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21世紀の大人の教養の身に付け方

大人の教養のための読書

教養の位置づけや意味合いは、長い歴史の中で形を変え続け、どんどんと軽く、浅くなってきました。21世紀を迎え、インターネットの爆発的な普及の結果、教養はいつでもどこでもアクセスできるものになるのと同時に、教養の大切さが再認識され始めています。

 

大人の教養として、改めて教養に触れる醍醐味、また、スマートフォンでインターネットを持ち歩くスマホ時代でどう教養を取り扱うべきかなど、これからの新しい教養文化を考えてみましょう。

 

教養が存亡の危機を迎えている

教養文化の歴史を振り返る

人間の歴史にはいつも「教養」がそばにあり、その時代によって教養の位置づけも移り変わってきました。江戸時代、教養とは繰り返し身体に叩き込んでいくものでした。寺子屋での素読や、書や剣術の稽古など、単なる知識だけではない幅広い教養を身に付けた、真の教養人と呼べる人達の存在がありました。

 

大正時代に入ると、教養がないのは恥だとされる「教養主義」が台頭してきました。古典文学や哲学などの書物をひたすら読み、頭に知識を詰め込んでいくスタイルであり、身体に染み込ませてきたこれまでの教養とは一線を画すものでした。この時代、教養人の育成に大きな役割を果たしたのは旧制高校で、実業界にも多くの人材を輩出しています。

 

日本で古来より受け継がれてきた、お手本や師匠を「見て、模倣する」文化が一旦途切れてしまったのは、第二次世界大戦の敗戦がきっかけでした。本来日本では、学習することと精神の鍛錬、そして繰り返し模倣することによって身に付けた「型」は一体だったのですが、教育システムが大きく変わったことでそれぞれの要素は分断されてしまいました。

 

戦後、日本に高度経済成長期が訪れた1960年頃には、海外から「カウンターカルチャー」の大きな波が訪れます。既存の体制的な文化に対抗する文化という意味があり、ロックミュージックやヒッピー文化がその象徴的な存在です。これが昔から継承されてきた「教養文化」にとっては重大なターニングポイントとなりました。

 

当初は、元の文化の知識を持つアーティストがカウンターカルチャーを担ってきました。しかし徐々に、古典文化などの教養という土台を持たない世代が増えてきたことにより、文化の奥行きを理解しないまま、ただ楽しむという傾向が強くなりました。教養がないことは恥だ、という概念そのものが消え失せていったのです。

 

また、教養の再定義という動きも起こりました。これまでは教養に含まれなかった大衆文化を教養に含めるなどした結果、80年代には、教養文化が衰退していきました。その後起こった、ニューアカデミズムと呼ばれる教養ブームは、難解な古典を分かりやすく噛みくだいた書籍が人気を集めるなど、教養がファッションと捉えられていました。

 

また、文化の概念も拡大しました。サブカルチャーが台頭し、アニメや漫画といったオタク文化やポップカルチャーなどが、文化の一ジャンルとされるようになり、文化レベルの低下が目立ってきたのです。自分の中に、教養という太い幹を持たないまま創作活動を行うアーティストが増えたことで、作品の底の浅さが露呈するようになってきました。

 

ここ10年の教養をめぐる状況

底が浅く、軽くなりつづけてきた教養ですが、ここ10年ほどで人々の意識に変革が訪れました。そのきっかけとなったのは、拡大を続けるネット社会です。インターネット環境が整うにしたがい、社会のコミュニティは変質し、SNSでゆるく繋がるだけという、希薄な人間関係が多数派を占めるようになりました。

 

同時に、インターネットにはあらゆる時代のあらゆる知識や文化が詰め込まれ、誰でも簡単に引き出せるようになりました。Youtubeで検索すれば、昭和時代の歌謡曲から中世、ルネサンス期のヨーロッパ音楽まで、クリック一つで楽しむことができます。アンテナにかかったキーワードについての、より深い情報もすぐに探し当てることができるでしょう。

 

少子化や晩婚・非婚化が進み、かつSNSでの横のつながりに偏った人間関係では、交わされる会話や入ってくる情報の幅は狭く、薄っぺらい知識しか身に付きません。こういった状況がしばらく続き、2010年頃になると、人々の間にちょっとした危機感が生まれ始めました。

 

