知ったかぶりする子は敬遠されがち?
知識がある人と教養がある人というのは同じようでいて大きな差があります。そして知識「だけ」しか持っていない人は時に周囲から煙たがられ、馬鹿にされることすらあります。子どもがそんな「知ったかぶり」になってしまわないために、2つの違いについて見てきましょう。
教養のある人とはどんな人か
人間の生き方は、趣味を持ち教養を得ることによって豊かで幸福になります。ところで、この「教養」を持った人とはどういった人物を指すのでしょうか。
「教養を持った人」=「いろいろなことを広く知っている人」でしょうか。確かにこれは言えているかもしれません。知識と教養とは深く関係しており、バラバラに切り離すことはできないからです。知識が無いのに教養がある、といった状態が思い描けないことを考えればこれはおわかり頂けるかと思います。しかし、知識があればすなわち教養があると言えるのかというと、そうすんなり行くものでもありません。
Webなどの情報網が発達した昨今では、「知識」を身につけるのは昔よりも容易になっています。何時間もネットサーフィンをしたり、毎日TVを何時間も見るようにしていれば、現在の各国情勢や人間がなかなか行くことのできない神秘的な土地の様子、あるいは過去の偉大な人物の半生など、さまざまな知識を身につけることができるようになりました。
モーツァルトの楽曲をオーケストラが奏でるのを生で聴いたことはなくても、モーツァルトがどのように生きたかということを知識で知っている、ということはそれほど難しいことではなくなっているわけですが、では、こういった人を教養があると言うでしょうか。
教養がある人というのは、知識を持っていることは当然として、その知識を裏打ちするための豊かな経験を持っている人のことです。ですから、この例であればモーツァルトについての知識を持っていて、さらには音楽を実際に聴いた経験があり、それについて自分の意見を述べることができるような人が教養がある人ということになります。さらには自分で楽曲を演奏できれば最高でしょう。
知ったかぶりする人は馬鹿にされやすい
このように、「知識がある」ことと「教養がある」ことは似て非なることなのですが、最近では特に学歴の高い人の間でこの2つをごちゃ混ぜに理解している人が多いように思えます。
そういった人ほど、何かを知っている、とは言えても実際にはそれについての体験を積んだことがないということが多いものです。たとえば、モツ煮込みという料理を作るやり方はWebやTV番組などで知っている一方で、実際に自分で作ったことは一度もない、あるいは一度も食べたこともない、というようなものです。
確かに、いろいろなことを知っていて、そうした知識をよく引き合いに出す人は物知りな人として一目置かれるようになるかもしれません。しかしそうした見方も、その人はただ知っているだけで、実際に何かができるわけではない、ということが知られてしまうまでです。
そうなったとき、その人は「物知りな人」ではなくうんちく屋、知ったかぶりをする人、といったレッテルを貼られるようになり、だんだんと遠ざけられるようになるでしょう。
そんな「物知りな人」が、自分には知識に見合うだけの経験がなく、そうした経験を積むことが必要だと気がつくことができればいいのですが、周りから知ったかぶりだと思われるようになると、そのような気づきを得る機会はどんどん減ってしまいます。
というのも、得てして世の中の人は、知ったかぶりをする人をどこかでバカにし、また言い始めたよ、というような扱いをすることが多いからです。よほど親しい人でもなければ、そのことを実際にやってみたことはあるのか、などとつっこんだりはしません。
このようにして、知識だけで経験を積んでこなかった人は、その知識を披露するたびに周りから密かに馬鹿にされて孤立し、経験を積むためのきっかけも得られず、ますます知識だけもっているつまらない人物と化していく、という悪循環が起きるようになります。
こういったリスクは男子・女子に関係なくどんな人にも起きうることです。ただ、男子の場合はそういった人はうんちく王などと呼ばれて馬鹿にされないこともたまにありますが、女子の場合はあまりそういうことはないようで、たいていは人が周りから離れていくようになってしまうようです。
両親の学歴が高いほど、子どもにもたくさんの知識を与えることは大事だと考えがちです。しかし、自分の経験に基づかない知識をひけらかすだけの子どもは周囲から馬鹿にされる可能性が高くなる、というリスクを常に頭に入れておきたいものです。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/06/01|タグ:教養