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勉強することそのものに意味を見いだせれば、勉強が好きになる!

知は力

多くの子どもが抱く疑問、「どうして勉強しなくちゃいけないの?」。でも、そもそも勉強というのは、すればするほど夢中になり、やめられなくなってしまうものなのです。どうすればそのように勉強に取り組めるようになるのか。それは、勉強することそのものに意味があるのだということに気づけばいいのです。

 

勉強を頑張ったごほうびは、勉強によって与えられた知識です

偉大なる哲学者であるプラトンは、勉強の価値について、興味深い言葉を残しています。彼は「業績に対する賞品は、その業績よりも価値の高いものになるはずだ。勉強をすると知識が得られるが、そのことよりも価値の高いものは、世の中にない。だから勉強をして知識を得ても、賞品が与えられることはないのである」というようなことを話しているのです。

 

つまり、勉強の目的は何らかの賞品を得るということではなく、勉強して知識を得るということそのものが目的なのだということを言っているのです。そう考えると、勉強させるために何かのごほうびを用意するというのは、ナンセンスだと言えますね。

 

それでも、無理やり勉強の目的を作るとすれば、それは、周囲から慕われ信頼されるような人になる、ということだと言えるでしょう。世の中に、これほど価値が大きいものがあるでしょうか。勉強をすると知識を得られて、そのために周囲から慕われたり信頼されたりして、素晴らしい人物になれる。そうなれば「勉強してよかったな」と思えるはずです。

 

人間は、決して一人では生きていけません。生きていくには必ず誰かのお世話になっているはずなのです。だから、周囲の人と力を合わせることができなければなりません。そのためには、人と関わりあう力やたくさんの知識が不可欠です。

 

そして、知識が広く深い人ほど、「この人なら何か知っているはず、解決できるはず」と思われるので、人から信頼されて、自然と多くの人に慕われるようになるのです。リーダーというのはこのようにして出来上がっていくのです。

 

勉強をして知識を得るのは、決して一流大学に入って、一流企業に就職するためではありません。一生懸命勉強して知識を蓄えていったら、いつのまにか一流大学や一流企業に入っていた、というだけの事なのです。

 

本当にすごい進学校というのは、いい大学に受かるための戦術などは教えません。それよりも、勉強の核ともいえるべきものを学ばせるのです。それが結果として、超一流の進学校となっているだけ。目先の特典にこだわらず、勉強そのものを学ぶということが、結果として成功を収めるというわけなのです。

 

理解できた時の喜びが、子どもを勉強に駆り立てる

勉強をきちんとしさえすれば、大人も子どもも、だんだんと物事を広い視界で見られるようになります。視界が開けてくると、同じように勉強しているのに、なんだか楽しくなってくるものです。そしてさらに勉強を続けると、視界はもっともっと広がっていく。この連続を楽しんでいるうちに、次第に成長していけるのです。

 

ある心理学者は、努力をする目標は、大学合格かもしれないし、昇給かもしれない。でも、人が幸せになれるのは、そのような願いがかなった時ではないと言いました。彼が言うには、幸せを感じられるのはいつでも、その目標に向かって努力しているその途中であるはずだというのです。

 

この事は、勉強に当てはめることができます。一生懸命勉強しているうちに、今まで理解できなかったことが理解できたとき、大きな喜びを感じるものでしょう。つまり、勉強している過程に、喜びがあるというわけです。

 

子どもたちが進んで勉強するようになるには、この事に気づけばよいのです。ちゃんと勉強を続けていたらできるようになった!そしてそれができたら、次はこれについて知りたくなった。頑張って勉強し続けたら、そのことも理解できるようになった!このような流れができてしまえば、子どもは自ら勉強に取り組むようになるのです。

 

その流れを作るためには、やはり大人が手伝ってあげる必要があるかもしれません。つまり、勉強を頑張ったらできた!分かった!という経験をたくさん積ませてあげるのです。子どもたちの中には本来、「知りたい」という気持ちがちゃんと存在するはず。大人がそれを上手に表面に持って来させればよいのです。

