところか、あるいは、不足している分野はどういったものなのか、ということを理解していきます。

 

このため、親としては、自分の子どもを他の子どもと比べて「友だちの~ちゃんと比べると、あなたは駄目ね」であるとか、「友だちの~ちゃんと比べると、あなたは下手ね」などということを言ってはいけません。わざわざ親が指摘しなくとも、子どもはきちんとそのことには気がついているため、追い打ちをかけるようなことになってしまいます。

 

何か言いたいのであれば、親の立場からは自分の子どもを褒めるような言い方を探すことが大事です。例えば、「あなたは計算が早いのね」とか、「絵が上手に描けてすごい」といったような具合です。劣っている点ではなく優れている点を評価するようにしましょう。

 

社会性を学ぶ

友だちどうしで楽しくやっていくためには、自分のしたいことばかり主張していたのではうまくいきません。時には自分の欲求を抑えて、相手に譲歩するという行動を取る必要も出てきます。相手に譲歩するとは言っても、常に相手の言うがままになっていればいいというわけでもありません。そういった性格の子どもは、子ども同士の間でもよい友だち、楽しい友だちとは見なしてもらえないからです。さらには、何か楽しい遊びを思いつくという創造力も大事な要素になってきます。

 

こうしたことは、大人になってから社会でうまくやっていくために必要なことでもあります。相手の意を汲んで、相手のアクションに対してふさわしい対応をすることが重要なのです。「よい友だち関係」というのは、互いがこのような対応を取れる間柄ができた時に構築されます。親と子の関係からは、こうしたものを学ぶことはできないのです。

 

多様な価値観があることを知る

子どもは大きくなってくるにつれて友だちを求めるようになり、多くの友だちを作って遊びたいという思いを抱くようになっていきます。そして友だちの数が増え人間関係の幅が広がるにつれ、社会というものにはさまざまな個性を持った人間がいるのだということを理解するようになります。

 

また、友だちの家に遊びに行った子どもは数多くの新しい価値観にぶつかります。例えば、友だちのお母さんというものに触れれば、大人についての新しい知識を手に入れることになります。自分の家であれば親に怒られてしまうようなことが別の家では問題なかったりということから世の中にはさまざまな考え方があるのだということを学ぶことができますし、例えば新しく友だちになった子の家で遊んでいたところ、「5時半になるから、遊びをやめて帰りなさい」と言われ、自分の家ではまだ門限ではないのに帰らせられたというような経験をすることもあるかもしれません。

 

このような体験を通して、子どもは社会にはさまざまな人がおり、考え方も違えば行動様式も違い、自分の家のものとは違った価値観で生活しているような人も大勢いるということを学ぶことができるのです。

 

子どものストレス解消

昨今はストレス社会ですが、子どもたちもその例外ではありません。保育園や幼稚園で自分のしたいようにできなかったり、学校で先生に怒られてしまったり、習いごとや塾で何かうまくいかなかったりすれば、子どもとはいえストレスをため込むものなのです。そのまま家に帰ってきてお母さんに今日あったことを話せば、さらに怒られてしまうかもしれない……などと不安になることもあるでしょう。こういった時、友だちと一緒に寄り道しながらぶらぶら帰ってきたり、家に帰るやいなやランドセルを放り出して友だちと騒ぎ回ったりしてくることにより、ため込んだストレスを解消することができます。

 

ストレスをため込むことは、子どもの精神や感情を不安定にします。このため、遊びを通じてストレスを解消することは非常に重要なことです。しかしながら、最近の子どもたちのように学校から帰るとTVゲームなどでひとりぼっちで家の中で遊ぶようなやり方をしていると、ため込んだストレスを解消することができずにどんどんと蓄積してしまいます。なるべくならば、外で友だちと一緒に遊ぶことによってストレスを解消できるように考えてあげたいものです。

 

相手を思いやり、自分の意志を伝えるトレーニングをする

友だちとの遊びを通して、子どもは相手の表情や言動などから相手が今何を考えているのかを推し測り、どんな気分でいるのかを読み取り、何をしたがっているのかを理解するというトレーニングを積みます。

