子どもの能力を伸ばしたいなら、親は自分自身の人間性を高めよう
親は誰もが、我が子の力を引き出し、伸ばしたいと思うもの。そのために親は我が子を必死で見つめ続けているはずですが、実はそれと同じくらい大事なことが、自分自身を振り返ることです。親自身が人間性を高めないと、子どもはなかなか伸びません。様々な視点から、一人の人間として自信を持って、子どもに自分の姿を見せられるかを、確認してみましょう。
親も学び、子どもとコミュニケーションを図ることで子どもは伸びる
親がいろいろなことに興味をもち、大人になっても学び続け、自分なりの価値観を持っていると、子どももその姿を見て学習し、勉強に対するやる気が育っていきます。また、親が得た知識に基づいて、積極的に子どもとコミュニケーションをとろうとすると、論理的な思考の仕方を子どもに学ばせることができます。
親自身が学ぶ努力をせず、子どもが親から学ぶ機会がなかったり、親とのコミュニケーションがあまりないまま子どもが育ったりしてしまうと、論理的な思考をすることが苦手になってしまうケースがあります。
子どもが成長する中で、他者と様々な会話を交わすことで、論理的思考というものは育っていきます。だから、親との会話が少なかった子どもは、物事を論理的に考えることが苦手になってしまうことがあるというわけです。論理的な思考や論理的に表現する力は、どんな勉強にも必要不可欠です。これがないと、勉強ができない子になってしまいがちなのです。
親とのコミュニケーション、特に会話は、子どもの成績を伸ばすのに欠かせないということですが、だからと言って、子どものやることに何でもかんでも口出しすればよいということではありません。
子どもの行動が悪いことを引き起こしてしまいそうだということを敏感に感じ取り、やる前から子どもの行動を阻止しようとしてしまう親御さんは、決して少なくないのです。これは、子どもに対して親がやるべき「しつけ」とは違います。こうした親の口出しが続くと、自分の頭で何かを考え、自ら行動する力ややる気といったものが失われてしまいます。
子どもとの会話は必要ですが、親のやり方や考えを押し付けるような会話では、子どもの力は伸びません。かえって、勉強に対して自分から「やるぞ!」という気持ちを持てないとか、何につけても自分では決められないような子どもに育ってしまう恐れがあるのです。
親が価値観をしっかりと持ち、正しく生きる姿を見せよう
子どもには、ぶれない価値観を持ちながら正しく生きてほしいものですね。この価値観というものを身につけさせるには、両親のチームワークが欠かせません。つまり、父親か母親のどちらか片方が子どもに対してしつけをしている時、もう片方はそのしつけを否定してはいけないのです。
それは、子どもが「お父さんとお母さんのいうことは、どちらが正しいのだろう」とわからなくなってしまうからです。これでは子どもなりの「価値観」は育ちませんし、悪くすると、両親のうちどちらかのいうことを全く聞かなくなってしまう恐れも出てきます。
夫婦間においてだけではありません。親が教師の悪口を、子どもの前で言ってしまうことも、やはりやってはならないことです。子どもと先生の間の信頼関係が失われてしまう場合があります。
親が子どもに対して、「先生のいうことは正しいから、しっかりと聞きなさい」と言っていれば、子どもは先生の話をよく聞くようになるものです。そして先生の話をしっかり聞けるということは、授業の内容も理解でき、結果として成績も上がるというわけです。逆に親が先生の悪口を言ってばかりいると、子どもの成績は落ちて行く一方です。
子どもの成績がもっと上がれば…と考えているなら、子どもの勉強の仕方をとやかく言う前に、自分は子どもが先生への信頼を失うような言葉を、子どもの前で言っていないだろうかと、振り返ってみましょう。
親が自分自身の行動を振り返るという点で、もう1つお話しておきたいことがあります。最近、親のモラルが低下してきていると感じられることが多くあります。それが、子どもの価値観に大きく影響を与えていると考えられるのです。
義務教育だから、ということを言い訳に、給食費を払うのを渋る。子どもの運動会で「ばれなければ平気」とビールを飲む。そのような、「知られなければ、少しくらい悪いことをしてもいいのだ」という考えでの行動をしてしまう方がいらっしゃるのです。全員がここまでひどいとは思いませんが、ちょっと心に思い当たるという方も多いのではないでしょうか。
