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子どもが学校に行きたくないと言い出したら・・・

登校

自分の子どもが登校したくないとごね始めると、「えっ登校拒否!」 ということで慌ててしまう親もいるかもしれません。そんなことが起こった時にどうすればいいのか見ていきましょう。

 

子どもが「登校したくない」と言い出す理由とは

子どもが登校を渋り始めた時にはむやみに取り乱したりせず、一歩離れたところから冷静に考えてみましょう。自分が学校に通っていたころ、今日は学校に行きたくないと考えたことがあったのではないでしょうか。そして、それがイコール登校拒否に直結したでしょうか。

 

最近の全体的な傾向として、長い期間学校を休んでしまい学校に行けなくなってしまうような子どもは増加してきています。そうした状態を指して「不登校」などという言葉も普通に言われるようになってきました。だからといって、子どもが学校に行きたくないと言っただけで不登校になってしまうのではないかとまで考えるのは行き過ぎかと思います。

 

小さなころを思い返せば思い当たる節がある方もあるかもしれませんが、小学生の特に小さな子の場合、今日の給食の献立が嫌いだとか、先生が怖いであるとか、ある科目をやりたくないだとか、登校準備が遅れてしまったといったような、大人の視点からすると「そんなことで?」ということが原因で、学校に行きたくない、と思ってしまうものです。

 

要するに、子どもの「登校したくない」は言わば取るに足らないことなのかもしれないのです。それなのに、親が大げさに取りすぎてしまって深刻がったり困ったりしてしまうと、今度は子ども本人が「実はこれはすごくたいへんなことなのでは」と思い込んでしまうかもしれません。

 

ここはあまり大げさに捉えずに、子どもがどうして登校したくないと感じているのかを聞き出しましょう。なお、ここで焦ったり苛立ったりして声を荒げるような態度を取ってはいけません。その上で、どうすれば行けるようになるのかの解決策を子どもといっしょに考えてみましょう。

 

保育園や幼稚園のころまではまだまだ小さいため、子どもの面倒というとお母さんもほぼ何でも見てあげていたわけですが、子どもが小学校に上がるとそろそろ自立して欲しいと思うようになることもあって、ある程度のことは自分で解決するようにと子どもと少々距離を置くようにすることがあるかもしれません。

 

しかし、何か不安に感じることがあって学校に行きたくないと感じている時にお母さんから距離を置かれれば、子どもは今後ずっとあらゆることを一人でやらなければならないのだろうか、とさらに不安感を高めてしまいかねません。

 

小学校に上がるぐらいまで成長した子どもは、親から独り立ちしたいという欲求を持っているものです。このため、いつまでもおんぶにだっこを求めることはありません。しかし、親の庇護から少し離れてみて何か不安を感じた時には、どうしても親のもとに戻りたいと感じてしまうものです。

 

親のもとである程度安心すると、そこからまた立ち上がって離れ、また不安を感じては戻り……といったような具合で、戻ったり離れたりを繰り返しながら成長していくものなのです。そして徐々に、親のもとを離れている時間が長くなっていき、最後には自立することになります。

 

このプロセスの途中で、子どもが不安を感じて親のところに戻ってきた時、逆に親の方が子どもから距離をとってしまうと、子どもの心の中の不安感は増大してかえって親離れができなくなってしまいます。そのため、逆に学校への登校を嫌がるようなことも起こってきます。

 

子どもが感じるこうした不安感を母子分離不安と言いますが、こうなってしまった場合には普段から母親とのかかわりを増やしてやる必要があります。子どもがもっと幼い時にするように多めのスキンシップを心がけ、愛情をたっぷり注いであげて、子どもの感じる不安感をなくして強い信頼関係を築くようにするといいでしょう。

 

子どもが登校したがらなくなる原因としては、母子分離不安によるものの他に否定的自己同一性によるもの、また燃えつき症候群によるものが考えられます。

 

「否定的自己同一性」とは、小さいころに親からもらえた評価がネガティブなものばかりだった場合に起きるものです。例えば「あなたは駄目ね」であるとか「なんでもっとうまくできないの」といったような言葉ばかりかけられて大きくなった場合に見られることがあります。

