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子どもを任せられる学校は存在するか?

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学校

親たちの間で、公立の学校に子どもを行かせるのはよくない、といったようなことが言われはじめてけっこう経ちます。セクハラをしたり暴力的な先生といったようなとんでもない例は例外中の例外としても、緊張感を全く感じないような先生であったり、教科書に書いてある以外のことは何も教えなかったり、教科書の内容すら満足に教えられないようなやる気のない先生といったような例はそれこそごまんと存在します。学校は子どもが必ず通うことになる場所ですが、どのように対処していけばいいのでしょうか。

 

学校や教師の質が下がってきている

最近、子どもたちの学力が下がってきているということが問題として取り上げられるようになってきていますが、その大きな要因の1つにこうした先生・教師の質の低下を外すことはできないと思います。昔は聖職であるなどと言われたこともある教師という職業ですが、現在の状況を見るともはやとてもそんなことは言えない、というのは多くの親の共通感覚になってきているのではないでしょうか。

 

ここで一つ確認しておきたいのは、公立の学校の先生というのは公務員だということです。公務員といえばそのすべてがダメだというわけではありませんが、公務員は民間企業とは異なり、その能力や成績が給料に反映されるということがありません。このため、求められていること以上のことをしようとしない人が結構多いという傾向があります。そして、先生や教師といったものもまた例外ではありません。

 

しかし、教育というのはいわばサービス業に属する仕事であるわけですから、求められていることは当然として、それ以上の部分まで気を回すことが大事というのも事実です。

 

例えば、自分の受け持っているクラスの子どもが元気がないと感じ、その子どもがいじめられてはいないかといろいろと調べてみたとしましょう。そして学校やクラスの中で特にいじめのような問題が起きていなかったとします。となれば、その子どもの家であったり、通っている塾などに関して何か問題や悩みがあって元気がないといったことが考えられます。

 

学校の先生にとって、子どもの家であったり塾であったりという場所は自分の責任の範囲外になります。そうしたところにまで手を伸ばすことは求められていません。しかし、その先生が本当に子どものことを気にかけているなら、不要なこととは分かっていても子どもの相談に乗り、保護者などといっしょになって子どもの抱えている問題に対処してくれるはずです。残念ながらこんな熱心な先生や教師はだいぶ数が減ってしまっており、求めても得られなくなってきています。

 

求められていること以上のことをする、ということの大事さは、学習という面でも言えます。例として九九が上手に覚えられない場合を考えてみましょう。こうした子どもがいる場合に、先生が九九を覚えることができるように工夫して教材を作るというのは非常に効果があるのですが、一方でこれは求められている以上のことにあたります。求められている以上のことをしない先生はこういった工夫などせず、全員に配布してある教科書や教材を何度も勉強しなさい、としか言いません。たとえその教材ではその子どもが理解できないのが分かっていたとしてもです。

 

こうしたことは、公立の学校の教師が公務員であることを考えればどうしようもないことなのかもしれません。仮に文句を言ったところで、ある子どもだけ特別扱いすることはできません、と言われるのが関の山ですし、実際そんなふうに言われた経験のある保護者はたくさんいるのが現状です。

 

子どもを学校に任せておけば大丈夫という考え自体を変える

現在子どもを持っている保護者の方は、学校に過度の期待を抱かないようにしたほうがいいのかもしれません。1つの考え方として、せいぜいのところ、学校では教科書にある内容をひととおり教え、子どもが学校に行っている間その安全を確保してくれるだけの機能しかないものと割り切るのです。個人に見合った指導など望むべくもありません。それを要求したところでどだい無理です。

 

公立の学校についてばかり述べてきましたが、学校に期待しないというのは私立の学校であっても同様と考えられます。たとえば近ごろの私立では、特進科などと銘打って成績優秀な子どもだけを集めたクラスを設けるところが増えています。特進科に入ることができるのは真面目で言うことをきちんと聞く子どもで、こうした子どもには進学のために必要な技術がこれでもかとばかりにたたき込まれます。

 

特進科のクラスでは、普通の授業時間の他に補習がなされることが普通で、加えて莫大な量の宿題が出されます。授業の予習復習をしておかないと授業について行けなくなりかねませんから、子どもたちはそれに加えて予習復習もしなければなりません。このため子どもたちは疲弊し、睡眠不足に陥り、激しい詰め込み勉強に耐えかねて落ちこぼれてしまう子どもが一定数出てくることになります。中にはクラスの半数がそうした落ちこぼれになるというようなところさえあります。

 

また特進科以外のクラスに通うような子どもたちには、成績のいい子どもの邪魔をしないことだけを念頭に置いて接するような学校も存在します。そうした子どもでも授業料は持ってきてくれるので、いいお客様であることには変わりないとの考えです。こんな考え方をしている私立の学校もまた着実に増えてきており、そうした点から見ても子ども一人一人の適性にあわせた指導を受けるなどというのが望むべくもないことが分かります。

 

私立の学校でこんなことが起きてしまう原因は、私立である以上その学校が営利団体であるためです。保護者が学校に収めた授業料からは経費が差し引かれ、それをもうけとして運営されている営利団体です。学校の経営者はこのもうけをなるべく多くするべく毎日奮闘しています。そして、それがまず第一にあって、子どもの適性云々は二の次なのです。

 

最近の傾向として少子化が言われていますが、子どもが少なくなってくれば私立の学校は存亡の危機に立たされます。必要なだけの生徒を集められなくなるためです。こうなってくると、営利を追求する団体としては必要なだけの生徒を集めるために、もっとシビアな取り組みをする必要に迫られます。

 

そうしたときに一番効果的なのは、この学校に入学すれば優秀な学校への合格の道が開ける、と子どもや保護者に思わせることです。そのためには特進クラスを設置し、そこにできのいい子どもたちを集めて受験に必要なノウハウを徹底的に教え込むのが一番の近道とされています。

 

こうして見てきたように、公立の学校は公務員的であり、私立の学校は利益を得ることを目的にした団体です。子どもも保護者もこうした学校の特性から目をそらしてはいけません。そしてそうである以上、1つの考え方ではありますが学校は子どもを任せるべきところではないと割り切ることも必要なのです。

 

一昔前まで学校に求められていたような、子ども一人一人に目を注ぎ、悩みがあれば相談に乗り、勉強面ではその適性にあわせた指導をする、といったようなサービスを求めることはもはや不可能だとドライに考えることです。そのように考え方(前提)を変えれば、子どもにきちんと目を注ぎ、必要ならば相談に乗り、その適性を見極めて必要な対策を取るのは親の役目になると分かってくるはずです。

 

学校は子どもを一人前にしてくれるところ、であるとか、学校に子どもを任せておけば大丈夫、といった考え方は今ではもはや通用しないと思います。保護者はこうした現実に早めに気づき、対処をする必要があります。子どもを伸ばせるかどうかは親の肩に掛かっているわけですから、きちんと我が子を観察し、子どもにとって本当に必要なものを考えることがますます重要になってくるでしょう。

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