 

また一方で、読み取った相手の気持ちに対して、自分としてはどう反応を返すべきか、そうした反応を返したら相手がどうリアクションしてくるか、といったような形で、こうしたトレーニングをどんどん深めていきます。このようにして、相手の気持ちを忖度し自分の気持ちを適切に伝える中から、相手に対する思いやりの心や自分の考えをうまく伝えるやり方などを学んでいくことになります。

 

年齢の違う子どもとの付き合い方を習得する

もともと、昔は子どもたちの遊び仲間というとさまざまな年齢の子どもたちがおり、自分よりも年上の子どもや年下の子どもと入り交じって遊んだものでした。しかし最近では同じ年齢の子どもどうし、時には同じクラスの子どもどうしでしか交わらないという傾向があるようです。これは少々問題です。

 

広い年齢幅のあるグループで遊ぶことで、子どもたちは自分とは異なる年齢の人とどうやってうまくやっていくか、という技術を身につけていきます。まだ小さな子どももお兄さんお姉さんといっしょに遊びの輪に加わり、みそっかす扱いされながらも上の子たちに早く追いつこうと頑張ったものです。年齢が上の子のほうは、小さな子どもが交じると少々面倒だなと感じつつも、ちゃんとみんなで楽しく安全に遊べるように気を配ったりすることになります。

 

このように、年齢の違う子どもに接して遊ぶことで、子どもたちはさまざまな社会性を身につけることができます。小さな子どもは年上とのやりとりを、大きな子どもは年下とのやりとりを、それぞれ学ぶことができるのです。

 

人間関係にもまれ、生きる力を育てる

親が子どもを遊ばせる時には、よほどのことがない限り子どもの意向を尊重するものです。しかし、子どもどうしで遊ぶ場合にはそうもいかないことがあります。自分がやりたい遊びが他の子どもに受け入れてもらえなかったりすることがあるからです。

 

そのようにして人間関係の中でもまれることにより、子どもは日々をはつらつと過ごすことができるようになり、生きていく力を育んでいきます。子どもがいわゆる「子どもらしさ」を発揮していくためには、このような摩擦などから得られる刺激が非常に重要な役割を果たしているのです。

 

社会でうまくやっていく上で、学校で習うような知識は確かに大事です。しかし、それだけでは世の中をうまく渡っていくことはできません。社会を生き抜いていくために大事になるのは、複雑な人間関係の中で育まれる知恵なのです。そして、こうした知恵を得るためには、多くの友だちと直接ぶつかりあうような経験こそが必要不可欠なものだと言えます。

 

子どもが遊び仲間に入りやすくするために

親は自分の子どもについてはいろいろと取り越し苦労をしがちなものです。例えば、子どもが家で遊んでいがちであまり他の友だちといっしょに遊ばない、というようなことがあると、うちの子は嫌われているんじゃないか、と心配してしまう、といった具合にです。

 

しかし、一口に子どもといってもさまざまな性格の子どもがいます。家の外に遊びに行って、多くの友だちと一緒に走り回るのが大好きな子どもがいる一方で、インドア派で1人静かに遊んでいるのが好きというような子どももいるのです。心配してあれこれ始める前に、まず自分の子どもがどういうタイプなのか、ということを見極め、それをいったん受け容れることが大事です。

 

1人でいるのが好き、と言っても、成長して社会に出るようになれば人付き合いなしで生きていくことはできません。また、子どものころに他の子どもたちとあそぶことによってしか得られないさまざまな財産というものもあります。このため、1人でいるのが好きな子どもであっても他の子どもと一切遊ばない、というようなことはないようにしてあげたいところです。自分の子どもが友だちグループに入りやすくするために、親としての立場からできること、控えた方がいいことをいくつか見てきましょう。

 

無理強いは禁物

他の子どもたちと遊んで欲しいからといって、子どもに無理強いはあまり良くありません。子どもに友だちができないのではと不安になり、「お外で友だちと遊んできなさい!」といったように叱りつけるようなことのないようにしてください。自分には友だちが少ないのを気にするあまり、友だちグループに入っていけずにいるのかもしれないからです。

