子どもが夢中になれる「好きなこと」こそが知的好奇心には重要!
知的好奇心のある子どもは、知識を吸収しどんどん伸びていきます。我が子には知的好奇心を持ってもらいたいですね。そのためには、子どもが持つ小さな疑問を大切にしていく必要があります。また、せっかく芽生えた知的好奇心をさらに伸ばしていくには、子どもが心からうち込める「好きなこと」を大切にするとよいのです。具体的にお話ししていきましょう。
我が子は何に興味をもっているの?それを知り伸ばしていくのが親の務め
親になると、たいていの人が「子どもの興味関心をもっと広げてやりたい」と思うようです。そしてそれは、子どもの身の回りにあるものすべてが対象になります。近所でよく見られる植物や昆虫について、音楽に関することについて、芸術に関することについて…。子どもに知ってほしいことは、次から次へと見つかります。
でも、子どもにだって個性がありますから、親が興味をもたせたいことにいつも反応を示すかというと、決してそうではありません。母親が植物に興味があるからと言って、お散歩途中に見かける花々について詳しく説明しても、子どもはうわの空、なんていうことはよくあることです。
親が、いろんな風景を見せたり文化に触れさせたりするために旅に連れ出しても、移動中の乗り物中ではゲームに夢中になって、風景を楽しむどころではないというケースもあるでしょう。親がこんなところに注目してほしいと努力していても、なかなか親の思う通りに、子どもの興味関心を引き出せるものではありません。
最近は特にそれが難しくなっているように思われます。それは、親が子どもに知らせたい、自然や文化の素晴らしさよりも、ゲームやテレビなど、子どもの目を簡単にくぎ付けにするものが、いつも身近にあるからです。
難しいからやらなくてよいのではありません。やはり子どもが小さいうちに、世の中の様々なことに目を向けさせる工夫はしていくべきです。それは、今子どもが興味をもてないものでも、成長していくうちにその子の役に立ったり、改めて関心がわいてきたりすることも多いからです。
ピアノを習わせることを例に挙げてみましょう。ピアノだけでなく全ての楽器がそうですが、大人になってから習得するのは難しいものです。だからと言って、ピアノをやりたいと思っていない子どもをずっとピアノ教室に通わせるのは、なかなか骨の折れることでしょう。最初からピアノが好きで、ずっとやり続けたいと思っている子どもなら話は別ですが…。
でも、いやいや習っていたとしても、なかなか上達しなかったとしても、習い続けることで譜面を読むことはできるようになるはずです。これは大きくなってからも役立つ、大切な知識を身につけたと言えるでしょう。
それから、親が子どもに、自然に対する興味を育てたいと思った場合についてです。そのために子どもをしょっちゅう旅行に連れ出したり、キャンプをしたりしているのに、肝心の子どもは全く自然に関心を示さない…。それでも川遊びや料理などを、その子なりに楽しんだようであれば、親子で楽しく過ごした、かけがえのない思い出はできたはずです。
植物が大好きな母親と出かけるたびに、「梅の花が咲いているわ」などと植物の名前を聞くことになれば、その時は聞き流していたとしても、後になったら記憶として残っていた、なんていうこともあるものです。
また、親が働きかけた時には何の興味も抱けなかったことなのに、成長していくうちに「小さいころよくこんなことを親が言っていたな」と思い出して、だんだんとそれが好きになっていくということもあります。
子どもが大きくなってから、「昔はピアノなんて嫌だったな。でもせっかく習ったのならもう少し続ければ上達したかも…。全くの初心者ではないのだから、もう一度習ってみようかな。」と考えることもあるでしょう。
今までやったことのないものに、いきなり興味をもつようになるなどということは、大人であってもあまりないことです。仮に興味をもったとしても、大人になって一から始めるのは…と躊躇することが多いでしょう。
ですから、幼いころにいろんな分野に興味をもたせるよう、親が働きかけるのには大きな意味があります。その時に効果がなくたって、大きくなってから役立ったり、興味をもったりする可能性は大いにあるからです。
ただ、やみくもに何でもやらせてみようというのは、親子共々大変なことです。でも、毎日我が子と関わっている親であれば、これはうちの子も興味をもちそう、というものが何となくわかってくるもの。それをもとに、我が子に合っていそうなものを見出し、関心を持ったようならそれをどんどんと伸ばしてやればよいでしょう。
「くだらない!」とやめさせないで!子どもの興味が将来を決めるかも…
レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画、音楽、地誌学など多方面で業績を残しており、万能人と言われています。よもやあなたは、我が子がレオナルド・ダ・ヴィンチだと思っているのではありませんよね?そういう子どもももちろん生まれる可能性はありますが、そこまでの過度な期待をするのはどうでしょうか。
様々な方面で偏りなくできるように、と思わずに、我が子の好きなこと、得意なことをもっと成長させるようにと考えてみませんか?子ども一人一人に個性がありますし、それによって向いていることも違います。得意なことと不得意なことがあっても当たり前なのです。
幼いころに戦艦に興味をもち(戦艦が流行った時期があったのです)、戦艦模型作りに夢中になったり、そこから派生して戦記のジャンルの本を読みあさったりした人は、歴史の中でも太平洋戦争の頃にとても詳しくなることでしょう。
何かを好きになると、それに関連した様々なことが知識として身に付いていくものです。だから、子どもが何かに夢中になっていることは、それが大人の目にはくだらなく見えたとしても、決して止めてはいけません。「そんなことしている時間があるなら、少しは勉強したら!?」などと怒ってはいけないのです。
子どもがいったん興味をもつと、どんどんその興味を掘り下げていくことがあります。電車好きの子どもが、山手線の駅名を順番にすらすらと言ってみせるとか、日本全国の鉄道名を全て言えるとか。車好きの子どもが、目にする自動車の車種を次から次へと言ってみせるとか。
残念なことに、この知識が毎日の生活に直接役立つことは、あまりありません。だから親からすれば、「こんな無駄なことをしている時間があるなら…」と思ってしまうのです。でもここで、子どもの関心をさえぎって、親が求めることをさせようとしてはならないのです。
例えば日本全国の鉄道名を覚えてしまった子どもは、それだけに飽き足らず、その鉄道おすすめスポットを知ることを通して、日本の地理に詳しくなるかもしれません。自動車の車種を覚えるのが得意な子どもは、今度は自動車の仕組みについて知りたくなるかもしれません。電車や車の今と昔を調べるうち、歴史に興味をもつかもしれないのです。
むろん、今興味をもっていても、すぐに興味が別のものへ移ってしまうこともあるでしょう。でも、何かに夢中になっているということ自体が、とても大事なことなのです。その興味の対象がどのようなことでもいいのです。子どもが何かに夢中になっていたら、そこに横やりを入れたりやめさせたりする権利は、親にだってないのです。
「でもこんなことやっていても、成績が上がるわけじゃないし…」と思ってしまいがちですね。でも、今何かに夢中になっているのなら、その子は「夢中になる力」を持っているということ。何かに一生懸命になったという経験が、後々絶対にその子の力になっていくはずなのです。
成長に伴い、興味の対象が変わっていくことはよくあります。幼いころは読書に夢中になっていたのに、少し大きくなったら野球命の少年になっていた、などなど。子ども自身でも、小さい時はどうしてあんなものが好きだったのかなあと思うこともあるかもしれません。
興味の対象がいろいろと移り変わっていっても、ずっと変わらず好きなものや、何となくいつも忘れられないものが決まっていくのです。そしてそれこそが、その子の個性と言えるのです。
養老孟司さんという方をご存知ですか?解剖学者であり、「バカの壁」という本を執筆されました。養老さんは昆虫採集を目的に、日本のみならず外国にまで行ってしまうような方です。幼いころ好きだったことが今でも続いているのです。虫好きが高じて、解剖学の世界に入っていったのでしょう。養老さんの精神には、虫取りから学習したことが根付いています。
大人になるまでに夢中になったことというのは、将来の職業にもつながっていきます。夢中になったことが糸口となり、どんなことを学びたいのか、そのためにはどこに進学すればよいのか、そして将来どのような職業につきたいのかがおのずとわかってくるのです。
こう考えてみると、小学生の頃は、個性が形成されるとても大切な時だといえます。はた目には「何の役に立つの?」と思われることでも、その子の将来にどのようにつながっていくのかわからないのですから、ぜひとも子どもが夢中になっている姿を、温かく見守ってあげてください。
我が子が夢中になるのはテレビゲームだけ…そんな時は親が時間の管理をしっかりと
「夢中になることは大切、と言っても、どうもうちの子はテレビゲームにしか興味がないみたい…」そんな場合も、子どもがやるがままに任せておいてよいのでしょうか。いいえ、テレビゲームに夢中になっている場合は、少し例外と考えましょう。
