女子校で女性の本質を知る
男女には明確な違いが存在します。同様に男子校と女子校には、それぞれに違った存在意義があります。そして女子校の存在意義は、まさに人間の本質にかかわってきます。男子校との違いを明らかにしながら、女子校の存在意義や女性の本質について考えていきましょう。
男女は別の生き物だと認識さえすればいい
「男女の違いを三つ答えなさい」と言われたとき、誰もがすぐさま思い浮かべるものがあるのではないでしょうか。男女の違いは誰もが経験的に感じているものであり、もはや常識にまでなっているかもしれません。
現にアラン・ピーズ氏とバーバラ・ピーズ氏が書いた著書『話を聞かない男、地図が読めない女』は世界中でベストセラーになりました。
1つのことに集中してしまう男、方向音痴な女、1人になりたがる男、永遠に話し続ける女…この著書で挙げられる事例はあなた、もしくは身近なパートナーにぴったりと当てはまるでしょう。
また男女の違いについて、ケンブリッジ大学の心理学・精神医学の教授も持論を展開する著書を出版しています。
サイモン・バロン=コーエン氏は『共感する女脳、システム化する男脳』という著書の中で、女性の脳は他者の気持ちを我がことのように感じ、男性の脳はシステムを理解し構築するようにつくられているのではないかと主張しています。これもまた身に覚えのある、男女の違いなのではないでしょうか。
このように男女には明らかな違いがあります。しかし、この男女の違いが何に起因するかは、まだはっきりとはわかっていません。
男女の違いについて、脳の構造の違いであると結論付ける風潮があります。一方で神経科学者のリーズ・エリオット氏は、著書『女の子脳 男の子脳』の中において、「先天的な脳の構造の違いが、男女の性差と直結するとは言い切れない」と述べています。同様の主張をする研究者・科学者も少なくはありません。
脳科学は未発達な分野であるため、現在解明されていることだけで尚早に男女の違いを脳の構造によるものだと決めつけてはなりません。他に考えられる要因はいくらでもあるからです。
リーズ・エリオット氏も同書の中で、「男子校や女子校、その他の男女別学学習制度を勧める人たちが、男の子と女の子の意欲や対人関係の違いを根拠にしているならば、そちらの方が根拠は確かだろう。特に、男女が発達期に互いに距離を置き、保護される時期を作ることはよいかもしれないという考えには説得力がある」と説明しています。
ここで大事になってくるのは、本当に男女の脳の構造に違いがあるのかどうかではなく、実際に男女は違う生き物だと改めて認識することです。
そして女子校においては、生徒の個性を大切に育てれば、自然と女の子らしく、女性らしく育っていくということです。
学校こそ個性的であるべき
女子校には、生徒たちがあえて思春期に女子校に通うのに足りる、教育的なメリットが存在します。
まずは女子の特性を活かした、しつけ・生活指導が受けられることです。多くの女子校では、礼法やマナーの授業を取り入れています。女子は他人の良いところを見て真似て学び取ることに長けているため、美しい作法を素早く身につけることができます。
さらに学習面でも、女子に特化した教科指導を行っている学校が多くあります。一般的に女子は理数系の教科が弱い傾向がありますが、進学校の女子校では半数の生徒が理系進学をする学校も少なくありません。生物・科学系の部活動が盛んな学校もたくさんあります。
女子校では男子がいないため、女子の学習スタイルに合わせて理数系科目を指導できるので、苦手意識を持つことがないのです。
また女性には、人生のうちで結婚、妊娠、出産と避けられない選択を迫られる時が来ます。この選択を如何に自分自身の納得のいくものにするか、女性ならば誰しもが突き当たる問題です。女子校ではこの問題に備えて、早めにライフデザイン教育を施すことが可能です。同時にナーバスな問題を、思春期に同性同士で思う存分暴露し合える環境が整っています。
女子校ですから、もちろん男子生徒は存在しません。思春期に気になりだす異性の視線がないからこそ、女子校の生徒は自分という人間に向き合い、個性を伸ばすことができます。
女子の強みは、結束力の強さです。女子校の学校行事は、勝ち負けよりも、チームメイト全員で目標を達成することに重きを置くことが多いです。そのような結束力の強いメンバーと過ごすことで、自己肯定感を高めることができるのです。