これまでであれば図書館や古書店を探して手に入れた、過去の名作や先人の作品に、ネット環境であれば簡単にアクセスできることが、人々の意識を変えようとしています。例えば、ネットで出会ったあるクラシック音楽についてもっと知りたいと思ったら、作曲者について、また演奏しているオーケストラについての情報はすぐに探すことができます。

 

さらに本物に触れたいと思えば、過去の名演奏のCDやコンサートチケットを購入することができます。そうすればネットで出会った音楽をリアルで楽しむことに繋がり、その結果、教養となりあなたの血肉となるのです。

 

つまり、興味さえあればこれだけ充実した教養ライフを楽しむことができるということです。現在の教養のあり方に疑問を持った人が、現代のインターネット環境を駆使することによって、人間に取っての教養の大切さを再認識する流れが生まれています。

 

膨大な量の情報に溺れないために、自分に必要なワンフレーズを見極める

ある言葉の意味を調べようとインターネットで検索をしたとします。簡単に様々なサイトが表示され、答えを見つけることができますが、数日経った時にまだ、その内容を思い出せるでしょうか?調べたことが身に付かず、そのまま通り過ぎてしまってはいないでしょうか?

 

ここがインターネット社会で教養を身につける上での、ひとつの難しさでもあります。かつて教養とは、食べるものを我慢してでも本を買い、それを読んで身に付けるものでした。ところが、充実したネット環境は教養の敷居を低くし、いつでも簡単に手に入るものに変えました。料金もほとんどかかりません。

 

また、膨大な量の情報が日々押し寄せてきます。ネットの世界では、人間の内面を豊かにする教養も、その情報のうちの一つでしかないのです。その場でどんどん受け流して行くと、あっという間にその情報は過去のものになり、身体の中には何も残ってはくれません。

 

つまり、身体に取り込んで内面を高めるための教養は、現代に生きる人間が日々必要とする情報とは別に、意識して区別した上で取り込むことが必要だということでしょう。これら二つを混同してしまっては、いつまでも教養を身体に刻み込むことができません。

 

教養のための読書は、本に書いてある情報を頭に叩き込むこととは違うので、本の全ページを熟読する必要はありません。心に残り、自分を高められるワンフレーズが見つかればいい、と割り切ってみましょう。一冊に時間をかけるよりもむしろ、様々な分野の本に触れ、その一部を教養として自分の中に取り込み、ぶれない軸を作るのです。

 

教養を身につけるための読書にも何通りもの方法があり、興味に従って色々と試してみることをお勧めします。幸い日本には、世界中の古典文学や哲学の翻訳本が手に入る環境があります。ある分野の教養を深めたいと思ったら、解説本だけでなく、原著の翻訳版を手に取ってみてもいいでしょう。

 

教養を身につけるために、インターネットでできること、できないこと

インターネット社会の到来によって、世界のあらゆる教養へのアクセスが格段にしやすくなりましたが、手に入る教養の形態もバリエーション豊かになりました。今や、ネットで日本文学の名作を読み、海外の有名大学の授業を聴講できる時代が到来しています。しかもどちらも無料とあっては、利用しない手はありません。

 

青空文庫(www.aozora.gr.jp/)というサイトをご存知でしょうか?作者が亡くなってから50年という、著作権保護期間が終了した書籍を誰でも読めるように集めた電子図書館です。蔵書数は約13,000冊で、明治から昭和初期の日本文学を中心に揃えられています。テキストをダウンロードすれば、いつでも無料で名作を味わうことができます。

 

edX(www.edx.org/)は、2012年にハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)が共同で立ち上げた、無料オンライン教育サービスです。両校の他、アメリカの有名大学にとどまらず、世界中の名門大学が参加しており、日本からは東京大学・京都大学が参加しています。クリック一つで、留学せずとも世界のトップレベルの講義が受けられるのです。

 

現代は、映画も格段に手に入りやすい環境が整っています。ケーブルTVの映画専門チャンネルを見てもいいでしょうし、スマホでオンデマンド視聴すれば、自宅でなくとも名作映画に触れることができます。もはやレンタルDVDの時代は終わったのです。

 

ネットが中心となった現代で、教養を身につける上で欠けている点もあります。それは他者の意見を聞くということです。かつての旧制高校生は、寮生みんなで同じ本を読み、活発に意見を戦わせるなど切磋琢磨しながら、内面を高めていきました。ただ情報を取り込んで、自分なりに咀嚼するだけでは、深みのある教養とはならないのです。