「ごまかして利を得よう」「ばれないようなら悪いことでもしてしまおう」そのような考えで行動すると、一見得をするように思えますが、長い目で見ると実は損をしているともいえるのです。
自分が就職を考えるとしたら、あなたはどのような視点で仕事先を選びますか?給料額でしょうか、休みをとりやすい環境でしょうか。確かに給料が高いに越したことはありませんし、休みが多い方が楽に決まっています。でも、それだけで決めてしまうと、後から後悔することになるかもしれません。
給料は安いけれど、この会社でやっていることは自分をもっと高めてくれる、自分の才能を100%生かせる。そんな視点で選べば、最初は苦しくても将来的には大きな成功を収めることになるかもしれないのです。今より先の未来まで考えて行動しないと、本当の利は得られないかもしれないというわけです。
親の価値観や生きる姿勢を、子どもはよく見ています。目先の利益にばかりとらわれず、真の価値を見いだせるような人間に育てるには、親もぶれない価値観を持ち、正しく生きる姿を見せなければならないのです。
尊敬の念がなければ人は誰からも教わることができない
教師と子どもがお互いに尊敬できるところを見いだせた時、子どもは教師から学ぶことができますし、教師も子どもに学ばされるものです。儒教の教えでは、尊敬の念の大切さがよく語られています。日本でも相手を敬う気持ちは昔から大切にされてきたはずです。
ですが、現状としてどうでしょうか。私たち大人は子どもに対して、「自分を取り巻く人たちすべてに対して、尊敬の念を持つこと」を、きちんと伝えているかと問われると、少し疑問をもつところです。これは、社会に出てから必ず必要となる考えであり、マナーでもあることです。子どもたちは果たして「尊敬の念」の大切さを、本当に学んでいるでしょうか。
今の世の中、子どもに対して危害を加える事件も多く、全ての人を頭から信用してはいけない風潮があります。子どもには、知らない人から声をかけられても決してついていかないように、と教えるでしょう。ですがその考え方がヒートアップすると、「知らない人から挨拶されても無視しなさい」と教えてしまうケースも多々あるのです。
挨拶されても返さない、これは相手を敬う態度とは真逆の行動です。自分の周りにいる人すべてに尊敬の念が持てないと、「思いやり」という大切な心は育ちません。どんな親でも「思いやりのある子になってほしい」と願っているはずなのに、親自身が周囲の人を敬う気持ちを持たずにいては、子どもに思いやりの心を育てることはできないのです。
親が自ら、自分の周囲の人に対して尊敬の念を抱き、思いやりのある行動を見せていれば、子どもの中にも必ず、相手を敬う心、思いやる心が育っていくことでしょう。
大人が子どもを見下せば、子どもは大人を尊敬しなくなる
子どもは、尊敬する大人からは様々なことを学ぶことができます。尊敬される大人になるには、大人もまた子どもに対して尊敬の念を感じていなければなりません。ですが、体罰や虐待、生徒に対するセクハラなどなど、大人が子どもを見下しているために起こる事件は、後を絶ちません。
教師だって親だって、子どもより偉いわけではありません。ただ子どもより少し早く、この世に生まれてきただけなのです。それは全くの偶然です。大人は子どもに教えようとしますが、それは大人が優れているから教えることがあるのではなく、子どもよりも早くから生きていたから知っているだけなのです。
人間は、年の差では優劣をつけることができません。年下であろうと年上であろうと、人間として相互に尊敬し合わなければならないのです。そうすることによって、互いに学び合うことができるのです。
子どもに対して愛情を持ち、その子の力を伸ばしてやりたいと大人が思う。そんな大人に対して、この人は自分を大切にしてくれる、そして自分よりも多くの知識を持っていると子どもが思う。そうなった時に初めて、子どもは大人から学ぶことができるのです。
大人はつい、子どもだからと見下してしまいがちです。これは隠していてもすぐに子どもに伝わります。どんなに普段素晴らしい指導をしていたとしても、子どもを見下す気持ちが言葉にぽろっと出てしまうことがあるのです。そして大人のそんな心を知った途端、子どもは大人を尊敬できなくなるのです。