 

こういう言葉をかけられて育った子どもは、「自分はどうせ駄目な人間だ」であるとか、「どうせうまくいきっこない」といった具合に、何かをやる前から早々とあきらめてしまうことが習い性になり、結果として無気力になってしまいます。その無気力のために学校に行きたがらなくなる、というわけです。

 

このほかにも、「早くなさい」という言葉を子どもに毎日かけることによっても否定的自己同一性を起こすこともあります。何かをやろうとすると「どうせ自分はのろまだから、早くなんてできない」と考えるようになるため、そもそも何かを早くやろうとしなくなります。

 

今までこうしたネガティブな評価に基づく言葉ばかりかけてきた、という場合、今からでも遅くありませんのでそういう言葉をかけないようにすべきです。その上で、なんでもいいので子どものいいところを見つけるようにし、そこを褒めるようにすることです。子どもの無気力は自信の喪失によるものですので、褒められることで自信が付けば無気力は解消します。

 

「燃えつき症候群」は、どちらかというと小学校低学年よりも高学年に見られることのある現象です。性格的に真面目で、完璧主義のきらいがあり、親の言うことにも先生の指導にもよく従う努力家の子どもがなりがちです。

 

毎日頑張りすぎたために疲れ切ってしまったり、ふとしたことで自分がなぜ学校に通わねばならないのか分からなくなってしまったりすることにより、学校に行けなくなってしまうというものです。

 

子どもが燃え尽きてしまった時には、とにかく休息が必要です。リラックスできる環境を整えてあげた上で、ものの考え方にはさまざまなやり方があるので、こうでなければならない、と思い詰める必要はないということに気づけるように優しく導く必要があります。間違っても親が自分の価値観を押しつけたりしないように注意することです。

 

まずは子どもが登校したくない理由を見極めよう

小学校1年生から中学校3年生までの9年間は、法律で履修が義務づけられている義務教育にあたります。親はこの期間子どもを学校に通わせなければならないわけですが、子ども自身は「義務だから」などと考えて学校に行ったりはしていないはずです。では、いったい子どもにとっての学校とは何なのでしょうか。

 

勉強が好きで楽しいから学校に行く、というような感心な子どもはそう多くはありません。子どもが学校に行くのは、勉強以外に何か楽しさや面白さを感じるポジティブな要因があるからです。

 

単に「学校というのは毎日いくところ」という思い込みによって通っているような子どももいるでしょうし、毎日の給食が楽しみという子どももいるかもしれません。学校に行かないと怒られてしまうから、という消極的な理由もあるかもしれません。しかし、たいていは学校に行って友だちに会うことができるから、というものが一番大きな理由となっているものです。

 

反対に、学校に行きたくない、と子どもが言い出す時の要因はなんでしょうか。先生が怖い、勉強が苦手、給食が嫌い、といったものもあるかと思います。通常、こうしたネガティブな要因よりも学校に子どもを引き寄せるポジティブな要因の方が力が強いため、子どもは学校にいくことになるわけですが、子どもが学校に行きたくないと言い出す時には、友だちとの人間関係がよくない状態にあると言ったことがあることが多いものです。

 

子どもの精神にとっては友だちというものがかなり大きなウェイトを占めているのです。

 

もし自分の子どもが登校したくないと言い始めた時には、まずはその要因を探ることが必要です。何が子どもを学校から遠ざける要因になっているのか、ということを見極めることが必要なのです。

 

それまで子どもを学校に引きつけていたポジティブな要因がなくなったり減ったりしたのかもしれませんし、ネガティブな要因が発生したり増えたのかもしれません。あるいはその両方が起きている可能性もあるでしょう。

 

何が悪いのか、登校したくないと思わせる原因が特定できたならば、次の段階として減ってしまったポジティブ要因を補ってやり、増えてしまったネガティブ要因の持つ力を削いだり取り去ったりするような方策を考えることになります。

 