 

それまで友だちと遊んだ経験があるか

大勢の友だちの輪の中に入って楽しく遊ぶためには、そうした経験を積んだことがあるかということが重要になってきます。突然大勢の子どもたちの中に引き入れて、「さあみんなで遊びなさい」とやってもうまくはいきません。幼いころから他の友だちと遊んだという経験があり、友だちと一緒になって遊ぶことは楽しいことだという感覚を得たことがあるのでなければ、友だちの輪に進んで入っていくことは難しいかもしれません。

 

自分の子どもがあまり他の友だちと遊ばないという場合、それまでの体験に問題がある可能性があります。友だちと一緒に遊ぶことにより得られる楽しさを経験したことがないか、もしくは友だちと一緒に遊ぶやり方がよくわからないために輪に入れないのかもしれないのです。

 

喧嘩には関与しない

明白な危険が及びそうである場合をのぞき、子ども同士の喧嘩に親が関与するのは御法度です。小さな子どもどうしが喧嘩したり仲違いするのは当たり前のことです。そのたびに親が仲裁するわけにもいきませんし、するべきでもありません。下手に関与するとかえってこじれてしまい、完全に険悪な仲になってしまったり、ともすると親同士の言い争いにまでエスカレートしたりすることもあります。喧嘩は自分たちで解決というのが基本スタンスです。

 

友だちの選択に口を出してはいけない

自分の子どもが隣の子どもとしか遊ばないので、もう少し別の友だちとも遊ぶようになって欲しい、などと悩むあまり、子どもに対して、誰それと遊びなさいであるとか、誰それとは遊んではいけないであるといったようなことを口にしていないでしょうか。

 

子どもがまだ小さなうちは、家が近い子どもであったり、クラスで隣の席になった子だったり、親同士が親しくよく交流している家の子などを遊び相手にするのが普通です。それ以外の子どもとも遊んで欲しいからといって、子どもに対して友だちを選ぶようなことを言うのは考えものです。そういう場合、まずは親がさまざまな人と幅広く交流するような姿を子どもに見せるところからはじめてみましょう。

 

友だちを悪く言わない

友だちを選んでいるのは親ではなく子ども本人です。親の目から見るといまひとつ……という子どもであっても、子どもからすればその子に何か魅力や良いところを感じているからこそ一緒に遊ぶわけです。子どもの遊び友だちを悪く言うことはせず、自分の子どもにそうするようにその子のよい面を見つけるようにしてみましょう。

 

劣等感を持っていないか観察する

自分の子どもが他の友だちと遊ばないという場合、何か劣等感を感じているのではないかを観察してみることが必要かもしれません。友だちの遊びの輪の中に入りうまくやっていくためには、感情面が安定していることの他に、自分に対して自信を持っているかどうかが重要になってきます。子どもが自分に自信を持つためには、本人の優れたところについて親が注目し、そこを褒めるのが一番です。

 

自分はこれが得意だということや、この分野はもう少し頑張らなければ駄目だといったことをはっきり認識している子どもは、それを支柱にして自分の中に自信を持つことができます。心の中に自信を持っている子どもは集団の中で落ち着いて場所を占めることができるため、友だちともいい関係を築くことができます。

 

また、自信を持っている子どもは、自分の欲求をある程度おさえて他人に譲歩することができますし、ここぞというときには譲らずに自分の意見を通す強さを持つこともできます。自信がない子どもはこうしたことが苦手ですので、友だちと遊ぶのを避けたりするようになるのです。

 

心理学の有名な理論によると、人間が社会の中で落ち着いて生きていくためには、社会を構成する集団に対する所属欲求と自己実現欲求が満たされている必要があるとされます。所属欲求とは、その集団に属する人たちと同じ状態でいたいという欲求のことです。こうした欲求は、例えば衣服の流行などといった現象を例にすればわかりやすいかと思います。今年はあるファッションが流行ると言われると、それが自分に合ったスタイルなのかどうかを気にせず多くの人が流行のファッションを取り入れるというのは、こうした欲求を充足させるための行動なのです。