子どもを差別するような言葉を発していませんか?子どもの尊厳を傷つけるような言葉を言っていませんか?言葉は、発してしまったら取り返しがつきません。特に子どもにとって大人の言葉は、時に大きな衝撃となるものです。大人はそのことを肝に銘じて、日頃から自分の言動に気をつけ、子どもに対しても尊敬の念を忘れないよう心がけるべきでしょう。
全てを子どもに決めさせるのは、親の責任逃れ
「子どもに関することは、子ども自身に決めさせる」一見正しいことのように思えます。ですが、子どもの進路のようなとても大切で難しい判断を、幼い子どもに全て託して良いものでしょうか。
親が何の手助けも与えずに、始めから幼い子どもに自分の将来を決めさせるのは、大変危険なことです。逆に親が子どもの将来を全て決めてしまうのも、同様に危険なことです。親が何も口出しせずに「あの学校に行きたい」という子どもの考えのままやらせるのも、子どもの気持ちを何も聞かずに「あの学校に行きなさい」と親が勝手に決めるのもいけないのです。
例えば、車に対する知識があまりない人が、車を買うことにした時、自分一人で選んで本当に間違いないでしょうか。買うことは買えますが、雪国に住んでいるのに、雪道に強くない車を選んでしまう恐れもあるでしょう。でも、販売店のディーラーの方に、自分の車の使い道をよく聞いてもらって、アドバイスを受けたうえで購入すれば、ほぼ間違いはありません。
それと同じで、幼い子どもが自分の判断だけで学校を選んだり、将来の職業を決めたりすると、それが不正解であるとは言えないまでも、非常に大きな危険性をはらんでいると言えるのです。ところが、子どもに判断を丸投げしている保護者の方は、意外に多いのです。
幼い子どもがどのように学校や将来の職業を決めるかといえば、自分の感覚で何となく「これ!」と決めていることが多いものです。そのような決め方で自分の人生を決めさせて、本当に良いものなのでしょうか。
アドバイスも受けず、何となく車を選んで失敗すれば、痛い出費にはなりますが、それだけです。でも、子どもがそんな選び方で自分の進路を決めてしまったら、子どもの人生そのものが狂ってしまうことにもなるのです。そうなってしまっては、子どもが大きくなってから、「親からの助言が何もなかったからだ」と恨みに思っても無理はないでしょう。
子ども自身に選ばせるなら、その前段階として、親子での話し合いの機会をきちんともたなくてはなりません。子どもが行きたいと言った学校に対して、親が「○○という理由から、そこよりもこちらの学校の方がよいのでは」と意見を言うことによって、子どももいろいろ考えたり、実際に両校を見学してみたりしたうえで、最終的に子どもが決めるべきでしょう。
子どもが「この学校に行きたい」と言った時、それをただ受け止めて「あなたが決めたのだから」とそのまま受験させることは、志望校の判断に対して、親が責任逃れをしたということになるのです。親は広い視野を持ち、子どもだけでは気が付くことができない点についてきちんと指摘し、よく考えさせる義務があるはずです。
子どもの将来について判断するというのは、親にとっても重い責任を感じるものです。でも、そこから逃げてはいけないのです。残念ながら、その責任に耐え切れず、子どもに大切な判断を丸投げしてしまう家庭もあるのです。
受験校や職業にだけ言えることではありません。子どもの塾選びも、親にとっては迷うところですが、「子どもが行きたいと言ったから」という理由で塾を決めてしまうとか、「知り合いの子がいいと言っていたから」と、他の人がとらえたその塾の良さから決めてしまうケースがあります。どちらも、親が自分の頭で判断したことではありません。
母親が子どもの受験に対して大きな責任感を感じ、夫からもすべて任されてしまい、挙句の果てに子どもからは、お母さんがこの学校へ行けと言ったのだと責められる。そんなことを想像して耐えきれなくなった母親が、自分の頭ではどうにも判断ができなくなり、多くの人が良しとする塾を選び、子どもが行きたいと言った学校を受験させる。
このような受験の仕方は、ぜひともしないでいただきたいものです。子どもと共によく考え、親として最大限のアドバイスをしたうえで、子どもの意見を尊重すべきでしょう。親は自分の保身のために、子どもに最初から判断をゆだねてはいけないのです。