いじめが疑われる場合、問い詰めるのは厳禁

子どもが学校に行きたくなさそうにしている、というと、親として心配になってしまうのが学校でいじめにあっているのではないかということかと思います。

 

・朝登校する時間になっても妙にぐずぐずしている

・学校のことについての話が減った

・何となく投げやりな感じを受ける

・成績が急に悪くなった

・友だちの話をしなくなった

・表情に生気がない

・楽しんでいたことや好きなことをやめてしまった

・学校から怪我をして帰ってくることが増えた

・服や持ち物を汚したり破いたりする頻度が増えた

といったような、「何かおかしいぞ」と感じるようなことがある時には、いじめがあるのではないかと疑ってみたほうがいいかもしれません。

 

しかし、いじめにあっていたとしても、子どもは得てして周りの人には相談しないものです。友だちにも、先生にも、親にさえも相談しないのが普通なのです。このため、親は子どもの様子にアンテナを立て、いつもと違ったそぶりを見せていないか、常に気をつける必要があります。

 

いじめにあっている場合、子どもは言葉で周囲に助けを求めることこそしませんが、必ずなにがしかのサインを発信しているものです。そうしたサインに敏感になって欲しいのです。

 

ここで注意しなければならないのは、子どもが出しているサインを見つけた時の親の対応です。いじめにあっているのではないかと不安になるあまり、面と向かっていじめにあってたりはしないかと聞いてはいけません。

 

たとえそんなふうに問いただされたとしても、本当のことを聞き出せることはまずありません。そればかりか話そうとしないからといってあれこれ手をかえ品をかえ聞き出そうなどとすると、子どもはさらに心を閉ざして何も話してくれなくなってしまいかねません。

 

ひどい怪我をして帰ってきた、というようなケースは別としても、それ以外の場合で子どもの様子がおかしく、しかし特に何も話そうとしないような場合は、親として心配になるのはぐっとこらえて、子どもに対して話したくなったらいつでも聞くよ、という態度をさりげなく示すようにするのがベターです。

 

その上で、子どもと一緒になってすることができることが何かないかを考えてみるようにしましょう。内容はどういったことでも構いません。親子でパッチワーク作りに挑戦してみるとか、大きな望遠鏡を買ってきていっしょに天体観測に出かけてみるとか、登山やキャンプといった活動に出かけてみるのもいいでしょう。

 

このような活動を通して子どもといっしょに作業を行うことで、子どもは自分が親に受け容れてもらっているという感覚を得ることができます。他の人の目を気にせず、のんびりした空気感の中で過ごすことによって、いじめられることによってダメージを負った子どもの心は大きく癒やされることでしょう。

 

もともと身体を動かすのが得意な子どもだったような場合、運動をして身体を鍛えさせてみるのも一つの手です。普通のスポーツでもいいですが、剣道・柔道・合気道・空手といった武道と言われるものにチャレンジさせてもいいかもしれません。

 

こうしたスポーツは身体を鍛えるだけでもなく心も鍛えられますし、自分が強くなっているという自信にも繋げることができるからです。

 

鍛錬を積んでいるうちに、いじめられそうになった時にさっと構えを取ることができるようになるかもしれません。無抵抗な子どもほどいいようにいじめられますので、実際に手を出すことはなくても抵抗する姿勢を見せるだけでもいじめを遠ざける効果が期待できます。

 

当然ですが、それなりの気迫を持って構えを取ってみせることが大事です。たとえ年上の子に対してでも、あるいは女子が男子に対する場合でも、気迫を込めて迫れば相手を退けさせることは案外できます。

 

スポーツや武道といった形で身体を鍛えることで自分に自信が持てるようになると、そうした気迫は自ずと身についてきます。そのような方向に子どもの興味を向けさせることができれば、巡り巡っていじめを解決することにつながっていくというわけです。

 

細かく問い詰めるよりもまず共感を示すことが大事

親と一緒に活動することで子どもの心が多少なりと癒やされてくると、子どもが学校であった嫌なことについてぽつぽつと話を始めるかもしれません。そうした時に子どもの話を真剣に聞くことは当然ですが、そこで勢い込んで何があったのかをあれこれ問い詰めるようなことをしてはいけません。

