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新聞には今の社会を生きるためのあらゆるノウハウが詰まっている

新聞

あなたの家では新聞を取っているでしょうか。新聞は、とにかく便利なメディアです。あらゆる情報の源であると同時に、他のメディアにはないメリットがあり、また新聞を読むことで養われる力がたくさんあります。

 

それだけに、昔に比べて新聞を購読する人が圧倒的に減った現況は、実にもったいないと言わざるをえません。新聞というメディアのメリットや、新聞を読むことで養われる力について考え、今一度新聞について見直してみましょう。

 

新聞には、ネットにはないメリットがある

現代はインターネットが普及し、必要な情報を好きなだけ検索できる時代ですから、新聞を取っていない家庭が多くなっています。新聞なんて今はもう必要ないのでは、とお考えの方もいらっしゃるでしょうが、しかし新聞は必要です。なぜなら、ネットのメリットとはまた違ったメリットが新聞にはあるからです。

 

当然ネットにも良さはたくさんあります。まず一番に検索が楽であることです。過去の記事も簡単に検索できますし、関連性のある記事も一緒に検索にヒットしてきますから、それらをまとめて読むこともできます。新聞のように、図書館へ行って、過去の縮刷版を広げ、時間をかけて目当ての記事を探すという手間はいらないわけです。

 

しかし、そういう風にネットに良さがあるように、新聞にも新聞にしかない良さがたくさんあります。新聞の良さを認識し、新聞に日ごろから触れておくことで、様々な恩恵を受けることができます。

 

新聞が紙媒体であることのメリット

ネットでは画面をスクロールしてさっと流し読みすることが多いので、あまり記憶に残りません。さっと読めるところは利点でもありますが、記憶に定着させようと思ったら、やはり紙媒体の方が有効です。紙に印刷された文字には「場所」があるからです。

 

ネットではスクロールすることによって文章の場所が変わってしまいますが、紙に印刷された文章は場所が変わりません。また新聞ならば、見出しの位置や大きさ、記事自体が縦長であったり横長であったりと、レイアウトが様々であることも、思い出すときに手掛かりとなる記憶のフックの一つになります。

 

本にも言えることですが、紙の媒体に書かれた文章は「あの内容は新聞の右下あたりに載っていたな」というように、自然に場所と一緒に記憶され、それが記憶のフックにとなって容易に思い出すことができます。それに比べてネットの文章はみな横書きでレイアウトも一様でメリハリがなく、思い返しづらくなります。

 

また新聞は、紙面をぱっと見た時に、いろいろな記事を航空図のように一覧できます。すると、レイアウトの様々な記事、見出しが視覚から入ってきて、その中から読みたい記事を選んで読んでいくことができます。そういう「一覧性」も新聞の強みの一つです。

 

ネットでは順番に流して読んでいくことを求められますが、新聞は好きな記事、欲しい情報から選んで読んでいけるわけです。

 

新聞をみんなが読めば、社会の支えになる

新聞を毎日読んでいれば、政治や経済のことについて、新聞を読んでいる人同士で深い話をすることができます。しかし二人でそういう内容の話をしようとしたときに、片方が新聞を読んでいないと、話は深まっていきません。この人は今の社会のことがあまりわかっていないなとわかれば、まずそういう話題にならないはずです。

 

こうなると、話題は社会以外のことになります。「ここ最近天気が良いね」とか「あの商品は試した?」とか、日常的な話題になります。日常的な話題が悪いということはありませんが、そういう話ばかりだと、社会へ意識が向きづらくなってしまいます。

 

こういう状態だと、授業や就活など、不意のタイミングで政治や経済について意見を求められると、返答に困ってうろたえてしまうでしょう。今の若い人は、多くがこういった状態です。

 

今の大学生は、ほとんどが新聞を読んでいませんが、昔は大学生の一人暮らしであっても、だいたいの学生が新聞を取って読んでいました。今は電車に乗ると、みんなスマホを眺めていますが、昔は電車の中で新聞を読んでいる人がたくさんいました。

 

なぜそんなにもみんなが新聞を読んでいたのかといえば、新聞には所狭しと新しい情報が載っているからです。新聞は、何年、何十年と前に書かれた本と違い、今日、昨日の情報が書かれています。そうした新鮮な社会の動向に触れるのが心地よかったのです。