 

そこで活用したいのが、ネットの「口コミ」や「レビュー」機能です。インターネットには、小説などの書籍から映画、音楽に至るまで、様々なレビューがあふれています。もちろんそのレベルや信憑性も様々で、閲覧する側にはそれを見抜く力が求められます。

 

そのレビューに対してコメントを書き込んで、他の人と意見を交わすこともできますし、中には本の著者から返事をもらえるケースもあり、レビューを読むだけという一方通行では終わりません。これこそがインターネットの利点です。家にいながらにして、旧制高校のように自分を磨く環境を手に入れることができるかもしれません。

 

注意すべき点は、あまりに簡単にアクセスできるため「いつでも手に入る」という気持ちになったり、「どうせ無料だから」と教養を身につけたいという気概が薄れてしまう危険性があることです。時には、お金を払って買った本に、マーカーで線を引いたり書き込みをしながら読み込む、昔の読書法に立ち返ってみるのもよいでしょう。

 

大人の教養は始めやすく、身に付きやすい

学生時代、講義を真剣に受けた記憶がなかったとしても、大人になった今、教養を身に付けたいという思いが湧いてくる人は多いのではないでしょうか?本来、教養には段階があり、その時期によって身につけるべき教養は違っていました。成長に合わせて、その時期にふさわしい名作に触れることで、内面を磨き、心を強くしていくという考え方です。

 

一方、大人になってから改めて教養を身に付けたい場合や、学び直しをする場合は、そのプロセスは少し違ってきます。大人の場合、学びの途中段階にある子供や学生とは違い、すでに教養を身につける土台ができているからです。

 

これまで興味を持っていなかった分野であっても、一冊本を読んでみたり、おすすめのCDを聞いてみるだけで、元々持っていた知識と結びついて、その分野の教養として身体に染み込むといった現象は、大人の教養ならではのものです。

 

また、大人は経済的にも余裕があり、ある分野の教養を深めるために、いわゆる「大人買い」をすることもできます。つまり、その気になれば、大人にとって教養はそれほどハードルの高い目標ではないのです。

 

では、大人が教養を身につけるためにまず読むべき本は何でしょうか?学校の勉強とは一線を画している訳ですから、興味を惹かれた分野からどんどん手をつけてみるのが正解です。

 

例えば、絵画についてもっと知りたいと思った場合、学校の勉強であれば時代を遡りつつ全てを網羅することを求められますが、大人の教養にはその必要はありません。ルノワールでもアンリ・マティスでも、気になる画家に出会ったらその作品を深堀りして知識を深めて行けば、相当な教養を身につけることができるはずです。

 

もちろん、ある一つの分野に大きな愛情と関心をそそぐことは素晴らしく、それ自体が教養であるとも言えます。ですが、限度を超えたオタク的なこだわりは本来の教養とは異なります。幅広い分野の教養をたくさん、且つバランスよく身につけることをお勧めします。

 

もちろん、正統派の教養を身につけてもいいでしょう。この場合も片っ端から読破する必要はありません。文学であれば日本や中国の古典、明治期の文学そしてロシア文学などいくつかのジャンルから代表的なものをピックアップして読んでみましょう。また、音楽に触れる場合でもタイプの違う音楽家の作品を聴き、バランスのよい教養を手に入れましょう。

 

幅広い分野で、硬軟とりまぜた教養を持っている大人というのは、非常に魅力的です。まずはとっつきやすい分野から、自分の内面を高める教養の森へと足を踏み出してみませんか?

 

大人の教養は、アンテナを広く張ると楽しくなる

大人の教養の長所の一つは、「試験に向けた勉強ではない」ということではないでしょうか。全てを理解し、頭に叩き込む必要がないというだけで、学びの心理的ハードルが下がり、より積極的に教養を身につけようという気になります。

 

すると、古典からモダンなもの、メジャーなものからマイナーな分野まで手当り次第に自分の中に吸収する人も現れます。いわゆる「多芸多才」で「博識」と呼ばれる人達です。

 

有名人で言うと、タモリさんはその代表格だと言えます。NHKの人気番組「ブラタモリ」では地質学や歴史の豊富な知識を披露していますが、それ以外にも、音楽、ヨット、料理など多才な趣味を持っています。しかもそれぞれの領域を長年をかけて深めた結果、ヨットレースを主催するなど、それはもはや趣味の域を超えています。