 

この段階で親がすべきことは、子どもの話を最後まで聞き、子どもの感じた辛さや苦しさ、惨めさやくやしさといった感情に共感を示すことです。子どもの感じている思いに理解を示し、優しく寄り添ってあげた上で、「よく話してくれたね。もう大丈夫だからね」といった感じで優しく子どもを包んであげて下さい。

 

誰にも話せずに抱え込んでいた辛い気持ちを話し、話した相手が自分の気持ちに共感を示してくれたと感じることで、子どもはかなり気持ちが軽くなっているはずです。これは「受容と共感」と呼ばれる手法で、カウンセリングなどでも使われるやり方です。

 

ちょっと仲間はずれにされている程度の問題であれば、子どもの気持ちが軽くなるだけで事態が解決につながることがあります。気持ちが軽くなりよい方向に変化することでおのずと言動も変わるため、友だちとの人間関係のトラブルが解消することが多いのです。

 

一方、もう少し厄介な問題の場合ですが、親が先走って何かのアクションを起こすようなことは避けて下さい。学校に怒鳴り込んだり、いじめをしている子の親に連絡したりということをこの段階でしてはいけません。

 

むしろ必要なのは、自分の子どもとじっくりと話し合うことです。現状を解決するために何が必要なのか、どうすればうまくいくのか、といったことについての話し合いをするのです。親子でじっくり意見を出し合い、結果として学校側に相談したほうがよさそうだとなったら、そのとき初めてアクションを起こすようにします。

 

いずれにしても、この時大事なのは子どもに安心感や信頼感を抱かせることです。親がいつでも味方になるということを伝え、必要なことは何でもするよと態度で示すこと。これこそが子どものダメージを癒やしてくれる特効薬となるのです。

 

人間は一人一人、みんな違う

日本の社会は「ムラ社会」などと言われることもあり、「世間体」「人並み」「中流」といったようなキーワードで語ることのできる雰囲気や特徴を持っています。

 

最近でこそ子どもの個性を尊重する教育、などと言われるようになってきましたが、少し前までは、学校教育の現場でも家のしつけにおいても、子どもの個性を尊重するというよりも社会で問題を起こさないようにであるとか、周囲の輪を乱さないようにといったような視点が強かったものでした。

 

こういった特徴を持つ教育やしつけを受けて育てられるため、社会には誤った「平等」意識がはびこり、それが高じて異質なところがあるものや人を集団の輪から排除するような傾向が見られるのも否めません。そしてこれは大人の社会だけでなく子ども集団の中でも見られる現象であり、いじめの温床になっているのではないかと思われます。

 

十人十色という言葉がありますが、この言葉が示しているとおり、人間は一人として同じではありません。容姿、性格、思考、ふるまい、そのすべてが一人一人異なっているはずです。

 

そういう視点から見るならば、誰しもどこかしら「異質」なところを持っているものであり、そういう違いを互いに認め合い、受容し合うことによってよいコミュニケーションが図れるようになっていくのです。

 

子どもに人間の絵を描かせて見た時、日本の子どもであれば普通は髪の毛や目を黒く塗るのではないかと思います。金髪碧眼の人の絵を描く子どもはまずいないでしょう。これは、普段見ているものに影響を受けているためです。

 

日本の中で生活している場合、自分のクラスの中を見渡しても、そこから外に出て道行く人を眺めた時でも、細かな差こそあれほとんどの人が黒い髪と黒い目を持っています。それだけでなく、日本人どうしは外見的にも似たような特徴を持っています。

 

こういったことがあるために、人は皆同じでなければならない、異質なものがあってはならないといった雰囲気が生まれてくるのかもしれません。

 

しかし、アメリカなどの多民族国家であれば、こうした「常識」は通用しません。さまざまな外見をした、母国語さえ異にする人々が集って作った国だからです。通りに出て行き交う人を見れば、肌の色、髪や瞳の色、背格好、外見的特徴など、ほんとうにさまざまな人が目に映ります。

