人とのかかわり方を学ばせるとコミュニケーション能力が伸びる!
子どもがコミュニケーションの力をつけるには、話す・聞く力が育つとともに、人とのかかわり方についても学ばなければなりません。これにはいろいろなものがあります。初対面の人とのかかわり、目上の人とのかかわり、自分の要求をかなえてもらうためのかかわり…。ここでは、人同士のかかわりを意識させることについて考えてみたいと思います。
子どもの転校は、人とのかかわりに目を向けさせるチャンス!
子どもは一緒に遊びながら、人とのかかわり方を学んでいくものですが、最近の子どもたちは、一緒に遊んでいるようで、実は個々に別のことをしていることが多いようです。例えば、友達の家に遊びに行っても、1人はゲームをし、1人はマンガを読み…といった感じで、一緒の空間にいながらもそれぞれが違ったことをしているようなのです。
「日曜にグラウンドで、サッカーや野球を楽しんでいる子どもたちを見かけるけど?」という疑問もあると思いますが、それはおそらく地域ごとにあるクラブの活動でしょう。最近はそういったクラブに所属する子どもも多く、放課後友達同士で適当に集まって、サッカーや野球をして遊ぶ、というものとは、意味合いが違うように思われます。
そんな最近の子どもたちでも、否応なく人とのかかわり方について考えなければならない状況に置かれることがあります。それは、転校した場合です。全ての子どもが経験することではありませんが、転校は子どもの目を人とのかかわりに向けさせる大きなきっかけとなりうるので、ここで取り上げてみたいと思います。
転校すると、子どもはいきなり全く知らない人間関係の中に、ぽんと入れられることになります。その集団は、すでにある程度の時間をかけて出来上がってしまっているものです。子どもなりに、「どの子がどのように、自分の事を思っているのだろう」と考えながら、生活していくことになります。
転校性に対しての子どもたちの反応はいろいろです。最初から親しく話しかけてくる子。どんな子なのか分かるまでは遠巻きに眺めている子…。そして第一印象と本当の姿とは、違っている場合もあります。始め親しげに話しかけてきた子どもが、慣れてくるとなぜか意地悪をし始めることもあります。最初からからかいの対象として近づいてきたのでしょう。
逆に、遠くから眺めているだけの子だったのに、ちょっと話をしてみたらとても優しくて、気が合うことが分かった、などという場合もあります。ですから、転校してきた子どもは、相手が本当は自分をどう思っているのかを、しっかりと観察しなければならないのです。さもないと、転校してきた子どもはいじめられることにもなりかねないのです。
親切そうな子が実は意地悪だった、冷たいように見えた子が実はとても優しかった、というような経験を積み重ねていくと、フレンドリーに接してくる子に対しても、始めは一応「この子の本当の気持ちはどうなのだろうか」と考えながらつき合うようになります。
転校ということを通して、世の中にはいい人も悪い人もいて、それは第一印象では分からないとか、必ずしも世の中の人みんなと気が合うわけではないとかいうことを、自然に学んでいくのです。
子どもたちの中には、大人が見ているときとそうでないときとで、言動ががらりと変わる子どももいます。そういった態度を見て、その子の真の気持ちを知ることもあるのです。転校という状況は、相手の言動だけを見てどんな人間かをとらえず、真の気持ちを知ることに神経を使わせようとするのです。
転校は、子どもがやむなく、人とのかかわり方について目を向けなければならない状況を作り出しますが、結果として相手をよく観察し、本当のところを見極める力をつけさせてくれるのです。
子どもの大好きなテレビと漫画で、人とのかかわり方を学ばせる!
