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子どもをまるごと受け容れる愛情で芯の強い人間を育もう

親子愛

自分の子どものすべてを無条件に受容するということは、その子どものありのままの姿を受け止め、そのままでかまわないのだというふうに認めるということです。そうすることにより、子どもが明るく芯の強い人間に育っていくための基礎が生まれてきます。具体的にどのようにすればいいのかについて見ていきましょう。

 

しょげている子どもには共感を示すことが大事

子どものありのままを受け容れるということは、言い換えれば、子どもが話してくることはどんなことでもきちんと耳を傾けるということになります。子どもの話の中身によって態度を変えたのでは「無条件」とは言えないからです。子どもがどんな話をしたとしても、否定せず、批判せず、関心を持って話を聞くことが大事になってきます。

 

子どもが遊びから帰ってきた時にひどくしょげていたとしましょう。どうやら友だちとひどいケンカになってしまった様子ですが、そんな時にどんな言葉をかけるでしょうか。「また~ちゃんとケンカしたの? おおかた、またあなたがわがまま言ったんでしょう? 友だちにわがまま放題言っちゃダメだって前に言ったわよね?」といったように、子どもの痛いところをことさらに刺激したり落ち込みに拍車をかけるような言葉をかけていないでしょうか。

 

友だちとひどいケンカになってしまったことで、子どもはかなり落ち込んでいる状態です。そこに親まで厳しい言葉をかけていたら、子どもはますます落ち込んでしまいます。こういう場面でまずもって必要なのは、子どもが感じている辛さや悲しみといったものに共感を示すような言葉なのです。

 

「~ちゃんとケンカになっちゃったのね、悲しかったでしょう」と親に言ってもらうだけで、子どもは親に対して心を開いてくれます。そうすれば、何がどうなってケンカになってしまったのか、といったことも、子どもは素直に話してくれるはずです。さらに、次からはどうすればケンカしないで行動できるのか、といったことを親が助言したとしても、素直に話を聞く気分になってくれます。

 

これに対して、親も同じように叱りつけていたのでは、子どもは親に対して心を開いてくれなくなります。親の言うことに反発を覚えたり、自分のことを分かってくれないと感じるようになったりするため、よかれと思ってした助言にも耳を貸さなくなってしまうでしょう。親が子どもに対して批判的な態度で臨めば、子どもは心を閉ざして距離を置いてしまい、今度は何でも話をするということがなくなってしまいます。話したら叱られてしまうような話題は極力持ち出さないようになり、親が気に入るような内容の話しかしなくなってしまいます。

 

このように、子どもが落ち込んでいるような時には、親としてはさらに叱って追い打ちをかけるようなことをせず、どうして叱られてしまったのかということをきちんと話題にした上で、子どもが感じている辛さや悲しさといった感情に共感を示すことが大事になってきます。その上で、たいへんだったことをちゃんと話してくれたのですから、そのことをきちんと褒めることも大切になります。

 

親と子どもの間で交わされるこうした感情面でのやりとりは非常に重要であり、それによって親と子どもの間のよい関係が築かれてきます。ああしろこうしろと指図したり叱ったりするばかりが親の役割ではありません。むしろ、子どもの感情に寄り添い、子ども自身が持っている伸びる力を信頼してそれを表明することこそ大事なのです。そうすれば、子どもはその潜在能力をきちんと呼び起こしてすくすくと伸びていってくれることでしょう。

 

子どもの価値を認める言動が成長を促す

人間が健康を保ち、日々身体を成長させて行くには、身体を作るための栄養を食べ物という形で摂取しなければなりません。しかし、それだけでちゃんとした成長を遂げることは不可能です。食べ物を食べ、身体に栄養を与えただけでは足りないのです。精神を健康に成長させるためには心にも栄養を与えることが必要です。

 

心に必要な栄養とは、自分以外の人からなされる自分の価値を認めてくれるような、言葉や身振りによる働きかけです。こうした働きかけは「肯定的ストローク」と呼ばれることもあります。「ストローク」という言葉は、もともとは水泳で腕で水をかく動作のことであったり、テニスや卓球、ゴルフなどで球を打つことを意味する言葉です。また別の意味として、なでる、さする、なだめるといったものもあります。

 

「肯定的ストローク」という表現をしたことからも分かるように、ストロークには「否定的ストローク」も存在します。肯定的ストロークは受けた相手が快適な気持ちになるような働きかけのことで、言葉としては、褒める、挨拶する、励ましの言葉をかける、声かけをする、感謝の言葉をかけるなどがあります。また動作としては、なでる、愛撫する、握手する、抱きしめるといったもの、いわゆるスキンシップといわれるようなものの他、微笑みかける、頷いてみせるといったようなものが含まれます。

 

肯定的ストロークの一例として相づちを見てみると、誰かと話をしているときにきちんと相づちをうつのは肯定的ストロークです。試してみると分かりますが、誰かと会話をしているときに何の相づちもない状態だと非常に話しづらく、自分の話が果たして相手に聞いてもらえているのか不安になってきます。このため、誰かが話しているときに適宜相づちを打つようにするのは大変重要な意味を持ちます。