近頃のテレビゲームの進化は目を見張るものがあります。宣伝もすごいですし、誰しもが夢中になれるよう上手に作られているのですから、子どもたちが大好きになるのも当然でしょう。そのままにしておいたら、永遠にゲームをし続けるかもしれません。はまってしまった人は、大人であっても夜通しやってしまうことがあるくらいです。
子どもたちの中にはすっかりゲームのとりこになり、帰宅後はすぐにゲーム、夕食を食べるとき以外は就寝時間までゲームをし続けるという子どももいます。ゲームを問題視する声も大きいですが、ここまでゲームが浸透している現代、ゲームは一切禁止とするのは無理なことでしょう。問題なのは、何の規制もなくゲームに取り組むというやりかたです。
テレビは家に1台、リビングや茶の間にあるという家なら、子どもがずっとテレビゲームをやってたのでは、他の家族がテレビ番組を観ることができません。これが、子どもテレビゲームをやる時間を管理するためのポイントです。今はテレビが家に複数ある家も多いですね。でもこれでは、子どもがいつどのくらいテレビゲームをしているのか把握できません。
そういう意味でも、テレビは家に1台と決め、見る時間については親が管理権を持つという方針にすることをおすすめします。子ども部屋があてがわれ、ご丁寧にそこにはテレビまでついていたら、親に干渉されることなく、どれだけでもテレビゲームをやり続けられることになってしまいます。
でも親が見ているところでテレビゲームをすることになっているなら、親が「ちょっと長すぎるな」と思ったところで「もうやめよう」と声をかけることが可能です。子ども部屋にこもってしまっていては、どれだけやっていたのかが分からず、いつ声をかけたらよいかわからないでしょう。
新しいゲームは続々と発売されていきます。それも災いして、子どもはますますゲームに夢中になり、時間を過ぎるのも忘れて没頭するものです。時にはテレビ番組を見るよりも、ゲームをしている時間の方が多いくらいになるのです。
テレビもついついだらだらと見てしまう恐れがありますので、テレビ番組を見る時間についても決め事を作っておくべきですが、同様に、テレビゲームをする時間はどれくらいにするのかも、決まりを作る必要があります。どれくらいやるかについては各家庭で決めればよいですが、平日は1時間以内、休みの日であれば2時間以内にとどめておくべきでしょう。
重要なポイントは、子どものテレビゲームについての約束事は親が決めるもの、ということを、子どもに知らしめることです。そのためには、テレビゲームを持たせたとき(多くは小学校低学年の頃でしょうか)から、親が決まりを作りきっちりと守らせなければなりません。最初は好きなだけテレビゲームをさせてもらえた子どもが、勉強に本腰を入れてもらいたい高学年ころになって、いきなり「今日からゲームは1時間だけ!」と親に押し付けられても、どうして納得することができるでしょうか。
「家でゲームをやる時間を決めて守らせても、よその家に遊びに行ってしまうと自由にやってしまう」そんな悩みも多いようです。これはどうしようもないことです。親が一緒に行くわけにいきませんから。ただ、友達の家でやったとしても夕方には帰るわけですから、時間が無制限であるわけではありませんので、それはそれでよいのではないでしょうか。
ゲームをする時間が一番の問題なのではありません。ゲームは一つの例であり、他にも家にはいろんな決まりがあるはずです。最も大切なのは、子どものための約束事を決め、守らせるのは親の務めであるということを、子どもがしっかりと理解することなのです。
上手に使えばゲームも良い道具です
ゲームがもたらす悪影響については、様々なことが言われています。例えば、敵と戦ってやっつけることで次へ進んでいけるゲームばかりしていると、ゲームの中の世界に慣れ、他人を傷めつけたり殺したりといった残虐な内容も平気になってしまうということがあげられます。未成年の凶悪犯罪が増えてきているのも、これが原因の一つではないかと言われます。
ちょっとこれは、と思うような残虐な内容のゲームも結構あるのが現実です。しかし、そのようなゲームを子どもに近づけさせないようにしていても、実際はテレビのニュースなどを観ていれば、残酷な事件がいくらでも子どもたちの目に入ってきます。また、学校でいじめなどがあれば、もっと身近に残酷なことや不合理なことを感じることがあるでしょう。
つまり、いくら子どもにゲームをさせないようにしていても、ゲーム以外の世界から、様々な悪影響を受けてしまう可能性があるというわけです。ゲームばかりやっていれば、ゲームの中の世界と現実との境界線がぼやけてしまうかもしれません。でも時間をきちんと守って適度にやるなら、子どもであってもそこの境界線はきちんと見えているはずなのです。
ゲームは子どもに悪い影響を与えると心配しすぎるのではなく、今の子どもたちにはなくてはならない遊びの手段なのだと理解し、やりすぎはやめて勉強の後のご褒美に時間を決めてするなど、上手に生活に取り入れていけばよいことなのです。