 

評論家の植草甚一さんも、知的好奇心が旺盛で多趣味だったことで知られています。本でもレコードでも、興味を惹かれた分野のものは尋常ならざる量を読み、聴き、自分の血肉としていきました。モダンジャズに興味を持った時には、最初の半年でレコード店に200時間入り浸り、レコードは600時間も聴いていたそうです。

 

その植草甚一さんが亡くなった時、大量の遺品が残されましたが、そのうちのジャズレコード4000枚を引き取ったのはタモリさんでした。植草さんの頭の中の景色を映し出すようなコレクションを、バラバラにしてしまうのは忍びないと考えた関係者が、その価値を理解してくれると考え、タモリさんに購入を持ちかけたところ、即決してくれたのです。

 

偉大な教養人の貴重なコレクションが、もう一人の教養人に引き継がれた瞬間でした。大人として教養を深めようと思ったら、博識で知られる有名人の著書をひもといてみましょう。教養人と呼ばれる人の頭の中をのぞいてみると、幅広くアンテナを張る「大人の教養」の世界の楽しさが、より実感できるのではないでしょうか。

 

スマートフォン社会を深みのある教養で満たすためにできること

スマートフォンの歴史はまだ浅く、初登場からまだ20年程度です。日本では、2007年のiPhone3GS発売とともに爆発的に普及しました。スマートフォンは私達とインターネットの距離をさらに近付け、いつでもどこでも気軽に調べ物ができる環境が整いました。また、SNSが同時に広まったことで、コミュニケーションはスマホ経由の気軽なものになりました。

 

しかし、スマートフォンの弊害も指摘されています。利便性の高さから、携帯の使用時間は長くなり、常にスマホを手放せない、いわゆる「スマホ依存症」になる人が増えてきました。友人同士や家族で食事をしている最中にもスマートフォンが気になってしまうなど、現実社会のコミュニケーションが疎かにされる傾向が見られます。

 

また、歩きスマホによる事故の多発など、社会生活にも影響を及ぼし始めています。ずっと下向きで画面を見つめることで首の骨が変形する「ストレートネック」や、小指1本で支えるような持ち方をすることによる指の変形、さらに画面から出るブルーライトを寝る直前まで浴びることで体内時計が狂い、睡眠障害を発症するなど健康被害も報告されています。

 

もっとも深刻な弊害は、記憶力の低下です。画面をタップすれば、次から次へと情報が表示されることに慣れてしまうと、主体的に脳を使うことが少なくなってしまいます。よく、スマホを使い始めてから漢字が書けなくなったとか、電話番号が覚えられなくなったという話を聞きますが、これはITの発展の一方で脳が退化を始めているからかもしれません。

 

スマートフォンのお蔭で、知識と情報の森であるインターネットが持ち歩き可能になりました。もはや、あえてスマートフォンを使わない生活を選択することはありえません。ならば、教養を身につけられるようなスマホライフを送るのが、賢い利用法だと言えるでしょう。

 

スマートフォン上ではSNSを通じて、ゆるく広い人間関係が構築されていますが、この点を利用してみてはどうでしょうか。SNSでは、タイムラインに大量に流れてくる仲間の近況や写真に「いいね!」をクリックすることでやりとりが完結してしまうことが多く、気軽な一方で、人間関係が希薄になるという指摘もあります。

 

ですが、考えようによっては、現実社会で接することができる友人の数の実に数倍、拡散された場合はさらに多くの人に発信ができるというのは、インターネット社会ならではのメリットです。スマートフォンは、それをより手軽に行えるツールなのです。

 

インターネットなどで知り得た新しい知識を、自分だけのものにしてしまうのはもったいないことです。知的好奇心がくすぐられ、「すごい!」と感動したことは、SNSを通じて発信してみましょう。かつては、自分のものにした教養は、会話の中で引用したものです。現実社会でそういった知的な会話をする機会が減った分、SNSでやってみるのです。

 

もちろん最初は勇気が必要かもしれません。ですが、一人でも多くの人が感心した言葉や新しい知識を投稿に貼り付けることで、受け手の心に留まる情報がSNS上に増え、血の通ったやりとりが生まれます。スマートフォン社会と教養の融合点は、こういった所に見つけられるのではないでしょうか。

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