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教養であなたの人生は豊かになる

本で教養を高める

昭和の時代まで、人間の価値を高めてくれたのは教養でした。古典文学や伝統文化を学ぶことは自分の中に引き出しを増やし、教養を身に付けた人は豊かな人生を送る支えを手に入れました。時代は変わりネット社会となった現在、人間関係のあり方も変化する中、教養を取り巻く環境が大ピンチに陥っています。教養って何?身につけるメリットは?改めて振り返ってみましょう。

 

教養はあなたを成長させる

知識と教養の違いを、あなたはご存知ですか?知識というのは、教科書に書いてあるようなもので、頭に入れたあともそのままの形で残るのが特徴です。例えば、試験前に暗記した日本の歴代首相の名前や元素記号などが、知識にあたります。

 

一方教養とは、人類が歴史の中で積み重ね、後世へと伝えられてきた価値観であり、ものの見方を言います。これは、一人の人間が社会の中で経験を積みながら、知恵や知識を吸収することで得られるもので、文化的な背景からも影響を受けています。

 

ドイツで成立した小説ジャンルに「教養小説」というものがあります。ドイツ語では「ビルドゥングスロマン(Bildungsroman)」と言い、一人の青年が社会との軋轢や周囲の人との関わりを経て、人間的に成長するさまを描いた小説で、「成長小説」とも呼ばれます。

 

教養小説の金字塔と呼ばれたのは、ゲーテの「ウィルヘルムマイスター」ですが、他にもヘルマン・ヘッセ「デミアン」、そしてロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」などが教養小説の代表的な作品として知られています。

 

「ジャン・クリストフ」は10巻からなる長編小説で、ドイツ生まれの音楽家クリストフが主人公です。彼の生涯と、彼に関わった多くの人々を描くことで、当時の西欧社会を描き出そうともしています。また、ジャン・クリストフのモデルはベートーヴェンであると言われています。

 

「ジャン・クリストフ」において、様々な経験をした主人公は人として成長していきます。この姿こそが「教養」であり、教養は人間としての自己形成を指しています。

 

日本では、主に大正時代に、この考え方、つまり教養主義に影響された作家により、教養小説が刊行されました。中でも倉田百三の『愛と認識との出発』は、1921年(大正10年)に出版されるとたちまちベストセラーとなりました。

 

宗教、恋愛、文学、哲学そして生き方など多岐にわたる内容についての論文集で、若い知的エリート層に愛読されました。著者である倉田百三の考え方を吸収し、それによって自分を高めることが目的であり、ただの知識を手に入れるための本ではありませんでした。

 

ここが知識と教養の一番の違いです。先人から脈々と伝わる文化を知り、自分のものとすることで、自分を成長させていく行為、これが教養なのです。

 

学校に通っただけでは教養は身に付かない

教養は、どこで身につけるものでしょうか?私たちは学校で様々なことを教わりますが、これらを全て修めれば教養が得られるでしょうか?

 

答えはNOです。確かに学校では多くの教科を学びます。数学や化学、歴史の知識をつけることができますし、教科書に載っている名作文学に触れる機会もあります。例えば中2のある教科書では、太宰治の『走れメロス』が採用されています。

 

ですが、学校の勉強は進級、卒業するために行うもので、その内容も学習指導要領で定められたものとなっています。授業で扱った内容を味わい、教養として自らの血肉とするのではなく、中間・期末試験で及第点を取るために詰め込んでしまいます。

 

大学入試も同じで、受験する学部・学科によっては不必要な科目は「捨てる」ことになります。例えば文系学部志望の場合、高校2年くらいからは入試科目に絞って勉強を進めていくので、理数系の授業数は極端に少ない学校もあります。つまり、勉強が自分のためではなく「合格」のためになっているのです。

 

このような、目的ありきで身に付けた知識は、教養とは呼べません。「このくらい知っていて当然」、「知らないことが恥ずかしい」という常識とも違います。教養は、「知ることができてよかった」と心から思えるものです。知ることでさらに興味をかき立てられる、教養は人生を豊かにする宝物なのです。

 

専門家の仕事ぶりに、教養の有無があらわれる

ある一つの分野に秀でた専門家はどうでしょうか?文学や建築学など、大学院まで進んだ場合、その知識量は相当なものになります。

 

それでも、「教養」という視点から言えば、専門家だからといって教養があるということにはなりません。自国の文化を吸収し、自分を高めるという経験をしていれば、専門分野で生み出す作品に深みが生まれます。教養に裏打ちされた思想が反映された作品こそが、「文化」として次の世代に受け継がれていくのです。