ある家庭では、親はゲームの時間に厳しくしていたけれど、やはり息子はゲームにはまるようになりました。余談ですが、同じきょうだいでも娘の方はそれほどゲームに執着しなかったので、よりゲームにはまりやすいのは男の子なのかもしれません。
その息子が大好きだったゲームは「信長の野望」という名のゲームです。これは、戦国時代を舞台とし、全国統一を目指す歴史ゲームです。これに夢中になったことで、その息子は日本史を知りたくなりました。戦国時代をはじめとする日本史の本を次々と読むようになり、日本史に詳しくなっていったのです。
高校進学する頃には、得意科目は日本史となり、特に戦国時代においてはかなりの通となったのです。この子だけでなく、このゲームをすることによって日本史に興味をもてるようになった人は多いようです。
このことからも分かる通り、ゲームは悪影響しか与えないというのは間違った認識です。その内容によっては、子どもがそのゲームの世界に関わる何かに興味をもつきっかけになるかもしれません。大切なのは、親が、ゲームをする時間などのルールを決めて守らせる、という姿勢なのです。
読書のきっかけは漫画でもOK!
勉強とともに、多くの親が子どもにつけさせたい習慣、それは「読書」です。日常的に本を読む習慣のある人が減ってきていると言われる昨今ですが、どうも若い人を中心として、本離れが進んできているようです。
でも、本を読む習慣がなかったり、読書が苦手だったりする人は、別に今の時代だけでなく、昔からいたはずです。昔と違って現代は、私たちをすぐに楽しくさせてくれる手段がたくさんあるため、以前よりも本が身近な存在ではなくなってきたということなのではないでしょうか。
私たちをすぐに楽しませてくれるものの一つに、漫画があげられます。子どもも漫画が大好きです。でも多くの親は、漫画よりもちゃんとした活字の本を読ませたいと考えていますから、子どもが漫画を読んでいると「漫画ばっかり読んで!」と注意したくなるようです。
でも、読書をするきっかけに漫画があっても、それはそれでいいのです。漫画を読むのをやめさせず、漫画から児童書へと目を向けさせていけばよいのです。また、漫画をうまく利用する方法もあります。親子で同じ漫画を読み、その内容をネタに、親子の会話を増やしていくのです。
漫画の中には、人の生き方や社会のことについて、深く考えさせられる内容のものもたくさんあります。手塚治虫さんの作品などは、まさにそのような漫画と言えるでしょう。それに、井上雄彦さんが描いた講談社出版の「バガボンド」は宮本武蔵が主人公となっている漫画ですし、同じく井上さんの著書である集英社出版の「SLAM DANK」という漫画は、バスケットボールに燃える高校生たちを描いた、読みごたえのあるものです。
これらは子どもたちにも大人気の漫画で、大人が読んでも面白いと感じられるような内容になっています。少女漫画で言えば、池田理代子さんが描いた「ベルサイユのばら」が代表的でしょう。集英社文庫や中公文庫などいろいろなところから出版されています。これはフランス革命のあたりを舞台とした長編もので、内容にも重みがありますね。
漫画は子どもたちだけでなく、大人をも魅了します。漫画はすでに、一つの表現方法として確立されており、その内容は意外と高度なのです。子どもたちが最初にはまる漫画は、簡単でわかりやすい内容のものでしょう。そこから徐々に難しい内容の漫画へと、「これも面白いよ」と紹介してあげるような形で、親から誘っていってあげればよいのです。
漫画ではなく活字の本については、子どもが自ら興味を覚え、知らぬ間に本を読むようになっていけばありがたいのですが、そううまくはいかないようです。読書の習慣をつけさせたいなら、我が子の好みをリサーチし、子どもが興味をもちそうな本をさりげなく与えるようにするのが良いでしょう。
例えば、物語のような本が好きそうだと感じたら、ファンタジーを感じさせる空想的なジャンルの本を探し、「面白そうだから読んでみたら?」と渡してみるのです。
本の世界に興味をもたせるには、幼いころから、寝る前の読み聞かせタイムを欠かさず設けるのがベストです。毎晩、絵本でも童話でもいいですが、本の世界に浸る時間を作っていれば、子どもは自然と本好きになるのです。
とはいえ、忙しい毎日を送っていると、そんなことは難しいと感じられる場合もありますね。読み聞かせが出来なかったら、子どもが漫画に興味をもち始めた時に、どんな内容の漫画が好きなのかを調べ、それと同じようなジャンルの本を探して子どもに勧めてみましょう。漫画をきっかけに、本の世界にも興味をもっていくようにすればよいということです。
その習い事、子どもの重荷になっていませんか?