人とのかかわり方を一気に学べる状況としては、転校生になるというのが手っ取り早いのかもしれませんが、そんな状況がそうそう訪れるわけがありません。だからと言って、人間同士のかかわりについて目を向けなくてもいいかというと、決してそうではないのです。
人間というものについて、そして人間同士のかかわり合いについて興味をもたせるきっかけは、転校だけではありません。子どもたちにとって身近な、本や漫画、テレビ番組からでもいいのです。自分の子どもが面白がって読んでいる漫画や本があったら、それを親であるあなたも読んでみましょう。そしてそれらについての話を、子どもたちとしてみるのです。
「ハリー・ポッター」シリーズは、大ブームとなりましたね。それから、「かいけつゾロリ」シリーズも、子どもたちからの根強い人気を誇っています。これらをはじめとして、子どもたちが好きそうな本を探してみましょう。
自分の子もその本が好きで読んでいるなら、お父さんやお母さんも読んでみて、その本を中心とした話題を、子どもとしてみるのです。
本を読む時間がなかなか取れないなら、テレビ番組を話題の中心としてもいいのです。アニメでもドラマでも構いませんから、子どもが観ている番組を一緒に観てみましょう。そしてそこから見える人間関係について、問いかけてみるのです。例えば、「どうしてこの子はみんなから仲間外れにされたのかな」という風に。
きっと子どもは「この子、いつもみんなに意地悪してたの。だからみんな嫌になっていじめちゃったんだよ。」というように返してくるでしょう。こんな会話から、「どうしてこの人は本当のことを言わないのか?」「この子の本当の気持ちはどんなものだろうか?」など、登場人物の心の裏側や、登場人物同士の関係などに目を向けるようになります。
テレビ番組は何でもいいのです。国民的アニメである「サザエさん」、大人気アニメ「名探偵コナン」、小さな子どもが夢中になる「アンパンマン」…。アニメでなくても、ドラマでもいいでしょう。ドラマになると小学校低学年では理解が困難ですが、中学年、あるいは高学年くらいになれば、ドラマのように人間関係が難しくなるものでも理解できるでしょう。
ドラマを通して、いろいろな人間がいること、人間には表の顔と裏の顔があることなどを知ることができます。子どもがテレビを観ている間、親は別のことをしているということも多いかもしれませんが、ぜひ一緒に観てみてください。そしてその登場人物について「どうしてこの人はこんなことしちゃったんだろう」などと尋ね、子どもに考えさせるのです。
子どもは裏に隠された登場人物の心情には、気付けないかもしれません。でもそれでいいのです。まだわからないのなら、親が説明してあげればよいのです。すると、「人間にはそのような心の働きもあるのか」と理解できるようになってきます。
中学年から高学年ぐらいの年齢になると、自分が好きな本を、親にも薦めてくることがあります。子どもがそう言ってきたら、決して無下にせず、時間をとって読んでみてほしいものです。読み終わったら、その話を中心とした話を、子どもとしてみましょう。「私はこの部分がこうだと思ったから面白かったよ。ここの部分、あなたはどう思う?」という具合に。
実際、子どもが読んでいる本を薦められて、読んでみたら面白かった、という経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。先に述べた「ハリー・ポッター」シリーズなどは、子どもが読んでも大人が読んでも面白いものですよね。子どものおすすめ本は、ぜひ読んでみるべきです。
そして読むだけでなく、その本の内容について子どもと話し合うことができたら、コミュニケーションも深まりますし、子どもがその本を通して、人間というもの、人間同士のかかわりというものについて興味をもつきっかけともなり得るのです。
言葉の使い分けにも注目!そこから見える人と人との関係
大人は、相手によって話し方を変えますね。目上の人などには敬語で話し、友人とは気兼ねのない言葉で話します。幼い子どもはそのようなことはしませんが、幼稚園児や小学校1年生くらいになれば、大人の人に話しかける言葉と友達に話しかける言葉とは、どうやら違うぞと気が付いてきます。
気が付いたとしても、このくらいの年齢の子どもたちが、目上の人に対して敬語で話すようなことは、なかなかありません。友達と話すような言葉で話すことの方が多いことでしょう。これはなぜでしょう。
