思いやり深く子どもを育てれば親の人生も豊かになる
近ごろは、街頭で呼びかけが行われている有名な募金の他にも、スーパーマーケットやコンビニエンスストア、レストランや喫茶店などにもレジ脇に募金箱が置かれているのを見かけることが普通になってきたように思います。
そういった募金活動や募金箱といったものを目にすることで、子どもたちはともすれば見落としがちな社会的弱者がいるのだということを知ったり、わずかな金額であれ、そういった弱者に思いを馳せて募金をすることが非常に大切であるということを身をもって知る機会を得ることができます。そして子どもを思いやりある人物に育てることで、最終的に親の人生も豊かになります。どういうことなのか見ていきましょう。
「いい人」に育った子どもは人間関係に恵まれる
人間が生きていく上では、普段の生活の中に隠れている美しさを感じ取れる精神と、他人のことに同情し、少しでもいいので何か手助けしようという思いやりの精神の2つを持っていると人生を豊かにおくることができると言われます。このうち思いやりの心というのは最近ではあまり見られなくなってきましたが、これは子どもにとっても大人にとっても人生を彩り豊かにするものではないかと思います。
自分の子どもの頭をよくしたい、あるいは、子どもによりよい環境を与えてあげたいという考えはすばらしいものですが、視点を変えると少し贅沢な考えであるとも言えます。と言うのも、世界には一日1ドル以下で生活している人が数多くいるだけでなく、同じ子どもでも勉強するどころか毎日きつい労働をしないと暮らしていけないような貧しい家庭がたくさんあるからです。
予防接種を一本受けるだけで助かったはずの小さな子どもが毎日どこかで死んでいますし、戦争やテロ、災害などによって明日はどうなるか分からない、といった暮らしをしている人も大勢います。
そう考えれば、頭をよくしたいであるとかよりよい環境を、というようなことを言える時点で恵まれた環境にいるわけです。そうした環境で育つ子どもたちにこそ、自分より不遇な人の不幸を思いやることができ、わずかでもいいので何か手助けできないかと考える優しい子どもに育って欲しいものです。
現代は競争が激しい社会であり、いわゆる「いい人」というだけではうまく生き抜いていけない、という点も確かに事実かと思います。こういう世の中では「いい人」はどこか悪いイメージを持って語られることさえあるわけですが、それでも人間関係や社会は損か得かという物差しだけで成り立っているものではありません。
例えば、一流といわれる大学に見事合格し、いわゆる「大企業」と呼ばれるところに就職し、そのままずっとうまく立ち回ってライバルを退け、どんどんと出世しているような人を考えてみましょう。周囲の人たちは誰しも、この人に従っていれば間違いないと考えてすり寄ってくるでしょう。ですが、いったん何かあって左遷されてしまったり、定年で仕事から退いたときにどうなるでしょうか。
気づいたら周囲には誰もいなかった、などということになってしまうことが多々あります。会社を辞めた年からお歳暮も年賀状も届かなくなった、というようなことはままありますが、まさにこういったことを表している事例ではないでしょうか。
これが逆に「いい人」と言われる人であれば、その人に何かあったときでも周りの人たちがその人を助けてくれるでしょう。ましてや、利害が絡まない間柄になったからといって付き合いすらなくなる、というような心配はありません。「いい人」はいい人間関係に恵まれますし、見捨てられることもないのです。
募金は手軽に子どもの思いやりを育てることができる
このように、自分の子どもが思いやりの心を持った子どもに育って欲しい場合、自分よりも不遇な人のためにわずかなりと寄付をするという行為は一番手軽で、また身近な機会を捉えてそれを行うことができます。
いま身の回りにおいて一番よく目にする募金の機会と言えば、おそらくスーパーマーケットやコンビニエンスストアのレジの脇に設置してあるような中身が見える募金箱ではないかと思います。ほとんどの場合、そうした募金箱には一円玉や五円玉、十円玉などの少額貨幣が入っているかと思います。しかしときおり千円や五千円といった紙幣が入っているのも目にします。
さて、子どもを連れているときにそういった紙幣入りの募金箱に出くわした際、「まあ、もったいない」などと言ったりしていないでしょうか。もしくは、子どもが募金箱を見て「ボクも募金するんだ!」と言い出した時、「そんなのいいから早く来なさい!」などと、子どもの感心な思いを頭ごなしに否定したりしていないでしょうか。
実際にはどこにも寄付をしないにも関わらず寄付を募り、集まったお金を懐に入れてしまうような詐欺集団が現れたり、実は宗教団体が自分の資金集めのために募金まがいのことをしていたりするなど、よく注意していないと自分の善意すらどこで何に利用されてしまうか分からないような嫌な時代です。そのような怪しい寄付集めもある昨今ですから、自分のお金がどこに行くか分からない寄付には抵抗があるという方もあるかもしれません。
そういう場合は、例えば数千円程度寄付をすることによって、戦争の犠牲となり難民になった子どもたちや、開発途上国の恵まれない子どもたちの里親になれるといったような、国際ボランティア基金が行っているプロジェクトもあります。そういったものに目を向けてみてはどうでしょうか。
子どもが玩具を欲しがったときに、たまにはその玩具をあきらめる代わりに同額を寄付してみるのです。それだけのお金があれば、学校に行けずにいた子どもたちに勉強の機会を与えることができたり、命を救うためのワクチン何本分かの資金になったりします。こういった寄付行為を通して、不遇な人々に対する思いやりを育むことは、今後の子どもの人生に必ず資すると思われます。
最近は「自己責任」という言葉がよく言われ、不遇な環境にある人などどうでもいい、それはその人の責任だろう、という考えを持っている人もあるかもしれませんが、それは今現在自分が若く健康で、何の問題もなく生計を立てられているからこそ言える言葉です。
年齢を重ねて働けなくなったり、例えば暴走運転の車にはねられるなど自分に全く過失はないのに大けがをすることもないとは言えません。一寸先は闇とも言い、いつ何どき自分も不遇な環境に身を置くことになるか分からないのです。
そういったときに自分の子どもが「そんなの関係ない」という考え方しかできない大人に育っていたらどうでしょうか。子どもが思いやりの心を持つように育てることは、巡り巡って親にもよい人生を保証してくれると思うのです。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/11/05|タグ:思いやり