 

作家が小説を生み出すにあたっても、宗教や歴史の幅広い知識などの教養を反映させられるか否かで、作品そのものの深遠さや完成度に大きな違いが出てくるでしょう。たとえ専門家でも、そういった「引き出し」が少ない男性というのは、女性にとって魅力的には思えないのではないでしょうか。

 

リベラルアーツは、大学を出てからもあなたを支える

わが国の大学の最高峰である東京大学には「教養学部」があり、入学した全ての学生は、最初の2年間を教養学部で学ぶことになっています。ここで将来的にどんな分野に進んでも通用する基礎力を身に付け、3・4年次で自分が志望した専門課程に進みます。

 

初代教養学部長である矢内原忠雄氏の言葉を借りれば、「人間としてかたよらない知識を持ち、またどこまでも伸びていく真理探究の精神を植え付ける」ために欠かせない2年間であると位置づけられています。

 

一般教養はしばしば「リベラルアーツ」と訳されます。リベラルとは直訳すると「自由」ですが、入学して専門課程に入るまでの2年間、文字通り自由に教養を身につける期間です。この過程は、バランスの取れた、教養ある人間を育てるのに必要なものです。

 

ここで身に付けた教養は、人生の様々な場面で支えになります。進路を決める時だけでなく、社会に出てからも、ビジネスにおいて揺るがない判断を下すことができるでしょう。また、間違った道に進みそうになったとしても、教養があれば、先人の教えを思い出し、軌道修正することができるはずです。

 

また、外国人との商談をする際によくあることですが、ビジネスの話を始める前に、自国の文化について突っ込んだ質問を受けることがあります。伝統芸能や茶道、華道などの知識があり、質問にそつなく答えられるかどうかで値踏みをされているのです。

 

これから商談を進める相手として信用できるかどうかを、教養の有無で判断しているわけですが、フィルターをかけるやり方としては、非常に理にかなっていると言えるでしょう。

 

教養に貪欲だった昔の学生

教養を最も重視していたのは、大正時代を中心とした戦前の旧制高校の学生たちでした。学校の教科に縛られることなく、主に読書を通して宗教や哲学、思想などを学ぶことで自分を磨いていました。

 

全寮制であった旧制高校では、寮生活が学びの場として大きな位置を占めていました。万葉集からトルストイまで様々な書物を読破し、寮生同士で議論をすることもありました。知識があって当たり前で、さらに自分の意見を言うことが求められる環境でした。

 

入寮して間もなく、先輩から『カラマーゾフの兄弟』の中で誰が好きかなどと問われ、試される新入生もいました。やっかいなのは、この質問には、その時代の旧制高校生の考えによって、模範解答があったことです。新入生の教養と人間性をテストすることで、彼らのレベルを見極めていたのでしょう。

 

また、彼らにとっては外国文学を原語で読むのが当たり前でした。ドイツ語やフランス語の知識が豊富で、彼らの著書にはしばしば外国語が織り交ぜてありました。

 

戦没学徒の遺稿集として有名な『わがいのち月明に燃ゆ』という書物があります。著者の林尹夫さんは、旧制高校から京都大学に進み、第二次大戦末期に戦死しました。

 

海軍入隊後も学問への思いを断ち切れず、死の直前まで書物を手放さなかったと言われており、遺された論文にも彼の教養がにじみ出ています。死を運命と受け入れている一方でのぞかせる学問への執着は、教養によって彼の人格が高みに達したことのあらわれでしょう。

 

教養がないと、ハマったアニメで一生を終える

教養には、順序があります。手当り次第に取り入れればいいのではなく、高校生の時、大学に入ったらなど、ライフステージに合った教養をタイミングよく取り入れるべきです。

 

かつての高校生は、東西の名作を網羅した「新潮文庫の100冊」を読破するなど、貪欲に教養を身に付けていきました。やがて大学生になるとその食指を宗教や経済、思想の分野にも広げ、古典書物を読んだものです。それは、一つずつ人生のステージを上がっていくために必要な関門でした。

 

その関門は書物や学問だけではありません。昭和の時代、男子は中学生になるとなぜか一斉にビートルズなどの洋楽に目覚め、ギターを始めたものです。大学生になる頃にはバンドなんか子供っぽいとばかりに、ジャズやクラシックに傾倒しました。皆こうやって段階を踏んで、音楽の教養を身に付けて行ったのです。

 