話かける対象によって言葉を使い分けるには、その時に話す言語を頭の中で操作する必要があります。だから、脳を鍛えるには非常に良い活動と言えるのです。これに関する、興味深い調査報告があります。
アメリカにおいて、知能レベルが低い地域と高い地域とがあり、その詳細について調べたものです。すると、ある地域では相手によって言葉を使い分けず、誰とでも同じ話し方をしており、他のある地域では使い分けていたことが分かりました。そして、言葉を使い分けていた地域の方が高い知能レベルを持っていたという調査結果がでたのです。
この調査からは、言語を操作することができるほど、知能レベルも上がっていくのではないかということが、考えられます。
相手を見て話し言葉を変えるという行為は、意識して行わなければならないものです。特に日本語は、同じ意味でも言い方が複数あるという場合が、とても多いのです。例えば、「自分」と同じ意味の言葉として、「わたし」という言葉もあれば「わたくし」という言葉もある。他にも「僕」や「俺」などもありますね。
こんなに多くの言葉の中から、相手との関係にぴったり合うものをチョイスするわけですから、どんなに知的な能力を必要とするかがお分かりいただけるでしょう。ちなみに、友達と目上の人とで言葉遣いを変えてしゃべる子どもは、学校での成績もよい傾向にあるようです。言葉に意識が向いていなければ、このようなことはできないでしょう。
相手によって言葉を使い分けできるようになると、言葉の使い方がいかに深く人同士の関係にかかわっているかということに気づくことができます。また、大人が言葉の使い分けをしているのを見て、言葉遣いによって相手との親密度も変わってくるようだということも、わかってくるのです。
我が子に、相手に応じてふさわしい言葉遣いをさせたいと考えるなら、日常的に言葉の使い分けを見せておく必要があります。そのためには、お父さんやお母さんがその姿を見せるのが良いでしょう。子どもにとって一番身近である親が、よその人とは言葉遣いを変えつつ話しているのだな、と気づくことから、自分でも使い分けができるようになっていくのです。
ところで、男の子に比べて女の子の方が、相手によって言葉を使い分けることができるようになる年齢が早いと言われています。これは、女の子は自分のお母さんのまねっこが大好きだからとも考えられています。
さて、目上の人といえば、子どもにとって一番近くにいるのは親だということになります。では、親にも敬語で話さなければならないのでしょうか。結論から言えば、親に対しては、親以外の目上の人に話すほどの丁寧さはいらないと言えるでしょう。ただ、友達と全く同じような言葉遣いはどうかと思います。
「この服、洗って」と言ってきた子どもに、「洗っておいてください、でしょう?」と言いなおさせる必要はありません。でも、「おい、これ洗えよ」というような、親を見下したような言い方はさせたくありませんね。形式的な言葉遣いを気にするよりは、その言葉遣いに表れている、親への態度を正した方がよいということです。
話し合いの基本!子どものお願い事は理由付きで言わせよう
何か一つのことを巡って話し合いをすることは、子どものコミュニケーション能力を伸ばすことにつながります。と言っても、大人同士でするような議論をするのはかなり難しいことです。子どもとの話し合いで押さえたい基本のポイントは、「理由を話させること」です。
子どもが親に何かお願いしたい時、その理由も一緒に説明させるのです。子どもからのお願い事はいろいろあります。「お小遣い、もっとたくさん欲しい」かもしれませんし、「テレビやゲームをもっと長い時間観たい、やりたい」かもしれません。いずれにせよ、お願い事は理由付きで言うようにし、その理由に納得できたら願いを叶えるということにするのです。
理屈を言えば子どもに勝ち目はないと思いますか?なんのなんの、小学校も高学年くらいになれば、いっぱしの理屈を言うようになり、かえってその正当性は親よりも高い時があるくらいです。子どもでも理屈っぽい子はいて、しょっちゅう親に理屈で言い寄ることもあるのです。
子どもと話し合っていると、親が最終的に結論として子どもに出す答えは、純粋な正当性によるものだけではないことも、多々あると気づくでしょう。つまり、「世の中はこういう風になっているんだ」というような、社会的な通念のようなものが理由となり、それをもとに結論付けることがしばしばあるということです。