 

もともと「知りたい」という気持ちが備わっているのに、なぜそれが表面化してこないのかというと、子どもたちの意欲をそぐような環境があるからです。ヨーロッパではかつて、お金持ちの子どもたちは学校へ通わず、家庭教師をつけて自分のペースで勉強をしていました。本質的な勉強をするには、それが一番なのかもしれません。

 

でも、現実には難しいことです。学校に行って勉強するのが普通の事ですから、どうしても自分がやりたいことをやりたいようには学べません。そこから、勉強するのが嫌だという気持ちが生まれてくるのです。

 

勉強は本来、自分の中にある「知りたい」という気持ちに誘われて始め、どんどん続けていくというやり方が理想的なはずです。もちろん、学校で学ぶ利点も大きいので、みんな学校に通うわけですが、そうすると理想的な勉強のやり方ができなくなってしまうというジレンマが生じるのです。

 

あることが理解できるようになるまでどのくらいかかるのかは、人それぞれであるはずです。あることを理解するための道筋もまた、人それぞれです。それなのに、「勉強しなさい」「このことを、このようなやり方で学びなさい」というように始めから誰かに決められてしまっているから、やる気を失うのです。

 

勉強というのが強制されるものだという認識が出来上がってしまっては、「どうして勉強なんてしなければならないの?」という気持ちになってしまってもしかたのないことでしょう。

 

本当は、勉強において大事なのは、周囲から落ちこぼれずについていくことや、誰かよりも成績を上げようと競うようなことではありません。勉強というのはマイペースでやっていくものだということを分からせてあげれば、勉強が嫌いだと言っていた子どもでも、「知りたい」という意欲に火がついて、自分から勉強の扉を開くと思います。

 

最初の扉を開いて歩いていけば、次に開きたい扉にたどり着くには、そこまでの道を頑張って歩けばよいのだという方向性が見出せます。勉強というのは本来このように、自分が知りたいことが何なのかを知ることから始まるのではないでしょうか。そして、最初の扉を開くことがなければ、自分がやりたいことを見つけることすらできないのです。

 

さて、自分が知りたいことが見つかれば、そこからは次から次へと、開きたい扉が見えてくるはずです。自分がやりたいことに気づくことができれば、そのためにはこれができないといけない、さらにそのためにはこれができなければならない、という具合に。

 

勉強というのは、その小さな積み重ねを繰り返していくことです。最初の一歩を踏み出すように勉強を始めてみれば、きっと自分が知りたいこと、やりたいことが見えてきます。そうなれば、後は自然と、小さな積み重ねを繰り返していけるようになるのです。

 

「蝶の生態を知りたい」というような、はっきりとした目標でなくてもいいのです。漠然と、「科学をやる人になりたいな」というものでもいい。それだけで、目の前にある、学校での勉強にも身が入るようになってくるのです。

 

専門外のこともしっかり学ぶからこそ、専門分野で大きく成長できる

自分の興味や関心がはっきりしているとか、なりたいものがすでにしっかりと決まっている子どもは、学校において「どうして自分はこんなことを勉強しなければいけないんだろう。自分の将来には全く関係ないのに」と思うかもしれません。将来の夢がまだない子どもでも「この数式、大人になってから役に立つのかなあ」などと疑問をもつことでしょう。

 

それくらい、学校ではとても幅広い分野について学ぶことになります。でも、どんなに役に立たないように思われることでも、学校で学んだすべてのことは、将来に生かされるのです。これは、どんな職業についたとしても、同じく言えることなのです。

 

「僕は将来、サッカー選手になりたい。だから数学の勉強など必要ないのではないか」と考える人もいるでしょう。でもそれは違います。数学の問題を解くことで、数や図形などに関する感性が磨かれていきます。この感性は、サッカーにとどまらず人生のあらゆる側面で、私たちの考え方に影響してくるはずです。

 

逆に、数学者を目指す人は数学だけやっていればよいかというとそうではなく、音楽に触れたりスポーツに励んだりすることも、きっと大きな影響を受けることになるでしょう。学校で様々な分野の勉強を教わるのは、そういう意味なのです。