近頃は、一人で多くの習い事をかけもちしている子どもたちが増えています。子どもの習い事としてまず思い浮かぶのは楽器、中でもピアノはダントツでしょう。また、水泳教室も人気が高いようです。
子どもの情操を養う方法として音楽を習わせるという考えもありますし、演奏することができる楽器が何か一つあるとよいとの考えで習わせている方も多いでしょう。水泳教室の場合は、やはり丈夫な体作りというのが一番の目的であることが多いようです。
ですが、楽器の場合で言いますと、小さいころちょっと習ったくらいでは、一定のレベルには達しません。楽譜を見て初見で弾くくらいの技術を身につける前に、だいたいの人がやめてしまっているのです。
小さい頃に楽器を習ったことのない人でも、のちに音楽が好きになったというケースは、決して少なくありません。だから、音楽に触れさせて子どもの情操を養いたいという考えをお持ちでも、別に無理やり楽器を習わせなくて良いのです。むしろ、子どもはやりたくないのに親が楽器を習わせ続けたがために、逆に音楽嫌いになってしまうこともあるでしょう。
また、習っていた頃は嫌で仕方なかったから、ある時やめてしまったけれど、もっと時間が経った後に「あのまま習い続けていたら、今頃はすごく上手になっていただろうに」と振り返ることもあるでしょう。
友達がすごく上手にピアノを演奏しているのを見て、「もっと頑張って続けていたら…」と感じたことをきっかけに、ピアノを習うのを再開するケースもあるでしょう。一度やったことがあるのですから、成長した後に一から習うのとはわけが違います。
「子どもには無限の可能性があるのだから、いろいろな習い事に触れさせたい」。それは親なら当然持つはずの思いです。でも、今日は水泳教室、明日はピアノ、その次は書道教室…と、毎日のように習い事があるようでは、子どもはいつ友達と遊べばよいのでしょうか。
習い事は、子どもに向いているジャンルをよく見極めてから選び、あくまでも子どもの重荷とならないようにするのがポイントです。また、子どもに過度な期待をしないというのもたいせつなことです。小学校低学年であれば、きっかけを与えてみて、向いているかどうかを見定めるとか、子どもの世界を広げてやるとかいう考えでいるのがよいでしょう。
習い事に関して、最も親にやってほしくないことがあります。それは、自分が果たせなかった夢を子どもに受け継がせるということです。このような思いで子どもに習い事をさせると、子どもがその習い事を好きかどうかは関係なく、「とにかくやりなさい」と強く押し付けてしまうことになります。
その習い事に対する才能がある子どもなら、本人が怠けたりやめたいと言ったりしたときには、厳しく接することも必要になるかもしれません。ですがたいていは、子どもが嫌がるのであれば、その習い事に対する才能はないということなのです。
子どもがそのような様子を見せたら、もう親の夢はすっぱりと諦めましょう。習い事は誰のためにするのでしょうか。それはもちろん、子ども本人のためです。我が子には向いていないなと感じたら、それ以上無理やりさせるのはやめましょう。
更新日:2019/11/29|公開日:2015/04/11|タグ:知的好奇心