どんな分野であっても、こうした関門をくぐり抜けて大人になった人は幸せです。人間として成長するチャンスを手に入れたからです。

 

一方、近頃の大人はどうでしょうか?教養の関門を突破しないまま成人してしまった世代には、教養というしっかりした背骨を持っていません。すると、若い頃に出会った一つのジャンル、例えばマンガやアニメの世界から卒業することのないまま一生を終えてしまうことになりかねません。

 

1988年上映の「となりのトトロ」を子供の頃初めて見た「ジブリ世代」は現在30代半ばになりましたが、大人になってからも宮崎駿監督の作品を繰り返し見るだけでなく、子供にもトトロのDVDを見せ、グッズを買い与えるなど、ジブリを支え続けている人が非常に多いと言われています。

 

当の宮崎駿監督は、雑誌『Cut』2013年9月号のロングインタビューで、子供時代に1回観れば十分なアニメを繰り返し見るなんてことは、自慢でも誇りでもなく、ただの人生の消費だと語っています。

 

教養の奥深さを知っていれば、他にももっと素晴らしい世界があることが分かりますが、教養が身に付いていないと、ハマったジャンルが全てになってしまうのです。ここでとどまってしまっては、日本はおしまいだと作り手側も感じているのです。

 

節目ごとに教養と出会っておけば人生が豊かになる

その昔、子供の学習机には百科事典が並んでいたものです。小学校入学などを機に、多少無理をしてでも親が買い与えていました。自分自身には学がないけれど、せめて子供には教養を身に付けて欲しいという、親の願いの表れでした。

 

しかし時代の流れとともに、そんな考えを持つ親も少なくなってきたようです。幼い頃に、興味のおもむくままに百科事典を眺める経験をせず育ってしまった人は、もったいないことに、その年代で出会うべき教養を素通りしてしまったことになります。

 

人は成長するにしたがって、その段階ごとに身につけるべき教養があります。読むべき名作であっても、中学生で出会った方がいいものと、大学生で出会った方がいいものは違います。

 

いま触れるべき教養についてアドバイスできるのは年長者です。高校の先生や大学の教授など、教養と出会う旅路で先をゆく人からの言葉は、大いに刺激になるでしょう。また、お兄さんが弾いていたギターに目覚めるなど、身近な人から受ける影響も大きいものです。

 

しかし近年、そうした年長者との関わりが希薄になってきています。学生でも社会人でも、先輩後輩のつながりが弱くなり、気楽な同年代の仲間とのゆるい人間関係で満足している人が増えています。

 

また、音楽にしても小説にしても、一見難解で歯ごたえのある作品は受け入れられない傾向が強まっています。作り手もそんなマーケットに向けて、ひねりのない歌詞でシンプルな曲調の歌や、平易な言葉で書かれた小説を送り出すという悪循環に陥っています。

 

名作と呼ばれるものや古典というものは、難解なものです。ですが、出会うべきタイミングで段階を踏んで教養を身に付けてきた人にとっては、「難解だけれど、面白さがわかる」瞬間が訪れます。難しいから分からない、退屈だと距離をおいてしまっては、教養は手に入りません。

 

文学作品だけではありません。舞台芸術、絵画、果てはワインや食器にいたるまで、私たちの身の回りにあるもの全ては、教養が身に付いていることでぐっと楽しくなってきます。難しいと思っていたものの面白さに目覚める瞬間こそが、教養の味わいなのです。

 

地域の一員として身に付けておくべき教養

教養とは、その地域の文化を背景にして身に付けた知識により、自分自身を高めて行くことです。つまり、その地域に暮らすみんなが知っている、ということが教養の条件であるとも言えます。

 

古典作品は、これまでの長い年月をかけて万人に読まれ続け、かつ廃れず生き残っているものです。時代や国境を越えた多くの人によって共有されている知識であり、知らないと恥ずかしいものとも言い換えられます。

 

また、「教養ある人なら知っていて当然」とされる事柄は、その文化圏ごとに様々です。英語圏の教養人は、例え話にシェイクスピアの一節を使いますし、我が国であれば故事成語を織り込んで話す人がいます。どちらの場合も、それを即座に理解できなければ教養がないと見なされてしまいます。

 

もっと狭い地域限定の教養もあります。例えば、鹿児島県の西郷隆盛など、郷土の英雄のことは、子供達はみんなよく知っています。幼い頃から教わる機会が多いからでしょう。広島県では小学校の授業で戦後史と絡め、広島カープを取り上げています。

 