 

脳の仕組みから考えてみても、いろいろな分野を勉強することは、とても意味のあることです。脳内では、国語も数学も音楽も、それらを分ける壁を越えて、つながっています。そのつながりあいが緻密になれば、ある分野の情報をたった1つ得ただけにもかかわらず、たくさんの分野で活用することができるようになるのです。

 

自分の知識を樹木に例えるならば、このような分野を超えた脳内のつながりあいは、根っこの部分に相当します。根っこがしっかりと様々な分野に広がっているからこそ、好きな分野における学びが栄養となり、自分の専門分野の幹を太く成長させたり、枝を伸ばしていったりすることができるのです。

 

どんな夢を持っていても、どんな職業を目指しているとしても、様々な分野の勉強をしなければならないというのは、こういうわけなのです。「こんなこと、自分には関係ないのになぜ学ばなければならないの?」と子どもが言ってきたら、「専門分野で成長したければ、いろんなことを学ぶことが必要不可欠なのだ」と説明してあげてはどうでしょうか。

 

これまでの教育を踏まえながら新しい教育を行えば、日本の教育はレベルアップする

毎年カナダで、世界的規模で行われる講演会があるのですが、そこでの発表者は大人だけではありません。何と高校生が自身の研究や発明を発表することもあるのです。そのような高校生が必ずしも進学を希望するかというとそうではなく、そこに日本との違いを感じます。日本の高校生といえば進学を考える人が多く、しかも難易度を考慮しながら志望大学を決めているという状況ではないでしょうか。

 

これからの時代、社会はますますグローバル化していきます。世界的に共通する基準というものがどんどん日本にも入ってくるでしょう。それは教育界にも間違いなく及んできます。だから、何も受験校を日本の大学の中だけで考えず、海外の一流大学までも視野に入れることが、普通になってくるかもしれません。

 

もしもそうなったとしたら、今までのような日本の受験勉強では歯が立ちません。受験の時に、日本の大学で求められることと、外国の大学のそれとでは全く違うからです。いずれ日本は、従来の受験勉強のような教育の体制を変えなければいけない日を迎えます。今はまさに、そんな時代に差し掛かりつつある時なのかもしれません。

 

そんなことばかり聞かされると、「じゃあ、今の教育は受けても無駄だってこと?」という気持ちにもなるでしょうけれど、そういうわけではありません。教育の目的はいつだって、子どもたちが将来自立するために必要な知恵や技術などを獲得させることであるはずです。受験勉強に代表されるような、今までの教育は、それを身につけさせないものであるかというと、決してそうではないのです。

 

これからは、世界でも通用するような力を育てなければならないにもかかわらず、同時に、いわゆる受験勉強に代表されるような教育も受けさせなければならないので、親としてもとても難しく感じられることでしょう。

 

このような特殊な状況にある日本ではありますが、別の視点から考えてみれば、難しい局面にあるからこそ、日本の教育が急成長する可能性も大きいと言えます。当然のことながら、古いものが新しいものに移り変わっているその時期に、新しいものが生まれるからです。

 

現在行われている日本の教育は良くないもので、世界にも通用するような教育が良いものというとらえ方をやめてみましょう。今までの教育を踏まえつつ世界で通用する新しい教育を行っていけば、お互いがお互いを補い合って、さらなる効果が期待できると思ってみてはどうでしょうか。

 

そうなれば、世界的基準に基づいた教育だけをやるよりも、もっとグレードの高い教育が作り出されるかもしれないのです。これからの日本は、そこを目指していくべきではないでしょうか。そう考えれば、「日本の学校にこだわらず、高校から外国に行かせなければ」などと焦ることはないわけです。

 

日本の従来の教育も捨てたものではありません。その証拠に、日本の中学生や高校生の数学の力は、世界でもトップクラスだという事実があります。数学はどの国に行っても同じものですから、その力は十分、世界に出ても有効に働きます。

 