 

自己実現欲求は、他の人に対して誇りにできるような何かを持っていたい、と感じる欲求です。そうしたものを持つことにより、集団の中でよって立つための支柱にすることになります。子どもが学校に通っている時、日々何も気にせずに通っているわけではありません。国語が得意な子であれば、漢字の書き取りや小テストではいつもトップであるということを支柱に持ってきますし、あるいはサッカーがうまいであるとか、電車に関する知識なら誰にも負けないであるとか、人気のゲームはいつもクラスで一番早く解いている、といったことを支柱にすえて学校という集団の中で活動を行っているのです。

 

集団の中にいる時の支柱になる何かを持っていない子どもは、その集団で安定的な場所を確保できないため、そこからすぐに退いてしまい、自分がまだしも安心して場所を占められる集団、たとえば自分の家族といったところに逃げ込んだりします。そうでない場合、いわゆる「よくないこと」を支柱にすえようとする場合さえあります。校則違反の服装をするようになってみたり、持ち込みの禁止されている品物を持ってきてみたりすることで、そういうことをする自分、という支柱を作るわけです。こうした行為は未成年の喫煙や飲酒といった「非行」につながりかねないため、放置していていいものではありません。

 

また、学校で学ぶ勉強が得意である、といったことだけを支柱にしているような場合、学校に通っている時にはいいのですが、その後実社会に出てからはそうした支柱を使うことができなくなってしまいます。このため、それ以外のことを支柱にすえることもできるようにしたほうがいいでしょう。

 

子どもの喧嘩には原則的に口を出さない

子どもどうしが一緒にやっていこうとする時、時には喧嘩をしてしまうことがあります。子どもの喧嘩のきっかけはたいしたことではないことがほとんどで、大人の目から見れば「何だ、そんなことか」と感じるようなどうでもいいことであることが多いものです。例えば、自分よりたくさんおやつをもらった(ように見えた)、貸してと頼んでも玩具を貸してくれない、自分の玩具を断りもなく使った、ぼんやり歩いていたらふざけて突き飛ばされた、といったような理由です。

 

喧嘩の理由が大人から見るとどうでもいいように見えるため、子どもたちがギャーギャー喧嘩を始めると、割って入ってしまったり、叱りつけてやめさせたりしてしまう親もいます。しかしながら、子どもの喧嘩に大人が口だしをすると逆効果になることもあるので注意が必要です。

 

子どもどうしの喧嘩は、身体全体を使って取っ組み合いをして見たり、罵詈雑言を浴びせ合ったりするなどかなり激しいものに見えがちです。しかし、実際のところは割になあなあの部分も多く、大けがをさせるまでエスカレートするようなことにはあまりならないものです。本気に見えてやはりどこかで手加減をしているものですし、互いにそこまで本気でやらない、と当て込んでやっているようなところもあります。

 

このため、さっきまでものすごい音を立てて喧嘩をしていた子どもたちが、いつの間にかまた一緒に笑っていたり、いじりあったりしているようなことが普通に起きます。互いに喧嘩をしながらも、手がつけられないことになる前にどこかで落としどころを作ろうと考えているわけです。あるいは、喧嘩をしつつも相手の主張や立場を考慮して和解に持っていこうと考えていたり、自分のやったことはちょっとまずかった、などと内心反省したりもします。

 

つまり、子どもたちは喧嘩をしても自分たちでそれを解決しようといろいろ頭を巡らせているわけです。そんなところに横から大人が仲裁に入ったりすれば、子どもたちは自分たち自身で喧嘩を終わらせるきっかけをなくしてしまいます。放っておけば自然に治まったいさかいが、かえってこじれてしまってどうにもならなくなることさえあります。そこまでならなかった場合でも、どのようにして相手と和解し喧嘩を収拾するかというやり方を子どもたちが見いだすための経験の芽を摘んでしまうことになります。

 