集団の中で活動すれば、活動の中心に立つ機会にも恵まれます。そんな時、女性として、男性のように周りを力強く引っ張っていくのではなく、周囲に目を配り支えていくようなリーダーシップ性を身につけることも可能です。
女子校で思春期を過ごすことで、ジェンダー的な苦手意識を克服することができます。また社会的に根強く残る「女性はこうあるべき!」という枠に当てはめられることなく、のびのびと育つことができます。
まだまだ、女子校には多くの教育的メリットが存在します。しかしその一方で、気をつけなければならない点も存在します。
まず社会に出た時に、圧倒的に共学校出身の女子生徒よりも、恋人以外の男性との適切な距離の取り方が分からず、上手に振る舞えない子が多いです。
また、母親になり息子を持った時に、初めて思春期の男性と真剣に向き合わなくてはならない子も出てきます。恋人や異性の兄弟がいれば話は別ですが、そうでない場合、未知の世界にやはり戸惑うかもしれません。
そして最後に、結婚願望が低くなる危険性もあります。女子校に入れば、体育祭や文化祭で必要な大工仕事でさえ、女子の役目です。
男子がいなくても女子だけの力で、なんでもやってのける経験を女子校出身者は持っています。男性の幼稚な部分も、女性とは違う部分として目につき嫌厭してしまうかもしれません。
全ての生徒にとって、完璧な教育システムはこの世に存在しません。生徒一人一人、性別も違えば性格も特性も様々です。だからこそ、多様な教育スタイルの存在が欠かせません。
女子校・男子校・共学校も、そんな教育スタイルの一つに過ぎません。生徒たちがより一層自分の個性に合った教育の現場に巡り合えるよう、学校は常にバラエティに富んだ個性的な存在でなければならないのです。
そのような学校を卒業することで、生徒たちの個性は保たれ、社会には多種多様な人が排出されてきます。それこそがバランスの良い社会の成り立ちです。
女子校には個性が強く残っている
女子校について調べていくと、共通点は多く見つかっても、全てが同じ学校を見つけることはできません。これは男子校について調べても感じることです。
教育関係者から話を聞くと、男女別学校の方が個性的な学校が多く存在すると言います。
共学校はもちろん、男子校・女子校といった男女別学校も存在する県の教員たちに話を聞いても同じような言及をします。共学校、男女別学校それぞれの良さを認めるものの、個性的と言った点に関しては圧倒的に男女別学校が強いと言えそうです。
公立の高校教員は数年おきの転勤があるため、長い教員生活の中で、共学校にも男女別学校にも、教員として赴任します。その経験の中で、その高校ならではのカラーを感じ取るのは、やはり男女別学校が多いようです。
男女別学校の方がやはり、個性的な教育スタイルを打ち出しやすく、長い伝統を受け継ぎ続けている傾向にあるからかもしれません。
個性を失った学校は大学受験予備校になる
現代は深刻な少子化の時代です。母数の減り続ける生徒のうちから、確実に毎年入学者を確保するために各学校は様々な工夫や経営戦略をしかけてきます。
それは伝統のある私立学校、公立学校でも同様です。伝統のある学校の中には、あまりに急激な改変を行ってしまったがために、元々あった伝統さえ失ってしまうこともあります。
そのように長年培われた学校の伝統や個性を失った学校が、他の学校と差別化を図ろうとするとき、最も明確で取り組みやすいのが、大学進学実績校になるという取り組みです。
しかし、本当に世の中のすべての学校が、大学進学実績のみに重きを置いた学校になってしまったら、日本はどうなってしまうのでしょうか。
少なくとも、多様性な価値観やそれを併せ持った人間が輩出される可能性は、激減します。成績が唯一の学校の評価軸になったとき、日本の教育システムは機能不全を起こすでしょう。
伝統のある男女別学校の中で、昨今、共学化や校名変更などの学校改革で、中学受験界で名を挙げている学校が幾つかあります。
そのような学校が、分かりにくい学校の伝統や教育カリキュラムなどから感じる個性よりも、大学進学実績という分かりやすい数字を前面に押し出していることに疑問を感じざるを得ません。
おそらく、個性を失った学校は、早い未来で立ち行かなくなる日が来るでしょう。大学進学実績という分かりやすい価値観を持ったがゆえに、一部のトップクラス常連校を除けば、その価値観は維持できなくなるからです。
その一方で、学校の伝統や教育カリキュラムなどから感じられる個性のある学校は、それらに魅力を感じて生徒たちが集まってきます。