 

また、誰かが自分のために何かをしてくれた時、「ありがとう」とお礼を言うかと思いますが、この言葉も相手に対して自分が感謝しているということを伝えるための肯定的ストロークです。相手に対して感謝していると伝えることにより、相手の価値を認めているというシグナルを送っていることになるわけです。

 

一方で「否定的ストローク」は、注意する、反対する、忠告する、叱責する、といったような働きかけのことです。否定的ストロークは相手にマイナスのメッセージを伝えるものであり、受け手は不快感や苦痛を感じ、事故価値観を傷つけ、自信を失わせてしまう効果があります。

 

従って、親が子どもに働きかけをするときには肯定的ストロークを増やし、否定的ストロークを極力使わないということが大事です。子どものことを受容し、その存在を認めてやり、優れている点やよい面をきちんと褒めるなどすることにより、子どもの健全な成長を促すことができるようになります。

 

「できた!」で自己肯定感を育てよう

友だちどうしで話し合い、違った意見をぶつけ合うということが苦手な子どもが増加しているとされています。原因にはさまざまなものが考えられますが、そのうちの1つに、自分以外の人に対して恐怖心があるということがあげられます。友だちという間柄でありながら、互いに対する信頼感が欠如しているのです。

 

お互いの間に信頼感が醸成されている間柄であれば、そこで違った意見をぶつけ合ったとしても、相手は自分を認めてくれるはずだと感じることができます。いわゆる「話せば分かる」という関係です。そのように感じている相手とであれば、腹を割って率直に話し合いができるはずなのです。

 

こうした傾向は子どもばかりでなく親の間でも見られます。いわゆる「公園デビュー」をすることに不安を感じるという人が、若い母親たちの間で増加しているというのです。こういった傾向の原因の1つとして、自分という存在を肯定的に受け容れる感情を子どものころに培うことができなかったという背景があるものと思われます。

 

自分を肯定的に受け容れる感情は「自己肯定感」などと呼ばれることもあります。自己肯定感が確立されていない人の場合、まず自分自身に対して自信を持つことができません。自分に自信がなければ自分の言葉にも自信が持てませんし、他の人の評価がものすごく気になってしまうようになります。自分が言ったこと、したことによって馬鹿にされたり笑われたりしたらどうしようとびくつきながらすごさねばならず、もし他人から低い評価をされてしまったらものすごく傷ついて落ち込んでしまうようになります。

 

幼いころから周囲の子どもたちと比較され、他の子にできるならうちもできるはず、と競争させられ、学校に上がってからはいつもテストの点数や偏差値で他の子と比べられる……こうした生活を長年送ってきていれば、他の人の評価が気になるようになってしまうのはある意味当然です。自分自身の価値を評価する尺度がどうしても他人からの評価、ということになってしまうのです。

 

こういった状態では、自分はこれこれこういう人間である、というふうに、他人の評価によらずに自分を肯定できるような考え方が育まれることはありません。それによって自信が持てない人間になってしまい、自己肯定感も確立できずに大人になってしまいます。そして、自分をさらけ出した時に他人にどのように評価されるかを考えると不安になる、という人間になってしまう傾向が高いとされています。

 

自己肯定感は子どものうちに育て、確立できることにこしたことはありません。自己肯定感を伸ばすためには、何らかの目標を自ら設定し、それに対して努力を傾け、最終的に目標を成し遂げたというような経験をいくつも積むことが必要になってきます。

 

しかしながら、学校には時間その他に余裕がなく、子どもの自己肯定感を高めるような教育を施すことが難しいというのが現状です。子どもが目標を達成するまで励ましながら時間をかけて待つことができないのです。このため、家庭において親がそうした役割を担うことが大事になってきます。

 

では、子どもの自己肯定感を育てるためにどんなことをすればいいかを見ていきましょう。自己肯定感を育むために大事なのは、何でもいいので「できた!」「やった!」といったような経験をたくさん積ませてあげるようにすることです。小さなうちはどんな簡単なことでもかまいませんが、小学校に上がったならば少しハードルを上げてやって、難易度が少々高いものの頑張ってやれば可能そうなことにチャレンジさせてみるようにするといいでしょう。例えばそれなりの分量がある本を一冊読破する、といったものでもいいですし、毎日何かお手伝いをする、といったようなことでもかまいません。

 

学校のテストはマルかバツしかなく答えは必ず1つ決まったものがあるわけですが、社会を渡っていく時に答えが1つしかないということはありません。人間の数だけものの考え方が存在しており、価値観も生きざまも人それぞれのものがあります。どれが正しくどれが間違いといったことはないのです。そういった考え方を忘れずに子どもを育てることができれば、子育てをする際に親が不安にさいなまれることも減っていくと思われますし、育てられる子どもの側にとってもいい影響を与えるのではないかと思われます。