 

情報の新しさにおいては、新聞と本とは違っています。著名な本でいうならば、例えば2500年ほど前に書かれた「論語」には、普遍的な教えが書かれていて大変ためになりますが、最近のことを知ろうとすることはできません。本では得られない種類の知識が、新聞には詰まっています。

 

毎日更新される情報を知り、それに触れていると、充足感があります。知識欲が満たされるわけです。みんなが新聞を読んでいたころの人々は、そういう、良い意味での活字中毒者で、どんどん移り変わっていく社会の動向をみんなが共有していることで、日本の政治や経済をも支えていました。

 

しかし今は、圧倒的に新聞を読まない人が増えて、新聞をみんなが読んでいた頃のように、日常会話の中で政治や経済の話をすることが難しくなりました。社会に対しての基本的な情報や知識が少なくなり、その弊害として、物事の判断の精度も落ちています。

 

情報量が少ない人が物事を判断しようとして、その時々の気分や好き嫌いで判断してしまうというのは、考えてみるとおそろしいことですが、今の日本ではそんな状況が深刻化しています。

 

新聞を読んで情報の基礎を作る

現代は情報化社会と言われる割に、個人個人の持つ情報量は圧倒的に少なかったり、情報の種類が偏っていたりします。

 

だいたいの人がスマホやタブレットなどの携帯できる端末を持っていて、そこでネットのニュースを見ているのではと思われます。だからこそ、わざわざ新聞でなくともネットやテレビで情報を得ることができるとも言えますが、実際にはそんなに頻繁にネットのニュースを見たりはしませんよね。

 

なんでも調べられて、いつでもニュースを見ることができる端末があるとはいえ、社会に対しての関心が無ければ、そういった情報に対しての積極的な働きかけはしません。ネットは、自分の興味のあることに関しての情報を得ることについては特化していますが、興味のないところに関しては、ほとんど情報をもたらしてくれないと言えます。

 

一方で新聞を開けば、昨日今日のできごとがひととおり載っていて、興味のあるなしにかかわらず、否応なしに目に入ってきます。一面、経済面、社会面など、なんとなしに見出しを眺めるだけでも、おおざっぱな内容を掴むことができますし、あらゆる情報への関心のきっかけができます。

 

こうなると様々なアンテナが立ち、ネットのニュースを見るときも、そこまで詳しくない問題についてであっても、新聞で得たある程度の情報を基に、重要な記事を主体的に選び、関連した記事もうまく組み合わせて、まとめて読めるようになります。そういう風に、新聞を主として情報を得て、ネットやテレビはその補助として活用していくのが理想的なやり方でしょう。

 

そもそもネットのニュースも、新聞記事が基になっています。ネットのニュースは新聞社の出している記事を要約して掲載しているものですから、ネットで触れることができる情報の源は新聞で、さらに言えば新聞の方がより詳しくその情報について知ることができるわけです。

 

テレビの情報番組を見ていても、新聞記事を拡大したものを並べて解説するコーナーをよく見かけます。この、テレビで新聞記事を扱うコーナーの良いところは、何社かの新聞を比較するため、同じ問題についてであっても、新聞社によって見方が違うことがよくわかるところです。

 

また新聞の記事は、週刊誌などに比べると、ずいぶんしっかりと「事実」を教えてくれます。新聞が事実でないことを載せれば、その新聞社への信頼が失われ、大問題になります。

 

ですから新聞記者の人たちは、読み手に真実を伝えるために、丁寧に取材をして新聞記事を書きます。みなさんも、事実が書いてある、という点においては、他のメディアよりも新聞を信頼しているのではないでしょうか。

 

新聞社はテレビのニュースやネットニュースよりも遥かに取材能力が高く、裏付けもきちんと取ります。テレビのニュースも取材を行いますが、やはり新聞記事をベースにしてニュースを作っています。

 

このように新聞は情報を大衆に提供することに関して、とても大きな役割を担っているのですが、にもかかわらず、人々の意識の中で、あらゆる情報の源が新聞である、という意識はあまり持たれていません。