個性のある学校には、その個性に順応しやすい生徒たちが集まり、さらに学校の個性も際立ちます。この循環こそがその学校だけの魅力となるのです。
将来、自分が親の立場になった時、我が子の個性よりも成績を伸ばしたいと考えるならば、進学実績を売りにする学校に入れればよいでしょう。
しかし、個性を何よりも大切にしてほしいと願うならば、生徒や教員が学校の個性を自覚しているような、個性の残る学校を選択するべきです。
中学・高校は、単にいい大学へ入るための勉強の場ではありません。思春期という、人生で最も多感な時期を過ごす場所であることを忘れてはいけません。思春期をどんな環境、文化、人間関係の中で過ごすのか、ないがしろにしてはいけません。
女子校が存在する社会的意義
女子校と男子校は、単に構造上で対になる存在ではありません。これらの学校には本質的にも大きな違いが存在します。
男子校は、幼稚性を持った男性を保護し、夢や理想を持って行動するような、男の子らしさを存分に伸ばしてあげられる環境です。厳しい社会や女性の目から男性を隔離、保護する役割があるのではないだろうか。
一方で女子校は、男性よりも堅実で社会性を備えた女性の集まりです。もともと精神的には女性の方が男性よりも強くあります。そんな女性を男性から隔離、保護するメリットはありません。
女子校のメリットは、女子だけの集団の中で、確固とした女性らしさを持った人間を世に多く輩出できることにあるのではないだろうか。
あくまで個人的なイメージですが、男子校は個人が社会で強く生き抜くために必要なパーソナルな教育環境であり、女子校は個人を育てることで社会貢献を目的としたパブリックな意味を兼ね備えた教育環境と感じられるのです。
伝統とは、受け継ぎたいと思う人が受け継ぐ自己満足的なものである
女子校関係者に「御校の名物を教えてください」と尋ねると、「運動会のクライマックスで高校三年生が舞う踊りです」という回答が意外に多い。教員であれ、孫のいるような年齢の卒業生であれ、関係者の多くが口を揃えてそう答えます。
関係者の中にはその場面を思い浮かべて、目を潤ませる人もいます。それくらい学校にとって、大きな意味を持った象徴的な行事だと言えるでしょう。
ただ、その名物が実際行われているシーンを目にしても、第三者からしてみれば、それは運動会の演目の一つにしか思えません。何がそこまで女子校の関係者の胸を震わせているのか、正直理解できない人もいるでしょう。
このことについては、フリーアナウンサー・渡辺真理さんが、女子校について語った時の言葉が謎を解くきっかけになるかもしれません。
渡辺さんは「伝統は外に誇るものではなく、自己満足のものでいいと思います。受け継ぎたい人が静かに受け継いでいけばいい。そういう気持ちが継承されていくことが、伝統なのではないでしょうか」と語ります。
女子校の存在意義は、まさに、その学校に通いたいと思う人を生みだし、またその思いを受け継いでいくことなのかもしれません。
受け継いでいく力こそが母性
男性はシステム化して、物事を効率的に、理論的に理解しようとする傾向があります。一方で女性は理屈など度外視にし、感覚的に取捨選択をしていく傾向があります。女子校の文化や伝統もまた、女性特有の感覚的な取捨選択によって選び抜かれた、美しい価値を持っています。
この伝統に共感し、守ろうという女性の姿勢からは、母性を感じずにはいられません。
生物学者・福岡伸一氏は、著書『できそこないの男たち』において、「生物の歴史においてオスは、メスが産み出した使い走りでしかない。メスからメスへ、女系という縦糸だけで長い間、生命はずっと紡がれていた。」と述べています。
つまり、オスは、自身の母親の遺伝子を、別のメスのもとへ運ぶ役割のために作り出されたと説明しています。
すなわち、生命の本質には常に女性がいて、女性には受け継ごうとする本能があるのです。それを私たちは母性と呼んでいるのかもしれません。
女子校の運動会、クライマックスで高校三年生が舞う姿に涙するのも、卒業生や教員、在校生の中にある母性に訴えかけるものがあるからなのでしょう。
女子校には女性の本質であるこの母性を刺激し、育て上げていく究極の教育環境が整っています。時代によって教育カリキュラムは変わっても、この根底にある母性への訴えは変わることなく、受け継がれていきます。
更新日:2023/05/31|公開日:2020/08/05|タグ:女子校