 

幼い子どもは愛情で包まれることが大切

親が子どもに注ぐ必要のある愛情には2つの種類があると言われています。1つは優しさや暖かさをはらんだ「包み込む愛」で、もう1つは厳しさをはらんだ「切り離す愛」です。このうち「包み込む愛」は情緒的な愛情で、母性的な愛などと言われることもあります。家族個人個人を無条件に受容し、安らがせくつろがせるような愛情のことです。もう一方の「切り離す愛」は論理的な性質をはらむもので、きまりごとや義務、役割といったものを教えるような愛情のことであり、父性的な愛などと言われることもあります。これら2つはいずれも非常に大事なものとなってきます。

 

包み込む愛が母性的な愛、切り離す愛が父性的な愛と紹介しましたが、人間には性別に関わらず母性や父性が備わっていますから、片親しかいない家庭であってもこれら2つの愛を子どもに注ぐことはできます。さらには、母親は母性的な愛を与え、父親が父性的な愛を与えるとも限りません。家庭によっては役割が逆になっているような場合もあるかもしれません。

 

母性的な「包み込む愛」の考え方に立つと、家族はすべからく等しく扱われます。働きに出ている父親も、家で家事をする母親も、学校に通っている上の兄姉も、保育園や家で遊んでいる弟妹も、みなすべからく一緒の立場です。子どもたちは働いていないからご飯を食べられない、というようなことはありませんし、家族の間で人の持ち物を勝手に取って使ってしまったとしても、ちゃんと相手に謝るだけで放免になります。

 

一方で、スーパーの棚に並んでいるお菓子を勝手に食べてしまったとしたら、万引きということで犯罪行為になってしまいます。一歩家庭を出れば、法律や社会的常識といったルールが存在しており、それに従わなければならないからです。父性的な「切り離す愛」は論理的な性質を持ち、こういった社会のルールといったものを子どもに教えることになります。

 

母性的な包み込む愛と父性的な切り離す愛は、どちらか片方だけを与えるようなことがあるべきではありません。どちらも釣り合いが取れた状態で子どもに与えられるのが理想ですが、さらに重要なポイントとして、どういった順番で与えられるかというものがあります。

 

子どもがまだ幼いころ、いわゆる幼児と呼ばれる時期においては、まずは包み込む愛を中心として子どもに愛を注ぐべきです。子どものことを無条件に受け容れ、安らぎやくつろぎを感じさせてあげることがこの時期には重要なのです。そうすることで、親と子の間に愛情や信頼感を育み、それらに立脚した強いつながりを醸成することが大事になってきます。

 

子どもが少し大きくなり、幼児期を卒業するころになったら、切り離す愛の世界であるところの社会的なきまりごとや法律、ルールといった論理的なものごとを教えていくようにします。この、「包み込む愛→切り離す愛」という順番を逆にしてしまってはいけません。最悪の場合、その子どもの一生に悪い影響を及ぼしかねないとも考えられています。

 

子どもを対象としたある調査によれば、自分のことを好きかどうか子どもに尋ねたところ、ほとんどの子どもが自分を嫌っているという結果が出たそうです。これは、自分の性格に嫌いなところがあって、それをなんとかして直そうと努力している、といったようなこととはわけが違います。自分の一部分が嫌いというわけではなく、自分という存在そのものが嫌いという言い方をするというのです。

 

子どもがこんなふうに感じてしまう原因は、包み込む愛を十分に与えられていないためです。そうした子どもたちは自分のことを無条件に受容してもらった経験がありません。子どもは、ありのままの自分を親に受け容れてもらえなかったことにより、自己肯定感を抱くことができなくなってしまいます。自分を肯定的に捉える感覚が育っていないわけですから、結果として自分を嫌いになってしまうわけです。親との間で安らぎやくつろぎを感じた経験に乏しいこうした子どもたちは、生きる力の土台となる部分をなくしてしまうことになります。

 

最近、子どもを持つ母親の間に、子どもがいるせいで自己実現が遠のいてしまうだけでなく、子どもがちっとも自分の思い通りに行動してくれないため、育児というものを嫌がるような傾向が見られると言われています。また、最近育児の現場でよく見られる傾向として、子どもをありのままに受容する包み込む愛情が軽視され、親が自分の思い通りに子どもを仕立てようと切り離す愛情のスタンスでばかり子どもに接していることが多くなっているように思えます。

 

親から無条件の受容を得られない子どもたちは自己肯定感を形成することができず、それによって最近子どもたちに起きているいろいろなトラブルの源泉になってきています。自分の子どもをありのままに受け容れ、包み込む愛情を十分に示してあげているかどうか、一度立ち止まって見直してみるべきでしょう。仮に愛情が不足していると感じたのであれば、今すぐにでもそうした愛情を子どもに与えるようにすべきです。包み込む愛情は注ぐのに遅すぎるということはけっしてないからです。

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