 

そういったところでは日本では「多数派」の黒髪・黒い目の人はたくさんある特徴の一つに過ぎません。家庭の中でさえ、親子間やきょうだい間で髪の毛の特徴が違っていたり、目の色が違うようなことが当たり前にあります。

 

日本の人とは違いお互いの外見がまったく異なるためか、こうした国の人々ははじめから「他人と自分は異なっているもので、それが当然」という考え方をします。こういった社会では少々異質なだけで排除されるような雰囲気はできてきません。

 

国際化が進展する中、こうした考え方を持つ外国人との接点がますます増えてくるわけですから、日本人もお互いの持つ小さな違いをあげつらうのではなく、むしろそこをよい点として互いに認め合えるぐらいの考え方を持つようにならなければならないのではないかと思われます。

 

いじめに対抗できる強さをつけるには

理想としてはそうあって欲しくないものですが、現在はどんな子どもであれいじめの対象になり得る世の中です。しかし、ずっと長い間いじめの対象になる、というような場合、その子どもにはある共通した特徴が見られます。

 

その特徴とは、「自己主張がうまくできない」、「困難に直面しても自分の力でそれを解決できない」というようなものです。こうした「弱さ」を持つ子どもはいじめのターゲットにされやすい傾向があります。

 

こういう特徴のある子どもたちは、得てして素直な性格をしていて勉強もそこそこできる子が多いのですが、少し困難な事態に出会うと粘り強くことにあたることができず、すぐに逃げ出してしまう傾向があります。

 

自分の子どもにそういう傾向が見られるという場合は少々問題です。およそ性格というものは一朝一夕に変えることのできないものですから、なんとかして少しずつでもそうした「弱さ」を克服できるようにしてあげる必要があります。

 

自分の子どもがそういう傾向を持っているという場合、原因はそれまでの育て方にあります。今まで子どもを甘やかしすぎたり、少々過保護に育ててはいなかったでしょうか。あるいは、あまりに大きな期待をかけすぎていたり、自分の理想像どおりの子どもになるように厳格すぎる態度で接してきたりはしなかったでしょうか。

 

そういった環境下で育った子どもは、やり慣れたことをこなすことは上手にできるものの、新規に何かを始める時に大きな不安に包まれがちです。そうした子どもは自分の支えになる自信が育っておらず、そのせいで自主性を発揮することができないからです。

 

そして、そうした性格はいじめに遭った時に致命的な問題をもたらします。いじめられて嫌だと感じた時にはっきりと嫌だと言うことができず、いじめるのをやめて欲しいと伝えることもうまくできないため、いじめはどんどんその激しさを増していきます。より強い子に命令された時に断り切れず、他の子をいじめる輪に加わってしまったりすることさえあります。

 

自分の子がそんな弱さを持たないようにするには、子どもに自信をつけさせて自主性を育ませ、自分一人でいろいろなことができるようにしつけを行っていくことが必要です。そのためには、何かを一人でやり遂げた時に、親が子どもの頑張りを認め、励ましの言葉をかけることが重要です。さらに、親がいちいち指図をすることなく、子ども自身に考えさせ、自発的にものごとに取り組めるようにトレーニングを積む必要もあります。

 

最初のうちはうまくできないかもしれませんが、そこで叱ったり失望感を表明したりしてはいけません。むしろ子どもの努力を認めるような言葉や、励ましの言葉をかけるようにする必要があります。「この前よりもうまくできるようになってきてるじゃない。もうちょっとでできるようになるわね」などという言葉をかけていくことが大事なのです。

 

努力していることが認められ、励ましの言葉をかけられていると、子どもは自分の中に自信を育てていくことができます。自分の中に自信を持つことができれば自己肯定感を感じることができるようになり、しっかりと自己主張を行ったり拒否すべき時にきちんと拒否の意思表示をすることができるようになります。

 

このように、子どもがいじめにあっているような時、「嫌なことは嫌だとはっきり言わないからいじめられるのよ」などと言うような人がいますが、これは逆効果です。

 