 

ネットのニュースはいつでもどこでも無料で読めて便利ですが、それも新聞記事があってこそのものです。日本では最近は新聞を購読する人も減って、購読料が減り、記者が減り、新聞という社会全体の情報の基盤が脆くなっています。この新聞が軽んじられた状況は、ゆゆしき事態といえるでしょう。

 

新聞を読むことで磨かれる力

新聞を読むことで、知識に加え、様々な意識や感覚が養われます。それらは今の社会で生きていくためにとても重要なものばかりで、新聞を読むことは、就活や、その後社会に出て暮らしていく上でもたくさんのメリットがあります。

 

新聞を読んで「情報に振り回されない判断力」を得る

最近は学校の授業でも新聞が活用されています。以前から新聞を使った授業を行っていた学校や先生も見られましたが、正式に学習指導要領に組み込まれたため、どこの学校でも新聞を使った授業をするようになりました。

 

そうした授業においては、子供たちが新聞に興味、関心を持ち、新聞を活用して、情報だけでなく、あらゆる力を身につけられるようにするサポートが行われています。

 

こうした授業は、新聞だけでなく、様々なメディアが発信する情報を読み解き、自分のものにする力を身につけさせることが目的です。そういう力がないと、ひとつのメディアが発信している情報をきいて、その内容だけを信じてしまい、他のメディアと比較して考えたりすることができなくなるからです。

 

理想的なのは、いくつかのメディアを比較し、同じ問題に対してのあらゆる意見を受け止めて、それらを整理して考えられることです。

 

それぞれのメディアには立場がありますから、同じ事実に対しても、意見や主張は異なってきます。新聞を読み比べると、各新聞社も、同じ問題に対して、視点の違った主張を述べていることがわかります。それぞれの意見を把握して、自分の意見、判断を決めていく力、いわゆるメディア・リテラシーを養うのに、新聞を使った授業は最適なのです。

 

なぜ新聞を使うかというと、テレビのニュースを見たり、コメンテーターの解説や意見を聞いたりするだけでは不十分だからです。立派な肩書を持つコメンテーターにも、一個人としての意見や主張がありますし、注意しなくてはならないのは、そういった人たちの意見が必ずしも正しいわけではないというところです。

 

新聞にも立場があるので、新聞を一紙読んだだけではまだ不十分ですが、二紙、三紙と普段から読んでいれば、意見の共通するところや食い違うところがわかって、一つの物事への見方のあらゆる角度を知っておくことができます。

 

そうすると、コメンテーターの解説や意見を聞いた時も、その人の立場を冷静に判断するというワンクッションをおいたうえで受け止めることができ、情報に振り回されることがなくなります。

 

テレビのニュースは時間をかけて作られていて、とてもわかりやすいというメリットがあり、ネットのニュースはいつでもどこでも要約された記事が無料で見られるというメリットがあります。

 

可能ならば新聞を中心として、そこにテレビやネットも加えて、それぞれの強みを活かしながら情報に深度や広さを持たせていくと、メディア・リテラシーがしっかりと養われ、社会のことがよくわかるようになります。

 

新聞は本と違って、専門的な知識が必要ありません。誰にでもわかる言葉で、しかも世の中で起きている重要なことが、すぐにわかるように書かれています。哲学書を真に理解したり、専門書を自分のものにしようとすると読みこむのには時間がかかりますが、新聞は気軽に手に取ることができ、社会への関心や知識のみならず、情報への接し方をも教えてくれます。

 

新聞を活用して「総合的な学力」を得る

新聞を読むことで養われるのは、メディア・リテラシーだけではありません。これからの時代において求められる、自ら問題を発見して解決していく「問題解決型の学力」も磨かれます。

 

今までの学校の授業は、算数ならば足し算を学び、次に引き算、その後に掛け算、割り算を学ぶなど、系統立てられた、要は受動的な、知識を暗記するような授業内容でした。問題解決型の学習はこれとは違い、自分たちで考えて問題を見つけ、手段を考えて解決していく、能動的な学習です。

 

社会で生きていて出会う問題の数々は、算数だけ、国語だけで解決できるものではありません。問題を解決するために、自分が持っている様々な教科の知識をどのように活かすか、それを考える力を養うのが「問題解決型の学習」で、学校では「総合的な学習」とも呼ばれます。