始めた喧嘩をうまく終わらせることができるようになるためには、何度もそうした経験をすることで落としどころや勘どころといったものを身につけていく必要があります。友だちと上手にやっていくには、主張すべきところで主張し、折れるべきところで折れる必要がありますし、力を合わせて大人などのより強い相手に立ち向かったり、相手を裏切って大人にすり寄ったり、実地での体験によってさまざまなことを学ぶ必要があります。子どもたちは、そうしたことからさまざまなことを学びながら、自己主張、譲歩、折衝、挑戦、忍従、といったような他人とコミュニケーションを図るために必要なさまざまな技術を身につけていくことになります。

 

このように、友だちとの喧嘩というのは、子どもにとっては社会で役立つコミュニケーションスキルなどを訓練する場でもあります。したがって、友だちと喧嘩をしたことがない、というのはけして自慢できることではありません。友だちとの喧嘩は非常にいい経験の源になるわけですから、そういう意味から言えばむしろ積極的にした方がいいぐらいです。喧嘩をしないということは、他人とのコミュニケーションを取るための技術を磨くことができず、自分の考えを主張したり、相手と妥協したり、やりすぎを反省するチャンスもみすみすのがしているということになるとも考えられます。

 

このように、原則的に子どもどうしの喧嘩には親が口を出すべきではありませんが、何ごとにも例外というものは存在します。喧嘩の中にも、親が口出しをして止めた方がいいものもあるのです。どういう時かというと、まずは子どもたちに何か危険なことが起きそうになった場合です。こういった場合は有無を言わせずとにかくまず喧嘩をやめさせることが大事です。また、子どもの手にあまるような問題が起きてしまい、子どもたちだけでは解決できないような場合にも仲裁に入る必要があるでしょう。

 

子どもの喧嘩に割って入る時に大事になるのは、どんな場合でも公平な立場を貫くということです。一方の子どもの肩を持つようなことは論外として、肩を持っていると思われかねない言動をするのもいけません。大事なのはとにかくまずは双方の言い分に耳を傾けること。そして、どちらの側がいいとか悪いという評価を下さないことです。そして、「私はこう思う・こうする」というような言い方を使いながら、自分の考えを子どもたちに伝えることにとどめます。そのようにすることで、この状況をどうやって解決していくか、子どもたちに判断させることにつながります。

 

家族間のつきあいを通して多様な価値観に触れさせよう

昔に比べ、最近の子どもは自分本位であったり、人付き合いが上手ではないなどと言われるようになってきました。この傾向は子どもに限ったものではなく、より年を取った大人の間でも人間関係に悩んでいる人が増加しています。

 

人間関係や人とのコミュニケーションスキルを上達させたい場合、実地の経験に勝る習得方法はありません。対人関係に関連する書籍を読んだり、上手な人に話を聞いたり教えを請うたりしても、一定の上達はあるかもしれませんが根本的な解決にはならないのです。実際に他人を相手取ってはじめて上手にできるようになっていくのです。

 

こうしたことから、子どもだけでなく両親ともが数多くの人たちと人付き合いするということが大事になってきます。自分の友人と家族をふくめた付き合いを始めたり、子どもの友だちの家族とつきあうようにするなどしてみるといいのではないかと思います。

 

こういった家族間の付き合いをずっと続けていくためには、普段している生活の延長として互いにつきあうことです。言ってみれば、よそ行きの関係ではなく、普段通りの感覚でつきあうということです。例えば一緒にレジャーに出かけたり、食事をしたり、お互いの家を訪問し合ったりし、それも肩肘を張らず互いにお客さま扱いしないという形でやっていくように心がけると関係が長持ちします。親しい間柄であっても、相手の家計の内情までは分かりませんから、互いに格好をつけず、豪勢な食事を出したりお土産を持っていったりといったこともせずにつきあってみるのです。

 

このように別の家族と横断的につきあうことによって、子どもは保育園・幼稚園で過ごしたり、小学校で学んだりする中では決して得られないような経験をたくさんすることになります。自分の家とは違った価値観の人たちと深く接する機会が頻繁に増えるからです。同じ友だちづきあいであっても、昼間いっしょに遊んでいるのとはまた違ったことを学び取ることができるでしょう。

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