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くだらない話でもつきあえば子どもの表現力は伸びる

子どもの話を聞く

子育てをするときに大事なことは何か、と言うといろいろな答えが帰ってきそうですが、その中の1つに「子どもの話をちゃんと聞く」というものも入っているかと思います。しかしながら、子どもがする「くだらない話」をもきちんと聞いてあげているという人は少ないのではないでしょうか。

 

子どもの話を「ちゃんと」聞けているか

「子どもの話をちゃんと聞く」というのは子育ての基本となることがらです。仕事や家事で忙しく疲れていたとしても、子どもに接する時間はきちんと確保しているという親は多いでしょう。しかし、子どもがしてくる「くだらない話」にもきちんと耳を傾けてあげている親がどれだけいるでしょうか。

 

特に男の子の場合、こうした「くだらない話」が大好きです。大人からすれば聞いても何の足しにもならないようなどうしようもない話であっても、その子どもにとっては大事なことなのです。

 

もともと、男の子はしょうもないことで楽しみ、悪ふざけをすることが好きな生き物です。くだらない話やジョークなども好きで、一度思いついたら言わずにはいられないようなところもあります。忙しい大人からすれば、そんなことにいちいち耳を傾けるのは大変に感じられるかもしれません。

 

やっと仕事から解放されてくつろいでいる時、家事を忙しくこなしている時、新聞や本をゆっくり読んでいたいような時に、子どもが話しかけてきて、しかもその内容がどうでもいいようなくだらないことだったとしたら、ちゃんとまともに取り合うことができるでしょうか。「そんなどうでもいいような話は後にして!」とか、「いいかげんにしなさい!」などと怒ってしまったりはしていないでしょうか。

 

大人はついついそんな反応をしてしまうものですが、子どもに対する反応としてはあまりよいものではありません。大人から見ればくだらないことであっても子どもにすればおもしろいことであり、そして子どもは自分が話したことに対して親が反応を返してくれるのを期待しているものだからです。

 

自分がした話やジョークで相手が楽しんでくれたり笑ってくれたりというのは、男の子にとってうれしいものです。それなのに、話をしたりジョークを飛ばしたりしたときにまったく相手にされなかったり、気のない相づちを打たれたり、いい加減にしろと叱られたりしたらどう感じるでしょうか。そんな経験をすれば、その男の子は自分の話を聞いてもらえないという絶望感を感じることになります。

 

人間というものは、自分がした話をちゃんと聞いてもらいきちんとした反応をもらうことによって、話し相手との相互理解を深め満足を得るものです。しかし、自分の話を頭から否定されたり、まったく話を聞いてもらえなかったりすれば、相手と話をする気が失せてしまいます。

 

相手の話に耳を傾け、それに共感するというのはコミュニケーションの基盤をなすものであり、コミュニケーションがうまく取れたときに自分を受容してもらえたという満足感を得るものなのです。そしてこれは話し手が子どもの場合でも例外ではありません。大人にしてみればどうでもいいような話であっても、笑ってもらえれば満足感を得られる反面、頭ごなしに否定されたり話を聞いてもらえなければ絶望感を感じます。

 

そして、話し手である子どもの年齢が低ければ低いほど、周囲の状況や親の事情を理解できませんので、「お母さん忙しいから後で話してね」と言われたとしてもそれが何故なのか分からないのです。子どもにしてみれば、言いたいと思った時が話を聞いて欲しい時です。そして、その話は親にこそ聞いて欲しいと思った話なのです。

 

子どもが心を閉ざしてしまわないように

子どもの話は内容的にもどうでもいいようなものが多く、さらには話しの運びもまだ未熟であるためよく分からないことが多いものです。従って、大人が聞いていてもよく分からず、苛立ちを感じてしまうことさえあるかもしれません。たとえそうであったとしても、子どもの話を「くだらない」と一刀両断にしてしまうのは問題です。

 

親が自分の話をおもしろがってくれれば、子どもはもっと話をしたい、楽しませたいという感触を得ます。苛立ちを感じたとしても我慢して聞いていれば、そのうちに子どももどう話せばもっと楽しんでもらえるか、ということを模索しはじめ、結果としてだんだんと話し方も上手になってくるものです。どういう順番で話をするのか、どこを省略し、どこを強調すると面白くなるのだろうか、といったように、子どもながらにいろいろと模索し始めるのです。

 

発見したことを親に話したところ、よくそんなこと知っているねと感心された子どもは、もしかすると雑学知識を拾い集めて物知りになろうとし始めるかもしれません。ただ話すだけでなくジェスチャーを交えるやり方を編み出すかもしれません。声の強弱で話に色を添えるやり方を覚えるかもしれません。そんなさまざまな工夫をすることにより、子どもは自らの表現力をどんどん培っていくことができます。

 

子どもの話を頭ごなしに否定し、あるいはくだらないと言って耳を貸さなかった場合には、こんなような表現力の成長は望むべくもありません。初めのうちはいろいろと話をすることを試みるかもしれませんが、毎回迷惑そうな反応に出会えば話そうという気持ち自体が萎えてしまいます。

 

こうなってくると、子どもは自分が親に受容されないという認識を持つようになり、それが進むと自分は愛されていない、自分には愛される価値がない、といったふうに自己否定の思いを抱くようになります。そうなってしまうころには、子どもは親に対してもう心を閉ざしてしまっているでしょう。

 

日々の生活は忙しく、子どもがしてくるくだらない話をいちいち聞いていられないということもあるかもしれません。しかし子どもにとっては、「忙しいから後で」では駄目なのです。実際、後になって「で、さっき言いかけたのは何だったの?」と水を向けても、親に話して楽しんでもらいたい、という気持ちはしぼんでしまっているからです。

 

可能であれば、子どもが近寄ってきて「ねぇお母さん、聞いて聞いて」とやり始めたら、何かしながらでも構わないので聞く耳を持ってあげて欲しいと思います。多少くだらないと思っても、あるいはちょっと分かりにくいと思っても、面白いと感じる部分ではちゃんと笑ったり、「へぇ」と思う箇所があったらちゃんと感心して見せてあげて下さい。そういう反応を得ることで、子どもは豊かな表現力というものを身につけていくことになるからです。

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