美しさへの感性を持つ子どもは絶望しにくい
人間生きていく上ではいろんな障害に突き当たるものです。仕事で失敗した、病気にかかった、家庭内で問題が持ち上がった、など、今まさにこの時にもそうした障害に直面していたり、悩みを抱えているような人もあるのではないでしょうか。程度の差こそあれ、子どももこうした悩みを持つものです。大人の目から見ると些細にうつるようなものごとに関する悩みかもしれませんが、子どもにとっては大きな悩みです。そういった時に子どもが自分やその人生に絶望してしまったりしないようにするためにはどうすればいいのでしょうか。
子どもはちょっとしたことでも大きな障害と感じがちである
年を重ねるほど、人は障害を乗り越える力を身につけていくようになります。年齢とともにいろいろな体験を重ね、そこから教訓や方策を見いだすことができるようになっているために、以前は障害に見えていたものでもすんなり切り抜けることができるようになるためです。対して、子どもはそうした体験の絶対量が少ないため、ほんのちょっとしたことをさも大きな障害であるかのように捉えがちで、わりあいすぐにもうダメだと感じ、落ち込んでしまうことがあります。
近ごろ、自殺で命を落とす子どもが増加しています。孤独なままに自殺してしまう子どもがいる一方で、Webなどで知り合った見知らぬ人と集団で自殺するようなケースも起きてきています。確かに昔から子どもであっても自殺する人はいたわけですが、最近の増加傾向は明らかに問題です。
子どもは体験の量が少なく、大人よりも狭い世界に生きています。学校と家の行き帰りを基軸にして、その周辺にある空間や人間関係で世界が構成されているといっても過言ではありません。そのため、大人の視点で眺めたときには取るに足らないようなことであっても、すぐにもうダメだと思いがちになります。
人生の中で積んできた経験が少ないために、取るに足らないようなことも大きな障害に見えてしまうのです。いろんな山に何度も登山で行ったことのある人ならばハイキングコースのように感じられる程度の低い山でも、初めて登山をした子どもにとってはものすごく高く感じられ、もうこれ以上は無理だ、と座り込んでしまうのと同じようなものです。
小さいころに障害に突きあたりそこでもうダメだと感じた子どもが、そこから数年成長してから「なんであんなことで深刻に悩んでしまったんだろう」とおかしくなる、ということはままあることです。しかしそれは成長したからこそ得られる視点であり、最初にダメだと感じた時点ではすることのできない感じ方なのです。このため、ダメだと感じた時点で(はたから見れば)あっさりと自殺してしまうのかもしれません。
とはいえ、すべての子どもがもうダメだと感じたからといって自殺しようと感じるわけではありません。であれば、あっさり自殺してしまう子どもとそうでない子どもの間にも何か違いがあるはずです。
ダメだと感じたときに簡単に自殺を選んでしまう子どもと、ダメだと感じながらも自殺をしようとは思わない子ども、その二者を分ける違いは「感動できるような美しさ」に数多く出合ったことがあるかどうかにあるのではないかという考えがあります。
たとえば、ちょっとした行き違いから友だちとの仲がまずくなり、口をきいてもらえなくなったとしましょう。大人であればそんなことよくあることだと流せるかもしれませんが、子どもの場合は深刻に捉えて落ち込んでしまい、登校しようという気さえなくしてしまうことがあります。
こういった時に美しい夕焼けが見えていたとしましょう。その美しさに感動できる感性が育っていれば、今悩んでいた悩みごとから一瞬解放されてその光景に見入ることができます。あるいは、自宅で美しい音楽や絵画などに触れ、美しさに感動するということでもいいでしょう。
美しい自然や優れた芸術というものは、人間に大きな喜びを与えてくれます。そういった体験を数多くすることで、子どもは生きていくのもそんなに捨てたものじゃない、というような希望を培っていくことができると考えられます。そうした美しいものを美しいと感じることができる感性、そうしたものを見つけることができる気づきの心といった能力は、楽しく人生を送るためのベースとなるものです。
将来のために頑張って勉強に励むのは悪いことではありません。ただ、自然にせよ芸術にせよ美しいものに接し、その美しさに感動を覚えることができる感性を育てることができなかった場合、自分の人生を味わい尽くすための力が低減します。
そういった感性を持つことができなかった子どもは、生きていく上で障害(と感じるもの)に突き当たったときそこにどっぷりとはまり込んでしまい、少し目を転じてみるという余裕を得ることができません。いっぱいいっぱいで生きているからこそ、ちょっとしたことに絶望して自殺に走ってしまうのかもしれません。
子どもに美しさへの感性を磨かせよう
子どもに美しいものに対する感性を身につけさせるためには、まずは親が子どもの目を「美しいもの」に向けてやることが大事になってきます。ただしそれは、たとえば有名な芸術家の作品集を買い与えるというようなことではありません。それでは教科書や参考書が作品集に置き換えられただけで、子どもの心に美しいものに対する感性を育てる役にはたちません。
親がすべきことは、普段から家で美しい音楽をかけたり、親本人がそうした作品集を見て楽しむなどして、子どもに模範を示すことです。そうすることで、子どもの周囲に常に美しいものがあるようにしてあげることが大事になってきます。
「子どもの周囲に常に美しいものがあるように」と言っても、何も芸術家の作品ばかりが美しいものというわけでもありません。例えば散歩中に見つけた花の美しさを一緒に愛でる、あるいは夕焼けで染まった空のグラデーションを一緒に眺める、といったことでも構いません。大事なのは、子どもが周囲の世界に美しいものがたくさんあるのだという見方をできるように導くことです。
そういったものの見方ができるようになれば、子どもは親が導かなくても自力で美しいものを見つけることができるようになっていきます。そうなれば、今度は逆に子どもの方から親に美しいものを示してくれるような行動が増えてくるでしょう。
このとき、子どもが感動を覚えそうやって示してきたものに対し、一緒になって感動を示してあげることが大事になってきます。そうやって共感を示されることによって、子どもは美しいものをさがそうという感性をさらに磨いていくことができます。
自分の周囲にはそのような美しさがたくさんあふれていることを知っている子ども、そして、そうした美しさを自分自信の力で見つけることができるような子どもは、障害に突き当たりもうダメだと感じたときでもそうした絶望感から目を離し、美しいものに感動することで心を癒やすことができます。
さらに言えば、そうした感性を持っている子どもはそもそも簡単にもうダメだなどとは考えないようになります。自殺の例は極端だとしても、美しさに対する感性を磨かせてあげることはとても価値あることだと思います。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/08/19|タグ:絶望