それを大事にしつつ、今後は英語やコンピュータを使いこなす力が必要ですし、与えられた情報を鵜呑みにしないで、必ず自分の頭で考えて判断するような思考方法を身につけなければなりません。

 

今の若い人たちは、だいぶコンピュータを自在に使いこなせていますから、残り2つが問題です。特に英語教育は、外国の人たちから見ればかなりおかしな点がたくさんあるそうです。でも、だからと言って従来の英語教育が、世界で通用する英語を学ぶ上での妨げになるわけではありません。要はそれぞれが、勉強の仕方をいいように変えていけばよいだけです。

 

ただし、これまでの日本の教育の在り方では、与えられた情報について自ら考え判断する力はつきにくいと思われます。この力を身につけさせる授業法を開発する必要があると思います。

 

この力をつけさせることについては、親でもできることがあります。日常会話で、何かにつけ、「あなたはどう考える?」という問いかけをしてみましょう。そこから親子の議論を始めるのです。正しい答えを教える必要はありません。自分の考えを筋道立てて説明する練習をさせるのです。

 

今までの日本の教育を「効果のないもの」「古いもの」と捨てる必要はありません。今まで積み重ねてきたものの上に、さらに、世界でも通用するような教育を乗せていけばよいのです。それができた時、日本は教育において世界でも上位になれることでしょう。そんな可能性を、日本は持っているのです。

 

子どもが本来持っている「知りたい」意欲を引きだすのが親の役目

そもそも勉強というのは、人から教わるのではなく、自己流で進めていくものなのです。学校に通うのが普通である今の時代でも、大学に入ったころからは自分の力で進めていく勉強の比率の方が高まってきます。

 

今の世の中、普通の人でも専門的な本を手に入れることはたやすくできます。本を読まずともネットを駆使すれば、専門的なことでも調べることができます。大雑把に言ってしまえば、わざわざ大学に入らなくても、自分のやりたいことを学ぶことができるというわけです。

 

でも、だいたいの人はそのような道を選ばず、大学進学を目指します。それはなぜか。何といってもそれは、実際に学校へ通って教授の口から説明を聞くことで実体験となり、知識が定着しやすいからだと言えるでしょう。やはり学校での勉強には意味があるのです。

 

大学入試で合格するためとか、勉強はしなくてはならないものだからとか考えていると、学校での勉強が嫌になってしまいますが、自分が知りたいことを学ぶために、学校へ行くという手段をとっているのだと考えれば、がぜん勉強に対するやる気が高まってくるはずです。

 

勉強というのは、知りたいことがある限り、一生続くものです。何かを知りたいと思うと、勉強するべきことがどんどん出てくるのです。大人はそんな体験をすることができますが、子どもの頃にそのような気持ちになるのは、なかなか難しいかもしれません。

 

子どもでも、例えば昆虫に興味をもったりすると、このような気持ちで勉強ができるかもしれません。昆虫の種類は膨大にありますから、知りたいと思ったら勉強することは山ほど出てくるからです。

 

大学入試に合格することを目指して勉強をする人が多いと思いますが、それが勉強をつまらなく思わせている原因にもなっていると思われます。受験での合格を目的にするのでなく、目的地のない探検をするような気持ちで、童心に戻ってマイペースに歩くように学ぶことができたら、楽しく勉強ができるはずです。

 

「この道に来たら、こんな面白いものを発見したぞ!あの道に行ったらどんな面白いものがあるだろう」と自由に探検するように勉強ができたら、暗記に苦しむことなく、どんどん知識が頭に入ってくるはずです。

 

このようなやり方で勉強をしていると、ちょっと難しい局面を迎えても、それをクリアしたときのとてもうれしい気持ちを体験すれば、それがまた勉強し続ける力となるのです。

 

たいていの親は「どうしたらうちの子は勉強するようになるだろうか」と悩むものですが、子どもに「勉強しなさい」と言うことが親の仕事ではありません。子どもたちにはもともと「知りたい」意欲が備わっています。何が引き金となってその意欲が引き出され、高まるのかを考えるべきではないでしょうか。

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