 

答えがあっていれば良かった今までの学力と違い、問題解決型の学力においては、解決に至るまでの思考や行動のプロセスも評価の対象となります。

 

最近では学力を測る国際的な調査に「PISA」というテストが行われるようになりました。この調査では問題解決型の学力にウエイトが置かれているので、日本の教育現場でもPISAを意識して、従来行われてきた各教科の系統立てられた学習と同時に、問題解決型の学習も重要視されるようになったのです。

 

その問題解決型の学力を向上させるのにも、新聞はうってつけの教材です。問題解決型の学力では、情報を広く取り入れ、その真偽を検討したうえで、必要な情報を選択してまとめ、自分個人としての意見を持つという力が重要となるからです。

 

また問題解決型の学習においては、個人ではなく、他の人とディスカッションしながら考えることが求められることが多々あります。これまでの授業では、問題を相談しながら解くということはなかったうえに、多くの日本人は議論や意見を述べることが苦手ですから、授業の中でディスカッションする経験をもたせて、そういう能力も伸ばしていくべきです。

 

そういう時にも、新聞は有効に活用できます。新聞に書かれている問題をディスカッションのテーマにすれば、一人一人の教科的な知識はあまり問われないからです。

 

教科書の中からテーマを選ぶと、それに関して教科書に載っていることを、みんなが覚えていなくてはいけません。しかし新聞に載っていることなら、知識や学力にはあまりかかわりなく、みんなが意見を述べられるので、議論がしやすくなります。

 

新聞から得た情報や、他の人の意見もまとめて考えたうえで、自分の立場を決めて、意見や主張を述べることができるようになればしめたものです。新聞を読む習慣があれば、そういう考えるプロセスを日常的に踏むことができます。

 

新聞を日々読むだけで、理想的な練習問題を解いているといっても過言ではありません。新聞を読めば、国際社会に通用する能力を養えるのです。

 

新聞を読む習慣から「就活にも活きる社会性」を得る

就活では、現代の社会に対しての関心の高さや、社会に適応しようという姿勢の有無も問われます。あらゆる企業は社会の中にありますから、社会的な感覚がない人のことは雇いません。というよりも「社会的なルールも知らない人は、こわくて雇えない」と言った方が正しいでしょう。

 

新聞は、社会の常識や物事の良し悪しも教えてくれます。殺人や泥棒が悪いことだというのは誰にでもわかりますが、社会において悪いことだとされることは他にもたくさんあります。「汚職」「職権乱用」「名誉棄損」など、法律に反する行為は様々です。

 

では、どういったことをすると、そういう罪状で捕まってしまうのか。新聞を読んでいれば、そういうこともわかりますし、法律について考えさせられ、ひいては社会とは、そこで生きていくにはどうしたら良いのかをも考えさせられるわけです。

 

社会にあるあらゆるルールを守り、そのルールに守られながら生きていると意識することで社会性が身についていきますが、そういう感覚が高校生のころまでに身についている人はそういません。

 

では高校を卒業した後、大学の四年間でそういう感覚が身につくかと言えば、そういうわけでもありません。学生は社会人ではないからです。それに、高校を卒業してすぐに働き始める人も多くいます。

 

就職して働き、税金を支払うことで、はじめて社会人になります。働いて税金を納めていれば、それが社会に対する貢献であると理解しますし、その税金が何に使われるのかなどが気になって、そこから社会的な意識がうまれます。

 

しかし学生は税金を納めていないので、社会への接点があまりありません。税金を納めることを「損だ」とか否定的に考えてしまうかもしれません。

 

ですが新聞を読んでいれば、税金がどのように使われるのかがわかり、真剣にそれらについて考えるようになります。そうするとそれが接点になって社会の一員としての自覚が出てきて、社会の役に立とうと考えるようになります。

 

そういう姿勢のある人を、企業は求めています。新聞は今の社会の情報だけでなく、社会の一員としての意識ももたらしてくれます。社会的な意識は急には育ちませんから、日々新聞を読むことで、自然にそうした意識を身につけておきたいものです。

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