もともとそれができないからこそいじめのターゲットになっているのですから、言われた子どもはどうしようもなくなり、追い詰められたように感じてしまうでしょう。むしろ子どもが感じている辛さ苦しさを認め、理解を示してあげることがものすごく重要なのです。

 

子どもが教師とうまくいくようにこんな工夫を

子どもが学校に行きたくないという場合、担任の教師との関係があまりよくないという可能性もあり得ます。社会にはさまざまな性格の人がいるだけでなく、人と人との関係を考える時には相性というものがあることも考慮にいれなければなりません。したがって、他の人にはよい教師であっても、自分の子どもにとっては合わなかったり苦手に感じてしまうということは十分にあり得ることです。

 

親も子どもも学校の担任を選ぶことはできません。学年が変わるたびにどういった人が担任の先生になるかは全く分かりませんので、どんな人が担任になっても大丈夫なように、広く人間関係を作り上げることができるような子どもに育てておくことが大事になってきます。

 

これは学校だけに収まる話ではありません。その子どもの一生を左右する事柄です。というのも、社会の中で生きていく限り、どういった仕事に就いた場合でも、どんなふうに生きていく場合であっても、他人のお世話になったり逆に他人を世話したりという人間関係が生じることは避けることができないからです。

 

人間関係をうまく築けず社会に出てからも苦労しないように、子どものころからうまく人間関係を築けるようにトレーニングを積んでいくということが大切なわけです。

 

では具体的にどうすればいいからですが、まずは幼いころから多くの人に触れあえるような機会を作ってあげることです。まだ小学校に通う前の子どもであれば、近所にある児童館や公園といったところに遊びに行ってみたり、親戚の人に引き合わせたり、自分の友人の子どもたちと遊ばせる機会を作ってみるといったようなやり方が考えられます。

 

さまざまな立場にあるさまざまな年齢の人と数多く接することにより、人間というものは多種多様な存在であり、子ども自身や両親とは異なるものの見方や言動をするような人もたくさんいるということを学ぶことができます。

 

そうした経験を積むことによって、他人を見る感覚に厚みや幅といったものが生まれ、どういった性格の人が担任になったとしてもどうにかやっていくことができるようになります。

 

初めて接する人とでも気安く話ができ、知らない子どもの輪にもどんどん入っていけるような子どもであれば問題ないのですが、子どもにもさまざまな性格の子どもがいますので、場合によっては自分の子どもが人見知りしやすい子であることもあるでしょう。

 

自分の子どもがそうした特徴を持っていることは親ならば分かっているかもしれませんが、担任の教師がそこのところを理解していない可能性もあり得ます。このため、自分の子どもが人見知りしやすい子どもである場合、担任の教師に早めにそうした性格であることを伝えてみるのも手でしょう。

 

逆に担任となった教師に原因があるような場合。親も子どもも学校の担任を選ぶことができないわけですから、その教師の評判は置いておいて、まずはこの担任はよい先生だ、というふうに思うようにすることが先決です。

 

よくその教師の評判を気にする人がいますが、評判だけで評価を下すと評価を誤ることもあります。最初は、人間誰しも何かしらいいところはあるはずと信じることで、その教師のいいところを探すように親の方も努力すべきでしょう。

 

その上で、見つけたいいところについて、子どもの目の前で教師のことを褒めるようにし、批判したり、悪く言ったりするようなことは控えて下さい。心理学の分野でも言われていますが、人間は相手から好かれているとその人を好いていくという傾向があります。ですから、子どもが先生を好きだと感じていれば、先生の方もその子どもを好きになり、いい関係を築くことができやすくなります。

 

しかし、不幸なことに、どうひいき目に見ても問題があると言わざるを得ない教師に当たる可能性もゼロではありません。こういう場合の対象法としては、まずは自分たちだけがたいへんな思いをしているのではないということを思い出すことです。それほど問題を抱えた人物であれば、他の子どもたちや親たちも多かれ少なかれ同じような問題を抱えているはずです。

 