群馬県では、県内の子供に県の名物や歴史を知ってもらうために、1947年に「上毛かるた」を作りました。以来現在に至るまで、冬になると学校、地域、県それぞれで競技会が催され、群馬県出身の人はみな札を暗唱できるほど定着しています。

 

文化の定義が広がり、教養はみんなのものに

昔は、先輩や先生の影響も受けつつ、ある年齢に達したら古典に触れて教養を身に付け、自分を高めて行くのがあたりまえという空気がありました。手に入れた教養は自分の価値の証明書の役割も果たし、反対に古典の知識が欠けていると「教養のない人だ」と言われ、恥ずかしいこととされていました。

 

ところが1980年代〜90年代にかけて、日本であるムーブメントが起こりました。それは、「教養の再定義」とも言えるもので、これまでは古くからの文化や古典こそが教養であるとされてきたのですが、文化そのものの範囲を拡大してみんなのものにしていこう、という流れでした。

 

教養に新しい定義が加わるだけなら良かったのですが、「古臭い文化なんて知らなくても恥ずかしくない」ということになってしまいました。教養を身につけるために最低限知っておかなければならない知識の範囲がぼやけ、教養にこだわる必要がない、という共通認識が定着したのです。

 

一部の限られた、保守的なブルジョア層が独占してきた「教養」「文化」が一般庶民によって破壊されるという、革命が起こったとも言えます。

 

歴史を振り返ってみても、旧来の考え方や文化を改める時には、前の文化を完全否定してきました。中国の文化大革命では、伝統的な文化に携わる人々の多くは国を追われるほどでした。教養の解釈も同じで、新旧の考え方は共存できなかったのです。

 

カウンターカルチャーの広まりで、既存の文化の存在感が薄まる

1960年代にアメリカで盛り上がりを見せたのは、「カウンターカルチャー」です。これは既存の文化(ハイカルチャー)が体制的であるとして、それに対抗する新しい文化という意味合いがあります。

 

アメリカの若者の間で広がったベトナム反戦運動が、中流社会の既存の文化に対する反発へと繋がり、新しい音楽や文学、また物に囲まれた豊かな生活から精神的な自由への脱却が起こりました。

 

音楽の世界ではロックミュージックの誕生により、世界の音楽シーンが一変しました。南部の黒人音楽であったブルースやジャズを源流としながらも、社会運動と結びつく形でそのスタイルは変化を続け、「これまでの常識を破壊せよ」という主張を音楽で行っていきます。

 

また、体制への反抗という部分で、伝統や制度など既存の価値観をも否定するヒッピー文化が西海岸の若者の間から生まれました。ヒッピーたちは、自然と愛と平和、そしてセックスを愛すると主張していましたが、それはすなわち既存の家族制度の否定でもありました。

 

その考えがさらに昇華し、精神の自由を追い求めた結果、マリファナやLSDなどのドラッグで意識を拡大させようとしたサイケデリック文化へとつながっていきました。

 

カウンターカルチャーは、対抗すべき主流の文化、つまりハイカルチャーの存在があって初めて意味をなします。カウンターカルチャーの誕生から半世紀近くとなり、ハイカルチャーの知識を持たない人が非常に多くなってきました。当初は異端であったはずのカウンターカルチャーも、もはや主流です。

 

カウンターカルチャーの担い手、例えば、中流階級の生まれであるローリングストーンズのミック・ジャガーや、大学で音楽を専攻したクイーンのフレディ・マーキュリーは、古典音楽などの教養も持ち合わせ、その知識を生かした曲づくりを行っていました。

 

しかし聴き手はそのことに気づかないまま、単なるロック音楽として楽しんでいるだけです。曲の背景にある古典音楽の要素を味わう、ということはなくなってしまいました。

 

教養がない人たちからすれば、「古典だけが文化にあらず」と主張すれば、これまで少なからず感じてきた、後ろめたさや恥ずかしさにとらわれる必要がなくなります。多くの人が同時に声を上げてしまったばかりに、継承すべき文化や教養がどこまでを指すのかが、急激に曖昧になってしまったのです。

 

教養のエンターテイメント化とネットへの拡散

1980年代に入ると、我が国の教養をめぐる状況に、大きな潮流が押し寄せました。本来難解でとっつきにくい現代思想などの学問を、分かりやすくした上で、学会誌ではなく雑誌媒体などで発表する評論家や学者が登場したのです。マスコミは一連の動きを社会現象と捉え、ニューアカデミズムと名付けました。

 