残念ながら私たち親は、正当性だけで子どもの願いを聞き入れたり、逆にはねのけたりしているわけではないのです。「そういうものだ」で、子どもからの願い事を却下することもあるということです。子どもと大人とでは、やはり大人の方がいろんな意味で力が上です。だから、子どもの主張が正論であるように感じられても、親の意見を通すことが可能なのです。
もちろん、親のそのような理論を、子どもが全て納得できるかといえば、そうではありません。親もきちんと、子どもの願いを叶えられない理由を説明しなければならないのですが、一方で、家庭において、最終的な決定権は親にあるということを子どもにわからせることも、時には大切だということです。
子どもと話し合ってみればわかりますが、子どもの願いを「ダメ」とする理由を、きちんと説明するのは大人でも結構難しいものです。だからと言ってにべもなく、「ダメといったらダメです!」なんて言ってしまっては話し合いになりません。子どもも一生懸命理由を説明しようとするのですから、親も自分の意見の理由付けを、少し頑張ってやってみましょう。
では、子どもとの話し合いの例を一つ挙げてみましょう。ゲームは子どもの大好きな遊びですが、それをする時間はやはり約束として決めたいもの。親の主張は「ゲームは1日に、多くても1時間!」です。それに対して子どもが願い事を言ってきたとしましょう。「僕はゲームをもっとやりたい。2時間やらせて」と。
願い事は理由付きで、がポイントですから、「どうして2時間にしてほしいのか、理由を言ってごらん。お父さん(またはお母さん)がその理由に納得できたら、そうしてもいいから」と子どもに言うのです。子どもは願いを聞き入れてもらうために、一生懸命説明するでしょう。ここからの会話を、少し想像してみます。
子ども「友達の家ではみんな、1時間より多くやっているよ」
親「他の家のやり方を、うちもやる必要はない。それぞれのうちでルールは違うんだ。だから、あなたはなぜ2時間やりたいのかということを、説明してごらん」
子ども「たった1時間やったくらいでは、ゲームが進まないんだ。2時間くらいあってやっと進むんだよ」
親「1時間以上やると、目も疲れて視力が落ちるし、脳の働きが悪くなるんだぞ」
子ども「そんなことないよ。○○くんはゲームを1時間以上やっているけど、すごく成績がいいもん。関係ないよ」
親「いいや、ゲームをするとき、実は脳は働いていないんだ。脳が働くのは勉強をしている時。ゲームの時間を延ばして脳が休み過ぎると、肝心な時に脳を働かせられなくなるんだぞ」
子ども「ゲームの時間が増えても、勉強の時間は減らさないよ。かえって、ゲームが途中になってしまうと気になって、勉強が手につかなくなるんだ。」…。
想像の話はこの辺にしますが、このような話し合いになることも多いのではないでしょうか。こうして考えてみると、親にしてみたって、ゲームの時間を1時間とするのに大した理由はないということに気が付きます。
ゲームをやる時間については、正当な理由のある時間というものはありません。子どもと十分に話し合って、その家なりのルールを決定するしかないのです。結局、「ゲームをやる時間については、お父さん(またはお母さん)が決めること。他のうちのルールは我が家には当てはまりません」と、親の力でねじ伏せることにもなるかもしれません。
それでも、子どもと話し合いをすることは、大きな意味を持っています。子どもは自分の願いを聞き入れてもらうために、懸命に理由を考えて説明する。親ももちろん、親なりの理論をできるだけ丁寧に話す。その過程で、親は子どもの考え方に気づくことができ、子どもは親の方針や、大人としてのものの考え方を知ることができるのです。
その結果、子どもの願いを全て叶えることはできないけれど、譲歩して「平日はやはり1時間が限度。でも休みの日は2時間でも良いこととしよう」という結論が出るかもしれませんよね。
子どもと話し合いをすると、結局お互いの歩み寄りで結論が出ることになるかもしれません。でも、親子の話し合いを通して妥協点を導き出した経験は、子どもが家庭以外の場で、他の人に要求しなければならない状況になった時に、きっと役に立ってくるはず。親との話し合いは、自分と相手との意見のすり合わせの練習になっているというわけなのです。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/05/01|タグ:人間関係