いきなり単身学校に乗り込んだりするのは避け、まずは親たちでよく話し合い、必要そうだとなった時にはより上の責任者(校長、教頭、学年主任など)に相談を持ちかけるのがベターです。言うまでもありませんが、騒ぎを大きくして問題がこじれるようなことがないように十分注意を払いましょう。

 

転校しなければならない時の対象法あれこれ

会社勤めなどをしていると、時に転勤しなければならなくなるような場合があります。その場合に子どもがいれば、子どもは転校をせざるを得なくなるわけですが、それは子どもにとってもさまざまな点で大変なことになります。

 

小さいころから住んでいた場所から出て行かなければならない、せっかくできた友だちと別れなければならない、といったようなことがたくさん起きてくるからです。このように、引っ越しや転校にはいろいろと大変なことがつきまといますが、どうしても避けられないものであることも確かですから、子どものためにもある程度前向きに捉えてみるというのも大事なことです。

 

子どもが割合楽天的な性格である場合はそんなに問題ではありません。「別に外国に行くってわけでもないしね」などという感じで、親も引っ越すのを楽しみにしている、といったような形で子どもに示すようにするといいでしょう。

 

一方、子どもがものごとを心配しがちな性格である場合にはそれなりの配慮が必要になってきます。というのも、そういった子どもであればあるほど新しい学校で友だちを作れるか心配になったり、転校先でいじめられたらどうしようと悩んだりする場合があるからです。

 

こういった場合には、「何があっても私たちがついてるからね」と安心させてあげることも確かに大切なのですが、それだけでは安心しきれない、といった子どももいるかもしれません。

 

ものごとを不安に感じるのは、対象のことがよく分からないことも原因の一つになります。このため、少しでも不安を解消できるように、引っ越し先がどういったところなのか、ということを子どもと一緒に調べてみるといいでしょう。

 

例えば、引っ越し先の出身者で誰もが名前を聞いたことがあるような有名人について調べたり、その土地で開かれる有名なお祭りなどについて調べてみて、引っ越し前に前もって知識を仕入れておくわけです。

 

例えばお父さんが愛媛に転勤になり、家族みんなで引っ越しをすることになったとしましょう。愛媛出身の有名人といえば、例えば正岡子規などはどうでしょうか。何年前ぐらいの人で、愛媛県のどこで産まれ、どんな一生を送った人なのか、作った俳句にはどんなものがあるのか、というようなことを調べてみるといいでしょう。

 

子どもがまだ小さくて自分で調べるやり方を知らない場合、図書館に連れて行って一緒に調べるのもいいでしょう。ものを調べる時にはこうやってやるんだよ、ということも教えることができて一石二鳥です。

 

正岡子規はたくさん俳句を残していますし、俳句は短くて覚えやすいものですから、気に入った句をひとつふたつ覚えてみるのも面白いでしょう。これは別段何かに使おうというようなものではなく、子どもが転校する際の不安を減らし、少しは知っていることもあるぞと自信を感じることができるようにするためです。

 

この他にも、引っ越し先の特産品にはどんなものがあるのか、引っ越し先は都道府県の中でどのあたりに位置しているのか、といったことを、興味の向くままいろいろと調べてみてもいいでしょう。そんなふうにしているうちに、引っ越し先に行くのがいまから楽しみになってくるはずです。

 

さらに大事なこととして、両親が引っ越し先に行くのが楽しみだ、という態度を子どもの前で取ってみせることがあります。子どもはよかれ悪しかれ親の反応に大きな影響を受けるものですから、両親がものすごく楽しみだというような様子を見せていれば、子どももつられて楽しみに感じ始めるものです。「新しくできる友だちはどんな人かしらね?」といったように、親のほうも新たな土地で友人を作るように積極的に動いてみせるといいでしょう。

 

見知らぬ土地への転勤と引っ越しともなれば、大人であっても憂鬱に感じがちです。しかし憂鬱になろうがどうしようが結局は行かねばならないのですから、せめて楽しく引っ越しができるようにポジティブに捉えて行動する方がベターであるのは言うまでもありません。

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