1983年に、当時26歳と若かった浅田彰氏が大学院在学中に執筆した『構造と力』は、現代思想の入門書です。非常に明快で分かりやすくまとめられており、マスコミに頻繁に取り上げられ、15万部を売り上げる異例のヒットとなりました。

 

浅田氏に続き、中沢新一などの著作が大学生を中心に広く読まれるなど、これまで限られた人のものであった教養が、一種のブームとなり、より手に取りやすい形になって広まったと言えます。

 

教養という文化が一般にも広まるということは、その価値が薄まるということでもあります。難解な学問や文化を簡単に理解できるなら、その方が楽だと考えるのは当然のことだからです。

 

この流れを象徴するTV深夜番組が、バブル後期である1990年にスタートしました。『カノッサの屈辱』というタイトルの、教養風バラエティです。日本の消費文化を、歴史上の出来事になぞらえて紹介するのですが、教授がゼミの授業を行うようなスタイルで番組は進行しました。

 

強引にこじつけた内容ながら、歴史をきちんと勉強した人だけがその面白さを理解できるという点において、教養の持つ意味合いと同じだったと言えますが、それを軽妙でおしゃれなものとして打ち出したわけです。テレビが文化を発信していた90年代らしい番組であったと言えます。

 

そして現在、教養をとりまく環境は、インターネットの普及によってさらに変化を遂げています。これまで教養を身につけるために必要だった古典や学問の知識は、書物を紐解くまでもなく、インターネット上で無料で手に入れることができるようになったのです。

 

古典の名作は価値が高い反面、手に取って読みこなすのにはある種のハードルがありました。要は読む人を選ぶ情報だったわけですが、いまやスマホでも読むことができるレベルで拡散しています。

 

また、ネットの画像検索結果を見ると、芸術家の作品である絵画や写真も、誰かがスマホで気軽に撮ったスナップと同等に扱われています。

 

インターネットにあふれる情報は、教養を高められる知識もあれば、真偽が疑わしいもの、品性に欠けるものまで様々あり、これらを区別して選び取れるかどうかは自分次第となっています。

 

一生のうちでこの本だけは読んでおくべきだ、というような、教養の重みがなくなり、ただの情報との違いが分かりづらくなったことは、教養を大切に考える人達にとっては逆風となっています。

 

サブカルチャーブームとマンガ発展期

1980年代になると、「サブカルチャー」という概念が日本に入ってきました。欧米では人種的マイノリティの文化を指す言葉でしたが、日本では「マイナーな趣味」を指すものとして、SFやオカルト、ストリートファッションなどがサブカルブームを巻き起こしました。

 

これまで日本文化と言えば茶道、華道、禅といった伝統文化だとされてきましたが、サブカルチャーの登場は、日本文化の解釈を大きく広げるきっかけになりました。その後、漫画やアニメを中心とした「オタク文化」がサブカルチャーの中心となり、今や世界でも日本を代表する文化として認知されています。

 

発展期の日本漫画には、深い教養に裏打ちされた作品がたくさんありました。その代表的な存在は手塚治虫でしょう。医学博士でもあった手塚の作品は、生命の尊厳をテーマにしたものの他、自身の文学や演劇にたいする深い造詣を反映したものも多くありました。

 

新進漫画家が集まるトキワ荘出身の、藤子・F・不二雄や石ノ森章太郎は手塚治虫イズムを受け継いでいます。子供向けの漫画であっても、その背後には計り知れない量の知識が詰め込まれていたのが、この時代の漫画の特徴であり、日本の子供達は非常に恵まれていたのです。

 

アニメオタクの増殖による弊害

現在、日本のアニメ市場は拡大を続け、日本独自の発展を見せる中で、金字塔と呼ばれる作品も生まれています。「機動戦士ガンダム」や「新世紀エヴァンゲリオン」は、その世界観に多くの人がハマり、ずっと追いかけて行く「ガンダム世代」「エヴァ世代」と呼ばれるコアなファンがいます。

 

世界観とは、その作品独自の人生や世界に対する見方のことを言いますが、ここで確認しておきたいのは、「世界観のある作品」と「教養に裏打ちされた作品」とは違う、ということです。

 

教養がないのは恥ずかしいとされた時代は終わりを告げ、教養はわざわざ身につけなくてもいいと多くの人が考えるようになりました。アニメの作り手にも観る方にも、教養のない人が増えてきています。結果、世界観さえ感じられればそれでいい、という流れが生まれているのです。

 

アニメの世界でクリエーションに関わるとしても、アニメ以外の知識や経験は不可欠です。ガンダムの総監督である富野由悠季氏は、SF好きが作ったSF作品はつまらないと例を挙げた上で、単一思考はクリエイティブにとって最も危険で、求められるのは異能の組み合わせであると語っています。

 

つまり、アニメばかり観ていた人の作るアニメと、教養がある人が作るアニメとでは、作品の奥行きや面白さに大きな差があるということです。また、経験もないスポーツを描いたとしても、リアリティに欠けてしまい、作品の魅力も失われてしまうでしょう。

 

内輪で盛り上がる日本文化

日本発のファッションが、海外で注目を集めるようになってきました。きゃりーぱみゅぱみゅに代表されるような、独特の感性を持つファッションをお目当てに日本を訪れる海外の若者も多く、Kawaiiという日本語も浸透しています。

 

1980年代くらいまでは、外国の先進的なファッションを取り入れることがおしゃれだとされてきましたが、今やパリやNYのコレクションに進出している日本人デザイナーも増えてきました。ファッションの分野で言えば、日本は西洋と対等の立場になりつつあります。

 

一方、音楽や文学といったジャンルではどうでしょうか。オリコンが発表した、2016年度の小説ランキングを見てみると、上位10冊のうち外国文学は『ハリーポッター』シリーズの1冊のみで、あとは日本の作品が並んでいます。

 

今や世界中の文学作品を手に取ることができるにも関わらず、外国作品が極端に少ない結果には驚きを隠せません。

 

音楽についても同様の傾向が見られます。レコチョクの2016年度アルバム・ダウンロードランキングのベスト10のうち9枚は邦楽アルバムで、洋楽はコンピレーションアルバムが1枚ランクインしたのみです。

 

このように、文化のトレンド傾向が非常に内向きになっており、これは由々しき事態だと言えます。世界を見渡せば、すばらしい音楽や文学作品はたくさんあるのに、身近でお手軽に手に入る国内のものだけで満足してしまっているのです。

 

また、古き良き文化を味わうことも少なくなっています。日本のカルチャーシーンでは、ドメスティック市場向けにお手軽な作品が量産されており、過去を振り返っている暇もないからです。これは、文化のガラパゴス化を心配するレベルであると言えます。

 

引き出しを増やして、深みのある人間に

書店の自己啓発本のコーナーに行くと、「ありのままのあなたでいい」と書かれた本がたくさん並んでいます。自己肯定感を高めるこのメッセージは、1980年ごろから広まってきています。

 

しかし、ありのままの自分で社会に出て、早々に心が折れてしまう若者も増えています。自分らしさを大切にすることも大事ですが、人間はそれだけでは自信を持って進めないものです。自分の中に引き出しをいくつも持ってさえいれば、精神の支柱となり、人間的な深みも出てきます。

 

それでは、どうしたら引き出しを増やすことができるでしょうか?それはやはり、過去から受け継がれてきた文学作品や芸術に触れて、自分を高め、教養としていくことです。

 

偉大な文学作品を読むということは、主人公の悩みや喜びを追体験して、自分の血肉とすることです。それを繰り返すことで何人分もの人生体験をしたのと同じ状態になります。

 

特に悩み多き青年期には、悩みを抱えていて少しねじ曲がった主人公の出る作品に出会うとよいでしょう。古典で言えばシェイクスピアの『ハムレット』やドストエフスキーの『罪と罰』、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や志賀直哉の『暗夜行路』もいいかも知れません。

 

自分は今を生きているけれど、自分の中には古今東西の様々な人が、その人生が息づいているのです。この、縦の関係は自分を高める上で非常に重要です。

 

現代はSNS社会です。気軽に不特定多数の人に発信でき、世界中の人とゆるく繋がることもできるようになりました。しかしそれは、繋がりたい人を選べるということでもあります。

 

横並びで気楽な人間関係を優先しているとも言え、昨今、会社や学校での縦の人間関係が希薄になってきていることとも関係がありそうです。確かに横並びの関係は楽ですが、刺激を受けて自分を高めることができるか、というと疑問が残ります。

 

何でも手に入る環境にありながら、受け継いで残していくべき質の高い文化や伝統、古典に全く手をつけない人が増えてしまった日本は、果たして本当に文化的な国家だと呼べるのでしょうか?そのうち大切な文化的な遺産を失ってしまうことになりかねません。

 

真に教養のある、人間的に深みのある、引き出しの多い人よりも、優しくていい人、という方が今風の褒め言葉になりつつあります。国の文化とともに教養ある人までもが、絶滅の危機を迎えようとしているのです。

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